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◆第三幕 同窓会◆
仕方ない①
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案の定、送信元は哲治だった。
時刻はもうすぐ九時を回ろうとしている。金曜の夜の串焼き屋にとって、決して暇な時間帯ではないはずだ。
無視しようかとも考えたが、恐らく出るまで掛け続けてくるだろう。諦めたように「ちょっとすみません」と深澤に告げ、背を向ける。
「もしもし。哲治、どうしたの?」
『ああ、陸。まだ外にいるんだね』
心臓が跳ね上がった。どこかから見られているのではないかと、思わず辺りを見回してしまう。
『うちの親から、茶益園に買い物に行った時に陸を見たって聞いてさ。会社の同僚と来てたの? まだ帰宅してないってことは、今も一緒にいるのかな』
一先ず清虎に会っていたことが知られた訳ではなさそうだった。胸を撫で下ろし、「もう帰るところだよ」と適当に嘘を吐く。
『もう帰る? そんなこと言わないで、同僚と一緒に店に来いよ。今なら席も空いてるし。会社で陸はどんな感じなのか、聞いてみたいんだよね』
やめてくれ、と言いそうになるのを堪えながら、「また今度ね」とやんわり断る。しかし哲治は引き下がらなかった。
『うちに連れて来れないなんて、何かやましいことでもあるの?』
「ないよ。ないけどさ……。ごめん、先輩待たせてるから」
そう言いながら振り返った陸は、すぐ後ろにいた深澤に驚いて身を反らせた。深澤は、心配そうに陸を見降ろしている。
「電話、彼女さん? 浮気を疑われてるんなら、俺が代わって誤解を解こうか」
「あ、いえ。彼女じゃないんで、大丈夫です」
深澤との会話は哲治にも聞こえたらしい。ははっと乾いた笑い声がスマホから漏れる。
『ねえ陸、その先輩に代わってよ。うちの店に招待するって伝えたいから』
「いや……」
『ほら、早く』
畳みかけられ、陸の思考は停止する。
「わかった、今から行くよ」
『うん、待ってる』
満足そうな哲治の声。また我儘を受け入れてしまったと思いながら通話を切った。
「あの。友達の家、炭膳って言う焼き鳥屋なんですけど、今から来ないかって」
「え、炭膳? そのお店も雑誌で見たことあるよ!」
佐々木が目を輝かせて「行きましょう」と陸の提案に同意する。歩き出した陸の隣に並んだ深澤は、何か言いたげな様子だった。電話中、彼女に浮気を疑われ問い詰められていると勘違いされる程、自分は緊迫した空気を出していたのだろうか。
そんなことを考えながら、店の引き戸を開ける。
「いらっしゃい。待ってたよ」
カウンターの中から哲治に笑顔を向けられた。哲治の父親も炭火で鳥を焼きながら、「いらっしゃい」と威勢よく出迎えてくれる。
店はやはり混んでいて、カウンター席だけが空いていた。必然的に、陸たちは哲治の目の前の席に着く。
お任せで串の盛り合わせを注文し、ビールで乾杯した頃、哲治の父親が興味深そうに佐々木に問いかけた。
「お嬢さんは陸の恋人なのかい?」
ビールを吹き出しそうになった陸は、「ちょっと」と声を荒げる。
「おじさん、いきなり失礼だろ。会社の同僚だよ。変なこと聞かないで」
「なんだ、そうなのか。じゃぁお嬢さん、うちの哲治はどうだい? 働き者だし、優良物件だと思うんだけどねぇ」
「オヤジ。やめろって」
今度は哲治が諫める。哲治に「すみません」と謝られた佐々木は、恐縮しながら顔を真っ赤にさせた。
「だってお前、そろそろ嫁さん貰ったっていいだろう。俺は早く結婚して欲しいんだよ」
「またその話かよ。いい加減にしてくれ」
客の前で親子喧嘩を始められてはかなわない。陸がなだめようとすると、深澤が白い歯を見せて爽やかに笑った。
「親子で一緒の職場は、距離が近くて苦労も多そうですね。でも、羨ましいな。それに、店を継ぐんですよね? 親孝行な息子さんじゃないですか」
「いやぁ、まあ、そうなんですけどねぇ」
哲治の父親は、口では不満を漏らしつつも嬉しそうな表情を浮かべる。
場の空気を一瞬で変えるのは流石だなぁと感心していたら、今度は深澤が陸の方に体を向けた。
「それにしても、佐伯くんがハッキリ物を言うのに驚いたな。地元だといつもこんな感じなの?」
「俺、そんなに普段と違いました?」
陸が聞き返すと、深澤と佐々木が同時にうなずく。
「佐伯くんとは幼馴染なんですか?」
「ええ。幼稚園から大学まで、ずっと同じ学校でした」
哲治の答えを聞き、隣で父親がははっと笑った。
「こいつらの母親同士も同級生でね。正確には、生まれる前から知り合いなんですよ」
「生まれる前から知り合いだなんて、凄いですね。じゃあ、幼馴染より兄弟って言った方が近いのかな」
深澤は驚きつつ、ビールのグラスを口元に運んだ。哲治はしみじみ「ええ」と相槌を打つ。
「幼馴染で、兄弟のようで……二人で一つと言った感じですかね。昔から、いつも一緒でしたし。陸には俺が付いていないと駄目なんです」
自信ありげに言い切られて、陸はムッとしながら反論する。
「違うだろ。哲治の方が、俺がいないと駄目なんだ」
「確かに。そうかもしれないな」
哲治は目を伏せ、満ち足りた笑みを浮かべた。そんなやり取りに、一瞬だけ深澤の表情が曇る。
何かを危惧するような眼差しが気になった陸は、深澤に問おうと口を開きかけた。しかし、陸より先に放たれた哲治の言葉で、それどころではなくなってしまう。
時刻はもうすぐ九時を回ろうとしている。金曜の夜の串焼き屋にとって、決して暇な時間帯ではないはずだ。
無視しようかとも考えたが、恐らく出るまで掛け続けてくるだろう。諦めたように「ちょっとすみません」と深澤に告げ、背を向ける。
「もしもし。哲治、どうしたの?」
『ああ、陸。まだ外にいるんだね』
心臓が跳ね上がった。どこかから見られているのではないかと、思わず辺りを見回してしまう。
『うちの親から、茶益園に買い物に行った時に陸を見たって聞いてさ。会社の同僚と来てたの? まだ帰宅してないってことは、今も一緒にいるのかな』
一先ず清虎に会っていたことが知られた訳ではなさそうだった。胸を撫で下ろし、「もう帰るところだよ」と適当に嘘を吐く。
『もう帰る? そんなこと言わないで、同僚と一緒に店に来いよ。今なら席も空いてるし。会社で陸はどんな感じなのか、聞いてみたいんだよね』
やめてくれ、と言いそうになるのを堪えながら、「また今度ね」とやんわり断る。しかし哲治は引き下がらなかった。
『うちに連れて来れないなんて、何かやましいことでもあるの?』
「ないよ。ないけどさ……。ごめん、先輩待たせてるから」
そう言いながら振り返った陸は、すぐ後ろにいた深澤に驚いて身を反らせた。深澤は、心配そうに陸を見降ろしている。
「電話、彼女さん? 浮気を疑われてるんなら、俺が代わって誤解を解こうか」
「あ、いえ。彼女じゃないんで、大丈夫です」
深澤との会話は哲治にも聞こえたらしい。ははっと乾いた笑い声がスマホから漏れる。
『ねえ陸、その先輩に代わってよ。うちの店に招待するって伝えたいから』
「いや……」
『ほら、早く』
畳みかけられ、陸の思考は停止する。
「わかった、今から行くよ」
『うん、待ってる』
満足そうな哲治の声。また我儘を受け入れてしまったと思いながら通話を切った。
「あの。友達の家、炭膳って言う焼き鳥屋なんですけど、今から来ないかって」
「え、炭膳? そのお店も雑誌で見たことあるよ!」
佐々木が目を輝かせて「行きましょう」と陸の提案に同意する。歩き出した陸の隣に並んだ深澤は、何か言いたげな様子だった。電話中、彼女に浮気を疑われ問い詰められていると勘違いされる程、自分は緊迫した空気を出していたのだろうか。
そんなことを考えながら、店の引き戸を開ける。
「いらっしゃい。待ってたよ」
カウンターの中から哲治に笑顔を向けられた。哲治の父親も炭火で鳥を焼きながら、「いらっしゃい」と威勢よく出迎えてくれる。
店はやはり混んでいて、カウンター席だけが空いていた。必然的に、陸たちは哲治の目の前の席に着く。
お任せで串の盛り合わせを注文し、ビールで乾杯した頃、哲治の父親が興味深そうに佐々木に問いかけた。
「お嬢さんは陸の恋人なのかい?」
ビールを吹き出しそうになった陸は、「ちょっと」と声を荒げる。
「おじさん、いきなり失礼だろ。会社の同僚だよ。変なこと聞かないで」
「なんだ、そうなのか。じゃぁお嬢さん、うちの哲治はどうだい? 働き者だし、優良物件だと思うんだけどねぇ」
「オヤジ。やめろって」
今度は哲治が諫める。哲治に「すみません」と謝られた佐々木は、恐縮しながら顔を真っ赤にさせた。
「だってお前、そろそろ嫁さん貰ったっていいだろう。俺は早く結婚して欲しいんだよ」
「またその話かよ。いい加減にしてくれ」
客の前で親子喧嘩を始められてはかなわない。陸がなだめようとすると、深澤が白い歯を見せて爽やかに笑った。
「親子で一緒の職場は、距離が近くて苦労も多そうですね。でも、羨ましいな。それに、店を継ぐんですよね? 親孝行な息子さんじゃないですか」
「いやぁ、まあ、そうなんですけどねぇ」
哲治の父親は、口では不満を漏らしつつも嬉しそうな表情を浮かべる。
場の空気を一瞬で変えるのは流石だなぁと感心していたら、今度は深澤が陸の方に体を向けた。
「それにしても、佐伯くんがハッキリ物を言うのに驚いたな。地元だといつもこんな感じなの?」
「俺、そんなに普段と違いました?」
陸が聞き返すと、深澤と佐々木が同時にうなずく。
「佐伯くんとは幼馴染なんですか?」
「ええ。幼稚園から大学まで、ずっと同じ学校でした」
哲治の答えを聞き、隣で父親がははっと笑った。
「こいつらの母親同士も同級生でね。正確には、生まれる前から知り合いなんですよ」
「生まれる前から知り合いだなんて、凄いですね。じゃあ、幼馴染より兄弟って言った方が近いのかな」
深澤は驚きつつ、ビールのグラスを口元に運んだ。哲治はしみじみ「ええ」と相槌を打つ。
「幼馴染で、兄弟のようで……二人で一つと言った感じですかね。昔から、いつも一緒でしたし。陸には俺が付いていないと駄目なんです」
自信ありげに言い切られて、陸はムッとしながら反論する。
「違うだろ。哲治の方が、俺がいないと駄目なんだ」
「確かに。そうかもしれないな」
哲治は目を伏せ、満ち足りた笑みを浮かべた。そんなやり取りに、一瞬だけ深澤の表情が曇る。
何かを危惧するような眼差しが気になった陸は、深澤に問おうと口を開きかけた。しかし、陸より先に放たれた哲治の言葉で、それどころではなくなってしまう。
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