その令嬢、危険にて

ペン銀太郎

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第一部:7章:閑話集【出番が少ない者たち】

76話:黒血卿

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ある地域で一つの心霊現象が噂界を占めていた。
『空洞騎士』が存在しているという噂だ。
鎧の中に肉体が入っていないにも関わらず動き回り、鎧の隙間という隙間からは血が滴り落ちる。人間を殺しては血だけを抜き取り、自身の鎧の中に詰めていく幽霊なのだと――人々は恐怖で眠れぬ日々を過ごしていた。



彼らは、当の本人(本鎧)が農作業をしていることなど知らないで。



様々な種類の野菜が植えられた畑の中、あまりにも場違いと言えてしまうような赤黒い鎧がそこにはいた。同じ赤黒い色をした鍬を持ちながら、その鎧は満足そうに頷く。

『ふむ…これなら来年も大丈夫だな。』

鎧の正体は呪具と化した元・黒血卿バルドロだった。
初めの内こそおよそ意思と呼べるものが存在しなかった彼だが、黒血鎧を完全に制御下に置くことに成功し、現在はバルドロという一人の人間として活動できるようになっていた。

そして、彼らは森の中にある家で生活をしていた。そこは元々は王城内勤務の学者のフィールドワーク時の拠点家だったが、昔に持ち主が老衰死して以降はバルドロが時々に使っていた。

『して、リーネット様はいつお戻りになるのだろうか…?』

鍬を液体の状態に戻し自身の体の中に取り込むと、バルドロは家へと帰る。主である元側妃は街の方に用事で出かけたが、さすがに目立ってしまう彼は居残り扱いである。
いつ戻ってきても良いよう、バルドロは今日もまた廃棄することになるかもしれない晩飯の支度を始める。エプロンを着け、材料を台所に並べ、竈に火をくべる――その姿は、かつて国内最強と肩を並べる唯一の人物と言われていた者とは誰も思わないだろう。

『…む?』

すると、彼はふと家の玄関外から何かの気配を感じ取った。人のものに近いが、魔物の類であるかのようでもある。彼が血の剣をその手に具現させて、向こうの出方を見計らって待機していると、玄関からはドンドンと扉を叩く音と「ごめんくださぁ~い」という声が届く。

バルドロは警戒を解くことなく、そのドアを開けた。
そこには一匹――一人と言うべきか――龍人が立っていた。
龍人は黒血卿を見ると、口元を弧にして軽口をたたいた。

「…うわぁ、エプロン似合わねぇ。」

『誰だ、貴様。人ならざる者よ。』

「キヒッ、俺以上に人間やめた奴に言われる言葉じゃねぇなぁ。まぁ、名乗ってやるか。俺はシュヒ―ヴルって者よ。ゼノン教って聞いたことない? そこの幹部やってんの。」

《ゼノン教》――その名前はバルドロも聞いたことがあった。
魔物が通常の生物と規格が違うのは『神の使徒』だからであり、これらと共存することが『神の試練』であると信じているカルト集団である。仮に魔物に殺されたとしても、死因が魔物である場合に限り『楽園』へと魂が招待されるとのこと。

彼らの最終目標は使徒の王――すなわち魔物の王を誕生させることにある。一般的にはその存在は世界を滅ぼすとされているが、それは誤解で実際は世界そのものを『楽園』に作り替えてくれる存在だと彼らは信じている。

『教義ぐらいは…。で、そのゼノン教とやらが、我々に何用だ?』

「仲間の勧誘に決まってんだろぉ? あぁ、信じる信じないは正直どうでもいい。都合がいいから入団してるだけで、神なんざ信じてない奴なんて俺含めてチラホラいるしなぁ。」

『入団する気はないが?』

「おっ、そりゃあ残念だぁ。まぁね、こちらとしては邪魔しないことさえ約束してくれりゃあ、それで万々歳なわけだし? どうだぁ? 俺らの行く先に立ちはだからないって言ってくれよぉ?」

『残念だが出直せよ。それに関してはリーネット様の決定がいる。』

「おいおい、その元側妃様はいつ戻って来るんだ?」

『私にも分からん。だから出直せと言ったのだ。』

「そうかい。それなら――」

爬虫類の目が細められる。
次の瞬間、シュヒ―ヴルから殺気が溢れ出した。

バルドロは血の剣を首元に叩きつけようとするが、それよりも速くシュヒ―ヴルが口を開く。喉奥からオレンジ色の粉が排出され、カッと瞬の光が発生したかと思うと――爆発がそこら一帯を包んだ。

舞う土埃の中でケタケタと笑う声はシュヒ―ヴルのもの。彼の目の前には家も畑もなにかもが消し飛んでいるが、不思議と彼の背後だけは何事もなかったかのように残っていた。本来の彼の爆炎というものは、ここまで正確に爆発に指向性を持たせられるのだ。

「俺ってばさぁ、待てない性格だし、不意打ち上等なのよねぇ。簡単な話、アンタを潰してしまえば、回答がどっちでも邪魔なし確定ってことだろぉ?」

ネルカのときのように威力の減衰をされたわけでも、退くことをされたわけでもなく――ド近距離で最大火力を直撃。満足したシュヒ―ヴルはさて帰ろうかと思っていたが、煙と炎の視界の先にある人影に対して目を見開く。

『我々の家をよくも壊してくれたな、貴様!』

「アレ食らってピンピンしてるとか…つくづくバケモンだなぁ、オイ! 安心しろよ、テメェらの家を今からあの世に作ってやっからよぉ!」

バルドロが血の棘を生成して飛ばすのと、シュヒ―ヴルが接近のために駆けだすのは同時だった。頬を棘が掠めながらも紙一重で回避した彼は、龍爪を突き刺さんと繰り出した。その攻撃に対しバルドロは血の剣で受けようとするが、止めることなど一切できず破壊され、鎧への攻撃を許してしまう。鎧ですら龍爪を止めることができず、数センチだけ貫通していた。

『貴様…強いな。この感覚、あの黒魔法の娘以来だ。』

「キヒヒヒ、その言い方、テメェもあの娘とヤりあったかぁ?」

『あぁ、あれほどの高揚感、貴様は俺に味わわせれるか?』

「それは、こっちの台詞だぜぇ!」

爪が突き刺さっている箇所から血が溢れ出て、シュヒ―ヴルの腕を拘束しようと纏わりついていた。彼は舌打ちをすると腕を引き抜き、一歩下がると口を開いて爆炎粉を再度放出しようとする。

『させないッ!』

対するバルドロは三つの血の棘を発射させ、シュヒ―ヴルが腕と尻尾でそれぞれを破壊している隙に、その懐へと潜り込むと血の剣を生成して脇腹へと突き刺した。すると、彼の粉はほんの少量が口から出ただけで、不発に終わった言っても過言じゃない程度の炎しか発生しなかった。

「カハァ! コホォ! ケホケホ…このヤロー、ピンポイントで生成器官を狙いやがった! クソッ、粉が出ねぇ!」

そこでシュヒ―ヴルが取った行動は――撤退だった。

シュヒ―ヴルという男は傲慢な発言をすることが多いが、それは『自身が暴れたときの快感が増える』からやっているに過ぎない。つまり、彼の本性というのはプライドが高く人を見下す性格なのでは決してなく、ただただ自身の本能に忠実なだけ。

ゆえに躊躇無く、恥無く、目的遂行意識も無く――逃げれる。

『逃すかッ!』

黒血鎧の速度では、逃げに徹する彼には追い付けない。
しかし、ここで逃げられてしまうと、後が厄介であることは確か。
だからこそ、バルドロはなりふり構わないことにした。

「うっそだろぉ…おいおい…。」

鎧の隙間という隙間から血が溢れ、まるで重力が反転したかのように滴り上がっていく。そして、その血はバルドロの頭上へと集まっていき――デカく――デカく――さらにデカく――もっとデカく――



――体長何十メートルもの蛇竜と化していた。
――次に起きるは血竜の大洪水。
――あらゆる生物を飲み込み、黒血の栄養へと変える。



そしてついに、龍人のものと思わしき力を吸収したことを感じ取ったバルドロは、一応と言うことでしばらく大洪水を継続させた後、生気の尽きた龍人の肉体を血に運ばさせる。

彼の右手に血の塊ができあがっており、それを解除する。

『むぅ…?』

だが、その手に乗っているのは――龍の尾だけだった。
トカゲの尻尾切り――彼はそんな言葉を思い出した。

『ふむ…逃げられたか。』

さすがに魔力を使い過ぎてしまったのか、バルドロはその場に膝を付いてしまい、おかげで思考を冷静にさせることができた。そして、冷静になったからこそ周囲を見渡し、自身たちが何をしてしまったのかを思い知ることとなった。



『あぁ…リーネット様に…何と説明をしようか…。』



そこにあるのは爆発によって消し飛んだ住居。
草木は燃え果て、動物は消し果てる。

そこにあるのは黒血により死の土地と化した森。
草木は枯れ果て、動物は朽ち果てる。



およそ、生物が生きていられる土地などではなかった。


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