愛の音楽

ガラスの惑星

文字の大きさ
2 / 6

夢見るオーボエ

しおりを挟む
梅雨。

校庭の草木は空から降ってくる宝石に打たれ、うつむいていた。灰色の曇天に赤色の傘が花開く。赤色の傘を差して見慣れた通学路を歩く私は、左手にオーボエの入った楽器ケースを提げ、右肩にはスクールバックを掛けていた。紫陽花は大粒の宝石を背負い、静かに眠っている。アスファルトはまるで鏡のように私の姿を映し出していた。

見慣れた校舎にたどり着いた。ローファーと靴下、それにスカート。それらはぐっしょりと濡れそぼって、虚ろな目で私を見つめている。傘を傘立てに突っ込み、上靴と引き換えに靴下とローファーを靴箱に直した。そして急ぎ足で音楽室へと向かった。こんなに早い時間ならまだ誰もいないはずだ。と考えを張り巡らせながら音楽室へ急ぐ。その予想は正しかった。私の視界にはまだ誰もいない音楽室が映っていた。すぐさま体操服に着替え、濡れた足を拭く。今日に限って替えの靴下は持っていなかった。素足で上靴に足を通し、私の「定位置」に座った。譜面台を組み立てる。スクールバックから楽譜を取り出す。左手に提げていた楽器ケースは雨に濡れておらず、なんとか無事だった。

窓の外に視線を落とす。濁ったパレットのようにどんよりとした景色が広がっている。雨、梅雨…。着替えたばかりだが、服が体に張り付いてなんだか気持ちが悪い。今日は湿度が高い。それは楽器にとって劣悪な環境だ。けれど私は雨が好きだ。自然の交響曲のようで美しい。心が落ち着く不思議な音楽。繊細かつ力強い音…。オーボエのような、素敵な音色。

準備室からリードケースを持ってくる。私はその中からお気に入りのリードを選んだ。それから小さなコップに水を入れ、その中にリードをそっと沈めた。三十秒くらい経っただろうか。リードをコップからすくい上げた。オーボエのリードはダブルリードと呼ばれ、その吹き口はわずか四ミリ。息のコントロールや指使いなどが非常に難しいため、世界で一番難しい木管楽器とも言われている。そんなオーボエを吹いているということに実感が湧かない。楽器ケースを開ける。そこには美しいオーボエが座っている。まだバラバラのオーボエは早く組み立ててほしいと言うかのように私を見つめていた。

オーボエを組み立て、リードを装着させる。いつ見ても美しい。黒曜石のように光るボディに、誰かが幾つも植え付けたような銀色のキイ。ロボットのような見た目の楽器。不思議な音のする、未知の楽器…。

吹き口にそっと口を当てる。息を吸い、一本の儚い音を響かせる。陰湿だった音楽室の空気が爽やかな空気へと化した。それがとても嬉しくて、楽譜を開いた。鉛筆を左手に持ち、感情をどのように音に乗せるかを考える。冒頭部分は華やかに、中間部分は哀愁を帯びた音色。終盤は希望に溢れた音色を。中間部分にはオーボエのソロがある。ソロの部分に言葉を書き足していく。音源は何回も聴いた。耳が、心が、身体が覚えるまで、何度も…。

いざ本番。楽譜には音が雨垂れのように伸び、窓の外では雨が蕭蕭と降っている。
息を吸う。指使いが複雑なこのソロは、今まで何度も私を苦しめてきた。成功したことは一度もないが、どうしてか今日は成功することができるような気がした。オーボエは私と共に歌った。一音一音を深く噛み締めながら、最後の三連符まで共に駆け抜けた。私はオーボエの余韻に浸った。

「私は生きている」

そう強く感じた。雨の音にかき消されてしまわないように、必死に心の中で唱えた。
大粒の宝石は私とオーボエを祝福しているかのように、心地良い音を響かせた。私とオーボエはその音に応え、群青色の音を響かせた。

「嗚呼、自由だ」

私はそう呟き、オーボエに精一杯の微笑みを贈った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

借金した女(SМ小説です)

浅野浩二
現代文学
ヤミ金融に借金した女のSМ小説です。

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

処理中です...