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夢見るオーボエ
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梅雨。
校庭の草木は空から降ってくる宝石に打たれ、うつむいていた。灰色の曇天に赤色の傘が花開く。赤色の傘を差して見慣れた通学路を歩く私は、左手にオーボエの入った楽器ケースを提げ、右肩にはスクールバックを掛けていた。紫陽花は大粒の宝石を背負い、静かに眠っている。アスファルトはまるで鏡のように私の姿を映し出していた。
見慣れた校舎にたどり着いた。ローファーと靴下、それにスカート。それらはぐっしょりと濡れそぼって、虚ろな目で私を見つめている。傘を傘立てに突っ込み、上靴と引き換えに靴下とローファーを靴箱に直した。そして急ぎ足で音楽室へと向かった。こんなに早い時間ならまだ誰もいないはずだ。と考えを張り巡らせながら音楽室へ急ぐ。その予想は正しかった。私の視界にはまだ誰もいない音楽室が映っていた。すぐさま体操服に着替え、濡れた足を拭く。今日に限って替えの靴下は持っていなかった。素足で上靴に足を通し、私の「定位置」に座った。譜面台を組み立てる。スクールバックから楽譜を取り出す。左手に提げていた楽器ケースは雨に濡れておらず、なんとか無事だった。
窓の外に視線を落とす。濁ったパレットのようにどんよりとした景色が広がっている。雨、梅雨…。着替えたばかりだが、服が体に張り付いてなんだか気持ちが悪い。今日は湿度が高い。それは楽器にとって劣悪な環境だ。けれど私は雨が好きだ。自然の交響曲のようで美しい。心が落ち着く不思議な音楽。繊細かつ力強い音…。オーボエのような、素敵な音色。
準備室からリードケースを持ってくる。私はその中からお気に入りのリードを選んだ。それから小さなコップに水を入れ、その中にリードをそっと沈めた。三十秒くらい経っただろうか。リードをコップからすくい上げた。オーボエのリードはダブルリードと呼ばれ、その吹き口はわずか四ミリ。息のコントロールや指使いなどが非常に難しいため、世界で一番難しい木管楽器とも言われている。そんなオーボエを吹いているということに実感が湧かない。楽器ケースを開ける。そこには美しいオーボエが座っている。まだバラバラのオーボエは早く組み立ててほしいと言うかのように私を見つめていた。
オーボエを組み立て、リードを装着させる。いつ見ても美しい。黒曜石のように光るボディに、誰かが幾つも植え付けたような銀色のキイ。ロボットのような見た目の楽器。不思議な音のする、未知の楽器…。
吹き口にそっと口を当てる。息を吸い、一本の儚い音を響かせる。陰湿だった音楽室の空気が爽やかな空気へと化した。それがとても嬉しくて、楽譜を開いた。鉛筆を左手に持ち、感情をどのように音に乗せるかを考える。冒頭部分は華やかに、中間部分は哀愁を帯びた音色。終盤は希望に溢れた音色を。中間部分にはオーボエのソロがある。ソロの部分に言葉を書き足していく。音源は何回も聴いた。耳が、心が、身体が覚えるまで、何度も…。
いざ本番。楽譜には音が雨垂れのように伸び、窓の外では雨が蕭蕭と降っている。
息を吸う。指使いが複雑なこのソロは、今まで何度も私を苦しめてきた。成功したことは一度もないが、どうしてか今日は成功することができるような気がした。オーボエは私と共に歌った。一音一音を深く噛み締めながら、最後の三連符まで共に駆け抜けた。私はオーボエの余韻に浸った。
「私は生きている」
そう強く感じた。雨の音にかき消されてしまわないように、必死に心の中で唱えた。
大粒の宝石は私とオーボエを祝福しているかのように、心地良い音を響かせた。私とオーボエはその音に応え、群青色の音を響かせた。
「嗚呼、自由だ」
私はそう呟き、オーボエに精一杯の微笑みを贈った。
校庭の草木は空から降ってくる宝石に打たれ、うつむいていた。灰色の曇天に赤色の傘が花開く。赤色の傘を差して見慣れた通学路を歩く私は、左手にオーボエの入った楽器ケースを提げ、右肩にはスクールバックを掛けていた。紫陽花は大粒の宝石を背負い、静かに眠っている。アスファルトはまるで鏡のように私の姿を映し出していた。
見慣れた校舎にたどり着いた。ローファーと靴下、それにスカート。それらはぐっしょりと濡れそぼって、虚ろな目で私を見つめている。傘を傘立てに突っ込み、上靴と引き換えに靴下とローファーを靴箱に直した。そして急ぎ足で音楽室へと向かった。こんなに早い時間ならまだ誰もいないはずだ。と考えを張り巡らせながら音楽室へ急ぐ。その予想は正しかった。私の視界にはまだ誰もいない音楽室が映っていた。すぐさま体操服に着替え、濡れた足を拭く。今日に限って替えの靴下は持っていなかった。素足で上靴に足を通し、私の「定位置」に座った。譜面台を組み立てる。スクールバックから楽譜を取り出す。左手に提げていた楽器ケースは雨に濡れておらず、なんとか無事だった。
窓の外に視線を落とす。濁ったパレットのようにどんよりとした景色が広がっている。雨、梅雨…。着替えたばかりだが、服が体に張り付いてなんだか気持ちが悪い。今日は湿度が高い。それは楽器にとって劣悪な環境だ。けれど私は雨が好きだ。自然の交響曲のようで美しい。心が落ち着く不思議な音楽。繊細かつ力強い音…。オーボエのような、素敵な音色。
準備室からリードケースを持ってくる。私はその中からお気に入りのリードを選んだ。それから小さなコップに水を入れ、その中にリードをそっと沈めた。三十秒くらい経っただろうか。リードをコップからすくい上げた。オーボエのリードはダブルリードと呼ばれ、その吹き口はわずか四ミリ。息のコントロールや指使いなどが非常に難しいため、世界で一番難しい木管楽器とも言われている。そんなオーボエを吹いているということに実感が湧かない。楽器ケースを開ける。そこには美しいオーボエが座っている。まだバラバラのオーボエは早く組み立ててほしいと言うかのように私を見つめていた。
オーボエを組み立て、リードを装着させる。いつ見ても美しい。黒曜石のように光るボディに、誰かが幾つも植え付けたような銀色のキイ。ロボットのような見た目の楽器。不思議な音のする、未知の楽器…。
吹き口にそっと口を当てる。息を吸い、一本の儚い音を響かせる。陰湿だった音楽室の空気が爽やかな空気へと化した。それがとても嬉しくて、楽譜を開いた。鉛筆を左手に持ち、感情をどのように音に乗せるかを考える。冒頭部分は華やかに、中間部分は哀愁を帯びた音色。終盤は希望に溢れた音色を。中間部分にはオーボエのソロがある。ソロの部分に言葉を書き足していく。音源は何回も聴いた。耳が、心が、身体が覚えるまで、何度も…。
いざ本番。楽譜には音が雨垂れのように伸び、窓の外では雨が蕭蕭と降っている。
息を吸う。指使いが複雑なこのソロは、今まで何度も私を苦しめてきた。成功したことは一度もないが、どうしてか今日は成功することができるような気がした。オーボエは私と共に歌った。一音一音を深く噛み締めながら、最後の三連符まで共に駆け抜けた。私はオーボエの余韻に浸った。
「私は生きている」
そう強く感じた。雨の音にかき消されてしまわないように、必死に心の中で唱えた。
大粒の宝石は私とオーボエを祝福しているかのように、心地良い音を響かせた。私とオーボエはその音に応え、群青色の音を響かせた。
「嗚呼、自由だ」
私はそう呟き、オーボエに精一杯の微笑みを贈った。
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