Dreamen

くり

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第一部 罪人の涙

クピドとプシュケ 4

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 三ヵ月が過ぎた。
「わたしのお嫁さんになってくれませんか」
 その日も、けものは尋ねてきた。娘は言った。
「けものさん、そうきかれると悲しくなるのです。あなたと結婚できたらいいのにと望んではいました。だからといって、いつか結婚する気になるかもしれませんなんて、いいかげんに答えることはできません。しかし、いつまでもお友だちでいましょう。それでがまんしてくださいますか」
「この家から出ていかないと約束してくださいますね」
 美しい娘は顔が赤くなった。娘は父親に会いたかった。鏡を見て、父親が悲しみのあまり病気になってしまったのを知っていた。
「喜んでお約束したいのですが、父に会いたくてならないのです。もし、この楽しみを許していただけなかったら、私は死ぬほど苦しい思いをすることでしょう」
「あなたを悲しませるくらいなら、わたしのほうが死にましょう。お父さんのところへお帰りなさい。もどってこなくともいいのです。でも、あわれなけものは苦しみのあまり死ぬかもしれません」
「そんなことにはなりません」
 美しい娘は泣きながら答えた。
「あなたがとても好きなんです。ですから、わたしのためにあなたが死ぬなんて、そんなことはしたくありません。一週間たったらもどるとお約束します。姉たちは結婚しました。父はひとりきりでいるのです。一週間、父のところにいさせてください」
「あすの朝、お父さんのところへ帰してあげましょう。でも、約束は守ってください。もどってこようと思ったときは、夜、寝るまえ、指輪をはずして机の上に置くだけでいいのです。ではおやすみ」
 けものはこう言いながら、いつものように溜め息をついた。悲しむけものに美しい娘もすっかり悲しくなった。しかし、娘は次の朝にはもう父親の家にいた。

 そして、一週間が過ぎた。
 美しい娘はもどってこなかった。

 けものは城の庭にいた。よろよろと芝生に腰を下ろし、そのまま倒れこんだ。世界が真っ暗なのは、目を閉じたからというだけではない。もう冷たくはない空気を大きく吸い込み、ゆっくりと吐き出す。すぐそばにはばらの花があった。
 次に目を覚ますのは、娘がけものを呼ぶ時か。
 それとも。
「寒くない?」
 隣に誰かの座る気配がした。けものは歯を剥きだし、薄目を開けた。
 赤。
 彼の瞳はばら色をしている。
 しかし、ばらではない証拠に透き通っている。
 けものが唸ると、彼はびくりと身を竦めたが、そこから動こうとはしなかった。
「きみはけものじゃない」
 それどころか、一つ一つ区切るように力強く言う。
「言葉があるだろう?」
「わたしは……けものだ」
「見た目はね。でも、アモルより美しい王子でもない」
 けものは目を瞠った。
「読んだことがあるのか」
「まあね」
 そもそも、アモルってどんぐらい格好いいんだろうな、と彼は笑う。彼も見た目はそう悪くない。だが、アモルとは比べ物にならないのは確かだ。
「きみは物語を忠実に再現しようとしている。でも、さすがにアモルより美しい人間なんて想像しにくいだろ」
 けものは答えなかった。代わりに尋ねた。
「クピドとプシュケは、知っているか」
「有名だね」
「何の挿話か、分かるか?」
「黄金のろばだろう? 主人公が魔術を間違えてろばになって、それでエジプトの女神イシスに助けてもらうまでの冒険譚じゃなかったかな」
「珍しいな」
 けものはそっと溜め息をついた。
「読んだんだろう? 珍しい、本当に珍しいよ。あれをちゃんと読んだ人に会うのは初めてだ」
「一緒に話す?」
 彼の提案には心がひかれたが、けものは首を振った。
「どうして?」
「話しても変わらないからだ」
 書物は夢だと思わないか、と問うと、彼はまばたきし、首を捻った。
「民話も、歴史も、手記も、雑学書も、読む者の想像を掻き立て、心を豊かにしてくれる。どんなに馬鹿げたネタも、残酷で悲惨な事実も、本当は誰にも知られたくなかった記録も、センスも何もないただの論文も、書物としてまとめられた瞬間から新たな道を歩み始める。書物は偉大だ。だから、魅了される者は後を絶たないし、あんなものも生まれるんだろう」
 ある一転へと向かっていく盲目の人形どもを指さすと、一瞬だけ人形の動きは止まったが、何事もなかったかのように進んでいった。
「どう思う」
「確かに、本の影響は大きいと思う」
 けものは自分の口元が緩むのを感じた。
「わたしには分からない。どうして本を読まない奴がいるのか」
「人それぞれだからじゃないかな」
「ゲームよりも大切か」
 彼は口をつぐんだ。そうか。本が好きな者同士で話しても、結局はそれぞれにとって都合のいい答えしか出てこない。かといって、本の魅力を解さない者とは話したくもない。分かるはずのない問いだった。謝ろうとした時だった。
「オレは、本もゲームもどっちも好きかな」
「……?」
「ゲームもゲームでストーリーがあったり、仕掛けが凝ってたりして、意外と夢中になっちゃうもんなんだよね。対戦とか、友達と一緒にできるし」
 聞きたくなかったよね、と彼は言った。けものは困惑する。何か言い返そうとして、何も出てこないことに驚愕した。
 まさか、図星なのか。
 ああ、そうなのか。
 けものは、この胸が詰まる感覚を覚えていた。
「自分は他と違う。だから、みんなみたいに騒げない。みんなみたいにつるめない。みんなみたいに遊べない。いや、できないんじゃなくてしないんだ。自分は他と違う。あんな奴らと一緒にするな。自分はひとりが好きなんだ。――そう思えば、楽だもんな」
 彼はまるで自分のことのように話す。
 そうなのかもしれない。
 だって、あの目だ。
 猫のように自由で、気儘で、なのに拠り所を求めてどこか縋るような目。
 けものは彼を少しだけ睨みつけてみた。
「わたしは、猫をやめる気はない」
「もちろん」
 伝わった。その事実にけものは感動し打ち震えた。
 けものと彼は似ている。
 どうして、“あの時”、けものは気付かなかったのだろうと不思議に思った。
 けものはこの世界の全てを見渡し、操っている。だが、支配者はけものだけではない。“あの時”、けものの代わりに動いたモノがあった。けものは静かな怒りを覚えた。
「美しい娘は姉達に騙されて一週間で戻らなかったけど、十一日目にはここに駆けつけて愛を誓う。そうしたら、どうするつもりだったんだ?」
 彼が尋ねる。けものは低く唸った。
「そうしたら……わたしは満足する」
 書物を再現することは不可能なのだと。
 書物は書物だからこそ輝くのだと、再確認する。

 そうして、自らの嘘を塗り固める。

「満足して、消す。なにもかも。お粗末なもので夢は守れないのだから」
 そっか、と彼は頷いた。
「わたしは」
「うん」
「アモルが、クピドが羨ましかった。自分のためにどんな困難も乗り越えてくれる、そんな人がいるのが、すごく妬ましかった」
 クピドとプシュケ。ある恋人たちの物語。
 プシュケはどこか美しい娘に似ている。夫を愛し、二人の姉に騙され、一度は仲を引き裂かれたけれども、それでも彼女は幾多の試練を乗り越えてクピドを取り戻した。
 そんな人がいれば。
 私はめいちゃんと、お父さんお母さんと。
 あの時のように、いっしょに。
「オレは、プシュケじゃない」
 言われるまでもない。彼女と似ている彼がプシュケのわけがない。
「だから、傷の舐め合いみたいかもしれないけどさ」
 彼の手がけものに近付く。ごわごわとした獣毛を、鎧のように硬い皮をすり抜け、彼女に触れる。
「今度、一緒に話そう。黄金のろばのこととかも、いろいろ」
 そして、本物の本間美伽は引っ張り出された。
 美伽は呆けたようにしばらく固まっていたが、すぐに我に返って神居宮魔追の手を振り払った。顔を隠すようにそっぽを向き、ごまかすように訊いた。
「いまさら、だけど。どうして、私がここにいるって分かったの。あれが偽物だったから、だけじゃないでしょう」
「ああ、まあ、なんというか。追夢から、その、妹から本間さんのストレスの原因聞いて、ぴんとね。勘っていうか」
「勘、ね……」
 オレも、仮面でも被ってないと堪えられないからさ。
 苦笑する魔追に、同じく美伽も苦笑を返した。
 苦い。この胸の苦しさは、共有はできても、きっと分かち合うことはできない。けれども、その素っ気なさがまさにここの関係なのだとすとんと納得する。
 勢いをつけて立ち上がった。広いようで狭い世界を眺めた。
「終わりにする。あいつらもまとめて消す」
「手伝うよ」
「いらない。早く行けば? 私より目覚ますの遅かったら、顔に落書きするから」
「ええー」
 魔追は唇を尖らせたが、そのわりにはちっとも不満そうには見えなかった。
「ま、無理するなよ」
 そうして手を振って、先ほど子アリス達が向かって行った方へとあっさりと駆け出した。速かった。もう何も見えなくなった。そうしてから、美伽は手を上げた。
 もしかしたら、初めて口にする言葉。
「またあとで、ね」
 再会の言葉。








 そんごは觔斗雲をまるで戦闘機のように操る。子アリス達を吹き飛ばす。ぽんっぽんっぽんっぽんっとやまない消滅音をリズムに、呪文のようにその言葉を唱えた。
「勝つ、勝つ、勝つ、勝つ、勝つ、勝つ、勝つ、勝つ……」
「うるせえよ、奏良。そんなにカツ食いてえなら、コンビニでカツサンド買ってこい」
 二年前。中一の夏。初めての大会だった。といっても、レギュラーではなく、ただの応援だったが。
「カツ、カツ、カツ、カ、じゃなーい! 勝つだー! ビクトリー!」
「発音」
「ぶぃ、び、ぶ、ブッ」
「あー、悪ぃ、まじでやると思わなかった」
 同じ一年で応援だった太一は目を丸くし、次いで噴き出す。
「ぶふーっ、ぷぷぶっ、うぷっ、うひひぇひぇひぇっ……」
「ぶいくとりー!」
「うがっ!?」
 涙目で放った蹴りがまさかのクリーンヒットし、悶絶する太一に奏良は右往左往した。それを見ていた三年生が笑いをこらえながら言った。
「ナイッシュー、番田」
「えっ、は、はいっ、ありがとうございます!」
「や、ちょっと違くね?」
「ええっ! ごめんなさい!」
「いいけど、同じ玉でもそこ違うからな。試合でやったら、レッドだからな」
「は、はいっ。気を付けますっ」
 しゅんと小さくなる奏良に、爆笑の渦が巻き起こった。訳が分からず目を白黒させていると、太一がひいひい言いながらようやく回復する。
「よくもやったな、番田め。いつかこの苦しみ、倍返しだ!」
「ご、ごめん、太一。足が勝手に動いて……」
「おっまえ、この間ボールじゃなくておれの頭ヘディングしたばっかだろ! スライディングでコーンを吹き飛ばすわ、部室に雑巾水ぶちまけるわ、少しは考えろよ! お前の行動、ほんとロクなことない!」
「これまでは、そういうことなかったのになあ」
「確かに。奏良って教室じゃあ普通におねむだよなー」
「だよなー、トラー!」
「居眠りしてるから、何も起きないだけじゃねえのか?」
「とゆーより、太一の周りでやらかしてる気がするー」
「おいゴラッ、番田、おれに恨みでもあんのかあっ!!」
「ギャー!?」
 かなり本気で殴りかかったので、慌てて三年生らが止めに入った。今年の一年は手がかかるが、場は盛り上がる。初めに奏良に声を掛けた三年生は苦笑してそれを眺めていたが、ふとさっきのカツ呪文を思い出した。
「なあ、番田、さっきの呪文だけど」
「ふえ? あ、自分騙し法ですか?」
「自分騙し法?」
 はい、と奏良は胸を張った。
「えっと、知り合いのすごい高校生の方が教えてくれて、自信がない時とかにモチベーションを上げたりするのに使うんだそうです」
「お前、別に試合出ないじゃん」
「そっ、そうなんですけど、その、先輩たちが勝ちますようにと祈りをこめて」
「あーうん分かった」
「ほんとですよっ!?」
「分かったって」
 まったくというふうに笑みを浮かべて、先輩は奏良の頭を軽く叩いてくれた。
 でも先輩、本当なんです。
 奏良は自分がレギュラーになれるなんて思っていなかった。先輩が勝てるようにと本気で願っていた。だが、それ以上に奏良は襲い来る緊張と戦っていた。少しでも負けたら先輩を信じられなくなりそうで怖かった。昔からそうだ。すぐに悪い方へ悪い方へと考えようとする。だから、この前もあっさりと感染しそうになってしまった。
 同じ失態は許されない。奏良自身が許せない。
 自分をだましてでも、奏良は、そんごは勝たなければならないのだ。
「勝つ、勝つ、勝つ、勝つっ、勝つっ、勝つッ、勝つッ、勝つッ! 勝つッ! 勝ァつッ!」
 そんごは信じる。強い思いは形になると知っている。プレッシャーがどうした。はねのけてやる。そんごは勝つ。信じる力が勝利を生む。そんごは誰よりも信じている。だから勝つ。
「だあああああああしゃあああああああああああっ!」
 如意金箍棒が伸びた。そんごの意のままに伸びていき、打ち落とす。叩き落す。ぶちのめす。追夢に迫っていた子アリスでホームランしたら、残ったのは彼女だけだった。来る。それを肌で感じ、追夢をかっさらって觔斗雲を走らせた。すぐ後ろで風を斬る音がした。その威力に一瞬挫けそうになって、寸前で持ちこたえる。そんごは追夢を守らなければならない。追夢の安全を確保するまでは絶対に負けない、そう信じれば、もうそんごは負けなかった。
「降ろせ!」
「はい!」
 十分に距離をとってから、追夢が飛び降りる。そんごは急旋回して美伽につっこんでいった。激突は予想以上に早かった。重い衝撃が突き抜けて足が浮きそうになったが、そんごは受けとめてみせた。鍔迫り合いのような状態は、しかし長くは続かなかった。けれども、その一瞬こそがそんごと追夢の狙いだった。
 美伽の長剣に亀裂が入る。
「創造が……!?」
「だああああああああああああああああああっ!!」
 渾身の力で押し返し、金箍棒を振りぬく。長剣が砕け、いつの間にかなくなっていたが、そんごは最後まで確認することなく、金箍棒を捨てて美伽にとびかかった。

「あれは本間さんじゃなかったんだよ」
「え……? でも、さっき」
「夢を守る役割を与えられた、登場人物の一人だ。だから、あれは本間さんの完全なコピーと言っていい。――お前も、体当たりしてみれば分かる」

 登場人物になりすます――『擬装』するとき特有の視界が薄く色づく感覚が広がった。と、同時に押し返すような反発があった。咄嗟に中に潜んでいたそいつを掴むと、そいつは身をよじったが、そんごは離さなかった。そのまま引きずり出す。
「って、でかっ!?」
 出てきたアリスの大きさにそんごは目を剥く。何人もの夢で成長し、肥大化したアリスはそんごの身長を遥かに超え、そして横幅も大きかった。それがのしかかってきたので慌てて押しのけると、まるでボールのように高く高く飛んで、そのまま彼方へと消えていこうとした。
「や、やばっ――」
 觔斗雲に飛び乗り、追いかけようとした時だった。
 そんごは初め、それを花火の音だと思った。だが、鮮やかな大輪は開くことなく、代わりに何かが高速で飛来し、アリスに直撃する。豪快な破壊音がして、アリスは砲弾もろとも墜落していった。鳴り響くファンファーレ。
「……え?」
「本間美伽の攻撃だ」
 追夢が觔斗雲に乗ってくる。
「けものの呪いが解けたんだ」
 追夢の言葉に従って上昇すると、森の端が大きく抉れてクレーターが出来上がっているのが分かった。中央に真っ黒い砲弾があって、その下から覗いた丸っこい手足がぴくぴくとしている。思わず身構えた時、視界の端で何かが動いた。
「魔追さんっ……!」
 速い。疾い。地を蹴る音がここまで聞こえてきそうだ。むむの穴から飛び出した大剣を掴めば、空間がざわざわと震えだし、ぎしぎしと歪む。気付いたら、魔追はアリスに肉迫していて、そして既に振り下ろしていた。
 何か、壊れてはいけないものが壊れる音がした。
 そんごは反射的に耳を塞いでいた。眼下の土煙が晴れていく。こみあげてくる感動と歓喜に身を任せ、そんごは声の限りに叫んでいた。
「っしゃあああああああああああ……!」
 アリスの胴体は砲弾ごとばらばらに砕け散っていた。こうなれば、もう、アリスは動くことができない。ふと振り向いたら、追夢の髪がふわりと浮かび、その赤目が毒々しく輝いていた。その背後で、夢の終わりを告げるように空が滲んでいる。そんごは目を離すことができなかった。
 なんてきれいなんだろう。
 きれいなんてもんじゃない。
 胸がじわりと熱くなった。同時に締め付けられて、そんごは戸惑った。
 追夢の目にはそんなそんごの姿なんてこれっぽっちも映っていなかった。ただひたすらアリスを睨みながら、構築していく。アリスは厄介な存在だ。少しでもストレスがあれば発生し、十分に成長すれば、どんな些細なストレスだって感知してしまう。つまり、魔追が殴った程度では消滅しなくなる。それでも、普通の夢視師が魔追と同じだけの攻撃力を叩きこめば、消滅させられるだろう。魔追には欠けているのだ。そして、それを補うのが追夢だ。
 追夢の仕事は早い。いつだって、どんな状況でも。
 大剣がぶるぶると震えだす。目に見えない力が追夢から大剣へと流れ込む。アリスの首がもぞもぞと蠢いたが、それはもはや最後の足掻きですらなかった。
 大剣が唸りを上げる。
「あっ!」
 そんごは觔斗雲を急旋回させた。激しい動きに、追夢と大剣の繋がりが切れる。
 二人がいた場所を、数体の子アリスが通過していった。
「どうして」
 大剣が斬り飛ばしたのも、今まさに魔追に襲いかかろうとしていた子アリス達だった。そんごが討ち漏らしたにしては数が多い。なにより、ものすごく小さい。追夢が呻いた。
「花粉……第五次……!?」
 そんごは呆然とそれを聞いていた。美伽の夢はほとんど終わっているのに、既に生成が始まっていたとしても、出現できるはずがないのだ。
 そう、まるで、成長を待たずに無理矢理生み出したかのような。
「そんご!」
「っ!」
 我に返って慌てて金箍棒を振るう。子アリスはあっというまに片付いたが、その時には本体は頭部だけを小さなアリスへと変化させて遠くにいた。
「ああっ、待てゲエッ」
 觔斗雲を走らせようとしたら、追夢に首を絞められた。
「馬鹿っ、今は昼間だ。あいつが逃げ込めて、かつ、力を蓄えられるだけのストレスを抱えている人間なんてそういない。先回りするぞ」
「はっ、なるほど! 分かりました!」
 地上に降り、魔追と合流する。すぐにうさぎ穴が開き、三人を別の夢へと誘った。
 まず、突き刺すような潮の香りが胸いっぱいに広がった。それから波のさざめきが聞こえ、そこは地平線の彼方まで続く大海原だった。三人が出たのはその上空だった。それを意識した途端、落下が始まる。
「え、うわああああぁぁああぁあぁああっ」
「やああああああああっ」
「うそだろおおおぉぉぉぉ」
 じたばたとみっともなくもがいたところで落下が止まる訳もなく、三人は大きな飛沫を上げた。そんごはパニックになり、いつまでも水中でじたばたとする。しかし、そのおかげというべきか、一番最初に見つけたのはそんごだった。やっとのことで水面に顔を出すと、魔追に飛びついた。
「まままま、ま魔追さん!」
「わっ、な、なんだよ?」
「し、下! 下に!」
 そんごの様子に何かを感じたのか、魔追はすぐに潜った。追夢が続き、そんごももう一度顔を水につける。
 そこにいたのは、巨大な黒い蛸だった。長い手足を持て余すようにぐねぐねとくねらせ、潮の流れにゆっくりと揺蕩っている。蛸だけではなかった。寄り添うように、きらきらとした鱗を持つ人魚がいた。
 魔追の口が動く。

 こ、ろ?

 歌が聞こえる。小さな女の子の、無邪気で、無感動な歌が。そんごは耳を塞ごうとした。その直前だった。
 機械的だった抑揚が変化する。


 まだまだたりない まだたりない
 ユメのおかしは ここにある
 ユメのおかしは ここにいる
 ちゃんとたべましょ ユメだから
 たんとたべましょ ユメだから
 マーマレードもスープもパイも まほうのこびんやケーキやキノコも
 どれもみたせやしない ユメのおなか
 まだまだたりない まだたりない

 こんなに オイシイのに


 どうして アナタはたべないの?


 醜悪だ、と思った。同時に強烈な嫌悪が沸き上がってきて、金箍棒を握る手に力がこもる。
 ぎりっ、という歯軋りの音にはっとした。
「……ごめん、追夢、そんご」
 怒りと羞恥にまみれた声はやけにはっきりと聞こえた。魔追は俯き、肩を震わせている。
「これは完全にオレのミスだ。だから、本当はわがままなんて言えない。でも、オレは」
「はっきりしろ、クズ」
 追夢さん、と咎めようとしたら、魔追が顔を上げた。
「そうだ、クズだ。オレは最低だ。でも、だから、あいつを許せない」
「当たり前だ」
 その瞬間、莫大な力が爆発するように拡散していった。追夢にしては雑だったが、その代わりに凄まじい支配力が空間を覆い、浸透し、組み替えていく。辜露の世界を乗っ取り、追夢の世界へと創り変えていく。それはあまりにも強引で、危険だ。だが、追夢は全く臆さなかった。それどころか、すがすがしいほどに凶悪な笑みを浮かべていた。
 追夢の言葉はシンプルだった。
「ぶっ殺す」
 そんごは鳥肌が立つのを感じた。煽られ、つられるように頷いてしまってから、こんなんじゃだめだとぶんぶんと首を振る。
「はいっ!!」
 ぶっ殺す。
 そうだ、勝つんじゃない。
 ここに勝ち負けなんて存在しない。








――――――――――――――――――

登場人物、ほぼ出揃いました。
よかったら、見てみてください。
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