Dreamen

くり

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第一部 罪人の涙

罪人の憤怒 3

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「えっ……?」
「どうしたの、まーくん?」
 いきなり声を上げた魔追を辜露は不思議そうに見てくる。魔追は首を振って、なんでもないよと笑った。本当に何もなかった。少しもやもやとするといえばそんな気もしたが、じきにどうでもよくなった。
 二人はゲートをくぐり、いずみ野コロロンランドに入った。
「うわあっ、人いっぱいっ」
 人を避けるために、二人の距離は必然的に近くなる。
「すごいね、こんなに人来るんだ」
「シーズンはもっとすごいよ。オレ、春休みに来たことあるけど、アトラクション乗るのに一時間かかったな」
「えっ、そんなに!?」
「覚悟しといたほうがいいよ」
 出入り口付近の混雑を抜けると、辜露がパンフレットを出して広げた。
「どこ行く?」
「ここがいいよ。マーマンヘッド。今日暑いしさ、涼しいと思う」
 さっそく向かうと、マーマンヘッドはまだ空いていた。二人はすぐにボートに乗ることができて、ゆらゆらと船は動き出した。最初はびくびくしていた辜露も次第にリラックスしていき、手すりを掴み、音楽に合わせて小刻みに揺れている。魔追はにやけそうになる口元を押さえ、一緒に薄暗がりの中を先導していく人魚たちを追った。
「もうすぐ、終わっちゃうのかな?」
「うん。ほら」
 前方の画面に人魚の少女が飛び出した。
『この先が出口よ。いい? 振り返ってはだめ。とーっても怖いんだから! さあっ、二本足の皆さん、恐れないで! まったねー!』
 がくんっ、とボートが傾いだ。え? と辜露が声を上げたのも束の間、それまでの和やかな人魚の洞窟の旅は一変し、暗闇の中、ボートは急角度を落ちていった。しかも、真っ直ぐではなく、ぐねぐねと出口めがけて猛進していく。悲鳴と水しぶきが上がった。ちらりと隣を見ると、辜露は手すりにしがみつき、大きく目を見開いて叫んでいた。魔追は堪えることも忘れて噴き出してしまった。
 マーマンヘッドを出ると、太陽はさっきより高くなり、じわじわとした暑さも増していた。
「ひどいっ! ひどいよ、まーくん! そういうことは先に言ってよ! びちょびちょだよ!」
 そして、魔追は殴られた。
「いっ、いたっ、痛いっ!? 本気のぐー!?」
「そうだよ! 当たり前だよ! すごく怖かったんだからね!」
「え? でも、笑ってる……」
「ように見えるだけ!」
 辜露はぷんと頬を膨らますと、バッグからタオルを出して髪や服を拭いた。それから魔追を捕まえて、魔追の服も拭いてくれた。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
 ふふっと笑ってタオルをしまう。
「じゃ、次は絶叫なしでお願いします」
「了解」
 魔追はなんとなく敬礼し、パンフレットを出した。
「ここは? ねばあらんど。なっとうくんのやつ」
「知ってるよ。ねばねばぎぶあっぷでしょ?」
 ねばあらんどは、なっとうくんと一緒にしょうゆちゃんを追いかけるだけのシンプルなアトラクションだ。天上から下りてくるなっとうくんや兄弟たちの糸の完成度が素晴らしかった。それを出ると、二人はすぐ近くのコロロン・カフェに入って昼食をとることにした。
「カフェなのに、ラーメンあるのか……。まあいいや、オレ、これにする。カス・テイラーメン」
「まーくん、カス・テイラー氏好きだもんね。私、どうしようかな……」
「これは?」
 魔追はメニューの一番下にあるマーマンヘッドピザ(長老)を指さした。長老人魚の顔がピザになっているらしい。冗談のつもりだったが、辜露は大きく頷いた。
「じゃ、これにする」
「ええっ、まじ?」
「だって、気にならない? 髪の毛のところ。水色だよ?」
 確かに、と魔追は唸った。結局、二人はカス・テイラーメンとマーマンヘッドピザ(長老)、烏龍茶とコーヒーを注文した。待っている間に外をパレードが通っていき、ワイングラスを持って手を振るカス・テイラー氏に手を振り返した。
 やがて運ばれてきた料理に、魔追だけでなく辜露も唸った。
「これは……」
「なんだろ……」
 カス・テイラーメンは大体予想通りだった。チャーシューや青菜、海苔がカス・テイラー氏の顔になるように配置されていて、これまたカス・テイラー氏の顔の四角いナルトがある。スープは鶏がらベースの醤油のようだ。問題はマーマンヘッドピザだった。見事な水色だった。
「着色料だとは思ってたけど、やっぱり着色料だな……」
「ていうか、これ、デザートピザだったんだね……」
 目と鼻はチョコで、髭はクリームだ。ほっぺはベリーソースでやけに赤い。髪もクリームのようだが、着色料で完全な水色だ。そして全体にカラフルなチョコがトッピングされていた。一緒に苺もついている。
「えっ、どうしよう。これじゃ、ご飯にならないよね。サラダとかないかな」
「じゃあ、半分こにする?」
 そう提案すると、辜露はえっ、と目を丸くした。
「追加だとお金かかるしさ。辜露一人でそれは重いだろ?」
「そうだけど……でも、いいの? まーくん、足りる?」
「大丈夫だよ、あとで屋台でチュロス買うし。それに、もとはといえばオレのせいだからさ」
 そんなことないよ、いやいや気にしないでと押し問答した末、店員にもう一つどんぶりを貰って半分こにした。カス・テイラーメンは普通においしかった。疑惑のマーマンヘッドピザも思っていたより甘ったるくなくて、苺の酸味が口に心地よかった。
「ごちそうさま」
「ごちそうさまでした」
 お金を払ってカフェを出る。感想を言い合いながら歩いていると、次の目的地であるカスティリャ王国についた。カスティリャ王国はカス・テイラー氏を中心にコロロンキャラのグッズやお菓子を売っているお店だ。魔追は真っ先にカス・テイラー氏のカステラを自分用に取り、それから家族や友達のお土産を選んだ。なっとうくんの甘納豆は追夢に、プチ忍の色ボールペンはノアとテラとルナにした。ノア達はきっとコロロンランドに来たことがないだろうし、海外では忍者とか侍は人気らしいから喜んでくれるだろう。辜露も予算と値段に悩んでいたが、小物系のグッズを中心に買うことにしたようだった。
「まーくん、いっぱいだね」
「ちょっと、カステラ買いすぎたかも」
「いくつ買ったの?」
「五個」
「それじゃあ、まーくんちで一人一個じゃない!」
 辜露はよほどおもしろかったのか声を上げて笑った。魔追は物置にもう二人ひきこもりがいることを言うか言わないかで迷い、結局何も言わずに一緒に笑った。
「でも、二個はオレのだよ」
「飽きないの?」
「全然」
「じゃあ、もし飽きたらわたしにちょうだい」
「いいよ。ていうか、今度一緒に食べよう」
 次の土曜日に約束をした。久し振りの指切りはなんだか照れ臭かった。
 ガブのチュロスで買った抹茶のチュロスを食べ歩きして、たまたま見つけた着ぐるみのカス・テイラー氏と写真を撮った。カステイランド・ハイパー! や忍忍大戦のアトラクションを回り、最後にまたマーマンヘッドに行った。コロロンランドは夜遅くまでやっているから、まだたくさんの客が並んでいた。マーマンヘッドも最初に行った時より人が増えていて、三十分は待つことになりそうだった。
「どうする? 別のにする?」
 魔追が訊くと、辜露は首を振った。
「どこに並んでも同じだと思うし。あと、もう一回乗りたいな、て……」
「絶叫だよ?」
「最後だけだもん」
 からかうように言うと、辜露は頬を膨らまして軽く叩いてきた。本当に軽くだったからまったく痛くなかった。笑って受け止めながらふと周りを見ると、似たような男女がちらほらいた。傍から見れば、きっと魔追達も同じように見られているのだろう。
「今日は、ありがとう。わざわざ予定空けてくれて」
 辜露はきょとんと首を傾げた。
「何言ってるの、まーくん? まーくんが無料券くれたおかげで、わたし、ただで入れたんだよ。初めてだったからすごく嬉しかったし、ママとパパにもお土産買えたんだよ」
 ほら、とキャラクターの入った袋を持ち上げてみせる。魔追は微笑み、頷いた。
「そうだね」
 それでも、魔追は言いたかった。親戚からもらったチケットは使用期限がもう迫っていて、急だったにもかかわらず、辜露はアルバイトを休んで来てくれた。バイト先には迷惑をかけてしまったに違いない。だからこそ、魔追は感謝せずにはいられなかった。
 自分に付き合ってくれて。
 気分だけでも味あわせてくれて。
 もうそれだけで満足だった。
「……どうしたの、まーくん」
 いぶかしげに眉を顰める辜露に、どういたしましてと魔追はにっこり返した。辜露も目を細め、うん、ありがとうと言った。
 順番が来て、二人は再びボートに乗る。薄暗い洞窟内の各所に灯る松明を模した煌めき。周囲を跳ねまわる人魚たちのダンス。目も眩むほどに美しい人魚の財宝。貝殻などで彩られた素朴ながらも素敵な住居。ストーリーは確か、人魚の住処に迷いこんでしまった主人公と人魚たちの交流だ。だから、たまに人魚の少女が現れてこちらに話しかけてくる。少しだけ幼さの残る、高くて甘い声。同じ声の歌が流れていて、幻想的ながらも明るく楽しい世界を演出していた。
 辜露は楽しそうに体全体でリズムをとっている。それに反して、魔追はだんだんと沈んでいった。
 終わってほしくなかった。
 辜露と一緒のこの空間で、いつまでも甘い気分に浸っていたかった。
「もうすぐ終わっちゃうのかな?」
「うん。……ほら」
 前方の画面に人魚の少女が飛び出した。
『この先が出口よ。いい? 振り返ってはだめ。とーっても怖いんだから! さあっ、二本足の皆さん、恐れないで! まったねー!』
 がくんっ、とボートが傾いだ。え? と辜露が声を上げたのも束の間、それまでの和やかな人魚の洞窟の旅は一変し、暗闇の中、ボートは急角度を落ちていった。しかも、真っ直ぐではなく、ぐねぐねと出口めがけて猛進していく。悲鳴と水しぶきが上がった。ちらりと隣を見ると、辜露は手すりにしがみつき、大きく目を見開いて叫んでいた。魔追は堪えることも忘れて噴き出してしまった。
 マーマンヘッドを出ると、太陽は高い位置にあった。じわじわとした暑さも増していた。
「ひどいっ! ひどいよ、まーくん! そういうことは先に言ってよ! びちょびちょだよ!」
 そして、魔追は殴られた。
「いっ、いたっ、痛いっ!? 本気のぐー!?」
「そうだよ! 当たり前だよ! すごく怖かったんだからね!」
「え? でも、笑ってる……」
「ように見えるだけ!」
 辜露はぷんと頬を膨らますと、バッグからタオルを出して髪や服を拭いた。四葉のクローバーの柄のタオルだ。それから魔追を捕まえて、魔追の服も拭いてくれた。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
 ふふっと笑ってタオルをしまう。
「じゃ、次は絶叫なしでお願いします」
「了解」
 魔追はなんとなく敬礼し、パンフレットを出した。
「ここは? ねばあらんど。なっとうくんのやつ」
「知ってるよ。ねばねばぎぶあっぷでしょ? いいよ、ここにしよう」
「あれ? でも、待って……」
 何かが引っ掛かり、魔追はじっとパンフレットを凝視した。ねばねばぎぶあっぷ。なっとうくんと一緒にしょうゆちゃんを追いかけるだけのシンプルなアトラクションだ。絶叫なんてどこにもない、乗って回るだけのものだ。それがどうしたのだろう。胸中に広がるもやもやはなんだろう。
「あ、うん。大丈夫。なんでもない」
「ええっ、本当? 今の間はなに?」
「本当本当。ちょっと他のアトラクションの記憶と混ざっただけだから」
「ますます怖いよ。これで絶叫だったら、あとでまーくんにチュロス買ってもらうから」
「それは別に絶叫じゃなくても奢るよ」
「だめ。絶叫だった時だけ」
 ねばねばぎぶあっぷは記憶通りの穏やかなアトラクションだった。それを出ると、すぐ近くのコロロン・カフェに入って昼食を取ることにした。カス・テイラーメンとマーマンヘッドピザ(長老)、烏龍茶とコーヒーを注文したら、マーマンヘッドピザ(長老)がデザートピザだったので二人で半分こにした。カスティリャ王国ではお土産を買った。辜露の小さな袋に対して、魔追のは五個のカステラで大きな袋がさらにぱんぱんになってしまった。次の土曜日に一緒に食べる約束をした。久し振りの指切りはなんだか照れ臭かった。
「あっ、まーくんチュロスだよ、チュロス! 食べよ!」
 辜露が小さな屋台の前の列に並ぶ。ガブのチュロスはチョコとベリーと抹茶とシナモンの四種類があり、どれも人気だった。
「まーくんのオススメは?」
「オレは抹茶」
「言うと思った」
「え? なんで?」
「だって、まーくん、迷った時の抹茶だもん」
 確かに言われてみるとその通りで、魔追は少しだけ赤くなった。
 二人とも抹茶を買い、食べ歩きをしていると、前の方に人だかりが見えた。背の高い魔追がまずそれに気付いた。
「辜露、急いでチュロスを食べきるんだ!」
「むぐっ?」
「カス・テイラー氏がいる!」
「ええっ!」
 コロロンキャラでも特に人気の高いカス・テイラー氏は、パレード以外ではめったに姿を現さないのだ。大急ぎでチュロスを完食すると、人だかりの中に突入した。なんとか人を掻き分け最前列に出ると、魔追は声を張り上げた。
「すみません! 握手! あと、写真も!」
「ま、まーくん、ちょっと声っ、は、恥ずかしいっ……」
 失笑が起こる。だが、恥ずかしい真似をした甲斐あって、カス・テイラー氏はすぐに来てくれて握手と写真を撮ってくれた。カス・テイラー氏の手はまんまるだから、どちらかというと一方的に握ったというのが正しかったが。
 カス・テイラー氏がいなくなってから二人も移動を再開した。魔追は興奮が冷めず、うわああと意味不明な言葉を垂れ流していた。
「まーくん、人の言葉喋って」
「ご、ごめん。でも、うわはあああ」
「もうっ」
 辜露はそっぽを向いたが、その口元はしょうがないなあというふうにほころんでいた。
 カステイランド・ハイパー! や忍忍大戦のアトラクションを回り、最後にまたマーマンヘッドに行った。少し時間はかかったが、二人は再びボートに乗った。
 そして、人魚の旅も終わりを迎える――。

『この先が出口よ。いい? 振り返ってはだめ。とーっても怖いんだから! さあっ、二本足の皆さん、恐れないで! まったねー!』



 ……
 ………
 …………



 辜露は髪と服を拭くためにタオルを出す。その柄は四葉のクローバーだ。

 その通りになった。

 次に魔追を捕まえ、まーくんじっとしてて、と言い、魔追のことも拭いてくれる。

「まーくん、じっとしてて」
「……うん」

 ありがとうと言えば。

「どういたしまして」
 ふふっと笑ってタオルをしまう。

 一体、何回目だろう。
 何回、魔追はマーマンヘッドに乗っただろう。
 何回、カス・テイラーメンとマーマンヘッドピザ(長老)を食べただろう。
 何回、五個のカステラを買っただろう。
 何回、ガブのチュロスに行っただろう。
 何回、カス・テイラー氏と写真を撮っただろう。

 そして、これは何回目のマーマンヘッドになるのだろう。

 静かにはしゃぐ辜露の隣で、魔追は無感動にそれを見つめた。次に何の仕掛けが発動するのかはもう分かっている。それで辜露がどういう反応をするのかも。ちっとも面白くなかった。どうして、辜露はこんな夢を繰り返し望むのだろうか。そう、これは間違いなく夢だ。アリスは隠れながらも、やはり着々と手を伸ばしているらしい。早く見つけなければならない。
 そうは思うものの、その想いだけは変わってくれなかった。

 終わってほしくない。
 辜露と一緒のこの空間で、まるで魔追にあつらえたかのようなこの空間で、いつまでも甘い気分に浸っていたい。

 つくづく、自分は欲張りだなと思う。
 今の関係のままだったら、誰も傷つかない。辜露も、魔追も。それは誰にとってもいいことではないか。
 本当は分かっているのだ。自分が別の展開を夢見ていることを。だが、それにはリスクがある。魔追はそれを恐れているのだ。怖くて怖くて、どうしようもないのだ。
 神居宮魔追は、やはり、臆病だったという話なのだ。
 突然、辜露が振り向いたので、魔追は息を呑んだ。今までになかった動きだった。
「辜露?」
「まーくん……」
 辜露は言いにくそうに俯いたが、意を決したように顔を上げた。
「つまらない?」
「そ……そんなことないよ」
 ばればれだ。魔追は唇を噛んだ。
「そんなことない。辜露と一緒なんだ。楽しいに決まってる」
 それは事実だ。
 現実だったら絶対にありえない出来事。だからこそ、魔追も始めは飲まれ、気付くのに時間がかかった。
「そっか」
 辜露はふわりと笑んだ。
「わたしもだよ」
「辜露……?」
 どういうわけか、その笑顔が別の誰かのものと重なって、魔追は困惑した。
「わたしも、まーくんと一緒で楽しい。すごく楽しくて、嬉しい」
「そ……そっか」
「だから、嘘つかないで」
 辜露の瞳は強くて、真っ直ぐだった。視線で射抜かれてしまいそうなほどだった。

 そうか。
 そういうことだったのか。

「皮なんて被んないで、全部吐き出せ」
 オレはアリスにとってもう一つの支配の場で、逃走経路の可能性だった。追夢はきっとそれを分かっていたから、オレにあんなことを言ったのだ。俺が怒りに囚われて――否、言葉をため込んで、アリスに感染しないように。
 心ゆくまで、全部吐き出せ。
 そうして、ストレスを解放しろ。
 辜露の心に触れたからこそ、追夢は魔追の背中を押してくれたのだ。
 ……でも、追夢。リスクは変わらないんだ。
 オレが辜露に負担をかけてしまうことが確定する。
 だから、オレはそっちに進むことはできない。絶対に。

 もう、辜露を感染させたくない。

「そんご」
 ちっちゃい弟分の名前を呼ぶと、なぜか辜露はびくりと震えた。魔追はつい噴き出してしまった。
「お前、演技下手だな」
「そ、そんなことな――なんのこと?」
 慌てて首を傾げてみせるが、もう遅い。魔追はくっくっと喉を鳴らして、辜露もといそんごの頭をわしゃわしゃとした。途端にそんごの演技もどきは崩壊し、やめてと頭をガードする。魔追は大きな声で笑った。ほかの乗客はなにも反応しない。当たり前だ。ここは魔追の夢なのだから。
「そんご。頼みがある」
 そんごは恨めしそうに見上げてきながら、何ですかと答えた。
「そろそろアトラクションが終わる。そこが分岐点だ。そこを狙え」
 すると、そんごは大きく目を見開いた。今にも落っこちてしまいそうだった。
「魔追さん……それでいいんですか?」
「それでって?」
 強くなったBGMに――アリスの歌声にひそかに顔をしかめながら魔追は聞き返した。それにしても、なんてうるさい。頭がおかしくなりそうだ。これを楽しい音楽と勘違いしたのはどうしてだろう。すぐに悟った。心が弱っているからだ。
 アリスはまるで麻薬だ。甘い甘い、解放への誘惑。


 うたいましょう ユメだから
 おどりましょう ユメだから

 あなたのたのしい ワールドを
 あなただけの ワールドを
 すべてゆるされる ワールドを
 じゆうのための ワールドを


 うるさい。黙れ。
 いくらそれが心の快方への道だとしても、進むことはできない。
「それは、だから……その……」
 そんごは必死に言葉を探していたが、うなだれ、なんでもないですと蚊の鳴くような声で返した。
 照明がだんだんと落ちていく。人魚の泳ぐ音がなくなると、魔追はそんごに囁いた。
「来るぞ」
「……はい」
『この先が出口よ。いい? 振り返ってはだめ。とーっても怖いんだから! さあっ、二本足の皆さん、恐れないで! まった――』
 台詞が途切れる。またねと手を振ってフェードアウトしようとした人魚は硬直し、己の胸から生えている金の棒に目を向けた。魔追が見たのはそこまでだった。がくんっ、とボートが傾き、急角度を落下していった。水しぶきが頬を濡らした。
「ごめん、そんご」
 遠い背後から、そんごの雄たけびと追夢の罵声が届いたような気がした。追夢は相当怒っている。かなりのストレスとなって溜まっているはずだ。
 ストレスによって発生するアリスは、ストレスによって存在し、ストレスによって成長する。ある程度成長したアリスは拳だけでは倒せなくなる。そこへ必要になるのが、さらなるストレスだ。一気に送り込まれた大量のストレスによって能力に支障をきたし、自壊してしまう。どの生き物も過多過少に弱いように、アリスも例外ではなかった。だから、いつも大物のとどめの役は追夢だった。追夢なら確実に仕留めるはずだ。
 喉が詰まった。
 アリスは深い眠りへ誘う悪魔であると同時に、人の心を救うための防衛機構、感染者の投影でもある。
 あれが魔追の本心だった。気付いてしまえば、自分の手でそれを捨てることはできなかった。
 追夢は、もしかしたら、そこまで見越していたのかもしれない。
 おかげでリスクはなくなった。退路もなくなった。あとは覚悟だけ。
 水底の世界なんて、もうまっぴらだ。


 どうしてだろう。

 頬を擦る。

 水、こんなに熱かったっけ。







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