29 / 36
第一部 罪人の涙
罪人の憤怒 4.5 ―脱出の裏側
しおりを挟む
「──っ、」
上昇。
途端に襲いかかったのは、臀部の異常な痛みだった。
「いっ──たあああああああああああ!?」
目が覚めるなり、魔追は起き上がることもできずにうつ伏せのままじたばたともがく。痛い。痛すぎて尻が熱を持っている。制服のスラックスが当たるだけでもじんじんじわじわして、痛みを通り越して麻痺してきた。
なんだ。どういうことだ。一体、何が……。
半ば四つん這いの体勢でひいひい言っている魔追の前に、誰かがひょいとしゃがみこんだ。
「おはよう、魔追くん」
「お、おはよう……ノア」
なんとか顔を上げると、ちょうど鮮やかなオレンジ色の西日が当たって、ノアの金髪を燃えるように輝かせていた。眩しさに目を眇めながらも、ノアが申し訳なさそうなくせに、人の不幸を見て笑うかのように口元をぷるぷると震わせているのをしっかり確認した。
「おい」
「いや、だってさ。追夢ちゃんが」
「……」
その言葉だけで全てを察する。なんともまあ、便利な魔法の言葉である。ただし、黒魔法だが。
あの時、追夢は魔追の夢に入ってアリスを退治してくれた。であるならば、当然、魔追の選択も知っていて当然である。
「……」
一気に気分が元通りに急降下して、魔追はべったりとコンクリートに転がった。枕代わりにか、頭の所にだけノアのパーカーが畳んで置いてあった。
もう一度、顔を上げる。
「ノア」
「うん?」
「ただいま」
「おう、おかえり」
ノアはにっと笑った。
それだけでも、救われたような気がした。
頬に書かれたカバンクイオマ教のおまじないにそっと触れた。
「うっ、ゴフォッ」
「な、なんだよ!?」
突然咽せたノアに驚いてのけぞると、ノアはなんでもないと首をぶんぶん横に振る。
訝しく思って詰問しようとしたら、まだあつあつのお尻に何かがどっすんと落ちてきた。
「いぎゃああ!」
「うるさい、この唐変木」
追夢は人の尻を座布団にしただけでは飽きたらず、腰の上に移動して再び尻をばしばし叩き始める。
「いだいっ、いだいっ! ちょ、もう勘弁して、まじで!」
「何が勘弁だ、このへたれへなちょこへっぽこ。ずっと一発蹴ってやりたいと思ってたんだ、このぐらい我慢しろ」
「一発じゃないじゃないか! しかも、オレが起きるより前に何発もやってるよな!?」
「それは、辜露ちゃんの分だ」
「っ」
瞬時に喉が詰まって、何も言えなくなる。
魔追が動かなくなると、反応がなくなったのがつまらなかったのか、追夢は叩くのをやめてどっかりと尻に腰掛け直した。
「追夢ちゃん、あの子はどうしたの?」
ノアが代わりに訊くと、追夢はむっすりしながらも寝てると答えた。
「今回の夢視はちょっと特殊だった。だから、今は普通に睡眠を取ってる」
「ふうん?」
ノアは分かったような分からないような曖昧な相槌を打って、
「つまり、起こしちゃだめってこと?」
「そういうこと。今はテラとルナちゃんが見てくれてる」
「なるほど」
ノアは頷いて立ち上がった。
「だってさ。──どうする、美伽ちゃん」
「え?」
動けないながらも首を回すと、校舎内に続く扉の脇に美伽が腕組みをして立っていた。
「あ、本間さん……。いたんだ」
「失礼ね。神居宮」
ちらりと見下ろされて、魔追は慌ててすいませんと謝る。
「ほら、てっきり、先に帰ってると思ってたから」
「私だって、あんたのせいで欠席扱いなのよ。無駄に警備体制が整ってるのが私立の難点ね。下手に動けやしない」
「す、すいませんでした……」
コンクリートに這いつくばったまま平身低頭する魔追。美伽はしばらくそれを見下してから、ノアに向き直った。
「もうすぐ部活動も終わりだす頃だから、今のうちに出た方がいいわね」
「人波に乗った方がばれないんじゃないのか?」
「門には先生が出てくるわよ。第一、人波に紛れるような人間がここにいるの?」
「……いないな」
神居宮兄妹はその赤目で有名だし、ノア達に至っては金髪や中二病感溢れる眼帯である。美伽も図書委員長として、それなりに知られている。
美伽は追夢を見た。
「あの子が目覚めるまでどのくらいかなんて、分からないわよね」
「さすがに、それはね。でも、れい子が来てくれれば、なんとかなる」
「れい子?」
「れい子はろくろ首だ。ここはそんなに高さがないし、たぶん届くと思う」
「……へえ」
美伽はややあってから、それだけ返した。気にしないことにしたらしい。
「それなら、代表して一人か二人が先に出て、その人をカメラに見つからない場所に案内してもらいましょう。口頭だけだと難しいから」
「んー、てことは美伽ちゃんと誰かってこと?」
「はっ?」
途端、美伽は心底信じられないという顔でノアをまじまじと見つめた。
「どうして、私が行かなきゃいけないの」
「え? だって、口頭じゃ伝わらないんだろ?」
「今、教えるわ。それを覚えて行きなさい」
「えっ──めんどくさくない?」
「何のために言葉と文字があると思っているの。それに、人間には地図という伝達手段もある。それを活用しないなんて、とんだ呆れた話だわ。宝の持ち腐れにする気?」
「いやいやいや、美伽ちゃんが行ってくれれば一発じゃん!」
「適材適所の問題よ。私はみんなに解決法を提示する。神居宮妹が折衝役として話をまとめる。あんたはそれを実行する係」
「それ、美伽ちゃんが動きたくないだけじゃ……」
「違うわね。先生に見つからないように行動するには、普通に考えても男であるあんたの方が適材よ」
「ああ、分かった分かった。つまり、美伽ちゃんは自分じゃ見つかる恐れがあると」
「たぶん、あんたでも見つかるわね」
「……おい」
半目になるノア。美伽は肩を竦めた。
「だって、しょうがないでしょう。階段を下りたらすぐ目の前に職員室があるのよ。しかも、生徒指導の滝本が社会科準備室とを頻繁に往復する。金髪なんて格好の餌食でしょうね」
「それじゃあ、ますます美伽ちゃんの出番じゃないか」
「そして、少なくとも自分の担当である三年の遅刻欠席は把握している」
「……追夢ちゃんは」
「私は欠席が多くて目を付けられてるし、そもそも体育なんて消滅してしまえと思ってる」
「あ、終わったな……」
ノアが遠くを見やると、示し合わせたかのように風がひゅるると吹いていった。
魔追は脳内に校舎の図を浮かべる。
確かに、普通に昇降口まで行こうとすると、どうしても職員室の前を通ることになる。特別教室棟を回ろうとしても、滝本のいる社会科準備室が微妙な場所だ。そもそも、特別棟の方が音楽系部活動の生徒が多くて、その分顧問の出入りも激しい。それなら、人の流れが一方だと確定している職員室側の階段からの方が見つかる確率は低い。ただし、それは低いだけであって、見つからない保証はない。見つかったが最後、職員室に連れ込まれて説教ルートだろう。
より安全を期すのならば、別のルートを採るということになる。
「まさか……」
魔追が呟くのと、美伽が言うのはほぼ同時だった。
「だから、職員室の上の階で、窓から外に出ればいい。ちょうど雨樋がいい感じに飛び出しているところがあって、そこなら人目やカメラにも見つからずに下まで下りられる」
「……は」
「でも、スカートなんて履いてたらできないから、やっぱりあんたで正解なのよ。金豚、そう呼ばれたくなかったら、少しでも脳味噌の脂肪を落としてきなさい」
「……いやいやいや、いや、ちょ、えええええっ!?」
ノアはぎょっと目を剥いて、ずざざっと後ずさった。
「待って待って、それおかしい! それこそ見つかったら説教どころじゃないし、ていうか落ちたらどうすんだよ!?」
「そのくらいの高さなら大丈夫でしょう。それに、案外安全に下りられるわよ」
「試したことあるのかよ! なら、美伽ちゃんが行けよ!?」
いつになく声を荒げるノアに、魔追は思わず美伽をほうと感心して見てしまった。ノアはひょうひょうとしていてノリがいいが、やはりどこか一線を引いたところがあると魔追は感じていた。どういうわけか、魔追にはほぼ始めからその線がなかったのだが、美伽にもどうやら同じ──または振り回されている──ようだった。
本音で語り合えるのはよいことだとほんわかとしていたら、いつのまにか標的は魔追に変わっていた。
「それに、なにも一人で行けとは言っていないわ。監視役に神居宮でも連れていけばいいって言ってるでしょう」
「んん?」
「それはまあ、当然連れていくけどさあ、それとこれとは別だろ」
「え? 当然? え?」
「そんなことないわ。神居宮は夢の中ではもっとアクロバティックに動いてる。現実の体の方も十分についていけるはずよ」
「だから、そうじゃなくてね? 一番説明のできる美伽ちゃんがどうして行きたくないなどと我が儘を言うのかってことよ」
「そんなの、当然」
美伽の視線がいきなりこちらを向き、魔追は慌てふためく。
「あんたたちのせいで欠席になったからだって言っているでしょう。ねえ、神居宮」
「あ、は、はいっ」
つい答えてしまい、ノアが仰け反って叫んだ。
「魔追くん!!」
「だ、だって!」
「だってじゃないよ、なに答えちゃってんのよ魔追くんはもう! 美伽ちゃんに強制就寝してもらったのは確かに魔追くんの責任だけどさあ、先に帰んなかったのは美伽ちゃんがのんびりしてたせいだからな!?」
「なによ、神居宮のことを心配して残ってあげたんじゃないの」
「え、それならなおさらオレが……」
「騙されるな、魔追くん。美伽ちゃんはそう言って、ずっとここでのんびり本を読んでいたんだ」
「で、でも、警備があったから抜け出せなかったって」
「だからあ──」
なおもノアが言いつのろうとした時、それより早く美伽が大きな溜め息を吐いた。
「分かったわよ。そんなに嫌ならそう言えばいいじゃない」
「み、美伽ちゃん」
「お望み通り、行ってくるわよ。全く、とんだ一日だったわ」
「待って、本間さん、オレ、オレが行くから!」
魔追はいまだに人の上にふんぞり返っていた追夢を強引にどかし、ノアの制止を無視して、急いで立ち上がった。このままでは美伽に不快な思いをさせたままになってしまう。それは困るのだ。何がどう困るのか、自分でもよく分からなかったが、とにかく魔追は必死に追いすがった。
美伽はドアノブを掴んだまま、ちらりと首だけ振り向く。
「あんた、一人じゃまともに動けないでしょう。せめて運動のできる奴がついてないと」
「でも、本間さんだけよりはずっと動けると思う」
「確証のないことを言うんじゃないわ」
「……でも、オレはこれ以上本間さんに迷惑をかけたくない」
「……」
美伽は試すようにすっと目を細める。
それでも魔追は、美伽から手を離さなかった。
「あー、もう……」
先に折れたのはノアだった。
「分かったよ、完敗だよ。てか、魔追くんアホすぎだよ」
「ご、ごめん」
がしがしと頭を掻きながらノアは鞄を取り、美伽のを代わりに置く。
「美伽ちゃん、これで満足かい」
「ええ」
魔追はあっ、と目を見開いた。
にやりと、美伽はそれはそれはご満悦な笑みを浮かべていた。
「じゃあ、よろしく」
そう言って魔追とノアは放逐され。
「魔追くん、いいぞ。こっち、あああ、ストップ戻れ戻れっ」
「あ、待って待って、落ちる落ちる!」
「えっ! ふざけんないててて、うわあ!」
「「アーッ!!」」
それは、よたよたと尻を庇って動く魔追には非常に過酷な道のりなのであった。
後はノアとれい子が見てくれると言うので、魔追はありがたく先に帰らせてもらうことにした。
「いたたたた……。うう、もう二度とやるもんか、いてて……」
文句を言いながらも、なんとか無事に家までたどり着く。
玄関を開けると、もう完全に日が落ちたからか、珍しく妖追が直々に出迎えてくれた。
「おお、帰ったか、魔追……」
「?」
妖追は近寄ってくると、框の上から魔追をまじまじと見下ろしてきた。
「……」
「妖追?」
「……ブフォ」
至近距離で唾を吹き掛けられた。
「うおっ、うぇ、なにすんの!?」
「いや、すまんすまん。なんとも愉快な顔で帰ってきたんじゃなあと思うて」
「え……?」
嫌な予感がする。なんだか、非常にまずい気がする。
ばたばたと洗面所に駆け込んで、魔追は絶叫した。
「私より目覚ますの遅かったら、顔に落書きするから」
「先に帰んなかったのは美伽ちゃんがのんびりしてたせいだからな!?」
カバンクイオマ教の花丸の上にくっきりと描かれた、髭とハート、眼鏡にねぼすけの文字。
「本間さああああああああああんっ!!」
上昇。
途端に襲いかかったのは、臀部の異常な痛みだった。
「いっ──たあああああああああああ!?」
目が覚めるなり、魔追は起き上がることもできずにうつ伏せのままじたばたともがく。痛い。痛すぎて尻が熱を持っている。制服のスラックスが当たるだけでもじんじんじわじわして、痛みを通り越して麻痺してきた。
なんだ。どういうことだ。一体、何が……。
半ば四つん這いの体勢でひいひい言っている魔追の前に、誰かがひょいとしゃがみこんだ。
「おはよう、魔追くん」
「お、おはよう……ノア」
なんとか顔を上げると、ちょうど鮮やかなオレンジ色の西日が当たって、ノアの金髪を燃えるように輝かせていた。眩しさに目を眇めながらも、ノアが申し訳なさそうなくせに、人の不幸を見て笑うかのように口元をぷるぷると震わせているのをしっかり確認した。
「おい」
「いや、だってさ。追夢ちゃんが」
「……」
その言葉だけで全てを察する。なんともまあ、便利な魔法の言葉である。ただし、黒魔法だが。
あの時、追夢は魔追の夢に入ってアリスを退治してくれた。であるならば、当然、魔追の選択も知っていて当然である。
「……」
一気に気分が元通りに急降下して、魔追はべったりとコンクリートに転がった。枕代わりにか、頭の所にだけノアのパーカーが畳んで置いてあった。
もう一度、顔を上げる。
「ノア」
「うん?」
「ただいま」
「おう、おかえり」
ノアはにっと笑った。
それだけでも、救われたような気がした。
頬に書かれたカバンクイオマ教のおまじないにそっと触れた。
「うっ、ゴフォッ」
「な、なんだよ!?」
突然咽せたノアに驚いてのけぞると、ノアはなんでもないと首をぶんぶん横に振る。
訝しく思って詰問しようとしたら、まだあつあつのお尻に何かがどっすんと落ちてきた。
「いぎゃああ!」
「うるさい、この唐変木」
追夢は人の尻を座布団にしただけでは飽きたらず、腰の上に移動して再び尻をばしばし叩き始める。
「いだいっ、いだいっ! ちょ、もう勘弁して、まじで!」
「何が勘弁だ、このへたれへなちょこへっぽこ。ずっと一発蹴ってやりたいと思ってたんだ、このぐらい我慢しろ」
「一発じゃないじゃないか! しかも、オレが起きるより前に何発もやってるよな!?」
「それは、辜露ちゃんの分だ」
「っ」
瞬時に喉が詰まって、何も言えなくなる。
魔追が動かなくなると、反応がなくなったのがつまらなかったのか、追夢は叩くのをやめてどっかりと尻に腰掛け直した。
「追夢ちゃん、あの子はどうしたの?」
ノアが代わりに訊くと、追夢はむっすりしながらも寝てると答えた。
「今回の夢視はちょっと特殊だった。だから、今は普通に睡眠を取ってる」
「ふうん?」
ノアは分かったような分からないような曖昧な相槌を打って、
「つまり、起こしちゃだめってこと?」
「そういうこと。今はテラとルナちゃんが見てくれてる」
「なるほど」
ノアは頷いて立ち上がった。
「だってさ。──どうする、美伽ちゃん」
「え?」
動けないながらも首を回すと、校舎内に続く扉の脇に美伽が腕組みをして立っていた。
「あ、本間さん……。いたんだ」
「失礼ね。神居宮」
ちらりと見下ろされて、魔追は慌ててすいませんと謝る。
「ほら、てっきり、先に帰ってると思ってたから」
「私だって、あんたのせいで欠席扱いなのよ。無駄に警備体制が整ってるのが私立の難点ね。下手に動けやしない」
「す、すいませんでした……」
コンクリートに這いつくばったまま平身低頭する魔追。美伽はしばらくそれを見下してから、ノアに向き直った。
「もうすぐ部活動も終わりだす頃だから、今のうちに出た方がいいわね」
「人波に乗った方がばれないんじゃないのか?」
「門には先生が出てくるわよ。第一、人波に紛れるような人間がここにいるの?」
「……いないな」
神居宮兄妹はその赤目で有名だし、ノア達に至っては金髪や中二病感溢れる眼帯である。美伽も図書委員長として、それなりに知られている。
美伽は追夢を見た。
「あの子が目覚めるまでどのくらいかなんて、分からないわよね」
「さすがに、それはね。でも、れい子が来てくれれば、なんとかなる」
「れい子?」
「れい子はろくろ首だ。ここはそんなに高さがないし、たぶん届くと思う」
「……へえ」
美伽はややあってから、それだけ返した。気にしないことにしたらしい。
「それなら、代表して一人か二人が先に出て、その人をカメラに見つからない場所に案内してもらいましょう。口頭だけだと難しいから」
「んー、てことは美伽ちゃんと誰かってこと?」
「はっ?」
途端、美伽は心底信じられないという顔でノアをまじまじと見つめた。
「どうして、私が行かなきゃいけないの」
「え? だって、口頭じゃ伝わらないんだろ?」
「今、教えるわ。それを覚えて行きなさい」
「えっ──めんどくさくない?」
「何のために言葉と文字があると思っているの。それに、人間には地図という伝達手段もある。それを活用しないなんて、とんだ呆れた話だわ。宝の持ち腐れにする気?」
「いやいやいや、美伽ちゃんが行ってくれれば一発じゃん!」
「適材適所の問題よ。私はみんなに解決法を提示する。神居宮妹が折衝役として話をまとめる。あんたはそれを実行する係」
「それ、美伽ちゃんが動きたくないだけじゃ……」
「違うわね。先生に見つからないように行動するには、普通に考えても男であるあんたの方が適材よ」
「ああ、分かった分かった。つまり、美伽ちゃんは自分じゃ見つかる恐れがあると」
「たぶん、あんたでも見つかるわね」
「……おい」
半目になるノア。美伽は肩を竦めた。
「だって、しょうがないでしょう。階段を下りたらすぐ目の前に職員室があるのよ。しかも、生徒指導の滝本が社会科準備室とを頻繁に往復する。金髪なんて格好の餌食でしょうね」
「それじゃあ、ますます美伽ちゃんの出番じゃないか」
「そして、少なくとも自分の担当である三年の遅刻欠席は把握している」
「……追夢ちゃんは」
「私は欠席が多くて目を付けられてるし、そもそも体育なんて消滅してしまえと思ってる」
「あ、終わったな……」
ノアが遠くを見やると、示し合わせたかのように風がひゅるると吹いていった。
魔追は脳内に校舎の図を浮かべる。
確かに、普通に昇降口まで行こうとすると、どうしても職員室の前を通ることになる。特別教室棟を回ろうとしても、滝本のいる社会科準備室が微妙な場所だ。そもそも、特別棟の方が音楽系部活動の生徒が多くて、その分顧問の出入りも激しい。それなら、人の流れが一方だと確定している職員室側の階段からの方が見つかる確率は低い。ただし、それは低いだけであって、見つからない保証はない。見つかったが最後、職員室に連れ込まれて説教ルートだろう。
より安全を期すのならば、別のルートを採るということになる。
「まさか……」
魔追が呟くのと、美伽が言うのはほぼ同時だった。
「だから、職員室の上の階で、窓から外に出ればいい。ちょうど雨樋がいい感じに飛び出しているところがあって、そこなら人目やカメラにも見つからずに下まで下りられる」
「……は」
「でも、スカートなんて履いてたらできないから、やっぱりあんたで正解なのよ。金豚、そう呼ばれたくなかったら、少しでも脳味噌の脂肪を落としてきなさい」
「……いやいやいや、いや、ちょ、えええええっ!?」
ノアはぎょっと目を剥いて、ずざざっと後ずさった。
「待って待って、それおかしい! それこそ見つかったら説教どころじゃないし、ていうか落ちたらどうすんだよ!?」
「そのくらいの高さなら大丈夫でしょう。それに、案外安全に下りられるわよ」
「試したことあるのかよ! なら、美伽ちゃんが行けよ!?」
いつになく声を荒げるノアに、魔追は思わず美伽をほうと感心して見てしまった。ノアはひょうひょうとしていてノリがいいが、やはりどこか一線を引いたところがあると魔追は感じていた。どういうわけか、魔追にはほぼ始めからその線がなかったのだが、美伽にもどうやら同じ──または振り回されている──ようだった。
本音で語り合えるのはよいことだとほんわかとしていたら、いつのまにか標的は魔追に変わっていた。
「それに、なにも一人で行けとは言っていないわ。監視役に神居宮でも連れていけばいいって言ってるでしょう」
「んん?」
「それはまあ、当然連れていくけどさあ、それとこれとは別だろ」
「え? 当然? え?」
「そんなことないわ。神居宮は夢の中ではもっとアクロバティックに動いてる。現実の体の方も十分についていけるはずよ」
「だから、そうじゃなくてね? 一番説明のできる美伽ちゃんがどうして行きたくないなどと我が儘を言うのかってことよ」
「そんなの、当然」
美伽の視線がいきなりこちらを向き、魔追は慌てふためく。
「あんたたちのせいで欠席になったからだって言っているでしょう。ねえ、神居宮」
「あ、は、はいっ」
つい答えてしまい、ノアが仰け反って叫んだ。
「魔追くん!!」
「だ、だって!」
「だってじゃないよ、なに答えちゃってんのよ魔追くんはもう! 美伽ちゃんに強制就寝してもらったのは確かに魔追くんの責任だけどさあ、先に帰んなかったのは美伽ちゃんがのんびりしてたせいだからな!?」
「なによ、神居宮のことを心配して残ってあげたんじゃないの」
「え、それならなおさらオレが……」
「騙されるな、魔追くん。美伽ちゃんはそう言って、ずっとここでのんびり本を読んでいたんだ」
「で、でも、警備があったから抜け出せなかったって」
「だからあ──」
なおもノアが言いつのろうとした時、それより早く美伽が大きな溜め息を吐いた。
「分かったわよ。そんなに嫌ならそう言えばいいじゃない」
「み、美伽ちゃん」
「お望み通り、行ってくるわよ。全く、とんだ一日だったわ」
「待って、本間さん、オレ、オレが行くから!」
魔追はいまだに人の上にふんぞり返っていた追夢を強引にどかし、ノアの制止を無視して、急いで立ち上がった。このままでは美伽に不快な思いをさせたままになってしまう。それは困るのだ。何がどう困るのか、自分でもよく分からなかったが、とにかく魔追は必死に追いすがった。
美伽はドアノブを掴んだまま、ちらりと首だけ振り向く。
「あんた、一人じゃまともに動けないでしょう。せめて運動のできる奴がついてないと」
「でも、本間さんだけよりはずっと動けると思う」
「確証のないことを言うんじゃないわ」
「……でも、オレはこれ以上本間さんに迷惑をかけたくない」
「……」
美伽は試すようにすっと目を細める。
それでも魔追は、美伽から手を離さなかった。
「あー、もう……」
先に折れたのはノアだった。
「分かったよ、完敗だよ。てか、魔追くんアホすぎだよ」
「ご、ごめん」
がしがしと頭を掻きながらノアは鞄を取り、美伽のを代わりに置く。
「美伽ちゃん、これで満足かい」
「ええ」
魔追はあっ、と目を見開いた。
にやりと、美伽はそれはそれはご満悦な笑みを浮かべていた。
「じゃあ、よろしく」
そう言って魔追とノアは放逐され。
「魔追くん、いいぞ。こっち、あああ、ストップ戻れ戻れっ」
「あ、待って待って、落ちる落ちる!」
「えっ! ふざけんないててて、うわあ!」
「「アーッ!!」」
それは、よたよたと尻を庇って動く魔追には非常に過酷な道のりなのであった。
後はノアとれい子が見てくれると言うので、魔追はありがたく先に帰らせてもらうことにした。
「いたたたた……。うう、もう二度とやるもんか、いてて……」
文句を言いながらも、なんとか無事に家までたどり着く。
玄関を開けると、もう完全に日が落ちたからか、珍しく妖追が直々に出迎えてくれた。
「おお、帰ったか、魔追……」
「?」
妖追は近寄ってくると、框の上から魔追をまじまじと見下ろしてきた。
「……」
「妖追?」
「……ブフォ」
至近距離で唾を吹き掛けられた。
「うおっ、うぇ、なにすんの!?」
「いや、すまんすまん。なんとも愉快な顔で帰ってきたんじゃなあと思うて」
「え……?」
嫌な予感がする。なんだか、非常にまずい気がする。
ばたばたと洗面所に駆け込んで、魔追は絶叫した。
「私より目覚ますの遅かったら、顔に落書きするから」
「先に帰んなかったのは美伽ちゃんがのんびりしてたせいだからな!?」
カバンクイオマ教の花丸の上にくっきりと描かれた、髭とハート、眼鏡にねぼすけの文字。
「本間さああああああああああんっ!!」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる