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くり

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第二部 星の追葬

ラの音が取れない 1

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 十月。それは咲坂学園にとって、否、文化部にとって勝負の時だった。

 すなわち、十一月の文化祭に向けての最終準備である。


「ノアはなんにもやんなくていいの?」
 放課後の屋上。神居宮魔追と岩倉ノアは広げたレジャーシートの上に転がって陽光を浴びていた。さすがにこの頃は制服だけでずっと外にいるのは辛いものがあり、二人は膝掛けを飛ばされないように挟みながら被っていた。
「ステージ発表みたいな形になるから、特にこれといって準備をする必要がないんだよね。――魔追くん、これ違う」
「ん? 本当だ」
 指摘された箇所を消しゴムで消し、答えを書き直す。単純なスペルミスだったが、受験ではこれが命取りとなりかねないのだ。気を付けねばならない。
 そんな二人を、本間美伽はフェンスに寄りかかって座りながらじろじろ見ていた。
「どうかした、美伽ちゃん」
「ちゃん付けはやめなさいって言ってるでしょ」
 もはやお決まりのやり取りをしながら、美伽はわずかに視線を逸らしてぼそりと呟く。
「ちょっとね。……ここに私がいなかったら、危うい絵だなと思って」
「あー。なるほどね」
「危うい? なにが?」
 魔追だけが首を捻る。
「だからさ、本当はここ立ち入り禁止だろ? で、男二人が揃って寝転がってて……。演出としては申し分ないな」
「え?」
「これで膝掛けが一つだったら即アウトね」
「え? え? なんの話?」
 ちんぷんかんぷんな魔追の肩に手を置き、ノアはサムズアップした。
「魔追くん。世の中には知らない方がいいことっていうのもあって……」
「だから、なにがだよ!?」
 叫ぶ魔追に、ノアも美伽も気まずそうにそっぽを向いた。訳が分からず、魔追はむすっとして勉強に戻る。それにしても、十一月に文化祭だなんて迷惑なことだ。推薦に走る文化部が絶えないというのもよくわかる話だった。
 魔追は美伽を見た。
「……なに」
「いや、そういえば美伽ちゃんも推薦だったなあって」
「それが?」
「……いや、なんでもないです」
「うわ、帰宅部で頭も良いくせに楽な方走るなんて、どんだけ根性ねえんだよ、こいつゥ! だって」
「思ってないからね!?」
 ノアの頭を軽くはたきながら慌てて否定するが、美伽はふうんと冷ややかにこちらを見下ろし、
「せいぜい苦しみなさい、この一般組」
「もう苦しんでるよ!」
 美伽はゆっくりと首を傾けると、本を閉じ、魔追の隣に座った。両側から挟まれ、なんとなく身を縮める。
「神居宮」
「な、なに?」
「ミスが見つからない」
「一応、得意科目だし」
「つまんない」
「美伽ちゃんのためじゃないからね」
 あれ!? と突然ノアが声を上げた。
「なんで魔追くんはちゃん付けオッケーで俺は駄目なの!?」
「あんたに言われると虫唾が走るの」
「ひどっ!」
「そういうわけだから、英語はやめて数学でもやりなさい、神居宮」
「どこからつながってきてるのかよく分かんないし、数学はもうやめたんだ!」
 すると、美伽はどこか蔑むように、
「情けないわね」
「それ、推薦に逃げた人に言われたくない!」
 魔追は起き上がると、ノートと筆記用具を片付け始めた。
「あれ? 勉強するんじゃないの、魔追くん」
「これじゃあ続かないよ。てか、勉強教えるって言うから来たのに、お喋りしてただけじゃないか」
「俺、そんなこと言ったっけ?」
「……」
 呆れて物も言えないとは、まさにこのことである。
 魔追が鞄を持って立ち上がると、美伽も本をしまった。
「私も帰る」
「え、美伽ちゃんも?」
「神居宮が勉強するというから開けてあげたのよ。もう用はないわ」
「じゃあ、待ってよ。俺も行く」
「いいのよ、無理しなくて。戸締りは任せて」
 当たり前のことだが、屋上の鍵は内側にしかついていない。
「明日の朝は凍死体のニュースね。ああ、凍りはしないか」
「だから、俺も帰るって。置いてかないで」
 レジャーシートと膝掛けを片付け、三人は屋上を出た。








 校内には様々な音が溢れていた。運動部の掛け声やボールを打つ音、体育館履きの鳴る音なんかは毎日といってもいいだろう。だが、文化祭前のこの時期だけはそれに加えて文化部の活動も激しかった。特に、音楽室やその他大教室のあるこの講義棟は凄まじい。下の階では軽音部がギターを掻き鳴らし、ドラムが連打され、歌声もマイクを通してがんがんこだます。上は吹奏楽部の根城で、チェロなどの弦楽器が織り成す美しい震えと、つんざくようなトランペットなど金管楽器の音色がミックスされて、大変耳によろしくなかった。
 そんなやかましい音楽系クラブの中で、唯一静かなところがあった。吹奏楽部のすぐ隣、端っこの小さなレッスン室で活動する合唱部だった。
 中からはピアノの音はおろか、歌声すらしない。メトロノームの規則的な音もなんにもしない。するのはただ一つ、笑い声だ。
「いやいや、ここはやっぱあみだでしょ?」
「えー、ゆきえ氏ルーレットでいいじゃーん」
「なにそれ~? え~? 私が回るの~?」
「回れ、ゆきえ氏!」
「え? ぐるぐるぐる~」
「きもっ」
「うわっ」
「ひどい~」
 ゆきえ氏ルーレットもとい合唱部部長鈴木幸恵は回るのをやめて、しくしくと両手を目の下に当てた。あわあわと一年生の女子がフォローに入る。
「き、きもくなんかないですよ。むしろ、部長さんはすっごく可愛くて……」
「うわぁ、りっちゃん本当に良い子!」
「いいんだよ、無理して嘘吐かなくて」
「えっ、やっ、本当に可愛いですよ!? 髪、まっすぐでサラサラだし、肌も綺麗だしっ……」
「違うよ、りっちゃん。きもいっていうのは外面じゃなくて内面のこと」
「あと、それはきっと幻覚。――おいこら、ゆきえ氏ぃっ! こんなかわいい後輩をよくも騙したな!」
「ええっ、それはきっと寝ている間の私……あれ?」
「墓穴掘ってんじゃん」
「罪を認めたぞ」
「もう、だからゆきえ氏、O・B・A・K・Aって言われちゃうんだよ」
「オ・バ・ケ?」
「あ、もう駄目だ」
 ぎゃーぎゃー騒ぐ女子四人。男子たちはそれを笑いの含んだ生暖かい目で見守っていたが、ついに一人がばんばんとピアノを叩いた。
「で、なに歌うんだよ」
「ほらあ、怒られちゃったじゃん、ゆきえ氏~」
「私のせいなの~!?」
「いいから、回れ、ゆきえ氏!」
「ぐるぐるぐる~」
「いい加減にせいや」
「怖いっ。はるくん、怒ぽん!」
「ゆきえ氏バリアー!」
「ばりあー」
「…………はぁ」
 副部長の佐藤啓明はやれやれと首を振って、バリアーなるものを破壊した。幸恵をちょっと横にずらしただけだったが、女子たちはひぃぃぃと悲鳴を上げる。
「やべえ、はるくん強すぎ!」
「いいから、曲決めろよ」
「よしっ、ゆきえ氏ルーレットスタァァツッ!」
「ぐるぐる、あいたっ」
 幸恵の頭を押さえつけてから、女子たちを笑顔で睨み下ろす。
「早くしろ」
「……はーい」
 はるくんの笑顔、笑顔じゃない、とか、今のはちょっと怖かった、りっちゃん怖がらせんなよ副部ー、などと小声で言いながらあみだを作成する。最後に幸恵に選ばせてから、ようやく曲が決まった。
「じゃあ、小さな空で~」
「うっ」
「ぐっ」
 目を逸らしたのは、それまで笑うだけで沈黙を守っていたテノール二人。
「別のにしない?」
「それ、いきなりはきつい」
「えー、これ難しい?」
「ソプラノ、ほとんど主旋だろ」
「つられるし、変な音あるからやなんだよ」
「むしろ、この不協和音が味に……」
「つうか、そういう文句付けるなら先に言ってよ!」
 結局、あみだを作り直した。
「行け、ゆきえ氏!」
「じゃ~、これっ」
 次に出てきたのは、『それじゃ』だった。
 再びテノールの顔から表情が消えた。
「諦めろ。これは俺も辛い……」
「あたしもー」
「わたしも……」
「じゃあ、やめようよ!?」
 叫ぶテノールに啓明は、だが首を振った。
「さすがにそろそろ歌わないと先生来るし。小さな空も嫌なら、もうなんだっていいよな?」
「だったら、適当に簡単そうなのでいいだろ!?」
「だーかーらーっ、注文は先に言えーっ!」
「鈴木ー、最初の音ちょーだい」
「は~い」
「佐藤、後生だ!」
 手を合わせるテノールに、啓明は笑顔のまま顔をぐいと近づけた。
「本当に?」
「……」
「……」
 何故か真っ直ぐに目を見れない。
「じゃ、歌うぞ。ほら並べ」
 啓明は部員たちをせかすと、自分も楽譜を持って一番端に立った。部員は全部で七人。一人が一パートを担当する。啓明はバスのトップだ。下はいない。それでも、これだけいればどうにかなるものだ。幸恵がもう一度ピアノを叩き、軽く手を振った。
「いち、に、さんっ」
 ソプラノとテノールが息を吸い込んだ。少し遅れてアルトとバスも入る。最初はピアノ、だんだん大きくなってフォルテに、小さくなって今度はゆっくりと広がっていく――。
 なんだ、歌えてるじゃん、と啓明は思った。発声をしてから三十分近くが経っていて声の出はあまりよくないが、音は外していない。文化祭前だから当たり前といえば当たり前なのだが、上手だ。
 でも、まだ足りない。
 歌が上手だと言われるのが目的ではないのだ。
 ほしいのは自分たちへの賛辞ではない。
 いい歌ですね。そんな歌への言葉だ。
 だから、啓明は物足りなかった。
「鈴木、何かある?」
 歌い終わって幸恵に振ると、幸恵は人差し指を顎に当てて、んーと唸った。
「もうちょっと強弱つけていいかな。全体的に声ちっちゃい。発表はここじゃないから、もっとぐわ~っておっきく歌ったほうがいいと思う。はるくんは?」
「俺も。なんていうか、こじんまりとまとまっちゃって、ただ歌ってるだけって感じがする。もっと、その、……ぐわ~って」
 言葉が見つからず、結局同じことを言ってしまい、啓明は少しだけ恥ずかしくなった。しかし、皆は気にした風もなく、静かに頷いた。さっきみたいに休憩時間は――主に女子が――騒ぐのに、練習では真面目というか大人しいのだ。真面目なのは嬉しいが、もっとリアクションがあってもいいのにといつも思う。
 気付いたら、深い深い溜め息を吐いていた。
「はるくん?」
「ん、どうした?」
「いや――……」
 首に手を当てながらぐるぐると回す。もう三年目だ。慣れている。もともと、この空気が好きで入部したのだ。大丈夫だ。大丈夫なはずなのに――。
 どうしてか、肩が重かった。
「昨日、ゲームしすぎたからかな……?」
「おい、受験生!」
「ゲー禁しろ、ゲー禁!」
 あの、と一年生のりっちゃんが手を上げた。
「ちょっと早いですけど、休憩、しますか……?」
「そだね~」
「一応、歌うことは歌ったしね」
 さっそくリラックスタイムに入る皆に啓明は笑うしかなかった。吹部や軽音がばたばたしている中、ここはいつでも呑気だ。すごく楽しい。今もまた女子が変なことを始めている。デブリの新作アニメ映画に出てくるあのキャラの額が長いだとか、鼻毛まであったとか、あまり普通の女子の会話じゃなかった。もしかすると、これが女子の本性なのかもしれないが。
 ぎゃあぎゃあ騒ぐ皆に背を向け、窓枠に肘をついた。
「ん?」
 眼下を誰かが歩いていた。一人は金髪だからすぐに分かった。転校生だ。もう一人も分かった。同じクラスの本間美伽だ。彼女が誰かといるのを見るのは初めてだったから少し驚いた。
「今、帰りか……。あれ、誰だろう……」
 最後の一人が転校生が邪魔になって見えない。だが、転校生と一緒にいるということは、彼である可能性が高かった。彼と同じクラスになったのは一年生の時だ。あの頃は目立つ奴くらいにしか思っていなかったが、合唱にのめりこむにつれて彼に、正確には彼の声に引かれていった。普通に聞いていればテノールだと思っていただろう。実際に高めの声も出している。だが、端々に現れる腹の底をくすぐるような響きは、間違いなくバス向きだった。低音というのは才能だ。高音と違って、練習して出せるようになるものではない。彼はおそらく啓明よりも低く行ける。もったいない。なんてもったいない。啓明は唇を噛んだ。
 その時、彼が振り向いた。
 あの赤い目と合ったわけではないが、いきなりだったので啓明は仰天して窓に頭をぶつけた。
「いっ、だあっ!?」
「な、なにやってんの、はるくん」
 額を押さえてのけぞる啓明を、まるできもい珍獣に出くわしたかのように見てくる部員たち――主に女子。そっちの方こそ十分珍獣だろうにと思いながら、なんでもないと首を振ったのだが、幸恵がすすすっと近寄ってきて止める間もなく額に触れてきた。
 ひんやりと冷たかった。
「……熱はないよ~」
「……知ってる」
 幸恵はちょこんと首を傾げた。それに合わせて後頭部のリボンも揺れた。
「なあ、鈴木」
「ごめん、はるくん。私、はるくんの気持ちには応えてあげられない」
「は? 意味が分からない」
「あれ? 違うの?」
 その無邪気な態度に啓明の心はひそかに傷ついた。
「つか、こんな所で告白しないだろ、普通」
「そうなの?」
「そうだよ。――そっちじゃなくて、歌のことなんだけど」
 なぜ、部屋中から溜め息が聞こえてきたのか、とても詰問したくなったが、あえて無視をした。
「それじゃの最後のところ、やっぱりほしくない? 下のラ」
「はるくん、腹話術でもするの?」
「しないよ。でもほら、ここの押しでソプラノだけっていうのは、やっぱ寂しいじゃん」
「うん……。でも、はるくん、腹話術はしないんでしょ?」
「しないっていうか、無理、不可能。――まぁ、そうだよな。もう入ってくる人もいないし」
 ましてや、受験生なんて。
「ごめん。なんでもない」
「ううん」
 幸恵は笑って首を振った。
「私もちゃんと聞いてみたい。今はどーしょーもないから、とりあえず楽しく歌お」
 咲坂学園合唱部はコンクールにも出られない弱小部だ。それでもいい、楽しく歌えさえすれば。皆と歌の楽しさを共有できれば。
「じゃ、小さな空歌うか」
「ええっ!」
「ひでえっ!」

 なのに、今回はそれで我慢することができそうになかった。

 一通り歌うと、最終下校時刻の三十分くらい前にみんなで部室を出た。外はもう真っ暗だ。ひんやりと這い寄る冷気に身震いする。そろそろマフラーや手袋が必要になってくるだろう。
 階段を下り始めると、高く澄んだ声がした。

 キャンドル吹きけそうとするたびに

 幸恵だった。小さいながらもしっかりとした声で口ずさむ。

 あさっての口笛がきこえるなら

 他の女子も加わり、恒例のハモリが始まる。女性だけの音色はとても軽やかで華やかだった。階段はよく響くから、歌っているのはたったの四人だけなのに、まるで女声合唱団の演奏を聴いているような心地になってくる。

 また会おう

 ハモリが始まると、男子は口を閉ざし、黙って聞き役に徹するのがお決まりだ。一階に辿り着くまでのたった数十秒間を守るように、惜しむように、じっと耳を傾ける。
 どうして一階なんてあるんだろうと啓明はいつも本気で思う。この暖かな歌声の中をいつまでも歩いていたかった。
 階段が終わると、だんだんと歌声は消えていった。代わりに話し声が戻ってくる。くだらないことを言い合いながら外履きに履き替え、今日もこのまま皆で駅まで帰る。
「かっ」
 下駄箱の前にいた男子生徒に気付いた途端、啓明はどきりとして声を上げていた。
「神居宮っ?」
「あれ、はる?」
 しまったと思ったが、魔追はこちらへと向かってくる。部員達まで気を使ってそそくさと離れてしまい、啓明は逃走のチャンスを完全に失い、動転したまま口を開いた。
「な、なんでいんの? 結構前に帰ってなかった?」
「え?」
「あっ。その、さっき、部室から神居宮が転校生と本間さんと歩いてるのが見えて、それで」
「ああ、ちょっと用事があって、そのあと別れたんだよ」
 魔追は啓明の前で立ち止まった。心臓がばくばくしている。魔追とこうして話すのは初めてのような気がした。単純に啓明が魔追を意識しているかいないかの違いだろうが。
「誰か待ってんの?」
 そう聞くと、魔追はうんと深く頷いた。首を大きく動かしたのではない。腹の奥からの深く心地よい響きが一瞬だけ耳をくすぐって、思わず啓明は聞き入ってしまった。
「でも、もうすぐ帰るよ。下校時刻も迫ってるし」
「そ、そうだよな。そいつ、文化部? 吹部だったら、結構ぎりぎりまでかかると思うけど」
「ちがうよ。でも、ありがと。はるはなんだっけ?」
「合唱」
 何故か舌の付け根がやけに乾いていた。
「ああ、そっかそっか」
 魔追が顔を横に向ける。つられて視線を昇降口の外に転じると、六人はわざわざそこで啓明を待っていた。また幸恵がくるくる回って、ぴこーんだのぴかーんだのてってれーだの言っている。つい呆れて、それで少し落ち着くことができた。
「合唱部ってあれだけ?」
「うん。ほぼ一人一パート」
「うわっ、辛そう」
「でも、偏ってはないからまだまし」
「そうなの?」
「合唱ってハモリなんだよ。そりゃ、曲によってはばーんっと大きい方がいいのもあるけど。一人一人がしっかり出せば、ちゃんと曲になるんだ。分かるだろ?」
「ん、なんとなく」
「人数が問題じゃないんだ。あー、うちはちょっとやばいけど」
 現在、合唱部は三年が四人もいて、文化祭が終わると残りはたったの三人だった。今年の地域や県の合唱祭は出場をやめようという話にもなっていた。
 へえっ、と何故か魔追は感心しているようだった。
「はる、頑張ってるんだな」
「うん。まあ。好きだから」
 少しだけ照れ臭くなって目を逸らすと、魔追がいいなあと笑った。
「なんか、そうやって打ち込めるものがあるのって、すごくかっこいいな」
「そっ……」
 いきなりだったから、驚いて啓明の眼も口もまんまるになってしまった。
「そう?」
「オレ、部活入らなかったからさ。ちょっと憧れるんだよなあ」
 なら、入れよって話だけど、と笑う。啓明もつられて笑ってしまってから、なんだこれ、と内心首を傾げた。なぜ自分は今こんなにも和やかに会話をしているのだろう。二人は一応顔見知りだ。こうやって話すのに何の不思議もない。だけど、まさか一方的に注目していた相手とここまで普通に話すことができるだなんて。逆に意識したら、今度はそわそわとして仕方がなかった。
 と、啓明ははっとした。
「神居宮って、部活やってなかったんだ」
「あれ? 知らなかったんだ」
「なんか、サッカーとかやってんのかと思ってた……。でも、そっか。荷物少ないしな」
 へええ、と機械的に首を振っていると、心の中で誰かが――誰でもない、啓明自身だ――囁く。
 これはチャンスじゃないか。
 魔追は部活に入っていなくて、しかも入部に対してわりと肯定的だ。勉強の邪魔をしてしまうかもしれないが、合唱部は緩いから途中で帰ってもらっても全く問題ない。なんなら、入らないでいいから、助っ人としてでもいい。時間がないから一曲だけ歌ってもらうのだ。それじゃ。あの最後のラの音があれば、それじゃは完璧になる。最後にきりっと締まってくれる。
 頼もう。
 玉砕するかもしれない。むしろ、その方が確率は高い。それでも、言うだけ言ってみよう。簡単なことだ。話の流れの中で、冗談のようにそれとなく切り出してみればいいのだ。
 ぎゅっと拳を握り、啓明は意を決して口を開けた。
「じゃあさ、」
『ボンジュール! カステラテラテラおいしいね~♪』
「へっ?」
「あ、ちょっと待って」
 魔追がポケットからスマホを出し、何か操作をすると軽快なカステラソングはやんだ。スマホを耳に当て、誰かと話し始める。
 完全に出鼻を挫かれた啓明はしばしぽかんと放心していたが、やがて手から力を抜いた。魔追に手を振り、踵を返す。魔追は慌てたようにスマホを離して啓明を呼び止めた。
「今、なんか言いかけてなかった?」
 立ち止まり、顔だけ振り向かせて、啓明は笑った。鏡なんて見なくても、自分がものすごくじめじめとした顔をしているのが分かった。
「たいしたことじゃないから」
 魔追が何か反応するよりも前に啓明はさっさと歩きだした。靴を履き替え、外に出る。
「ごめん。行こ」
「ぴこぴーん、あたっ」
 幸恵の頭を叩き、皆で学校を出る。外は真っ暗で、互いの顔はよく見えない。啓明は少しだけ安堵して、ほぅっと息を吐いた。
「はるくん、はるくん」
 つんつんと制服を引っ張られる。幸恵は珍しく真剣そうだった。
「……なんだよ」
「恋の悩み?」
「「「「「えーっ!?」」」」」
 すると、全員が一斉に叫んで啓明を見、次に後ろを振り返った。ぷちっ、と何かが切れた。
「ふっ……、ふざけんなぁっ!!」
 それはおそらく、堪忍袋の緒というものだ。







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