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第一部 罪人の涙
ガラスのツバキ 1
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私立咲坂学園。
大学部に高等部、中等部、初等部、さらに幼稚園と保育園を持つ大きな学校である。保育園以外はすべて同じキャンパス内にある。田舎の弱小校ではあるが、教育者養成には定評があった。という訳で、よく大学部の生徒が実習やらでやって来ていたが、今回の来訪者はそれとは違ってた。
「ねえ、追夢~」
九月。夏の蒸し暑さが過ぎ、乾いた風が吹き始めた頃。
「なに?」
「うちのクラスに転校生が来るんだって!」
神居宮追夢はやっと顔を上げた。流れる黒髪の間から真っ赤な瞳が覗く。
「朝、フトダから聞いた。女子だって」
「なあんだ、追夢の方が知ってんじゃん。……ほかに何か言ってた?」
「何も。仲良くしろって」
「それだけ? つまんないの」
クラスメイトは口をへの字に曲げて、別の生徒に新情報を披露しに行った。すぐに背後で歓声が上がったが、追夢は周囲の喧騒もろともシャットアウトし、再び読書に没頭した。今日返却の本を昨日まで忘れていたのだ。寝不足で頭もぼおっとし、転校生なんて心底どうでもよかった。
それに、もう知ってるし。
チャイムが鳴り、生徒たちはのんびりと席につく。がたがたと椅子の鳴る音がやんで暫く経ってから、担任のフトダこと細田が駆け足で来た。足の短い細田は他の教師と一緒に職員室を出ているのに、いつも SHR に間に合わない。誰かと一緒に歩こうにも、細田だけ走っている。だから、転校生も肩で息をする細田の後から余裕たっぷりに現れた。
何故か不穏なざわめきが広がり、追夢もページをめくるのをやめた。
「はいっ。じゃ、挨拶」
「……岩倉テラです。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げ、また上がった時、追夢もそれを見た。眼帯だ。医療用の真っ白い眼帯が右目を覆っている。顔の右側が⾧くなるように斜めにカットされた黒髪と相まって、なんだか中二病臭い雰囲気を醸し出していた。だが、日本人にしてはやや高い鼻やすらりとした体躯が、それをある種の神秘的な存在へと昇華させている。皆が反応に困るのも当然といえば当然だった。
でも、私の時もこんなだったな、と入学したばかりの頃を思い出していると、テラがこちらへ歩いてきていた。
「……」
「……」
そしてくるりとターンし、廊下側の一番後ろ、追夢の隣の席に座る。細田がわざわざ声を掛けてきたのは、まあ、そういう理由からだった。
「よろしく」
「よろしく」
義務的に掛けられた挨拶に答えると、あとはそれっきりになる。お互い無言のまま授業が始まった。
お昼頃になるとだいぶ慣れてきたのか、何人かの生徒がテラの机に集まってきた。弁当そっちのけで本を読む追夢も、なんとなく気になってそれに耳を傾けた。
「テラちゃんってさー、もしかしてハーフ?」
「うん」
「すごーい!」
「そういえば、目、青くねっ?」
「あっ、もしかしてさ、この前三年に来た転校生って兄弟?」
「うん」
「あの人かっこいいよねー!」
「日にちがずれたのは、病院に行ってたからとか?」
「うん」
「うわー、大変だ」
「でも、兄妹ってホント分かるわ!美人だもん!」
「わたし、うわっ、モノホンの金髪キたー!ってめっちゃこの前興奮したんだよねー」
「ヤバイヤバイ」
「こまちゃん、目がキラキラしまくってる」
「抑えろ! まず挨拶から!」
「妹さん、一年 A 組の駒井といいます。ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いします……」
「うん」
「いいって! こまちゃん、いいって!」
「っしゃあー!」
こいつ、うんしか言わねえなあ。
段々興味が失せてきて、追夢はラスト一章に本格的に入ろうとした。
「――あ、のり食べる?」
「……のり?」
およそ女子高生らしからぬ単語が聞こえた気がして、追夢は思わず隣の席を見た。テラは手提げ鞄から嬉々として大量の海苔を出しているところだった。
「のりって、意外に面白いんだ。普通ののりでもちょっとずつ違うし。ああ、これ? このとろろ昆布は、富山にいた時に気に入ってたまに取り寄せしてて。それは柚子胡椒とわさび、カレーは期間限定で……」
女子達はすっかり静まり返っている。
おそらく、岩倉テラは見た目と趣味が目立つだけで、中身は他の女子と変わらないのだろう。さっきはうんしか言わなかったが、それでも女子達との雰囲気はよかったし、ノリもいいに違いない。海苔だけに。ただ、初めに眼帯が与えてしまった印象が大きすぎて、こいつは本当にやばいんじゃないか、と思わせてしまうのだ。
追夢は考える。
何かあったら、まず真っ先に細田が聞いてくるのは自分だろう。その後も続けば、ずるずると巻き込まれるに決まっている。それはかなり嫌だ。というか、無理だ。高校に入ってから徹夜の回数は確実に増えているし、学級委員⾧駒井のあほのせいで時間も取られている。これ以上の浪費はなんとしても阻止したいところだった。
テラが追夢の視線に気づいて小首を傾げた。それから、追夢と机の上の海苔を見比べて、何を勘違いしたのか袋を開けてよこしてくる。
「これはあんまりかすが出ないから、読書中にもおすすめ」
「……どうも」
普通の海苔よりも少し分厚くしたものを小さくカットしてある、その名も『カットのり 甘しょうゆ』。口の中に入れると、豊かな海苔の香りとそれを後押しするような甘しょうゆの味がきいていた。
「うま」
「えっ、まじで?」
さっそく、あほ代表駒井がつられて手を伸ばしてくる。それを見た他の女子も続き、口に入れて頬を緩め、すぐに海苔パーティーが始まった。
追夢は自分の分の『カットのり 甘しょうゆ』を確保しながら、ちらりとテラの様子を窺った。テラは談笑しながら、どこかほっとしたような表情を浮かべていて、本人もどうやら多少の危機感を抱いていたらしい。とにかく、これで面倒事は回避できそうだった。
再び本を開き、『カットのり 甘しょうゆ』を一つつまむ。確かに、これなら本に挟まる心配がない。
「うま」
さて、残り八十七ページ。
本の世界に浸る前に、自分に転校生情報をべらべら喋っていたへたれな兄をちらりと思い出した。
あいつ、ちゃんと話しただろうな。
……背筋から二の腕にかけて冷房とは違う寒気が走り、魔追はぶるりと震えた。
「魔追くん、どうした?」
「いや、ちょっと悪寒が……。風邪かな?」
「移すなよ、魔追菌」
「誰がバイ菌だ」
口をへの字にすると、カレーうどんを持って帰ってきたそいつはすごく楽しそうに笑った。数日前にクラスに来た転校生なのだが、こちらから話しかけたことは一度もないのに、いつの間にか付きまとわられている。自分もなかなか目立つ存在だと分かっているので、第一食堂の中で二人は浮いていた。
岩倉ノア。
ノアは女子にもてそうな顔をしている。ハーフなだけあって日本人よりも彫りが深いし、背も高いし、細いけれどがっしりもしている。笑顔がよく似合っていて、そこに金髪と灰眼の対比が絶妙な味を出していた。唯一欠点があるとすれば、それを必要以上に自覚していることで、毎日ヘアスタイルをセットして、毎日違う色のヘアピンで留めてくる。これがなかなかセンスがいい。今日はオレンジと水色の組み合わせで、夏と秋の境を意識したのだとか。いまいちよく分からなかった。
とにかく、二人はたくさんの視線を浴びていた。
主に、女子の好奇の目を。
「なんで、オレもここで食べなきゃいけないわけ?すっごく居心地悪いんだけど」
「一人で弁当なんてさみしいじゃん。そんなかわいそうな子を俺が放っとくと思う?」
「お前がしつこいから、あいつら遠慮して離れたんだよ!」
「じゃ、それだけの仲だったんだよ」
なわけあるかと言いつつ、ノアの表情がやけに真剣なのでだんだんと不安になってくる。まじで見捨てられたのかな、オレ。でも、この前ノート見せてくれたし。これっぽっちで切れるわけないよな。いや、でも、このままこいつと一緒にいたら、この先ないとは言い切れないかもしれない……?
「うっそぴょん」
「やめろよ、まじで!疑心暗⿁に陥る!」
「魔追くん、マジ楽しい。おもろすぎ」
「本当だよ!お前のせいだ!」
ふん、と鼻を鳴らして弁当を食べ始める。ノアもうどんをすすりだした。食事中は静かになることは昨日発見した。これで暫くはおとなしくなるだろう。
甘かった。
小さな影が突進してきて、ノアに背後から襲い掛かった。
「ノア兄ーっ!」
ぐぼっ、とか、ごぼほっ、とかそんな音がして、うどんがどんぶりへとリバースされた。カレー汁が盛大にジャンピングして殆どがノアに、余りが机と魔追のワイシャツにかかった。
「うわああああーっ⁉」
慌てて拭くが、時既に遅し。黄色い斑点が誕生する。
仕方がないので、隣でカレー汁を滴らせるノアに布巾を差し出す。すると、小さな手がひょいとそれを奪い、ノアの顔を優しく拭いた。
とはいっても、ノアの背中にしがみついているこの少女が元凶なのだが。
「ほら、ノア兄。これでカレーもしたたるいい男だよ」
「……カレー臭いイケメンなんてただの怪しい奴だからな」
ノアは憮然として、少女を床に下ろす。少女はすくっと立つと、ぱたぱたと机の反対側に回ってそこに腰かけた。身に着けているのは指定の丸襟シャツとリボンにカーディガン、スカートの初等部の制服だ。そして、頭の両側で結い上げたノアと同じ金髪に、透き通るような碧眼。
「ああ、下の妹さん?ルナちゃんだっけ」
「そうですー。ノア兄がお世話になってますー」
にぱっ、と笑う。向日葵のように眩しく、可愛らしい笑みだ。どうしてあんなバイオレンスな行動に出たのか分からないほどに。魔追の困惑に気付いたのか、ノアが囁く。
「ほら、言っただろ。こいつ、家だともう一人の妹によくタックル仕掛けてんだって」
「ああ、そういえば……」
「だから多分、ここでもやろうとして俺しかいなくて、八つ当たりしてきたんだよ」
「それはひどい」
だが、思い返せば、自分も妹から呼び捨てにされ、ひどいときはおいの一言で済まされている。
兄って良いことないな、と感じた。
「ルナちゃん、ここで食べるの?」
視線を戻す。友達だろうか、初等部の男の子がいつの間にかいて、可愛らしい花柄の包みと星柄の包みを持っていた。おとなしそうな、悪く言えば貧弱そうな男の子だった。
――この子、“常連”かな。
「うん!あ、華くん持っててくれてありがとうー」
花柄の方をルナに渡し、男の子はその隣、魔追の向かいに座る。目が合うと、怯えたようにさっと顔を背け、それから小さく頭を下げた。魔追も微笑み、会釈を返す。一方で、胸が僅かに苦しくなった。仕方がないとは思う。それだけこの瞳のインパクトは大きい。仕方がないのだ。
こんな、ありえない色をした目なんて……
「ねーねー、おにーさん」
「……えっ?オレ?」
「ほかにおにーさんはいないよ?」
小さく首を傾げられる。確かにその通りで――ノアのことはノア兄と呼んでいたから――、なのに変な声を上げてしまったのが妙に気まずく、なんとなく咳払いをした。
「ん、で。なに?何か用?」
「用じゃないけど」
目――、と指さされ、一瞬だったが身がすくんだ。反射のようなものだったが、それは全くの杞憂に過ぎなかった。
ルナの瞳は無邪気な好奇心できらきらと輝いていた。
「どうして、赤いの?」
ほんの少しだけ脱力し、そのおかげで今度は自然な笑みを浮かべられたと思う。
「遺伝だよ。俺のご先祖様にそういう人がいて、だから、オレの親も赤いんだ」
「その人、どこの人?」
「分からない。随分と昔の話だからね」
すると、カレーうどんの残骸を平らげたノアが肩を組んできた。
「そう思わせての、カラコン」
「や、違うから」
でも、そうだったら。
ほあっ、とルナは感嘆の声を上げた。
「すごいね!歴史ってやつだね!おにーさん、かっこいいね!」
「え……、そう?」
「うん!」
大きく頷かれ、魔追は思わず下を向いていた。熱くなった目頭を隠さなければ、何かが零れてしまう気がした。実際には何も出なかったが、一、二回強くまばたきをしてから、魔追はこの素直な少女に向き直った。
「ありがとう。嬉しいよ」
「いえいえ~」
本当にいい子だな。口元が自然とほころんでいた。
ふと隣を見ると、ノアが気味の悪いニヤニヤ顔をしていた。
「な、なんだよ?」
たじろぐ魔追に、だってさあと口を開く。
「あっ、岩倉君」
遮ったのは別の女子の声だった。振り向くと、その女子はきつねそばの盆を捧げるようにして持ちながら、こちらへと近づいてくるところだった。別のクラスの女子で三年間一度も一緒になったことはないが、魔追は彼女を知っていた。高城硝子だ。柔らかな物腰と理知的な顔を裏切らない優等生で、ついこの間までは高等部生徒会の副会⾧もしていた。そして――男にとってはこれが重要なのだが――、とても可愛い。
ノアは軽くひょいと手を挙げた。
「ああ、硝子ちゃんじゃん」
危うく第二のリバース事件が起きるところだった。
口元を押さえながらノアを振り向かせ、信じられないという目を向けると、奴は机の下で小さくサムズアップした。それは一体どういう意味でのサムズアップなんだと問いただしたかったが、その前に硝子が来てしまった。
「久しぶり、岩倉君。どう?学校は慣れた?」
「もう、バッチリ。親友もできたしさ」
ばんばんと魔追の肩を叩くと、硝子は微笑みながら僅かに首を傾げた。
「それはよかったわね。……神居宮君、どうしたの?眉間に皺ついちゃうわよ?」
「あ、や、いえ、なんでもないです」
眉間をぐりぐり擦りながら顔を背ける。普段、家族以外の女子とはめったに喋らないから、気恥ずかしいような、なんとも言えぬ感覚が広がる。何が面白いのかルナも真似してぐりぐりし始め、お友達が不思議そうにしつつももぐもぐと咀嚼を続けている。小動物を見ているようでとても癒された。
違和感を覚えたのはその時だった。
ぱっと弾かれたように顔を上げた魔追に、ノアと硝子も会話をやめ、怪訝な顔をする。魔追はある人と目が合い、それを見つけた時、あまりにも意外だったので驚いて声を上げそうになった。
人間って、やっぱり見た目じゃ分からないな。
「おーい、魔追くーん。やっぱ、風邪?」
額に手を当ててのぞき込んでくるノアに、なんでもないと首を振り、弁当の残りを急いで掻っ込む。ノアと硝子の関係を聞き出したかったが、我慢して先に席を立ち、食堂の外に出た。今日は晴れて日差しが地味に強いから、屋外に生徒の姿はちらほらとしか見えなかった。
スマホを出し、自宅に掛ける。
「あ、アサ?オレ、魔追。休み時間だよ。授業中じゃないって。――うん、そう。また出たんだ。今は茎だけど、もしかしたら花まで行くかも。うん。名前は、」
そこでいったん言葉を切り、大きな第一食堂の薄型太陽光パネルの壁を見上げた。
「3のA、高城硝子。追夢にはオレから連絡しとく」
大学部に高等部、中等部、初等部、さらに幼稚園と保育園を持つ大きな学校である。保育園以外はすべて同じキャンパス内にある。田舎の弱小校ではあるが、教育者養成には定評があった。という訳で、よく大学部の生徒が実習やらでやって来ていたが、今回の来訪者はそれとは違ってた。
「ねえ、追夢~」
九月。夏の蒸し暑さが過ぎ、乾いた風が吹き始めた頃。
「なに?」
「うちのクラスに転校生が来るんだって!」
神居宮追夢はやっと顔を上げた。流れる黒髪の間から真っ赤な瞳が覗く。
「朝、フトダから聞いた。女子だって」
「なあんだ、追夢の方が知ってんじゃん。……ほかに何か言ってた?」
「何も。仲良くしろって」
「それだけ? つまんないの」
クラスメイトは口をへの字に曲げて、別の生徒に新情報を披露しに行った。すぐに背後で歓声が上がったが、追夢は周囲の喧騒もろともシャットアウトし、再び読書に没頭した。今日返却の本を昨日まで忘れていたのだ。寝不足で頭もぼおっとし、転校生なんて心底どうでもよかった。
それに、もう知ってるし。
チャイムが鳴り、生徒たちはのんびりと席につく。がたがたと椅子の鳴る音がやんで暫く経ってから、担任のフトダこと細田が駆け足で来た。足の短い細田は他の教師と一緒に職員室を出ているのに、いつも SHR に間に合わない。誰かと一緒に歩こうにも、細田だけ走っている。だから、転校生も肩で息をする細田の後から余裕たっぷりに現れた。
何故か不穏なざわめきが広がり、追夢もページをめくるのをやめた。
「はいっ。じゃ、挨拶」
「……岩倉テラです。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げ、また上がった時、追夢もそれを見た。眼帯だ。医療用の真っ白い眼帯が右目を覆っている。顔の右側が⾧くなるように斜めにカットされた黒髪と相まって、なんだか中二病臭い雰囲気を醸し出していた。だが、日本人にしてはやや高い鼻やすらりとした体躯が、それをある種の神秘的な存在へと昇華させている。皆が反応に困るのも当然といえば当然だった。
でも、私の時もこんなだったな、と入学したばかりの頃を思い出していると、テラがこちらへ歩いてきていた。
「……」
「……」
そしてくるりとターンし、廊下側の一番後ろ、追夢の隣の席に座る。細田がわざわざ声を掛けてきたのは、まあ、そういう理由からだった。
「よろしく」
「よろしく」
義務的に掛けられた挨拶に答えると、あとはそれっきりになる。お互い無言のまま授業が始まった。
お昼頃になるとだいぶ慣れてきたのか、何人かの生徒がテラの机に集まってきた。弁当そっちのけで本を読む追夢も、なんとなく気になってそれに耳を傾けた。
「テラちゃんってさー、もしかしてハーフ?」
「うん」
「すごーい!」
「そういえば、目、青くねっ?」
「あっ、もしかしてさ、この前三年に来た転校生って兄弟?」
「うん」
「あの人かっこいいよねー!」
「日にちがずれたのは、病院に行ってたからとか?」
「うん」
「うわー、大変だ」
「でも、兄妹ってホント分かるわ!美人だもん!」
「わたし、うわっ、モノホンの金髪キたー!ってめっちゃこの前興奮したんだよねー」
「ヤバイヤバイ」
「こまちゃん、目がキラキラしまくってる」
「抑えろ! まず挨拶から!」
「妹さん、一年 A 組の駒井といいます。ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いします……」
「うん」
「いいって! こまちゃん、いいって!」
「っしゃあー!」
こいつ、うんしか言わねえなあ。
段々興味が失せてきて、追夢はラスト一章に本格的に入ろうとした。
「――あ、のり食べる?」
「……のり?」
およそ女子高生らしからぬ単語が聞こえた気がして、追夢は思わず隣の席を見た。テラは手提げ鞄から嬉々として大量の海苔を出しているところだった。
「のりって、意外に面白いんだ。普通ののりでもちょっとずつ違うし。ああ、これ? このとろろ昆布は、富山にいた時に気に入ってたまに取り寄せしてて。それは柚子胡椒とわさび、カレーは期間限定で……」
女子達はすっかり静まり返っている。
おそらく、岩倉テラは見た目と趣味が目立つだけで、中身は他の女子と変わらないのだろう。さっきはうんしか言わなかったが、それでも女子達との雰囲気はよかったし、ノリもいいに違いない。海苔だけに。ただ、初めに眼帯が与えてしまった印象が大きすぎて、こいつは本当にやばいんじゃないか、と思わせてしまうのだ。
追夢は考える。
何かあったら、まず真っ先に細田が聞いてくるのは自分だろう。その後も続けば、ずるずると巻き込まれるに決まっている。それはかなり嫌だ。というか、無理だ。高校に入ってから徹夜の回数は確実に増えているし、学級委員⾧駒井のあほのせいで時間も取られている。これ以上の浪費はなんとしても阻止したいところだった。
テラが追夢の視線に気づいて小首を傾げた。それから、追夢と机の上の海苔を見比べて、何を勘違いしたのか袋を開けてよこしてくる。
「これはあんまりかすが出ないから、読書中にもおすすめ」
「……どうも」
普通の海苔よりも少し分厚くしたものを小さくカットしてある、その名も『カットのり 甘しょうゆ』。口の中に入れると、豊かな海苔の香りとそれを後押しするような甘しょうゆの味がきいていた。
「うま」
「えっ、まじで?」
さっそく、あほ代表駒井がつられて手を伸ばしてくる。それを見た他の女子も続き、口に入れて頬を緩め、すぐに海苔パーティーが始まった。
追夢は自分の分の『カットのり 甘しょうゆ』を確保しながら、ちらりとテラの様子を窺った。テラは談笑しながら、どこかほっとしたような表情を浮かべていて、本人もどうやら多少の危機感を抱いていたらしい。とにかく、これで面倒事は回避できそうだった。
再び本を開き、『カットのり 甘しょうゆ』を一つつまむ。確かに、これなら本に挟まる心配がない。
「うま」
さて、残り八十七ページ。
本の世界に浸る前に、自分に転校生情報をべらべら喋っていたへたれな兄をちらりと思い出した。
あいつ、ちゃんと話しただろうな。
……背筋から二の腕にかけて冷房とは違う寒気が走り、魔追はぶるりと震えた。
「魔追くん、どうした?」
「いや、ちょっと悪寒が……。風邪かな?」
「移すなよ、魔追菌」
「誰がバイ菌だ」
口をへの字にすると、カレーうどんを持って帰ってきたそいつはすごく楽しそうに笑った。数日前にクラスに来た転校生なのだが、こちらから話しかけたことは一度もないのに、いつの間にか付きまとわられている。自分もなかなか目立つ存在だと分かっているので、第一食堂の中で二人は浮いていた。
岩倉ノア。
ノアは女子にもてそうな顔をしている。ハーフなだけあって日本人よりも彫りが深いし、背も高いし、細いけれどがっしりもしている。笑顔がよく似合っていて、そこに金髪と灰眼の対比が絶妙な味を出していた。唯一欠点があるとすれば、それを必要以上に自覚していることで、毎日ヘアスタイルをセットして、毎日違う色のヘアピンで留めてくる。これがなかなかセンスがいい。今日はオレンジと水色の組み合わせで、夏と秋の境を意識したのだとか。いまいちよく分からなかった。
とにかく、二人はたくさんの視線を浴びていた。
主に、女子の好奇の目を。
「なんで、オレもここで食べなきゃいけないわけ?すっごく居心地悪いんだけど」
「一人で弁当なんてさみしいじゃん。そんなかわいそうな子を俺が放っとくと思う?」
「お前がしつこいから、あいつら遠慮して離れたんだよ!」
「じゃ、それだけの仲だったんだよ」
なわけあるかと言いつつ、ノアの表情がやけに真剣なのでだんだんと不安になってくる。まじで見捨てられたのかな、オレ。でも、この前ノート見せてくれたし。これっぽっちで切れるわけないよな。いや、でも、このままこいつと一緒にいたら、この先ないとは言い切れないかもしれない……?
「うっそぴょん」
「やめろよ、まじで!疑心暗⿁に陥る!」
「魔追くん、マジ楽しい。おもろすぎ」
「本当だよ!お前のせいだ!」
ふん、と鼻を鳴らして弁当を食べ始める。ノアもうどんをすすりだした。食事中は静かになることは昨日発見した。これで暫くはおとなしくなるだろう。
甘かった。
小さな影が突進してきて、ノアに背後から襲い掛かった。
「ノア兄ーっ!」
ぐぼっ、とか、ごぼほっ、とかそんな音がして、うどんがどんぶりへとリバースされた。カレー汁が盛大にジャンピングして殆どがノアに、余りが机と魔追のワイシャツにかかった。
「うわああああーっ⁉」
慌てて拭くが、時既に遅し。黄色い斑点が誕生する。
仕方がないので、隣でカレー汁を滴らせるノアに布巾を差し出す。すると、小さな手がひょいとそれを奪い、ノアの顔を優しく拭いた。
とはいっても、ノアの背中にしがみついているこの少女が元凶なのだが。
「ほら、ノア兄。これでカレーもしたたるいい男だよ」
「……カレー臭いイケメンなんてただの怪しい奴だからな」
ノアは憮然として、少女を床に下ろす。少女はすくっと立つと、ぱたぱたと机の反対側に回ってそこに腰かけた。身に着けているのは指定の丸襟シャツとリボンにカーディガン、スカートの初等部の制服だ。そして、頭の両側で結い上げたノアと同じ金髪に、透き通るような碧眼。
「ああ、下の妹さん?ルナちゃんだっけ」
「そうですー。ノア兄がお世話になってますー」
にぱっ、と笑う。向日葵のように眩しく、可愛らしい笑みだ。どうしてあんなバイオレンスな行動に出たのか分からないほどに。魔追の困惑に気付いたのか、ノアが囁く。
「ほら、言っただろ。こいつ、家だともう一人の妹によくタックル仕掛けてんだって」
「ああ、そういえば……」
「だから多分、ここでもやろうとして俺しかいなくて、八つ当たりしてきたんだよ」
「それはひどい」
だが、思い返せば、自分も妹から呼び捨てにされ、ひどいときはおいの一言で済まされている。
兄って良いことないな、と感じた。
「ルナちゃん、ここで食べるの?」
視線を戻す。友達だろうか、初等部の男の子がいつの間にかいて、可愛らしい花柄の包みと星柄の包みを持っていた。おとなしそうな、悪く言えば貧弱そうな男の子だった。
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「うん!あ、華くん持っててくれてありがとうー」
花柄の方をルナに渡し、男の子はその隣、魔追の向かいに座る。目が合うと、怯えたようにさっと顔を背け、それから小さく頭を下げた。魔追も微笑み、会釈を返す。一方で、胸が僅かに苦しくなった。仕方がないとは思う。それだけこの瞳のインパクトは大きい。仕方がないのだ。
こんな、ありえない色をした目なんて……
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「……えっ?オレ?」
「ほかにおにーさんはいないよ?」
小さく首を傾げられる。確かにその通りで――ノアのことはノア兄と呼んでいたから――、なのに変な声を上げてしまったのが妙に気まずく、なんとなく咳払いをした。
「ん、で。なに?何か用?」
「用じゃないけど」
目――、と指さされ、一瞬だったが身がすくんだ。反射のようなものだったが、それは全くの杞憂に過ぎなかった。
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ほんの少しだけ脱力し、そのおかげで今度は自然な笑みを浮かべられたと思う。
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「分からない。随分と昔の話だからね」
すると、カレーうどんの残骸を平らげたノアが肩を組んできた。
「そう思わせての、カラコン」
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でも、そうだったら。
ほあっ、とルナは感嘆の声を上げた。
「すごいね!歴史ってやつだね!おにーさん、かっこいいね!」
「え……、そう?」
「うん!」
大きく頷かれ、魔追は思わず下を向いていた。熱くなった目頭を隠さなければ、何かが零れてしまう気がした。実際には何も出なかったが、一、二回強くまばたきをしてから、魔追はこの素直な少女に向き直った。
「ありがとう。嬉しいよ」
「いえいえ~」
本当にいい子だな。口元が自然とほころんでいた。
ふと隣を見ると、ノアが気味の悪いニヤニヤ顔をしていた。
「な、なんだよ?」
たじろぐ魔追に、だってさあと口を開く。
「あっ、岩倉君」
遮ったのは別の女子の声だった。振り向くと、その女子はきつねそばの盆を捧げるようにして持ちながら、こちらへと近づいてくるところだった。別のクラスの女子で三年間一度も一緒になったことはないが、魔追は彼女を知っていた。高城硝子だ。柔らかな物腰と理知的な顔を裏切らない優等生で、ついこの間までは高等部生徒会の副会⾧もしていた。そして――男にとってはこれが重要なのだが――、とても可愛い。
ノアは軽くひょいと手を挙げた。
「ああ、硝子ちゃんじゃん」
危うく第二のリバース事件が起きるところだった。
口元を押さえながらノアを振り向かせ、信じられないという目を向けると、奴は机の下で小さくサムズアップした。それは一体どういう意味でのサムズアップなんだと問いただしたかったが、その前に硝子が来てしまった。
「久しぶり、岩倉君。どう?学校は慣れた?」
「もう、バッチリ。親友もできたしさ」
ばんばんと魔追の肩を叩くと、硝子は微笑みながら僅かに首を傾げた。
「それはよかったわね。……神居宮君、どうしたの?眉間に皺ついちゃうわよ?」
「あ、や、いえ、なんでもないです」
眉間をぐりぐり擦りながら顔を背ける。普段、家族以外の女子とはめったに喋らないから、気恥ずかしいような、なんとも言えぬ感覚が広がる。何が面白いのかルナも真似してぐりぐりし始め、お友達が不思議そうにしつつももぐもぐと咀嚼を続けている。小動物を見ているようでとても癒された。
違和感を覚えたのはその時だった。
ぱっと弾かれたように顔を上げた魔追に、ノアと硝子も会話をやめ、怪訝な顔をする。魔追はある人と目が合い、それを見つけた時、あまりにも意外だったので驚いて声を上げそうになった。
人間って、やっぱり見た目じゃ分からないな。
「おーい、魔追くーん。やっぱ、風邪?」
額に手を当ててのぞき込んでくるノアに、なんでもないと首を振り、弁当の残りを急いで掻っ込む。ノアと硝子の関係を聞き出したかったが、我慢して先に席を立ち、食堂の外に出た。今日は晴れて日差しが地味に強いから、屋外に生徒の姿はちらほらとしか見えなかった。
スマホを出し、自宅に掛ける。
「あ、アサ?オレ、魔追。休み時間だよ。授業中じゃないって。――うん、そう。また出たんだ。今は茎だけど、もしかしたら花まで行くかも。うん。名前は、」
そこでいったん言葉を切り、大きな第一食堂の薄型太陽光パネルの壁を見上げた。
「3のA、高城硝子。追夢にはオレから連絡しとく」
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