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第一部 罪人の涙
絶対王子 2
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「また花粉来たかー」
どんどん増殖していくこびと姿のアリスに、魔追は思わずしかめ面になってしまった。まだ増え始めで数は少ないが、少し油断すればあっという間に膨れ上がる。そして大きくなり、別の人間に感染していく。それはさながらインフルエンザウイルスであった。
「やっぱ、親子喧嘩で間違いないなあ?」
追夢が含み笑いながらそんごの頭を叩くから、魔追もついにやりとしてしまった。
「ああ、そうなんだ。珍しいタイプだから、ちょっと不安になっちゃったよ」
そうして、二人でそんごをぽんぽん。
顔を真っ赤にして我慢していたそんごだったが、ついに叫んだ。
「どうして魔追さんまでっ! そりゃ、オレの自己責任ではありますけどっ、なんで魔追さんにまでいじめられなきゃいけないんですかあっ! 仲間だと思ってたのに!」
「おいこら、それは聞き捨てならないぞ」
「いや、魔追もMだろ」
「……そんなことはないとオレは信じている」
何故か追夢には強く言い返すことができなかった。格差社会の縮図が見えた気がした。
今回の感染を発見したのはそんご、もとい番田奏良である。アリスというのは、ストレスを糧に育つ。つまり、ストレスを軽減できれば、感染の進行を遅らせられるということなのだが、まあ当然難しい。そんごもまた例に漏れず、それどころか大失敗して泣きついてきたのであった。
それが、まさかこうなるとは。
こびと達に混ざって一緒に踊っている男女がいた。一人は番田奏良だ。もちろん、本物ではない。もう一人は感染者の七崎月音。二人は楽しそうに手を繋いでいて、はたから見ればとても微笑ましい光景なのだが、そんごにとってはとても残念なことに彼は王子役ではなかった。
「やあばい。あれ、じっと見てると、もうきもさしか感じない」
吐き捨てるように言われ、ひどい! と叫ぶ。
だがだが、実際ーー
「オレッ、もっ、……そう、思いますっ……!」
うふふふ、と笑いながらドレスを翻す男子中学生。
そんごはまだまだ童顔だが、サッカーによって出来上がった体格が無残にもただの変態おばけと化さしめている。
子供っぽいと言われるのが嫌で入部をしたのに、この時初めて己の努力を呪った。
「今日は、オレ、帰ってもいいですか……?」
「ふざけるな。自己責任だって胸張ってただろうが」
「すいません……張ってはいないです……」
今にも泣きそうな顔でしょんぼりとうなだれるものだから、さすがに哀れみを感じて、魔追はいつものようにわしゃわしゃと撫でてやった。
「まあ、元気出しなよ。もっとひどいのだってあるんだしさ」
「オレより、ですか?」
「うん。兄弟喧嘩してた人の夢だったんだけどさ、大きい犬小屋があって」
「あって?」
「ーー弟さんが中に入ってたんだ」
「…………」
「…………」
「……魔追さん」
「うん」
「どうして警察を呼べないんでしょう」
「なんか……ごめん」
むしろ、空気が重くなった。
追夢がふんと鼻を鳴らし、魔追をせかした。
「分担は? このまま行くのか?」
「あ、ああ、前回みたいに他の犯人がいたりはしないんだろ? 花粉もまだひどくないし、速攻で終わらせ、ん?」
ズボンを引っ張られる。振り向くと、そんごの大きな瞳と合った。
「へ?」
そんごはきょとんとし、それからズボンを掴む手を見る。うひゃあ!? と声を上げ、慌てて離した。
「すすす、すいませんっした! その、手がいつの間にか勝手に、独立というか暴走というか……!?」
慌てふためく姿は、どうしても笑いを誘ってしまう。魔追はしゃがんで、もう一度わしゃわしゃと撫でた。
「なな、なんですかっ!? オレ、何かしましたかっ!?」
「したした」
「すいませんっした! え、でも何を?」
頬を挟むように手を添えると、そんごはびくりと身をすくめた。おそるおそる上目遣いで見上げてくる姿は、やはり犬にしか見えない。
引っ張ってみる。
「うわ、お餅みたい!」
素晴らしい伸びだった。
「はうぐふぁはーっ!?」
謎の悲鳴を上げるそんご。最後にまるかいてちょんとやると、赤くなった頬を押さえながら抗議してきた。
「何するんですかっ! 痛かったです!」
「だって、そんごが約束破るからさ」
「や、約束……?」
「言ったよね。何かあったら、遠慮せずになんでも言えって。どんなに小さな事でも、アリスに付け込まれる可能性があるんだからさ。それとも、オレには言えない?」
「そんなこと!」
唇をぐっと噛み、俯く。だが、魔追が次の言葉を言う前に彼は自分から顔を上げた。
「魔追さん。あの、オレ、お願いがあります」
「……なに?」
「オレに、本体をやらせてください」
そんごの瞳は真っ直ぐだ。昔からそうだったが、今はそこに芯の強さとでも言うべきものがある。魔追には見える。そんごが本体を倒すシーンが、鮮明に浮かび上がる。
「頼んだよ。追夢、サポートを頼む」
「うん」
誇らしく思うと同時に、一抹の寂しさが心中をよぎった……。
「ーーああ、そうだ。追夢、武器を結構潰したんだ。急がなくていいから、補充しといて」
「そういうことはさっさと言え」
ゆめめ、と追夢が空中に呼びかけると、どこからともなく手乗りサイズの夢の妖精が現れて頭の上に乗った。対して、むむの方はなかなか出てこない。
「ゆめめ、むむはどうしたの」
「馬鹿はさっきまで馬鹿みたいにばかばか昼寝してた」
「昼寝……」
ほとんど夜に活動するゆめめ達にとっては確かに昼だろう。
それにしてもひどい言い様だが、ちなみに性別をつけるとしたら、ゆめめは女の子、むむは男の子だ。
世の強者は社会的には依然として男だが、それ以外では何一つ勝てないのではないだろうか。
改めてしみじみと思う魔追だった。
しかし、むむがいないとなると武器を出せず、結果的にやはり罵られても仕方がない。
追夢がやれやれと首を振る。そして、足を肩幅の広さに開け、僅かに腰をおとして踏ん張るように構えた。両手を体の前で何かを掴むように掲げれば、さながら切っ先を地面に突いた巨大な剣を支えているかのような……
ような、ではなかった。
追夢は大剣を持っていた。
見間違えをしたのではない。それは唐突に現れたのだ。映画のフィルムをある場所で切り、その先によく似た別のフィルムをつけたかのように、まばたき一つの間に出現し、もとからそこにあったかのように自然に存在している。よく注意していなければ、それでも見逃してしまいそうなほどに見事な『創造』だった。
「さっさと取れっ」
「ごめん。ありがとう」
追夢が渾身の力で持っていた剣を、魔追はあっさりと肩に担ぐ。遠くでこびとアリス達のダンスが止まった。盲目の双眼が敵を睨み据えて、排除しようと動き出す。
「あとはゆめめに渡すから。早い内にむむを呼んどけ」
「うん」
「やりすぎるなよ」
「分かってる」
追夢はそんごの觔斗雲に飛び乗って、高く高く飛び上がる。その背中が見えなくなる前に魔追はもう一度ひっそりと呟いた。
「分かってる」
声は届かない。届くわけがない。
それでいい。
うたいましょう ユメのように
おどりましょう ユメのように
いやいや これはユメなのだ
いやいや ここがユメ なのだ
なにをし ても ユメだから
なにが あっ ても ユメ だ
はっ、として顔を上げると、そこは自分の城だった。着ているのはいつになく立派な服とブーツ、そして細工の凝った模造剣。
そうだ。今は式の真っ最中だ。
右手をそっと握られる。ソラが不安そうに見ていた。
「なんでもないよ。さあて、気を引き締めなくちゃ。これからあの魔女がやってくるんだから」
力強く、それでいて優しく握り返す。慰めるように、そっと。ソラの笑顔にツクネはほっとした。ああ、どうやら自分の方が緊張していたみたいだ。
必ず守る。
出会ったのはつい最近とはいえ、この日のために強くなったと言っても過言ではないと思っている。
この出会いは運命だ。戦いは宿命だ。
だからまず、きみをこれまで苦しめてきた脅威に終止符を打とう。
「殿下、お妃様がいらっしゃいました」
「よし。あれを用意しろ」
召し使いが小走りでいなくなるのと、その女が入ってきたのはほぼ同時だった。やけに着飾っている女だった。服だけを見ればソラのドレスといい勝負だったが、その目から、全身から、隠しきれない醜悪さが漂っている。美人といえば美人だが、違うといえば全く違う。半端な妖気を纏う、まさしく魔女であった。
魔女はソラを見て固まった。すぐに歩き出したが、表情が強張っている。気付いているのか、己の未来に。未来とも呼べないような結末に。分かっていながら、それでもいてもたってもいられなかったのか。
哀れな女だ。
その妄執をここで断ち切ってやる。
「ご結婚おめでとうございます。殿下、ソラ。殿下にはもうなんとお礼を申したらよいのやら……。行方知れずだった娘を助けてくださり、あまつさえ妻にしていただけるとは。この子の本当の母親もきっと天国で喜んでいることでしょう」
「感謝すべきはわたくしの方です。お継母様がいなかったら我々は出会えていなかったのですから。お継母様、ぜひともわたくしのプレゼントをお受け取りください」
魔女が一歩後ずさる。
「そんな、いただけませんよ。そのプレゼントはご自身の為にお使いなさって」
ツクネも一歩踏み出し、笑みを深くした。
「では、やはりお継母様にお渡しせねば。それはお継母様の為に特別に作らせた品なのです。本来の持ち主に使われた方が、品もよく映えることでしょう」
顔面をひきつらせる魔女の背後で扉が閉まる。カーテンも閉じられ、城内は薄暗がりに包まれた。その中でプレゼントは鈍く輝いていた。
炭火によって赤く熱せられた鉄の靴が、火箸で魔女の前に据え置かれる。
「お継母様は踊るのがお好きだとか。どうか、わたくしにその靴を履いて踊ってみせてください」
「お見せできるようなものではありませんよ」
「構いません。さあ」
魔女は震えながら足元を見下ろした。そして、きっと眦を吊り上げると、ソラに掴みかかろうとした。しかし、ツクネには全てお見通しだった。さっと模造剣を抜き、魔追を打ち据える。兵士に命じてぐったりとする魔女を無理矢理立たせ、靴の前まで引きずっていった。
「お継母様」
うなだれていた頭が持ち上がる。
「今、やっとソラを見ましたね。あなたにとって、ソラはそこまで憎いのですか」
「知っていたのだろう……知っていたから、こんな物を!」
「ええ、まあ、その通りです」
汚い言葉を喚き散らし、必死に抵抗したが、さすがの魔女も力ではかなわなかった。肉の焼ける音と匂いがして、甲高い悲鳴が上がった。
兵士が離れると、魔女は靴を脱ごうと手を伸ばした。だが、真っ赤な靴に触ることはできず、じたばたともがいて自分で自分を蹴っ飛ばし、また悲鳴を上げ、なるべく足を遠ざけようとして失敗し、床の上で滑稽なダンスを演じ続けた。
ツクネはそれを満面の笑みで見下したーー
「うっ」
ソラが小さく呻いて、ツクネは我に返った。
「ソラ? ソラ!」
口元を覆ってうずくまるソラに慌てて寄り添い、背中を強くさすってやる。部屋の用意をさせようと召し使いを呼ぼうとすると、ソラが首を振った。
「大丈夫なのかい? 休んだ方が……」
「オ、……わたしは大丈夫です。大丈夫じゃないのはせ、……王子の方です」
「何を言っているんだ。ぼくはどこも悪くなんか、」
「体じゃない」
ソラの尋常ではない瞳の強さに真っ直ぐ射抜かれ、動けなくなる。
「あんなひどいことをして平気でいられる王子の心が」
「心って……」
思わず緊張や心配よりも呆れが先に立っていた。
「何を言っているんだ。あいつはこれまで散々きみを苦しめてきた。これはその報いだ。なのに、今さら助けようっていうのか。よりによって、きみが」
「いいえ」
だが、それは予想していた答えと違っていた。
「苦しめられてきたのは、あなたです」
全く別の方向から氷水をぶっかけられたかのような心地がした。ドクンッ、ドクンッ、と今にも心臓の音が聞こえてきそうだった。
「……きみ、本当に大丈夫か? だって、ぼくとあいつは今日初めて会ったんだ。あいつがぼくをいじめるわけが……」
「本当に?」
本当だ、と返そうとしたところで、ソラが手を上げた。のたうちながらもじっとこちらを睨んでくる魔女を指差した。汗塗れの苦悶の奥から覗くぎらついた目。ツクネは動けない。視線を外すことができない。
その目元が自分によく似ていたからだ。
「そんな、馬鹿な……」
「ありえるんです」
ここは夢だから、と。直接口に出していないが、ツクネの耳にはその言葉が聞こえた気がした。
「じゃ、じゃあ……」
今にも震えそうになる手をぎゅっと握り締める。
「これは、嘘だって言うのか。今起きていることは、全部幻……?」
「希望です」
「希望だって、形がないものに変わりないじゃないか」
「でも、希望はあったかいんです」
茫然とするツクネにソラは繰り返した。
「希望はあったかいんです。……だから、王子は守らないと」
背中を押される。つんざく叫びに、やっと心が震えた。
「母さん……母さん!」
もうソラの助けは必要なかった。駆け寄り、母を抱き締める。あんなに外れなかった鉄靴はツクネが触るとするりと脱げた。爛れた足もツクネの吐息一つで綺麗に治った。
「母さん、ごめん。母さん……」
きつくきつく腕を回す。離さないように、しっかりと。
幼稚園以来の懐かしい匂いがした。
「やっぱり、先輩は王子です……」
金属を叩いたような澄んだ音が響いた。
どんどん増殖していくこびと姿のアリスに、魔追は思わずしかめ面になってしまった。まだ増え始めで数は少ないが、少し油断すればあっという間に膨れ上がる。そして大きくなり、別の人間に感染していく。それはさながらインフルエンザウイルスであった。
「やっぱ、親子喧嘩で間違いないなあ?」
追夢が含み笑いながらそんごの頭を叩くから、魔追もついにやりとしてしまった。
「ああ、そうなんだ。珍しいタイプだから、ちょっと不安になっちゃったよ」
そうして、二人でそんごをぽんぽん。
顔を真っ赤にして我慢していたそんごだったが、ついに叫んだ。
「どうして魔追さんまでっ! そりゃ、オレの自己責任ではありますけどっ、なんで魔追さんにまでいじめられなきゃいけないんですかあっ! 仲間だと思ってたのに!」
「おいこら、それは聞き捨てならないぞ」
「いや、魔追もMだろ」
「……そんなことはないとオレは信じている」
何故か追夢には強く言い返すことができなかった。格差社会の縮図が見えた気がした。
今回の感染を発見したのはそんご、もとい番田奏良である。アリスというのは、ストレスを糧に育つ。つまり、ストレスを軽減できれば、感染の進行を遅らせられるということなのだが、まあ当然難しい。そんごもまた例に漏れず、それどころか大失敗して泣きついてきたのであった。
それが、まさかこうなるとは。
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「やあばい。あれ、じっと見てると、もうきもさしか感じない」
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だがだが、実際ーー
「オレッ、もっ、……そう、思いますっ……!」
うふふふ、と笑いながらドレスを翻す男子中学生。
そんごはまだまだ童顔だが、サッカーによって出来上がった体格が無残にもただの変態おばけと化さしめている。
子供っぽいと言われるのが嫌で入部をしたのに、この時初めて己の努力を呪った。
「今日は、オレ、帰ってもいいですか……?」
「ふざけるな。自己責任だって胸張ってただろうが」
「すいません……張ってはいないです……」
今にも泣きそうな顔でしょんぼりとうなだれるものだから、さすがに哀れみを感じて、魔追はいつものようにわしゃわしゃと撫でてやった。
「まあ、元気出しなよ。もっとひどいのだってあるんだしさ」
「オレより、ですか?」
「うん。兄弟喧嘩してた人の夢だったんだけどさ、大きい犬小屋があって」
「あって?」
「ーー弟さんが中に入ってたんだ」
「…………」
「…………」
「……魔追さん」
「うん」
「どうして警察を呼べないんでしょう」
「なんか……ごめん」
むしろ、空気が重くなった。
追夢がふんと鼻を鳴らし、魔追をせかした。
「分担は? このまま行くのか?」
「あ、ああ、前回みたいに他の犯人がいたりはしないんだろ? 花粉もまだひどくないし、速攻で終わらせ、ん?」
ズボンを引っ張られる。振り向くと、そんごの大きな瞳と合った。
「へ?」
そんごはきょとんとし、それからズボンを掴む手を見る。うひゃあ!? と声を上げ、慌てて離した。
「すすす、すいませんっした! その、手がいつの間にか勝手に、独立というか暴走というか……!?」
慌てふためく姿は、どうしても笑いを誘ってしまう。魔追はしゃがんで、もう一度わしゃわしゃと撫でた。
「なな、なんですかっ!? オレ、何かしましたかっ!?」
「したした」
「すいませんっした! え、でも何を?」
頬を挟むように手を添えると、そんごはびくりと身をすくめた。おそるおそる上目遣いで見上げてくる姿は、やはり犬にしか見えない。
引っ張ってみる。
「うわ、お餅みたい!」
素晴らしい伸びだった。
「はうぐふぁはーっ!?」
謎の悲鳴を上げるそんご。最後にまるかいてちょんとやると、赤くなった頬を押さえながら抗議してきた。
「何するんですかっ! 痛かったです!」
「だって、そんごが約束破るからさ」
「や、約束……?」
「言ったよね。何かあったら、遠慮せずになんでも言えって。どんなに小さな事でも、アリスに付け込まれる可能性があるんだからさ。それとも、オレには言えない?」
「そんなこと!」
唇をぐっと噛み、俯く。だが、魔追が次の言葉を言う前に彼は自分から顔を上げた。
「魔追さん。あの、オレ、お願いがあります」
「……なに?」
「オレに、本体をやらせてください」
そんごの瞳は真っ直ぐだ。昔からそうだったが、今はそこに芯の強さとでも言うべきものがある。魔追には見える。そんごが本体を倒すシーンが、鮮明に浮かび上がる。
「頼んだよ。追夢、サポートを頼む」
「うん」
誇らしく思うと同時に、一抹の寂しさが心中をよぎった……。
「ーーああ、そうだ。追夢、武器を結構潰したんだ。急がなくていいから、補充しといて」
「そういうことはさっさと言え」
ゆめめ、と追夢が空中に呼びかけると、どこからともなく手乗りサイズの夢の妖精が現れて頭の上に乗った。対して、むむの方はなかなか出てこない。
「ゆめめ、むむはどうしたの」
「馬鹿はさっきまで馬鹿みたいにばかばか昼寝してた」
「昼寝……」
ほとんど夜に活動するゆめめ達にとっては確かに昼だろう。
それにしてもひどい言い様だが、ちなみに性別をつけるとしたら、ゆめめは女の子、むむは男の子だ。
世の強者は社会的には依然として男だが、それ以外では何一つ勝てないのではないだろうか。
改めてしみじみと思う魔追だった。
しかし、むむがいないとなると武器を出せず、結果的にやはり罵られても仕方がない。
追夢がやれやれと首を振る。そして、足を肩幅の広さに開け、僅かに腰をおとして踏ん張るように構えた。両手を体の前で何かを掴むように掲げれば、さながら切っ先を地面に突いた巨大な剣を支えているかのような……
ような、ではなかった。
追夢は大剣を持っていた。
見間違えをしたのではない。それは唐突に現れたのだ。映画のフィルムをある場所で切り、その先によく似た別のフィルムをつけたかのように、まばたき一つの間に出現し、もとからそこにあったかのように自然に存在している。よく注意していなければ、それでも見逃してしまいそうなほどに見事な『創造』だった。
「さっさと取れっ」
「ごめん。ありがとう」
追夢が渾身の力で持っていた剣を、魔追はあっさりと肩に担ぐ。遠くでこびとアリス達のダンスが止まった。盲目の双眼が敵を睨み据えて、排除しようと動き出す。
「あとはゆめめに渡すから。早い内にむむを呼んどけ」
「うん」
「やりすぎるなよ」
「分かってる」
追夢はそんごの觔斗雲に飛び乗って、高く高く飛び上がる。その背中が見えなくなる前に魔追はもう一度ひっそりと呟いた。
「分かってる」
声は届かない。届くわけがない。
それでいい。
うたいましょう ユメのように
おどりましょう ユメのように
いやいや これはユメなのだ
いやいや ここがユメ なのだ
なにをし ても ユメだから
なにが あっ ても ユメ だ
はっ、として顔を上げると、そこは自分の城だった。着ているのはいつになく立派な服とブーツ、そして細工の凝った模造剣。
そうだ。今は式の真っ最中だ。
右手をそっと握られる。ソラが不安そうに見ていた。
「なんでもないよ。さあて、気を引き締めなくちゃ。これからあの魔女がやってくるんだから」
力強く、それでいて優しく握り返す。慰めるように、そっと。ソラの笑顔にツクネはほっとした。ああ、どうやら自分の方が緊張していたみたいだ。
必ず守る。
出会ったのはつい最近とはいえ、この日のために強くなったと言っても過言ではないと思っている。
この出会いは運命だ。戦いは宿命だ。
だからまず、きみをこれまで苦しめてきた脅威に終止符を打とう。
「殿下、お妃様がいらっしゃいました」
「よし。あれを用意しろ」
召し使いが小走りでいなくなるのと、その女が入ってきたのはほぼ同時だった。やけに着飾っている女だった。服だけを見ればソラのドレスといい勝負だったが、その目から、全身から、隠しきれない醜悪さが漂っている。美人といえば美人だが、違うといえば全く違う。半端な妖気を纏う、まさしく魔女であった。
魔女はソラを見て固まった。すぐに歩き出したが、表情が強張っている。気付いているのか、己の未来に。未来とも呼べないような結末に。分かっていながら、それでもいてもたってもいられなかったのか。
哀れな女だ。
その妄執をここで断ち切ってやる。
「ご結婚おめでとうございます。殿下、ソラ。殿下にはもうなんとお礼を申したらよいのやら……。行方知れずだった娘を助けてくださり、あまつさえ妻にしていただけるとは。この子の本当の母親もきっと天国で喜んでいることでしょう」
「感謝すべきはわたくしの方です。お継母様がいなかったら我々は出会えていなかったのですから。お継母様、ぜひともわたくしのプレゼントをお受け取りください」
魔女が一歩後ずさる。
「そんな、いただけませんよ。そのプレゼントはご自身の為にお使いなさって」
ツクネも一歩踏み出し、笑みを深くした。
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顔面をひきつらせる魔女の背後で扉が閉まる。カーテンも閉じられ、城内は薄暗がりに包まれた。その中でプレゼントは鈍く輝いていた。
炭火によって赤く熱せられた鉄の靴が、火箸で魔女の前に据え置かれる。
「お継母様は踊るのがお好きだとか。どうか、わたくしにその靴を履いて踊ってみせてください」
「お見せできるようなものではありませんよ」
「構いません。さあ」
魔女は震えながら足元を見下ろした。そして、きっと眦を吊り上げると、ソラに掴みかかろうとした。しかし、ツクネには全てお見通しだった。さっと模造剣を抜き、魔追を打ち据える。兵士に命じてぐったりとする魔女を無理矢理立たせ、靴の前まで引きずっていった。
「お継母様」
うなだれていた頭が持ち上がる。
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「知っていたのだろう……知っていたから、こんな物を!」
「ええ、まあ、その通りです」
汚い言葉を喚き散らし、必死に抵抗したが、さすがの魔女も力ではかなわなかった。肉の焼ける音と匂いがして、甲高い悲鳴が上がった。
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「うっ」
ソラが小さく呻いて、ツクネは我に返った。
「ソラ? ソラ!」
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「大丈夫なのかい? 休んだ方が……」
「オ、……わたしは大丈夫です。大丈夫じゃないのはせ、……王子の方です」
「何を言っているんだ。ぼくはどこも悪くなんか、」
「体じゃない」
ソラの尋常ではない瞳の強さに真っ直ぐ射抜かれ、動けなくなる。
「あんなひどいことをして平気でいられる王子の心が」
「心って……」
思わず緊張や心配よりも呆れが先に立っていた。
「何を言っているんだ。あいつはこれまで散々きみを苦しめてきた。これはその報いだ。なのに、今さら助けようっていうのか。よりによって、きみが」
「いいえ」
だが、それは予想していた答えと違っていた。
「苦しめられてきたのは、あなたです」
全く別の方向から氷水をぶっかけられたかのような心地がした。ドクンッ、ドクンッ、と今にも心臓の音が聞こえてきそうだった。
「……きみ、本当に大丈夫か? だって、ぼくとあいつは今日初めて会ったんだ。あいつがぼくをいじめるわけが……」
「本当に?」
本当だ、と返そうとしたところで、ソラが手を上げた。のたうちながらもじっとこちらを睨んでくる魔女を指差した。汗塗れの苦悶の奥から覗くぎらついた目。ツクネは動けない。視線を外すことができない。
その目元が自分によく似ていたからだ。
「そんな、馬鹿な……」
「ありえるんです」
ここは夢だから、と。直接口に出していないが、ツクネの耳にはその言葉が聞こえた気がした。
「じゃ、じゃあ……」
今にも震えそうになる手をぎゅっと握り締める。
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「でも、希望はあったかいんです」
茫然とするツクネにソラは繰り返した。
「希望はあったかいんです。……だから、王子は守らないと」
背中を押される。つんざく叫びに、やっと心が震えた。
「母さん……母さん!」
もうソラの助けは必要なかった。駆け寄り、母を抱き締める。あんなに外れなかった鉄靴はツクネが触るとするりと脱げた。爛れた足もツクネの吐息一つで綺麗に治った。
「母さん、ごめん。母さん……」
きつくきつく腕を回す。離さないように、しっかりと。
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「やっぱり、先輩は王子です……」
金属を叩いたような澄んだ音が響いた。
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