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第6話『雲のかんし員』
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なにも言わずに家の中にかけ込んだモックじいさん。なのに家の主人は文句ひとつ言わないどころか、ちらと見向きすることもありません。家のまんなかに置いた背の高い椅子に座って、望遠鏡をのぞき込んでいます。
彼の仕事は雲のかんし員でありましたから、望遠鏡から目を離すことはできませんでした。しかし、それをめんどうだと思ったこともありませんでした。ひとりぼっちで静かに雲をながめるのは、なによりも気楽でいいものだと、そう思っていたからです。
モックじいさんはそんな彼の性分を理解していたので、ふだんなら邪魔をするようなことは決してありませんでしたが、今回ばかりはそうも言ってられません。なにせ、長い人生の中ではじめて直面した問題です。誰かを頼りたくなるのは当たり前のことです。
「なあ、ちょっと聞いてくれないか。困ったことになったんだ」
モックじいさんは控えめに、けれど、うったえかけるように言いました。それでも、かんし員はお構いなしで、まるでなにも聞こえなかったかのように、望遠鏡から目を離しません。
モックじいさんはさっきよりも二歩、三歩とかんし員に近づいて、さっきよりも大きな声で呼びかけました。
「おいったら!少しは耳をかしてくれないか」
モックじいさんのひと言で、ようやく、かんし員は望遠鏡をのぞき込むのとは反対側の目をぱちりと開きました。不機嫌そうな左目が、モックじいさんの姿を確かめると、すうっと細くなりました。
「いったいなんのつもりだ。わたしが今仕事をしていることくらい、あんただってわかっているはずだろう」
そう言いながらも、かんし員は右目だけは望遠鏡から離しません。右目で雲のようすを確認しながら、左目でモックじいさんを見すえています。器用なものです。
「すまん。邪魔をするつもりはないんだが、おれも困ってるんだ」
「用があるなら早く言ってくれ。どうせあんたの後ろにぷかぷか浮いてる雲のことだろう」
かんし員のひと言で、モックじいさんは後ろを振り返りました。そこには、さっきの雲がたしかにぷかぷか浮いていました。どうやら一緒になって家に入ってきたようです。
「ああ、そうなんだ。長いこと雲を生み出しとるが、今日ははじめて失敗してしまってな。雲が行き先を知らんと言うんだ」
モックじいさんは、今朝の寝坊からさっきまでのできごとをかいつまんで説明しました。その間、かんし員は仕事の続きをしながら耳を傾けて聞きました。
「なるほどな。事情はわかったが、わたしもその雲の行き先なんてものに心あたりはないよ」
かんし員はあっさりと言いました。モックじいさんはそんな馬鹿なと、こうぎの声をあげました。
「そんなはずはないだろう。だってお前さんは、毎日そうやって雲が行き先を間違えないか、かんしをしとるんだろう? なのになぜ行き先がわからんなどと言うんだ」
「わからんものはわからんよ。わたしは旅立つ雲の形や色なんかを見て、なんとなく行き先を判断しているにすぎんのだからね。その“失敗した雲”とやらは、わたしだってはじめてお目にかかるんだ。なにせ、あんたが失敗するのは、はじめてのことなんだからね」
モックじいさんはいよいよ困ったとばかりにいつものしかめっ面をよりいっそうくしゃっとさせました。
そんなふたりのようすをじっと見守っていた雲が、家に入ってからはじめて口を開きました。
「なんだよ、さっきから聞いていれば、おいらのことを失敗だなんだとえらそうに。そこいらの雲とどこかやなにかが違うってことが、そんなにいけないことなのか」
それを聞いたモックじいさんは、はっと目を見開きました。たった今まで自分たちが口にしていたことが、とんでもなくひどいことだと気がついたからです。
「すまない雲や。そんなつもりじゃあなかったんだ。ただ、いつもどおりがはじめていつもどおりじゃなくなって、少しばかり心細くなってしまっただけなんだ」
かんし員もさすがに申し訳なく思ったのか、モックじいさんたちが家に入ってからはじめて、いえ、彼がこの仕事を空の神さまから仰せつかってからはじめて、仕事の途中で望遠鏡から目を離しました。雲のようすをながめる仕事をしている彼もまた、雲を悪く言うつもりなんてありませんでした。
「すまなかった。わたしもあやまるよ」
「ふん。べつにいいさ」
そう言った雲のからだがひんやりと少しずつ冷えていきました。今にも雨をふらしそうなほどに。
泣き出しそうな雲をあやそうと、モックじいさんは雲のまわりを「あー」とか「うー」とか言いながらグルグルと回りました。
これはもう手おくれかもしれない。そんな考えがモックじいさんの頭をよぎったそのとき、かんし員がなにか思いついたように、握りこぶしでもう片方の手の平をぽんとたたきました。
「そうだ。その雲にとくべつ行き先がないんだったら、どこにだって行けるだろう」
モックじいさんはそれもそうかもしれないとは思いましたが、だからどうしたとばかりにまた、雲をあやそうとしました。そんなモックじいさんに向かって大きなため息をついたかんし員は、あきれたように言いました。
「まだわからんのか。あんたはずっと雲のようすを見に行きたいと言っとったろう?」
「それがどうしたんだ」
「どうせ“どうやって雲たちのもとへ行くか”なんて、あんた考えちゃいなかったろう? ほんとうはそんなことをするのは恐いから、考えようともしないんだ」
「むう」
本心を見ぬかれたモックじいさんは、だまり込んでしまいました。
「そんなこと、おまえさんに言われんでもわかっとる」
モックじいさんはつよがりを言いました。それがつよがりであることは、やっぱりかんし員にもわかっていました。
「わたしが言いたいのはつまりだ、その雲に乗って行けばいいんじゃないかってことさ」
彼の仕事は雲のかんし員でありましたから、望遠鏡から目を離すことはできませんでした。しかし、それをめんどうだと思ったこともありませんでした。ひとりぼっちで静かに雲をながめるのは、なによりも気楽でいいものだと、そう思っていたからです。
モックじいさんはそんな彼の性分を理解していたので、ふだんなら邪魔をするようなことは決してありませんでしたが、今回ばかりはそうも言ってられません。なにせ、長い人生の中ではじめて直面した問題です。誰かを頼りたくなるのは当たり前のことです。
「なあ、ちょっと聞いてくれないか。困ったことになったんだ」
モックじいさんは控えめに、けれど、うったえかけるように言いました。それでも、かんし員はお構いなしで、まるでなにも聞こえなかったかのように、望遠鏡から目を離しません。
モックじいさんはさっきよりも二歩、三歩とかんし員に近づいて、さっきよりも大きな声で呼びかけました。
「おいったら!少しは耳をかしてくれないか」
モックじいさんのひと言で、ようやく、かんし員は望遠鏡をのぞき込むのとは反対側の目をぱちりと開きました。不機嫌そうな左目が、モックじいさんの姿を確かめると、すうっと細くなりました。
「いったいなんのつもりだ。わたしが今仕事をしていることくらい、あんただってわかっているはずだろう」
そう言いながらも、かんし員は右目だけは望遠鏡から離しません。右目で雲のようすを確認しながら、左目でモックじいさんを見すえています。器用なものです。
「すまん。邪魔をするつもりはないんだが、おれも困ってるんだ」
「用があるなら早く言ってくれ。どうせあんたの後ろにぷかぷか浮いてる雲のことだろう」
かんし員のひと言で、モックじいさんは後ろを振り返りました。そこには、さっきの雲がたしかにぷかぷか浮いていました。どうやら一緒になって家に入ってきたようです。
「ああ、そうなんだ。長いこと雲を生み出しとるが、今日ははじめて失敗してしまってな。雲が行き先を知らんと言うんだ」
モックじいさんは、今朝の寝坊からさっきまでのできごとをかいつまんで説明しました。その間、かんし員は仕事の続きをしながら耳を傾けて聞きました。
「なるほどな。事情はわかったが、わたしもその雲の行き先なんてものに心あたりはないよ」
かんし員はあっさりと言いました。モックじいさんはそんな馬鹿なと、こうぎの声をあげました。
「そんなはずはないだろう。だってお前さんは、毎日そうやって雲が行き先を間違えないか、かんしをしとるんだろう? なのになぜ行き先がわからんなどと言うんだ」
「わからんものはわからんよ。わたしは旅立つ雲の形や色なんかを見て、なんとなく行き先を判断しているにすぎんのだからね。その“失敗した雲”とやらは、わたしだってはじめてお目にかかるんだ。なにせ、あんたが失敗するのは、はじめてのことなんだからね」
モックじいさんはいよいよ困ったとばかりにいつものしかめっ面をよりいっそうくしゃっとさせました。
そんなふたりのようすをじっと見守っていた雲が、家に入ってからはじめて口を開きました。
「なんだよ、さっきから聞いていれば、おいらのことを失敗だなんだとえらそうに。そこいらの雲とどこかやなにかが違うってことが、そんなにいけないことなのか」
それを聞いたモックじいさんは、はっと目を見開きました。たった今まで自分たちが口にしていたことが、とんでもなくひどいことだと気がついたからです。
「すまない雲や。そんなつもりじゃあなかったんだ。ただ、いつもどおりがはじめていつもどおりじゃなくなって、少しばかり心細くなってしまっただけなんだ」
かんし員もさすがに申し訳なく思ったのか、モックじいさんたちが家に入ってからはじめて、いえ、彼がこの仕事を空の神さまから仰せつかってからはじめて、仕事の途中で望遠鏡から目を離しました。雲のようすをながめる仕事をしている彼もまた、雲を悪く言うつもりなんてありませんでした。
「すまなかった。わたしもあやまるよ」
「ふん。べつにいいさ」
そう言った雲のからだがひんやりと少しずつ冷えていきました。今にも雨をふらしそうなほどに。
泣き出しそうな雲をあやそうと、モックじいさんは雲のまわりを「あー」とか「うー」とか言いながらグルグルと回りました。
これはもう手おくれかもしれない。そんな考えがモックじいさんの頭をよぎったそのとき、かんし員がなにか思いついたように、握りこぶしでもう片方の手の平をぽんとたたきました。
「そうだ。その雲にとくべつ行き先がないんだったら、どこにだって行けるだろう」
モックじいさんはそれもそうかもしれないとは思いましたが、だからどうしたとばかりにまた、雲をあやそうとしました。そんなモックじいさんに向かって大きなため息をついたかんし員は、あきれたように言いました。
「まだわからんのか。あんたはずっと雲のようすを見に行きたいと言っとったろう?」
「それがどうしたんだ」
「どうせ“どうやって雲たちのもとへ行くか”なんて、あんた考えちゃいなかったろう? ほんとうはそんなことをするのは恐いから、考えようともしないんだ」
「むう」
本心を見ぬかれたモックじいさんは、だまり込んでしまいました。
「そんなこと、おまえさんに言われんでもわかっとる」
モックじいさんはつよがりを言いました。それがつよがりであることは、やっぱりかんし員にもわかっていました。
「わたしが言いたいのはつまりだ、その雲に乗って行けばいいんじゃないかってことさ」
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