わたしの方が好きでした

帆々

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リゼ

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 午前から昼にかけ、リゼは仕入れ先を慌ただしく回り挨拶をしてきた。もちろん新商品のアピールも忘れない。

 工房に戻ると従業員たちの昼食は済んでいて、リゼはその残りをたっぷりと皿に盛り片隅で食べる。ここでは先代の頃から昼食は賄い付きだった。「同じ釜の飯を食う」というのが彼女の父の口癖で、それを彼女もそっくり引き継いだ。

 梱包の手を止めずにリゼの食事に目をやった一人が苦笑した。

「ゆっくり食べないと身体に障りますよ」

「だってお腹が空いていたのよ」

 姑の来訪で昨夜の夕食から朝食も抜いていたから、空腹でふらふらだった。今晩からは用意もあるしちゃんと夕食にありつける。

「ご主人の風邪はもういいのでしょ? 仕事をぎゅうぎゅう詰めにして無理に早帰りしなくても。何かあればお医者くらいメイドに呼ばせられるでしょうに」

 そこにはキッドへの皮肉が潜んでいたが、リゼの耳を素通りしてしまった。あちこちで聞き慣れてしまって気に留めない癖もついていたのかもしれない。

「でもまだ本調子じゃないみたい。持病もあるから心配なのよ」

 先日の医者の言葉も不安の種だった。それを払うにはできる限り彼の側にいてやることくらいしか彼女に術はない。

「そうだ。新作のパイを三つ取り分けてもらえる? 後で持って帰りたいの」

「あら三つ?」

「そう。彼のお母様がいらしているの」

 食事を終えて一息ついた。その後は出荷に追われている仕事を手伝った。果実を煮詰める釜のいい匂いが漂う。そんな中立ち働いていると、忙しくても自分は充実していると思った。

(キッドは外出もままならなくて……)

 夫の境遇とつい比べ、リゼは気の毒で胸が痛んだ。

「若社長、お客さんですよ」

 その声に顔を上げる。そうだった。新たに雇い入れるメイドの面接があった。都合がいいから工房に来てもらうことにしてあった。

 家事を行うメイドとは別で、キッドの世話をメインで頼める人を斡旋所に頼んでいた。「介護や看護経験のある人を」とのリゼの注文に、

「技能があるとお給金は高くなりますよ」

 と言われていた。しかし必要な経費で惜しむ必要はない。リゼが気に入っても最終的には夫に決めてもらうつもりだった。彼が長く接する人になるのだし、気の合う人がいいだろうから。

 この日の面接は当てが外れた。乳児を抱えた人が現れ、子供の面倒を見ながらという条件はリゼにはのめなかった。キッドは赤ちゃんの泣き声が嫌いだ。そもそもキッドの世話が二の次になる恐れもある。

 仕事を切り詰めて帰宅を早めた。キッドは元気にしていた。リゼがパイを忘れずに持ち帰ったことで嬉しそうだ。

 メイドから家事を引き継ぎ夕食の支度をした。後は温め直すだけにしておく。

 夫の側に戻ったリゼにキッドが思い出したように言った。

「母さんが小遣いを欲しがっていたよ」

「……今月の仕送りは済ませたのだけれど」

「物入りらしくてね。再婚相手は吝嗇家だってこぼしていたよ」

 返事が遅れた彼女をキッドが怪訝そうに見る。そんな表情を向けられると、彼女は自分の間違った場所を見つけられたようで心がざわざわとする。

「君は早くにお母さんを亡くしてしまっているから、僕の母を実の母親と思ってくれていいんだよ。母もそう言っている。気を使いたくないって。そこに甘えようよ。親子なら望みを叶え合うのは当たり前だろう?」

「そうね」

 リゼの母は彼女が十七の歳に亡くなっている。この母にはいい思い出があまりない。すること全てを否定されて育った。母から褒められた記憶は犬に噛まれて泣かなかったことくらい。

 暮れても姑は帰らない。空腹を感じる頃になって戻ってきた。酒の匂いをさせて機嫌がいい。昔なじみとパブで飲んでいたらしい。

 食卓に盛りつけたパイを並べた。温めたシチューも添える。

「母さん、このパイ絶品だよ。リゼのところで作っているものなんだ」

「へえ、変な形ね。あんたのお父さんの耳みたい。あははは。……あら、本当、美味しいじゃない。いける味ね」

「だろう? リゼはすごいよ」

「大したものね。わたしもお父さんにいつも言ってるの。キッドの奥さんは何でもできるのだってね」

「そんなことありません。周りに助けてもらっているばかりで」

 姑の言葉は酔いの影響もあるかもしれない。しかし飾らないそれが嬉しかったのは事実だ。どうあがいても冷たい否定が返された実の母には今も心で距離がある。

 褒めてほしくて母にまとわりついたのではなかったが、やはり褒めてほしかったのだと思う。

 今月の仕送りが済んだばかりでまた金の無心をされて、正直いい気分ではなかった。けれども、芯からリゼの反応を不思議がっているような夫に反論もできなかった。

(こんなお母様に育てられたのなら、わたしの母親のことなんか想像がつかないわ)

 父には従順で外面のいい人だった。「上品で優しいお母様」。それを疑う人は周囲にいなかった。彼女自身が母の否定を信じたくなかった。自分が上手くやれば、もっと頑張れば……。そんな思い出は今も苦く心の澱になって残る。

「明日は友だちに遠出しようって誘われているの。馬車を頼んでくれない?」

 馬車を貸し切ればちょっと痛い出費だ。決して出せない金額ではないが、リゼの感覚では自分に許さない贅沢だった。

「僕が当分どこにも行かない代わりに、母さんに頼むよ」

 キッドが右手をさすりながら言う。そんなことを言われれば、そう言わせてしまう自分の不甲斐なさも感じる。

(たまのことだし……)

 リゼは微笑んで後で頼んでおくと請け合った。



 メイドが決まった。斡旋所からの紹介で十人目だった。

 新しいメイド兼看護人はリゼが仕事に出かけるのと入れ替わりに家にやって来る。リゼより二つ三つ年上の落ち着いた女性だ。ちょっと憂いのある感じの美人で、出自を聞けばなるほどと頷けた。

「父方は男爵家の出です。爵位を継げず分家もできず……。市井に紛れてしまえば、貴族もありませんわ。父は剣の指導で身を立てていましたし、母も山のように仕立ての内職をしておりました」

 本人も家庭教師を勤めていたという。今回応募したのは給金の良さがあったと告げた。一度結婚し、相手の裏切りにあって別れているのだとか。

 夫の意見も聞き採用を決めた。キッドには貴族の出というのが決め手になったようだ。

「教養のある人のようだし、そういう人と文学の話などできると楽しいな。看護といっても僕は身の回りのことは自分でこなせるからね。その技量にそう重きを置いていないんだ」

 フランという看護人と夫は気が合うようだった。外に出辛い夫にはいい気晴らしになるようだ。

 リゼが帰宅するまでいてくれるし、夕食時の話題にフランのことがよく上がるようになった。リゼは工房のことを話し、夫はフランとの会話などを教えてくれる。心なしか夫の顔色も明るくなったようで、心が軽くなる。

「気持ちの問題もあるのかしら? あなたあまり腕をさすらなくなったもの」

 リゼが指摘すると夫はさっと頰を強張らせた。彼女から目を逸らし、

「痛むのは痛いんだ。ただ、我慢しているだけだのに。僕を追い詰めるようなことを言わないでくれないか。身体の弱さを責められている気がして不快だよ」

「違うの。ごめんなさい。そんなつもりじゃないの。少しでも良くなったのかと、嬉しかっただけよ。あなたが忍耐強く不調を堪えているのはわかってるもの」

「働いて疲れている君にあまり心労をかけたくないから、僕なりにできる心配りだった。本当は動かすのも辛い時もある。それを言ったって、健康なリゼにはわかってもらえやしないだろうけれども」

 機嫌を損ねてしまった夫を宥めるのに、リゼは泣きながら詫びた。不用意な思いやりのない発言だったと悔やんだし、謝った。

 その晩は何とか機嫌を取り結び、仲直りができた。

(持病のあるキッドの気持ちを深く考えてあげられなかったわ)

 と反省しきりだ。

 それから数日後、帰宅したリゼが仕事を終えるフランに打ち明けられた。

「ご主人、奥様に少しきつく当たり過ぎたかも、と悩んでおいででしたわ。具合の悪さから苛立たれる患者さんは多いですから。全てを受け取らずにお話の半分、もしくは三分の二程度で聞き流しておあげになるとよろしいのかも」

「そうなの……」

「ご主人は奥様のおかげで何不自由のない今の暮らしができるのだと、感謝もされていましたわ。わたしもご立派な奥様だと思いますもの」

「そんな……、やれることをやっているだけよ」

 リゼはキッドへの配慮の足りなさを責めていたが、フランの言葉に慰められた。彼からあまり感謝を伝えられたことはない。当然のことで彼女も求めたこともない。しかし、今第三者から彼の真意を聞くとやはり嬉しかった。工房の樽が壊れた始末に皆で散々だったが、その疲れも吹き飛ぶようだ。

(わたし、やっぱりキッドが好き)

 フランを見送った後で居間に駆けて行った。暖炉の側に座るキッドに背後から抱きついた。

「どうしたんだい?」

「ううん、ありがとう」

「何もしていないよ」

「それでいいの」
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