5 / 47
キッド
2
しおりを挟むキッドが小説を書き出した。元々新聞社で記事を書いていた人なので素養もありそうだ。それが彼の生活の張りになればいいと、リゼは芯から応援した。
内容を聞いても、
「ある程度まとまってから話すよ」
と教えてくれない。フランには相談もしているようなのに。こればかりは寂しく思った。先だってのハガキの件で、日々のことに屈託はあるのは知れた。そこからの行動なのは想像できるから問いかけ辛い。
キッドは創作欲が溢れるのか、深夜にも執筆している気配もある。意欲的なのは嬉しいが、無理が身体に障らないかだけは気がかりだ。本人にも声をかけ、フランにも気を配ってくれるように頼んだ。
そんな日々に、キッドに持ちかけられた。
「フランを住み込みに頼めないかな。実は夜更けに発作的に痛み出してどうにも辛いことがある。自分で何とかしようにもそんな時は決まって動悸もするし、下手に動けないんだ」
思いがけない申し出にリゼは一瞬呼吸も止まった。
「わたしを起こしてくれたらいいのに。いつだって構わないのよ」
「君は翌日も仕事で忙しいだろう。夜も僕の世話をしていれば、君が倒れてしまうよ」
「わたしは平気。強いわ。丈夫にできているの」
キッドは困ったようにちょっと笑う。実は彼女を起こすために何度も声をかけたが、起きてもらえなかったという。
「それは……、ごめんなさい。わたし……」
「いいんだ。リゼは仕事で疲れているから。眠りが深いのはしょうがない。だから、フランにその代わりをお願いしようかと思う。もう決めたことなんだ。彼女の了承も得ている」
「え」
フランはリゼと入れ替わりに先ほど帰って行った。しかし彼女は何も言わなかった。キッドからこのことを伝えてもらった後に、との配慮だったのかもしれない。しかし、住み込みになれば給金の変更だってある。それはリゼの管轄で、確認すべきことだってあっただろうに。
(キッドが言い値を払うと伝えたのかもしれないわ)
ほっそりとため息をつく。
夫が「もう決めたこと」と言ったからには彼女の言葉は届かない。
「彼女がいてくれれば創作の話もできるしね、それもありがたいことなんだ。博識で時代考証も指摘してくれて実に助かっているよ。君には教養の点は期待できないからね、悪いけれど」
リゼは中流のお嬢さん向けのフィニッシングスクールを出ただけだ。家庭教師を務めていたフランにはきっと学識の点では遠く及ばない。そんなところも夫が彼女を重宝する理由に違いない。
「部屋を掃除しないと……」
あきらめの境地で口にした。フランが住み込みの勤めになるのなら居室が必要になる。家自体は大きいが、住まいにしている階以外は人に貸し出している。なので余分の部屋は一つしかない。姑が来た時に泊まる手狭な客間だ。今後姑が宿泊する際は近場に宿を取るしかない。
「これはアイディアなんだけど。君の寝室をフランに使ってもらうのはどうだろう。僕の部屋と隣り合っているし、緊急の時にも呼び易いから」
「それは……」
さすがにリゼも異論の声が出た。主人が寝室を使用人に譲るのはおかしいだろう。夫の言う利便性もわかるが、拒否感がある。
「呼び鈴の工事をしてもらうわ。あなたが紐を引けば客間に伝わるように」
「それで、真夜中に彼女が寝巻き姿で玄関前の廊下を通り居間を抜けて、更に廊下を歩いて僕の寝室に介護に来るのかい? 妙齢の婦人に気の毒ではないかと思うね。隣の部屋ならものの十秒でノックでいるというのに。ちょっと人の尊厳を軽んじて思える」
その声はリゼをなじる色合いがにじんでいた。正しいことを自信を持って言う時の夫の声だ。
(それは間違っていないけれど……)
妻である彼女がその「妙齢の婦人」に寝室を譲る気持ちは汲んでもらえないのか、と喉元まで出かかった。しかし苦い思いでそれをのみ込んだ。
代わりに遠回しな非難が口を出た。
「お義母様がいらしたら困るわね。お泊まりになれないわ」
「それは僕も悩んだよ。母はこの家を別宅と考えているから歓迎してあげたい。でもいい案がある。君の客間にマットレスを入れれば、女性なら窮屈な思いをせずに二人は眠れるよ。二人は親子なんだから寝室を同じくするのはちっとも変じゃない。こんな当たり前のことに遅れて気づくなんて、僕も迂闊だったよ」
思わずしゃっくりのような変な声が出かけた。口元を手で抑え彼から顔を背けた。この時ばかりは夫の言葉に頷きを返すのが難しかった。
キッドはリゼの沈黙を納得と取ったようで、満足げに本を開いた。
もやもやした思いが胸を占める中、彼女はバスを使いに居間を出た。気持ちは乱れて落ち着かないが、せめて身体だけでもさっぱりとしたかった。『行動に気持ちはついてくる』。亡父の持論だった。時に思い出すそれをこの時呪文のように胸で唱えた。
熱い湯を頭に浴びながら、
「お父様の嘘つき」
と呟く。髪を洗っても身体を湯に浸しても、心は晴れなかったからだ。
30
あなたにおすすめの小説
大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!
古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。
その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。
『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』
昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。
領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。
一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――
ブスすぎて嫁の貰い手がないから閨勤侍女になれと言われたので縁を切ります、完全に!完全縁切りの先にあったのは孤独ではなくて…
ハートリオ
恋愛
ルフスは結婚が決まった従姉の閨勤侍女になるよう父親に命令されたのをきっかけに父に無視され冷遇されて来た日々を終わらせようとブラコン父と完全に縁を切る決意する。
一方、従姉の結婚相手はアルゲンテウス辺境伯とのことだが、実は手違いがあって辺境伯が結婚したいのはルフス。
そんなこんなの異世界ファンタジーラブです。
読んでいただけると嬉しいです。
2/26 番外編を投稿しました。
読んでいただけると嬉しいです。
思っていたよりずっとたくさん読んでいただいていてとても嬉しいです。
とてもとてもありがとうございます!!
【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】
佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。
新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。
「せめて回復魔法とかが良かった……」
戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。
「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」
家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。
「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」
そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。
絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。
これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。
処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!
秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。
民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。
「おまえたちは許さない」
二度目の人生。
エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。
彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。
1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。
「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」
憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。
二人の偽りの婚約の行く末は……
婚約破棄された公爵令嬢ですが、戻らなかっただけです
鷹 綾
恋愛
王太子カイル殿下から、社交界の場で婚約破棄を言い渡された公爵令嬢リュシエンヌ。
理由は――
「王太子妃には華が必要だから」。
新たに選ばれたのは、愛らしく無邪気な義妹セシリア。
誰もが思った。
傷ついた令嬢は泣き、縋り、やがて戻るのだと。
けれどリュシエンヌは、ただ一言だけ告げる。
「戻りません」
彼女は怒らない。
争わない。
復讐もしない。
ただ――王家を支えるのをやめただけ。
流通は滞り、商会は様子を見始め、焦った王太子は失点を重ねる。
さらに義妹の軽率な一言が決定打となり、王太子妃候補の座は静かに消えた。
強いざまあとは、叫ぶことではない。
自らの選択で、自らの立場を削らせること。
そして彼女は最後まで戻らない。
支えない。
奪わない。
――選ばれなかったのではない。
彼女が、選ばなかったのだ。
これは、沈黙で勝つ公爵令嬢の物語。
ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように
柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」
笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。
夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。
幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。
王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。
婚約者チェンジ? 義理の妹は公爵令嬢の地位もチェンジされました』 ~三日で破談、家ごと褫奪の末路です~
ふわふわ
恋愛
「お姉様の婚約者、私がいただきますわ。だって“公爵令嬢”ですもの」
義理の妹コンキュはそう言って、王太子との婚約を奪いました。
父はそれを容認し、私は静かに受け入れます。
けれど――
公爵令嬢とは“地位”ではなく、“責任”の継承者。
王宮で礼儀も実務も拒み、「未来の王太子妃」を名乗った義妹は、わずか三日で婚約破棄。
さらに王家への不敬と統治能力の欠如が問題視され、父の監督責任が問われます。
そして下されたのは――家ごとの褫奪。
一方で私は、領地を守り、帳簿を整え、静かに家を支え続ける。
欲しがったのは肩書。
継いだのは責任。
正統は叫びません。
ただ、残るだけ。
これは、婚約を奪われた公爵令嬢が
“本当に継がれるべきもの”を証明する物語。
砕けた愛
篠月珪霞
恋愛
新婚初夜に男に襲われた公爵令嬢エヴリーヌは、不義密通の罪を被せられた。反逆罪に問われた彼女の一族は処刑されるが、気付くと時間が巻き戻っていた。
あなたへの愛? そんなものとうに、砕け散ってしまいました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる