15 / 47
空虚さを抱いて
3
しおりを挟む次の支配人との約束までリゼは商品の試作を繰り返した。従来より小型にしたボトルを飾るため、布に包んだり紙で巻いたり、あれこれと試した。
人の意見も聞いた結果、くるんとレースを巻く形が一番上品に思われた。仕上がったそれを持って再び商談に入る。
「この状態の品を一度に幾つお願いできますか?」
「ご予約の前日までに百はご用意可能です。当日にずれ込むこともありますが、多少の融通は利きますのでご安心を」
「なるほど。こちらも特色のある品をと考えあぐねていたので満足です」
支配人はあまり迷いもなく契約を決断してくれた。これまでの売り込みに比してあっさりと成果が出た。興味があると呼ばれて出かけても、契約に至らずに終わることは多々あった。予想以上の結果に帰路は足が軽い。
しかも、とりわけ嬉しいのが一度きりの契約でないことだ。
「まず三ヶ月の取り決めでどうでしょう。定期の催しが月毎にあり、それに併せて発注をいたします。互いに支障がなければその後も引き続き更新ということで。後、この品を卸すのはホテルではうちだけでお願いします」
「ありがとうございます。ええ、願ってもないことです」
今も幾つか卸し先はあるが、定まった販路が増えるのは何よりありがたかった。一つ一つ丁寧な梱包でそれ専用の人員も要る。今の従業員だけでは追いつかないかもしれない。新たに求人をかける頃合いのようだ……。
リゼはその足で新たな契約にちなんだ用を済ませに回った。つき合いの長いガラス舎に行き容器の相談をしてから布地問屋でレースを物色した。工房に戻る頃には日も暮れかけ、早上がりの者は帰宅した後だった。
「ホテルの大きな仕事が取れたの」
残っていた皆に報告してお茶で乾杯をした。
離婚後は帰宅を急ぐ理由はなかったが、今は子猫のピッピがいる。辻馬車に乗りいつもの停車場で降りた。表通りではなく近道に裏通りを使った。子供はもう遊んでいないが、人や自転車の往来はある。家の付近でふと風に乗ったタバコの煙を感じた。何となく振り返ると、どこかのバルコニーに人影がある。点とともった小さな火が見えた。
振り返った彼女と手すりにもたれた辺りを眺める誰かの視線が重なるように合った。家からの明かりで薄く姿が浮き立っている。
知らない誰かがリゼへ手を振った。
「ご近所さん」
つられて彼女も小さく手を挙げ応じた。それだけのこと。
家はすぐだ。玄関から入るとその音でもうピッピが駆けてくる。抱き上げてやりながらキッチンに向かう。帰宅まで待っていてくれるメイドに上がるように告げた。以前から同じメイドだが、一人になったリゼにはより手の込んだ美味しいものを作り置いてくれている気がした。
寝室でショールや帽子を取り戻る。そこで思い出した。再びキッチンに戻ると窓からさっきの誰かの姿がよく見える。何度かここでタバコを吸う誰かの人影を眺めたことがあったっけ……。
リゼから手を振った。遅れて相手も手を振り返してくれる。
ささやかな出来事で食事を済ます頃には忘れていた。
「ご近所さん」の人物には二日後に出会った。朝、停車場まで歩くリゼに若い男性が声をかけた。斜めがけのバックを提げた彼はリゼに微笑んだ。
「初めまして、の感じがしませんね。でも初めまして」
蜂蜜色の髪が日の光に眩しく映えた。彼はテリア・ゼニファーと名乗り大学の講師をしていると言った。
「あなたを何度もお見かけしたことがあります。いつも急ぎ足だから、忙しい人なのだと思っていました」
「せっかちなだけ。急がないと馬車に乗り遅れるのじゃないかと思って」
せかせかした姿を見られていたことが恥ずかしい。何となく連れ立って歩いた。テリアが話を絶やさず、それが停車場まで途切れなかった。
「では、いい一日を」
手を振る彼に応じてリゼは馬車に乗った。いつも前のめりに歩く道も連れがいたため緩い歩調になった。それでも馬車には十分間に合った。
キッドが彼女を「小鼠」とたとえたことはまだ忘れられない。でも自分の癖がそう連想させるのだとも気づいた。今は一人身で時間のゆとりがある。
(せかせかは必要ないわ)
新たな知人は彼女に己の仕草を振り返る余裕をくれた。
近所のテリアとはそれからも会った。彼が本屋から出るところと彼女が入るのがかち合ったり。荷物を抱えた彼女を追いかけた彼が手伝ってくれることもある。
これまでもすれ違っていたことは多々あったはず。しかし意識せず通り過ぎてきた。視界に入ったのはリゼの生活が変わったからだ。一人になり帰宅時間がずれたし、気ままに買い物する機会も増えた。またキッドと別れる前であれば、知らぬ男性に手を振り返すなど決してしなかったはず。
友達が増えたようなもので、不意の偶然はリゼには楽しかった。
ある日の仕事帰りにも声をかけられた。話しながらゆったりとした歩調で並んで歩く。テリアは自分の講師の仕事のことや家族のことを話した。
「伯父の持ち物だった家を相続して住んでいます。大学にも通い易くなって快適ですよ。それ以前は馬車と自転車でニ時間近くかかっていたのに。僕はトネルコ出身なんです」
「まあ、郊外のトネルコならわたしも馴染みがあります。家の農場がある場所だから。ご家族は今もそちらに?」
テリアは意外な接点に目を瞬いた。
「ええ、両親と弟が住んでいます。あの辺りは領地が込み入っているからもしかしたら、あちらでもご近所かもしれませんね」
「我が家の地所は領地と呼べるほどの規模じゃないんです。果樹園を持っている程度で領主館もありませんわ。テリアさんのところは領主様のお家なのね」
「僕は伯父の家を継いだので領主館は弟のものです。テリアと呼んで下さい。僕もリゼと呼んでも構いませんか?」
「ええ、もちろん」
「では、あなたの工房で使う果物は皆その果樹園から? なら、実に合理的ですね」
「せっかくの果物を腐らせてしまうのが惜しくて、父が始めたことです。やっと軌道に乗ってきたところ。ちょっと前に運よく大きな契約を結べて嬉しいんです。人手を募ろうかと悩み中です」
「それはすごいな。こんなご婦人がいらっしゃるだなんて。レースを編んだり刺繍をしたりするのがご婦人と思っていたのに。いや、それだって僕には逆立ちしたってできないが」
「わたしもそちら系は不得手です。大学で難しいことを教えている学者のあなたの方がずっとすごいと思いますけど」
「いやちっとも。大学には僕みたいなのがごろごろしていますよ。世間知らずで自分だけが賢いという顔をした輩が」
テリアは辛辣に学者を評したが、リゼには彼を決してそうは思わなかった。生物の研究をしていると聞いたが、それについて話すときは表情は活き活きとし自信もうかがえた。上流と言っていい男性だが、尊大なそぶりもない。
彼女はこれまでキッドしか男性を知らずにきた。幼なじみで初恋の人。他の男性の存在は眼中になかった。彼より魅力的な男性はいない。そう信じ込んできた。裏切られて破局に至った後もその思いは残る。
(でも……)
キッドとは違ったタイプの違う魅力を持った男性はいるのだと思った。
「こんなことを言い出して、気味悪がられたりしないといいが……。ある夜会に行くことになっています。大学の教授からの筋の話で断れない。リゼ、僕と一緒に行ってもらえませんか?」
思いがけない言葉だった。男性の誰かから誘われるなど絶えてなかった。離婚後も自分にそんなことがあるとは想像できなかった。
驚きと妙な感動で答えが遅れた。それをテリアは拒絶と受け取ったのか、苦笑いを見せた。
「ほら、おかしな男だと思ったでしょう?」
「いえ、その……、驚いたの。とても……、だから……」
「だから?」
「……ええ。あの、…喜んで」
81
あなたにおすすめの小説
処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!
秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。
民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。
「おまえたちは許さない」
二度目の人生。
エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。
彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。
1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。
「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」
憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。
二人の偽りの婚約の行く末は……
【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】
佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。
新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。
「せめて回復魔法とかが良かった……」
戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。
「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」
家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。
「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」
そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。
絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。
これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。
ブスすぎて嫁の貰い手がないから閨勤侍女になれと言われたので縁を切ります、完全に!完全縁切りの先にあったのは孤独ではなくて…
ハートリオ
恋愛
ルフスは結婚が決まった従姉の閨勤侍女になるよう父親に命令されたのをきっかけに父に無視され冷遇されて来た日々を終わらせようとブラコン父と完全に縁を切る決意する。
一方、従姉の結婚相手はアルゲンテウス辺境伯とのことだが、実は手違いがあって辺境伯が結婚したいのはルフス。
そんなこんなの異世界ファンタジーラブです。
読んでいただけると嬉しいです。
2/26 番外編を投稿しました。
読んでいただけると嬉しいです。
思っていたよりずっとたくさん読んでいただいていてとても嬉しいです。
とてもとてもありがとうございます!!
婚約破棄された公爵令嬢ですが、戻らなかっただけです
鷹 綾
恋愛
王太子カイル殿下から、社交界の場で婚約破棄を言い渡された公爵令嬢リュシエンヌ。
理由は――
「王太子妃には華が必要だから」。
新たに選ばれたのは、愛らしく無邪気な義妹セシリア。
誰もが思った。
傷ついた令嬢は泣き、縋り、やがて戻るのだと。
けれどリュシエンヌは、ただ一言だけ告げる。
「戻りません」
彼女は怒らない。
争わない。
復讐もしない。
ただ――王家を支えるのをやめただけ。
流通は滞り、商会は様子を見始め、焦った王太子は失点を重ねる。
さらに義妹の軽率な一言が決定打となり、王太子妃候補の座は静かに消えた。
強いざまあとは、叫ぶことではない。
自らの選択で、自らの立場を削らせること。
そして彼女は最後まで戻らない。
支えない。
奪わない。
――選ばれなかったのではない。
彼女が、選ばなかったのだ。
これは、沈黙で勝つ公爵令嬢の物語。
ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように
柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」
笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。
夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。
幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。
王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。
大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!
古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。
その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。
『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』
昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。
領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。
一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――
婚約者チェンジ? 義理の妹は公爵令嬢の地位もチェンジされました』 ~三日で破談、家ごと褫奪の末路です~
ふわふわ
恋愛
「お姉様の婚約者、私がいただきますわ。だって“公爵令嬢”ですもの」
義理の妹コンキュはそう言って、王太子との婚約を奪いました。
父はそれを容認し、私は静かに受け入れます。
けれど――
公爵令嬢とは“地位”ではなく、“責任”の継承者。
王宮で礼儀も実務も拒み、「未来の王太子妃」を名乗った義妹は、わずか三日で婚約破棄。
さらに王家への不敬と統治能力の欠如が問題視され、父の監督責任が問われます。
そして下されたのは――家ごとの褫奪。
一方で私は、領地を守り、帳簿を整え、静かに家を支え続ける。
欲しがったのは肩書。
継いだのは責任。
正統は叫びません。
ただ、残るだけ。
これは、婚約を奪われた公爵令嬢が
“本当に継がれるべきもの”を証明する物語。
砕けた愛
篠月珪霞
恋愛
新婚初夜に男に襲われた公爵令嬢エヴリーヌは、不義密通の罪を被せられた。反逆罪に問われた彼女の一族は処刑されるが、気付くと時間が巻き戻っていた。
あなたへの愛? そんなものとうに、砕け散ってしまいました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる