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罪のありか
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しおりを挟む『オレアンダー・ホテル』の支配人との商談を終え、リゼは席を立った。工房とは試用期間の契約も満了し本契約に入っていた。
ホテルとの取引を始めて工房の品を知ってくれる人が増えた。「美味しいけど、どこで買えるのかわからない」といった問い合わせも多い。それら効果は売り上げにも作用し、これまで一番の利益を上げることができた。
ホテルとの契約に関してオーナーであるエルが彼女への同情から便宜を図ってくれたと、変に意固地になったことがあった。少し前のことであるのに、そんな過去の自分が幼く思えた。事業をし人を雇い重い責任を負っている。「使えるものは使えばいいのに」と忠告してくれたエルの言葉は、今ではすんなりと納得できた。
彼の娘のブーケとも親しくなり、ショパン婦人を含めた家族ぐるみのつき合いもある。立派に事業を引き継ぎ経営している手腕は見事だと思うし、また亡くなった兄の子を実子として育て続ける姿には尊敬の念も湧く。
(ちょっと近づきがたいし、友人とは思えないけれど)
ほどよい距離感を保てれば、今のいい関係が続くだろう。
「失礼」
ロビーの中ほどで声がかかった。顔を向けると当のエルが立っている。彼のホテルなのだからいてもおかしくない。リゼは挨拶し言葉を待った。
「支配人からあなたがいらっしゃると聞いて降りてきた。この後少しお時間をもらえませんか?」
「ええ、構いませんわ」
「では僕のオフィスへ。お茶をいかがです」
「ありがとうございます」
そう促され、彼についてロビー中央の階段へ向かった。そのリゼの腕を背後からつかむ人物がいた。
彼女がぎょっとして振り返るとそれは元義母だった。走ってきたのか息を荒げてつかんだ腕を強く引いた。リゼは痛みと驚きですぐには声も出なかった。
甲高い声が叫ぶように言う。
「……んたっ! こんなもの寄越して、どういうつもりなの?! こんな手紙で縁が切れると思ったら、そうはいかないんだから!」
「…お義母様…」
側のエルが間に入り元義母の腕を外させた。お客で賑わっていたロビーの喧騒が止み、全ての視線がこの騒ぎに集められた。
元義母は目の縁を赤くしてリゼをにらむ。彼女は事態がのみ込めない。なぜ元義母がここに現れたのか、どうして怒った様子なのか。
「このご婦人は、元のご主人の母上ですか?」
エルが彼女に囁くように問いかけた。なぜわかったのか不思議だったが、先ほど彼女自身が「お義母様」と呼びかけていた。
「ええ、そう……」
「では、ちょうどいい。リゼにお茶を勧めたところです。あなたもよろしければぜひ」
エルは元義母へも声をかけた。何が「ちょうどいい」のかリゼにはわからない。しかし、この場での揉め事は彼女だけでなくエルにとっても迷惑だ。
急な誘いに元義母は勢いを削がれたように見えた。リゼ一人と見たのが、別な人物の登場に不意を突かれたのかもしれない。
オフィスに向かう道すがら、元義母は辺りをきょろきょろ眺めている。リゼ自身は落ち着かず、オフィスに着いてもお茶どころではなかった。彼女の居場所はおそらく工房で教わったの違いない。出先を告げなければと悔やんだが、まさかこんなことがあるとは想定外だ。
絵画を前にした椅子に元義母は座った。リゼはその斜向かいに。エルはデスクにもたれちょっと腕を組んでいる。
ボーイがお茶の支度を終え下がった。元義母は早速お茶に手を伸ばした。
「まあ、広くて立派なお部屋だこと。へえ……、特等のお客はこんなお部屋に通してくれるのね」
「お義母様、何のご用?」
「これのせいよ。一体何のつもり? 腹が立ってしょうがない」
元義母はバッグから紙を取り出した。リゼに投げつける。くしゃくしゃになったそれは、先日リゼが元義母に宛てて出した手紙だった。急な来訪を止めてほしい旨が書かれている。
「これの通りにしなかったら、キッドの医療費を払わないなんて、卑怯な脅しじゃない。随分冷淡な真似をするのね。どういうつもりよ。あの子に万が一のことがあってもいいの? 責任を取れるの?」
「そんなことは一言も……」
払う謂れのない要求だ。それを譲りに譲って支払っている。リゼの都合を度外視する振る舞いを止めてもらいたいだけだった。
床に落ちた手紙をエルが拾い、しわを伸ばしてから聞いた。
「読んでも?」
「ええ、お好きにどうぞ」
元義母はお茶を飲み菓子をつまんでいる。リゼが仕事でこの場を訪問しているとわかった上で、関係のない元義母は遠慮もなく茶菓子の接待を受けている。その姿は既に他人とはいえみっともなく、恥ずかしかった。
「これはリゼが悪い」
エルの声にリゼは顔を向けた。部外者の彼すら彼女を責めるのかと惨めな気分になった。目を伏せてため息をついた。ふん、と威勢のいい元義母の鼻息が聞こえた。
「グリア夫人(元義母の姓)」
手紙の宛名からエルはそう呼びかけた。
「リゼがあなたのご子息に医療費を払う必要は一切ありません。過去の関係において彼女の温情にすがるのなら、もっと上手くおやりにならないと。ざっと聞いただけでも十分な脅迫だ」
「嫌だ、脅迫だなんて、そんな……」
「僕が今このベルで人を呼び、警察を呼んでくれと命じれば、そのまま逮捕案件だ。幸い警察には知己が多い」
「そんな物騒な……」
エルの言葉にすっかり慌てた元義母はリゼを見た。おもねるように笑いかける。リゼはその目を避けた。彼が彼女の味方をしてくれていることにほっとする。自分の中の違和感は間違いではなかったと、嬉しくなった。
「あなたがリゼに要求していることがどれほど悪質か、まだおわかりにならないのなら、もう司直の手に委ねた方がよさそうだ」
彼はベルを手に取り軽く振った。リンと高い音がなり響いた途端、元義母は弾かれたように立ち上がり、バッグを手に飛び出して部屋を行った。
空いたドアからその背にエルは追うように、
「恥を知れ」
と更に低く怒鳴りつけた。声の厳しさにリゼは首をすくめた。エルは元義母と入れ替わりにやって来たボーイに首を振って返した。
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