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本編第三部「暁の王子と食客」
4 賑やかな朝
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――王子とキュリオの触れ合いは、幾年かに渡って長く続いた。
様々な事を学び身に着け、あどけない声は成長期を迎え低さを備えるようになり、背丈は気付けばキュリオのそれを越えていた。離れ家に住まう美しい食客がこよなく慈しんだ幼く愛らしい王子は、凛々しい変貌を遂げて大人びた落ち着きを見せるようになった。
――当然ながら無邪気な遊びに興じる時間は減っていく。
それに反比例して、侍女の淹れる茶と手製の菓子を楽しみながら小難しい話題に興じたり、王とキュリオの手合わせや叔父への剣術指南に混ざり、木剣を振るう姿などが富に見られるようになっていく。
――そして、とうとう王子が成人の儀式を受ける前日の朝。
イグルシアスとラフィンの二人がキュリオの指南のもと、離れ家の庭先で剣術の手合わせを行っていた。
「うわあ! む、無理、無理だから! もう少しゆっくり頼むよ!」
「怯えないでしっかり剣を構えてください。叔父上っ」
多少の上達を見せてはいるのだが、相変わらず剣術はおっかなびっくりで不得手なままのイグルシアスは、甥の成長ぶりにたじたじである。小奇麗に切りそろえた上品で控えめな口髭を生やすようになり、齢を重ねた男の渋みが加わった彼の顔立ちは、若い頃とは違った色男ぶりだ。
「遠慮がなさ過ぎるよラフィン! 僕はか弱いのだからねっ」
相変わらず軽い口調だが、そこはかとなく人当たりの良い柔らかな響きがあり、それが軟派な次男坊イグルシアスらしい魅力となっていた。
「今日のところは、この辺で仕舞いにしておこうかね。イグルシアスの方は限界の様であるし、時間も頃合いだ。ラフィンもこの後は色々と予定があるのだから……」
手合わせを見守っていたキュリオは、息を切らしているイグルシアスの肩を軽く叩いて「お疲れさま」と、微笑みながら彼なりの健闘を労った。続いて王子の傍らに近寄り「立派になったね」と、しみじみとした口ぶりで言いながら見上げる。
「子供の成長というのは早いものだ。もう成人になるとは信じられないよ。私の足にしがみついて泣いていた子だとはとても思えないね。……あんなに小さかったのに」
キュリオは少々寂し気な声音で言いながらも王子の成長を喜び、わずかに赤みがかった金髪を、さらさらと弄ぶ様にして頭を撫でて愛し気に目を細める。そんな彼の姿は、変わらず若い青年のままだ。
「は、恥ずかしい事を思い出させないで下さいっ……」
幼い頃にそうされたのと変わらず、優しく撫でてくるキュリオの手を避ける事はせず、されるままに頬を赤く染めるラフィン王子。
「ラフィンったら、照れるなんて可愛いなぁ」
「揶揄わないでください叔父上っ!」
「あはは! その顔、兄さんそっくりだね」
「ち、父上と一緒にしないで下さい!」
それを見て冷やかすイグルシアスに、ラフィンは眉を吊り上げて木剣を構えて見せるが、彼は逃げようともしないで楽し気に腹を抱えて笑い転げるばかり。
「ふふ。大きくなっても私にとって君は、いつまでも可愛い王子のままだよ。ああ、それにしても、本当に顔だちが父上に良く似てきたね。もっとも、リヤの若い頃は君と違ってなかなかに砕けた感じの人だったけれど。君は随分と畏まった子に育ったね……」
つられて笑いながら言うキュリオに、ラフィンは構えを解いて向き直る。
「畏まったなどと……。これが普通ですよ。キュリオ、貴方は私にとって、友であり、それ以上に敬うべき恩師なのですから」
「そうかね? 只管一緒に遊んでいたのは確かだから、友と言ってもらえるのは嬉しいが、恩師とはまた大層な言葉だよ」
キュリオのそんな言葉に、王子は眉根を下げて大きく頭を振った。
「貴方ほど柔軟で深い教え方をして下さった方はいません。お陰で私は、より広い視野を持って、多くの事を学ぶ事が出来ましたから」
「勿体ない言葉をありがとうラフィン。君と遊んだ時間は、とても楽しかったよ。子供として生き直せた心地だった」
感謝と温かい慈しみを翡翠の瞳に宿して、優しく微笑むキュリオ。幼い頃より慕ってきた青年の見せる、その美しさに王子は見とれ、ほうっと陶然とした表情で溜息をつく。
「――キュリオ、成人の儀式が終わってからと思いましたが、先に告げさせてもらいます」
そうして、急に改まった顔になって木剣を稽古着の腰帯に収めると、流れるような動作で、両手でもって白い手を恭しく取り上げて自らの額に当てた後、手の甲にすっと口付けを落とす。
「……私が成人したらどうか、傍に仕えて――」
「うわああーっ! だ、駄目だ! それを言っては駄目! 何てことしてるんだい。……はあ、いつの間にか変な風に色気づいてしまって……。今のを兄さんが見たら大変な事になってしまうからね。ほら、手を放して」
ぎゅっと手を握りしめて、やや熱のこもった眼差しで言い出したラフィンの言葉を、大声で叫んで遮り、彼の手をぺしっと軽く叩いてキュリオから引き離すイグルシアス。
兄であり、王子の父であるリヤスーダ王の独占欲の強さを身をもって知っているだけに、甥の暴挙に素早く反応した彼の顔には、かなりの必死さが垣間見える。
「なっ、色気づいてとは何という言い方をするんですか! 私はただ、キュリオに傍に居て欲しいと言いたかっただけです!」
「ああっ、まったくこの甥っ子は……。キュリオは兄さんのだよ」
「くっ……! 私は諦めませんから!」
「やめて! そういう揉め事は勘弁して! 好きなものまで兄さんに似ないでよ!」
「叔父上っ! いちいち似ていると言わないでくれませんかっ! 大体が父上は――」
思いもよらない場で繰り広げられる、ラフィンのとイグルシアスとの騒々しいやり取り。
――キュリオは少しばかり驚いた顔はしたものの、直ぐにクスリと笑った。そして、賑やかなに言い合いを続ける彼らの姿を、を微笑まし気に見つめるばかりであった。
様々な事を学び身に着け、あどけない声は成長期を迎え低さを備えるようになり、背丈は気付けばキュリオのそれを越えていた。離れ家に住まう美しい食客がこよなく慈しんだ幼く愛らしい王子は、凛々しい変貌を遂げて大人びた落ち着きを見せるようになった。
――当然ながら無邪気な遊びに興じる時間は減っていく。
それに反比例して、侍女の淹れる茶と手製の菓子を楽しみながら小難しい話題に興じたり、王とキュリオの手合わせや叔父への剣術指南に混ざり、木剣を振るう姿などが富に見られるようになっていく。
――そして、とうとう王子が成人の儀式を受ける前日の朝。
イグルシアスとラフィンの二人がキュリオの指南のもと、離れ家の庭先で剣術の手合わせを行っていた。
「うわあ! む、無理、無理だから! もう少しゆっくり頼むよ!」
「怯えないでしっかり剣を構えてください。叔父上っ」
多少の上達を見せてはいるのだが、相変わらず剣術はおっかなびっくりで不得手なままのイグルシアスは、甥の成長ぶりにたじたじである。小奇麗に切りそろえた上品で控えめな口髭を生やすようになり、齢を重ねた男の渋みが加わった彼の顔立ちは、若い頃とは違った色男ぶりだ。
「遠慮がなさ過ぎるよラフィン! 僕はか弱いのだからねっ」
相変わらず軽い口調だが、そこはかとなく人当たりの良い柔らかな響きがあり、それが軟派な次男坊イグルシアスらしい魅力となっていた。
「今日のところは、この辺で仕舞いにしておこうかね。イグルシアスの方は限界の様であるし、時間も頃合いだ。ラフィンもこの後は色々と予定があるのだから……」
手合わせを見守っていたキュリオは、息を切らしているイグルシアスの肩を軽く叩いて「お疲れさま」と、微笑みながら彼なりの健闘を労った。続いて王子の傍らに近寄り「立派になったね」と、しみじみとした口ぶりで言いながら見上げる。
「子供の成長というのは早いものだ。もう成人になるとは信じられないよ。私の足にしがみついて泣いていた子だとはとても思えないね。……あんなに小さかったのに」
キュリオは少々寂し気な声音で言いながらも王子の成長を喜び、わずかに赤みがかった金髪を、さらさらと弄ぶ様にして頭を撫でて愛し気に目を細める。そんな彼の姿は、変わらず若い青年のままだ。
「は、恥ずかしい事を思い出させないで下さいっ……」
幼い頃にそうされたのと変わらず、優しく撫でてくるキュリオの手を避ける事はせず、されるままに頬を赤く染めるラフィン王子。
「ラフィンったら、照れるなんて可愛いなぁ」
「揶揄わないでください叔父上っ!」
「あはは! その顔、兄さんそっくりだね」
「ち、父上と一緒にしないで下さい!」
それを見て冷やかすイグルシアスに、ラフィンは眉を吊り上げて木剣を構えて見せるが、彼は逃げようともしないで楽し気に腹を抱えて笑い転げるばかり。
「ふふ。大きくなっても私にとって君は、いつまでも可愛い王子のままだよ。ああ、それにしても、本当に顔だちが父上に良く似てきたね。もっとも、リヤの若い頃は君と違ってなかなかに砕けた感じの人だったけれど。君は随分と畏まった子に育ったね……」
つられて笑いながら言うキュリオに、ラフィンは構えを解いて向き直る。
「畏まったなどと……。これが普通ですよ。キュリオ、貴方は私にとって、友であり、それ以上に敬うべき恩師なのですから」
「そうかね? 只管一緒に遊んでいたのは確かだから、友と言ってもらえるのは嬉しいが、恩師とはまた大層な言葉だよ」
キュリオのそんな言葉に、王子は眉根を下げて大きく頭を振った。
「貴方ほど柔軟で深い教え方をして下さった方はいません。お陰で私は、より広い視野を持って、多くの事を学ぶ事が出来ましたから」
「勿体ない言葉をありがとうラフィン。君と遊んだ時間は、とても楽しかったよ。子供として生き直せた心地だった」
感謝と温かい慈しみを翡翠の瞳に宿して、優しく微笑むキュリオ。幼い頃より慕ってきた青年の見せる、その美しさに王子は見とれ、ほうっと陶然とした表情で溜息をつく。
「――キュリオ、成人の儀式が終わってからと思いましたが、先に告げさせてもらいます」
そうして、急に改まった顔になって木剣を稽古着の腰帯に収めると、流れるような動作で、両手でもって白い手を恭しく取り上げて自らの額に当てた後、手の甲にすっと口付けを落とす。
「……私が成人したらどうか、傍に仕えて――」
「うわああーっ! だ、駄目だ! それを言っては駄目! 何てことしてるんだい。……はあ、いつの間にか変な風に色気づいてしまって……。今のを兄さんが見たら大変な事になってしまうからね。ほら、手を放して」
ぎゅっと手を握りしめて、やや熱のこもった眼差しで言い出したラフィンの言葉を、大声で叫んで遮り、彼の手をぺしっと軽く叩いてキュリオから引き離すイグルシアス。
兄であり、王子の父であるリヤスーダ王の独占欲の強さを身をもって知っているだけに、甥の暴挙に素早く反応した彼の顔には、かなりの必死さが垣間見える。
「なっ、色気づいてとは何という言い方をするんですか! 私はただ、キュリオに傍に居て欲しいと言いたかっただけです!」
「ああっ、まったくこの甥っ子は……。キュリオは兄さんのだよ」
「くっ……! 私は諦めませんから!」
「やめて! そういう揉め事は勘弁して! 好きなものまで兄さんに似ないでよ!」
「叔父上っ! いちいち似ていると言わないでくれませんかっ! 大体が父上は――」
思いもよらない場で繰り広げられる、ラフィンのとイグルシアスとの騒々しいやり取り。
――キュリオは少しばかり驚いた顔はしたものの、直ぐにクスリと笑った。そして、賑やかなに言い合いを続ける彼らの姿を、を微笑まし気に見つめるばかりであった。
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