久遠の魔術師は銀の魔剣を騎士に捧ぐ

ゆらり

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魔術師の悔恨

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 ――猛き騎士の守護する国として有名なシルラウド国には、一振りの銀色の魔剣がある。


 騎士団の管理下にあるその魔剣は、不可思議な力を持つ。

 魔剣を扱うのに相応しい者が手にすれば驚くほどに手に馴染み、凄まじい切れ味を発揮する。その逆であれば途端に岩のように重くなり、鞘から抜くどころか持ち上げることすら叶わない。

 百年前の戦において、もっとも勇敢な騎士であった英雄レニスが携えていた剣だ。

 騎士の友人であり同じく騎士だったフォラドが彼に与えたものだと伝えられているが、フォラドがいかにして魔剣を手に入れたのか……その経緯を知る者はいない。

 現在、シルラウドにおいて、この魔剣を扱えることが騎士団長となるための資格となっている。








 ――百年前。

 数多の秘術を極めた魔術師ルキウスは、生きあぐねていた。


 人間の寿命すら超越し、老いることも忘れ独りあてもなく世を放浪していた彼は、その果てに偶然足を踏み入れた下町の片隅で一人の少年と出会った。


 眩い銀髪をした、レニスという名の美しい少年だった。


 気の遠くなる年月の間に、美しい物などいくらでも見てきた。それだというのに、彼の生きる喜びに満ちた瞳の輝きに強く惹かれた。

 気品すら感じさせる美しさに反して、中身は豪快で無邪気な悪童だった。周りには彼を慕う沢山の仲間がいて、いつも笑いと喧騒があった。

 ……あんなふうに自分が笑ったのは、いつだっただろうか。
 
 姿を隠してレニスの様子を眺めているうちに、少しずつ彼に対する羨望や憧れが生まれていた。

 彼のように笑い、生きられたのなら……この色あせた日々も遠い昔の鮮やかな色を取り戻せるだろうか。ただ眺めているだけでは足りない。言葉を交わしともに笑い合える存在になりたい。

 そう、強く願うようになった。



 ――ルキウスはレニスに近しい存在になるために、まず俗世の器を探すことにした。

 生きることに絶望し、心に隙ができた人間がいれば好都合だ。そういった人間は己であることを容易に捨てて、他者に明け渡してしまうのだ。ほんの少しだけ、情けをかけてやればいい。




 ――ルキウスの求める人間は、すぐに見つかった。


 それは、しがない下級貴族の末子だった。
 
 庶子であることを理由に家人から虐げられていた末子――フォラドは、いつ終わるとも知れない苦しみと、未来への希望が見いだせない日々に疲れ、生きることに絶望していた。

 彼の境遇は、器にするのに好都合な状況だった。ルキウスはさっそく彼の夢枕に立ち、こうささやいた。

「――お前、自由が欲しくないか」

 固い寝床の上で毎晩のように涙を流し、頬を濡らしながら眠っていたフォラドは、びくりと体を震わせた。「う。ううっ……」と、苦し気に呻くが目覚めはしない。ルキウスが彼の意識を縛っているからだ。

「えっ……、だ。誰……ですか」

 夢の中で、フォラドは青白くも端正な顔立ちをした男の前に立っていた。カラスのような黒いローブに身を包んだその男に怯えながらも、その美しい顔から目を逸らせない。

「私はお前を救う者だ。恐れることはない」

「す、救う者……?」

 低く艶やかな声で語りかけてくる得体のしれない男に、フォラドは涙に濡れた顔に怯えの色をにじませた。

「辛いだろう。痛いだろう……? 傷を治してやろう。腹が空いているのなら、菓子もある」

 薄く微笑みながら、ルキウスは彼に仮初の愛情を与えた。

 だが、夢の中での出来事だ。目覚めれば元のあざだらけで痩せた自分に戻っている。

 それでも、フォラドにとっては夢で会える彼こそが、唯一の救いとなった。半分血の繋がった兄弟からのいじめや、実の父に娶られた血の繋がらない母親からの折檻によって疲弊していたフォラドの心は、容易く溶けていった。

「いつも、あ、ありがとうございます」

「礼はいい。……お前は、このままここで生き続けるのか。ぼろ切れのように扱われて、それでいいのか」

「うっ、うん……嫌だ。痛いし、苦しい……自由になりたいです。ここから逃げられるなら、僕はなんでもします」

「その言葉、違えることはないな」

「……はい、違えません」

「では、今この時から、私がお前だ。そしてお前は、その対価として何者でもなくなり、そして、何者にでもなれる力を与えよう。ここではない遠い地で、幸福を掴むがいい」

 この瞬間に、契約は成った。

 フォラドはフォラドではなくなり、ルキウスはフォラドになった。只人として生き、老いて死ぬことのできる器を手に入れたのだ。器が死なない限り、フォラドは魔術師に戻ることはない。

 そして、かつてフォラドであった者は、遠き地へと旅立っていった。彼が何者になり、どのような幸福を掴んだのかは……フォラドの知るところではない。幸福は、彼が仕業であって、フォラドが与えるものではないからだ。


 フォラドだった哀れな末子を虐げていた者達は、彼が入れ替わったことに気づかずに同じように虐げようとしたが……人の器を得たとはいえ、永き時を生き抜いて来た老獪な魔術師に敵うはずもなく、ありとあらゆる手段で返り討ちにされることになった。

 魔術など使わずとも、愚かな人間をあしらうことなど容易いことだった。






 ――こうして逆境を退け身軽になったフォラドは、レニスのもとへと向かった。


 広場で仲間と戯れる彼の前に進み出て、「レニス……だよね」と、初対面を装って近づいた。

「ん? なんだよ」

 仲間たちと笑っていたレニスの瞳が、初めてフォラドに向けられた。それだけで、フォラドはありえないほどの多幸感を感じた。やはり、レニスとともにありたい。レニスがいい。

 そんな思いを込めて、フォラドは頬を紅潮させて「君と友達になりたい!」と叫んだ。

「はあっ? いきなり何言ってんだよお前! 面白い奴だな!」

 弾けるよう彼が笑うと、周りの仲間達も彼と同じように笑った、それは嘲りの笑いではなく、からりとした邪気のない笑いだった。

 「いいぞ! 今日からお前も俺らの友達だ! いいよな皆!」

 仲間たちに言いながらレニスはフォラドの肩を抱いて、「よろしくな!」と、嬉しそうに笑った。


 そして、二人はすぐに打ち解けていった。


 剣術の真似ごとをしたり、隣町の子どもたちとの小競り合いに加わったりと少年らしいやんちゃな遊びに加わり、笑いながら過ごす日々は楽しいものだった。

 自身が魔術師であることを半ば忘れながら、フォラドはレニスが見せてくれる世界に浸った。



 ――いつしか、レニスとフォラドは唯一無二の友となっていた。



 レニスが老いて死ぬそのときまで、こうして友として二人で笑いながら生きていければ良い。フォラドの願いは、ただひたすらにそれだけだった。

 ……そのはずだった。



 ――少年から青年へと移り変わる頃。


「俺は、みんなを守れる、強い騎士になりたい!」

 騎士の真似ごとを好んでいたレニスが、ある日に木の枝を振り上げて叫んだ。

 彼は平民だが、実利欲次第では騎士になれるのだ。

「困ってる人を助ける、偉い騎士になるんだ。弱いもの虐めなんて許さないからな!」

「レニスらしいなぁ……」

 元々、卑怯なことが大嫌いで、弱者には優しい少年だった。大人になっても、誰かを助けられる強い存在になりたいと考えていたのだ。それが、レニスに騎士という道を選ばせたのだ。

「じゃあ、僕も騎士になる。君と一緒に皆を守りたい」

 彼とともにあるのが、フォラドの幸せだ。フォラドもまた、彼とともに騎士を目指すことになった。



 ――それから幾年かが過ぎて、レニスが結婚することになった。

「おめでとうレニス。幸せにね」

 簡素だが、仲間たちに囲まれた賑やかな婚礼の場に、フォラドの姿も当然あった。

 花嫁衣装に身を包んだ愛らしい女性を抱き上げてはしゃぐレニスに、フォラドは心からの祝福の言葉を贈った。愛し、愛される幸福に彩られたレニスの姿は、誰よりも美しく輝いていた。

「ありがとなフォラド! 子供が生まれたら、お前に名前つけてもらっていいか?」

「もちろん! レニスの子どもの名付け親になれるなんて、嬉しいよ!」

 この先にある彼の幸福を、自分も分かち合うことができる。

 その喜びに、フォラドはこれ以上ないほどに胸を高鳴らせた。


 ――そして、レニスに子どもが生まれた。


 目鼻立ちのはっきりした、玉のような赤子だった。

「……可愛いね」

 産着に包まれた小さな赤子は、レニスによく似た瞳をしていた。大切な友である彼の命が、こうして受け継がれていくのだ。そのことに、フォラドは例えようもない感動を覚えた。

「そうだろ! ほら、目の辺りとか俺にそっくりだ……。親になるって、うれしいもんだな」

 赤子を抱くレニスは、蕩けるような慈愛を滲ませた笑顔で、赤子を見つめている。父親の顔だ。こんな顔もできるようになったのかと、彼の成長を感じるのと同時に、その幸せそうな顔にフォラドもまた幸せを感じる。

「はは。レニスが父親だなんて、信じられないけどね。君がしてたみたいな悪戯を教えたら駄目だよ」

「お前なぁ、さすがに俺だっていつまでも悪ガキじゃないぞ。それに騎士だからな!」

 父親になっても、やはりレニスはレニスだ。にっと笑う顔は、少年のころと変わらない輝きがあった。

「で、フォラドはうちの可愛い娘に、なんて名前を付けてくれるんだ? 考えて来てるんだよな?」

「ふふ、それはもちろん! 何日も考えていたからね、考えすぎて眠れなくなるところだったよ」

「そっか! ありがとな! 早く教えてくれ」

「……レニスと奥さんの名前の意味から考えたんだ。凄くいい響きだから、きっと気に入る。……この子の名前は――」


 フォラドが考えた名前を聞いたレニスは、くしゃりと泣き笑いの顔になりながら娘ごとフォラドを抱き締めて「ありがとうな! いい名前だ!」と、言ってくれた。


 ――それからも、フォラドはレニスの友として在り続け、彼の幸せを我がことのように喜び、彼の幸福がずっと続くようにと願い続けた。


「フォラド、今日は俺ん家で食べていけよ」

 レニスとの関係は、より親しいものになった。同じ志を持ち、同じ仕事に就いたことで、共にいられる時間も増えた。この頃のフォラドは、幸せの絶頂のなかにいた。

「いいの? この前もお邪魔したばかりだよ」

 数日に一度はレニスの家族との団らんを楽しんでいる。妻も娘も、フォラドがいることに不満を感じるどころか、嬉しそうな顔をするのだ。この頃は、娘がフォラドの膝の上を気に入ってしまい、レニスが妬くほどにべったりだ。

「お前は俺の家族みたいなもんだろ。娘もお前に懐いてるしな。この前なんか、お前のお嫁さんになるなんて言ってたじゃないか! 俺は言われてないのにな!」

 がつんと拳を肩に入れられて、フォラドは思わず「痛っ!」と、声を上げた。

「痛いよ……。恨みがこもってるね」

「父親の恨みだ。思い知れ」

「あはは。……じゃあ、もっと恨みを買おうかな。今日はなにか美味しいお菓子でも買って帰ろうか。僕の可愛いお嫁さんへのお土産にね」

「なっ! 嫁呼びはまだ早いぞ! せめてあいつが大人になってからにしろ!」

「冗談だって。彼女が大人になる頃は、僕ももうおじさんだからね。きっと見向きもされないよ」

「わかるもんかよ、お前、いい奴だからな。お前をあいつが選んだら許す」

「あれ? 今から涙目? お父さんは寂しがりだね……」

「うるさい!」

「痛っ! ちょっと、殴り過ぎだよ」

 お互いに遠慮なく肩を拳で突き合って笑いながら、二人は菓子屋を目指した。



 ――魔術師だった頃のフォラドからすれば、すべてが他愛のない日々だった。


 だが、何ものにも代えがたい、幸せに満ちた日々だ。只人として、実直に日々を生きているだけで、こんなにも幸せになれるのか。フォラドにとって、レニスと生きる日々はいつまでも色あせることのない、美しく輝かしいものだった。


 レニスという幸せを形作るすべて……彼の選んだ優しく気立てのいい妻と、フォラドが名付け親になった愛らしい娘も……騎士たちや昔馴染みの仲間たちも……、皆が笑っていてくれれば……それで良かった。



 ――そして、国が戦乱に飲まれたとき。


 真っ先に剣を手に取り立ち上がった彼を止める事は出来なかった。それこそが彼の使命であり、妻子や生まれ育った国を守る一人の男として望んだ道だったから。

「俺はこのために騎士になったんだ! みんなを守るぞ!」

 戦場に向かおうとしている彼の顔には苦悩の影などなく、必ずこの国を守ろうと、獰猛なまでの勇ましい笑顔を見せて周囲の人々を奮い立たせていた。それもまた彼らしい姿だった。

「フォラド、お前も来てくれるか?」

 鎧に身を包んだレニスの、決意に燃えた瞳に見詰められたフォラドは強く頷いた。

「もちろんだ。僕も……皆を守るために戦うよ。君とならどこまでも戦えるさ」

「ありがとな……。絶対に生きて、勝とう」

「ああ、必ず……!」

 固く手を握り合い、額を合わせて見つめ合って誓った。



 ――どんなときでも、少年の頃から変わらない輝きにフォラドは再び惹かれていった。


 彼の力になりたかった。だが、人の器であるフォラドの身では、大きな戦の波を覆すことは容易ではない。かといって、仮初ではあるが彼が友人と見なしてくれている大切な器を捨てて、魔術師の姿には戻りたくはなかった。

 このまま、彼のそばにいることが、フォラドの最大の望みだ。幾千の血と命が失われようとも構うものか。

 魔術師として生きた長い年月のあいだに培われた知恵を生かしながら、フォラドは只人として……国を守る一人の騎士として、レニスを支えながら力の限り戦い抜いた。

 力を振るえないもどかしさに、器を投げ捨てようとしたことは何度もあった。だが、そのたびに、レニスの友であることを捨て正体を明かすことで起こる喪失を恐れて、踏みとどまってしまった。
 

 ――戦況は激しくなる一方だった。


 騎士たちの顔には疲労が濃く滲み、レニスもまた例外なく疲労が重なっている。戦局はこちらに優勢ではあるが、このままでは彼が命を落としてしまうかもしれない。



 ――レニスが生き延びることだけを望み、フォラドは秘蔵の魔剣を彼に与えた。


 鍛冶を得意とする妖精族に鍛えさせ、フォラド自身が魔力を注いだ逸品だ。折れず、刃こぼれすることもなく、いくらでも敵を切り裂ける力が込められている。

「こんな立派な剣があったのか。一体どうしたんだ」

 フォラドの与えた銀色の剣は、レニスの銀髪と美貌によく似合っていた。

「家宝みたいなものだよ。ずっと、隠してあったんだ」

「そんな大切な物を、俺に?」

 フォラドの万感の想いが込められた、レニスのためだけにあつらえた剣だ。彼以外には帯びて欲しくはない。

「君だからだよ。君に相応しい剣だ。僕が使うよりもきっと、役に立つ」

「わかった……凄い剣だな。これなら、いくらでも戦える……」

 これを持てばきっと、彼は生き残ることができるだろう。魔術を自在に振るえないまでも、フォラドも力を貸せばどうにか国を守り切れる目算とてある。

 魔剣を携えたレニスとともにフォラドは戦場を駆け抜けて、自らの手を血で染め、泥に塗れながら戦った。敵も味方も、弔いきれない夥しい屍を踏み越えて、守るべき国の為に罪を重ねながら。


 ――レニスに与えた魔剣は、あまりにも鋭く、強くあり過ぎた。


 彼が戦い続けられる限界を、遥かに超えてしまったのだ。どんなに疲れていても、腕さえ動けばいいのだ。力ない一振りでも、簡単に敵を屠れる。

 どれほど強固な鎧に身を包んだ戦士であろうとも、レニスの前にはただの紙切れ同然だった。戦神が乗り移ったかのように、彼は戦場を食らい尽くしていった。

 レニスはいつしか魔剣の力に心酔し、眠るときでさえもそばに置いて離すことはなかった。


 ――長い長い戦の果てに、レニスは病に倒れた。



 土砂降りの雨の中、激しい戦いを終えて後方へ帰還する間途中のことだった。

「はぁっ、まだ、まだ……終わらない。まだだ……」

 簡易な天幕の中で、フォラドはレニスを抱き締めて体を温めたが、一向に熱が移らない。うわごとのように呟くレニスの顔は、血の気が失せて青白かった。

「……フォラド、俺は……まだ闘える……」

 彼はフォラドの服を掴んで震える声で訴えたが、力が入っていない。

「レニス! 無理をしないで! 酷い顔色だよ!」

「無理……? 無理なんてみんなしてるだろ。俺だけ、楽なんて……」

 小さく苦笑して、レニスは咳き込み始めた。こんな厳しい状況下でも、レニスはいつも周りを気遣い、弱音など一度も吐かず常に明るく振る舞っていた。彼がいたからこそ、フォラドやほかの騎士たちも士気を落とさずに戦えていた。

「レニス!」

 フォラドは知恵を尽くしてできる限りの看病をしたが、レニスの体は持ち直すことはなかった。戦地でどうにか見つけ出してきた、希少な薬草すら効かない。やがて原因の分からない発熱を起こし、その高温によって体力を削られていった。
 
 はた目にも彼の命の灯が燃え尽きようとしているのがわかるほどに、急速に衰弱していった。


「帰ろう。君はもう十分頑張った。もうすぐ戦争も終わる……」

「……フォラド……俺は、帰っても大丈夫か……?」

「大丈夫だよ。あとは皆が頑張ってくれる。君が頑張ってくれたおかげだ」

「だといいけどな……」

 せめて最後だけでも穏やかに迎えさせようと、疲れ果てて力を失った体を抱えて家族の元へと連れ帰った。そのときのレニスの体は、酷く軽かった。

 熱にうなされ、次第に衰弱し幾晩かを過ごした後。

「フォラド……あとは、たのんだ」

「うん、わかってるよ。任せて……」

 病床でもそばに置いて離さなかった魔剣を、レニスはついにフォラドに託した。

 最後の力を振り絞るようにフォラドの手を握り締めてじっと見詰めた後、娘や妻に向けて「ごめんな。俺は駄目な旦那で父さんだった……」と、穏やかに笑いながら謝った。

「そんなことない。そんなこと……、ないから……」

「お父さん!」

「あなた……、謝らないで。私たち、幸せよ……」

 娘と妻の手も、二人の手に重ねられた。そうして……かけがえのない家族に見守られる中で、レニスは静かに眠りに就くようにして逝った。

 身の内を引きちぎられるような苦痛が、フォラドを襲った。器が砕けて、魂ごと消えてしまいそうなほどの痛みに抗う術もなく、堪え切れず大きな嗚咽が喉からまろび出た。

 力を失ったレニスの手が寝台の上に落ち、フォラドの手には魔剣だけが残った。人肌の温もりの欠片も残らず、ひたすら凍えるような冷たさを帯びた魔剣が、酷く重く感じられた。

「レニス! ……こんな、こんな終わりは嫌だ!」

 悲しみに暮れる彼の妻と、娘と共に、亡骸に縋り付いて泣くことしかフォラドにはできなかった。




 ――結局のところ、フォラドは一番守りたかった存在を守れなかったのだ。

 幾千もの命も顧みようとせず、ただ一人彼のそばに在るためだけに踏みつけにした罰だろうか。病に倒れたレニスを腕に抱いたときの感触が、どう仕様もなく恋しく思えた。


 ……ただ、見守るだけで良かった。彼が幸せであればそれだけで良いのだと思っていたのが嘘のように、何度も彼をかき抱く夢を見た。


「レニス、……僕は、僕は君を……愛していたんだ……」


 形の良い唇を甘く食んで口付け、滑らかな肌に手をはわせ、熱を孕んだ躰を蹂躙する生々しい夢だった。肉欲の快楽に溺れて何もかもを貪り食らい尽くし、愛おしい彼の体を淫らに作り変えていく……。

 浅ましく穢れた……だが、甘美な喜悦に満ちた夢。


「こんな夢を見るなんて……。はは、今さらこんな……!」


 どれほど強く恋い焦がれてても、この手は彼に届かない。

 ……生きていたとしても、それは許されることではない。彼と家族に対する裏切りだ。死に別れるよりも最悪な形で、彼を失うことになるだろう。

 レニスが死ななければこんな空しい夢も見ず、想いにも気づかずにいられたのだろうか。常人の業を超えた魔剣を、彼に与えなければ……あれほどまでに己の身を酷使して戦い続けたりしなかっただろう。

 自らの浅はかさを悔やみ、呪う度に脳裏をかすめるのは、彼が死の間際に見せた笑みだ。


 ――その笑みは、少年の頃のそれとまったく変わらないものだった。


 どんな状況にも屈することなく笑い、皆を惹きつけて止まなかったレニスが選び、突き進んだ道だ。自分がそれを、悔やんではいけない。彼が歩んだ人生のすべてを否定することになってしまうのだから。

 愛する国と家族を守り抜いて逝った、男の見事な生き様だった。



 ――絶対に、悔やんではいけない。
 





 
 ――魔剣は、彼が認めていた実力ある騎士に受け継がれる事になった。


 最初の継承者は、フォラドだった。

 彼はレニス亡き後、騎士団長として国に留まり戦後の平和の礎を築く一助として活躍した。その献身的な働きは、英雄と謳われたレニスの名とともに、伝説となって残ることになる。

 フォラドは常に腰に魔剣を帯び、眠るときでさえも傍らに置いて離さなかったという。まるで、愛しい恋人のように魔剣を扱ったのだ。


「今は亡き、友のために……」


 ……フォラドとしての一生を終えた魔術師……ルキウスは、本来の姿に戻った後もシルラウドに人知れずとどまり、魔剣と騎士団を見守り続けている。 

 彼から次の騎士団長へと受け継がれた魔剣は、魔剣を扱うのに相応しい人物にしか抜くことができなくなっていた。ルキウスが魔術を施したのだ。
 
 かつて、友であるレニスに与えた魔剣が、相応しからぬ悪しき人間の手に渡ることなど許せなかったのだ。万が一にもそのような人間の手に渡ろうものなら、鞘から抜くどころか、持ち上げることすら叶わない重さに変わる。


 英雄レニスと志を同じくする者が、この国を守ってくれるのなら……魔剣を託すのも悪くはない。


 ――英雄を愛した魔術師は、今も生き続けている。

 
 彼が守ろうとしたこの国とともに、ずっと。
 

 









 ――魔剣にまつわる物語の真実を知る者は、ただ一人、魔術師ルキウスだけだ。 
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