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不思議なブローチ
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野田山様にぐいぐいと押されながら辿り着いた骨董品店は、本当に店じまいの準備をしていた。
こちらは立ち退きというより店主のおじさんの腰の状態が悪いらしく、元から近いうちに閉めるつもりだったんだそうだ。
その結果ついででうちの喫茶店が立ち退きをくらってコンビニになろうとしているのだが……いや、まぁ店主のおじさんが悪いわけではないのだけれど。
「あ、これこれ」
複雑な思いで店内を眺めていたら、野田山様の弾んだ声が聞こえる。ルンルンだな野田山様。
野田山様が嬉しそうに手に取った湯飲みは、なんとも渋いデザインの湯飲みだった。深い紫色と黒のグラデーションになっていて、ところどころ金と銀のラインが入っている。
骨董品の価値なんて一切分からないけれど、野田山様が気に入るってことはいいものなのだろう。あと野田山様ってこういうの好きなんだなぁ、と、それが知れたことがちょっとだけ嬉しい。
結局のところ骨董品よりも野田山様の好みのほうが気になるな、なんて思いながら、ふと野田山様の手元から自分の正面にあった棚に視線を移す。
するとそこには深い紫色と黒のグラデーションになっている宝石のようなものが嵌まったブローチと思しきものがあった。手のひらサイズくらいあるからブローチにしては大きい気もするのだけれど、裏を見てみたらそこにはピンみたいなものが付いているので、一応ブローチなのだろう。多分。
宝石の周りは透かし細工のようなデザインで、花のような形になっている。ただ何の花なのかが分からない。薔薇っぽくもあるしダリアっぽくもあるような?
しかし紫と黒のグラデーションカラーの宝石なんて初めて見たな。綺麗だし、さっき野田山様がルンルンで見てた湯飲みと同じ色だ。
ちょっと欲しいなと思ったけれど、値札がどこにもない。きっとお高いやつなんだろう。怖い怖い。私に買えるようなもんじゃないぞきっと。
「それが気に入ったの?」
ブローチをそっと元の位置に戻そうとしていたところ、野田山様に声をかけられた。
「気に入ったっていうか、綺麗だなと思って」
「そうだね。綺麗だねぇ」
野田山様はそう言いながら、私が元の位置に戻したばかりのブローチを手に取る。それを高く掲げて、宝石をじっと見ている。
綺麗だねと言った時の微笑みは優しくて穏やかだったけれど、宝石をじっと見る表情はとても真剣でキリリとしていて素敵だった。
「これ、なんか入ってるね」
「なんか?」
野田山様に見惚れてて気が付かなかったけど、さっきの宝石の中に何か入っているらしい。
「インクルージョンってやつですかね?」
私がそう言うと、野田山様は宝石をふりふりと小刻みに振っている。
「動くよ」
「水かなんかですか?」
「水っていうか……なんだろう? もや?」
「本当だ、なんかわかんないけどもやーっとしたものが入ってますね」
ブローチを前に二人並んでごにょごにょと会話をしていると、店主のおじさんがふらりと近寄って来た。
「ああ、それ。ほしいのかい?」
湯飲みを買おうとしている野田山様に声をかけるのかと思って油断していたが、声をかけられたのは私のほうだった。
「あ、いや、綺麗だなって思ってただけで」
「綺麗は綺麗なんだけど、値が付かなくてねえ、それ」
こんなにも綺麗なブローチなのに、どうして値が付かないのだろう? そんな考えが顔に出ていたのか、店主のおじさんはブローチに値が付かない理由を教えてくれた。
「ちゃんと鑑定してもらったんだけど、それ宝石に見えて石じゃないんだよね。でもガラスでもないし、なんだか分かんないんだってさ」
鑑定してもらったのになんだか分かんないってなんだ。そして石でもガラスでもないのにこんなにきらきらしてるってどういうことだ?
「石でもガラスでもないってことは、樹脂とか人工的な何かとかかな?」
と、野田山様が首を捻る。
「それにしては結構ずっしりしてましたけど」
ちゃちな作り物って感じではなかった。見た感じも触った感じもしっかりとした重厚感があるから。
いや、でも最近じゃ本物そっくりのダイヤが人工的に作られてるらしいって話もあるのか。
いやいや、でもこれは骨董品なんだっけ。本物そっくりの宝石を作る技術ってそんなに昔からあるのか?
「人工的に作ったにしては宝石みたいだし、こんな不思議な内包物を入れる技術なんてあるのかな?」
「ですよね。固体でも液体でもなく気体みたいだし、このもや」
「……もや?」
野田山様と私の会話を聞いた店主のおじさんの表情が固まる。
「もや……って、なんだい?」
あ、やべぇ、これ普通の人には見えない系のやつだったんだ。
野田山様も私も見えるから、皆見えるものなんだと勝手に思ってたわ。どう誤魔化そうかな。
「これ……見てない間に勝手に動いてたりする気がしてるんだけど、あれはもしかして気のせいじゃなかったり……する!?」
「そ、そこまでは、ちょっと分かりませんけども」
動いてるか動いてないかまでは私にも分からないな、と思いつつ野田山様のほうをちらりと見てみれば、野田山様は真剣な面持ちでブローチを眺めていた。
もしかして、野田山様なら私ごときでは見えない何かが見えているのかも? と思ったのも束の間。野田山様は爽やかな笑顔を浮かべて言うのだ。
「悪意はないね」
と。
その言いかただと、その先どうにもこうにも誤魔化せなくなるのでは!? という私の心配は的中する。
「悪意はないってことは、悪意はないけど何かはあるってことだよね!?」
ほら見ろ。
「でも骨董品を扱ってたら色々遭遇するでしょ、付喪神とか」
「しないね!」
しないんだ。結構いるのに。
ほんのちょっと視線を動かして店内を見渡しただけでも壺の中に隠れている子と目が合ったし、お高そうな櫛のところにはめちゃくちゃ綺麗なお姉さんがいる。あれは二人とも付喪神だ。
……そう考えて見ればこのブローチにはいないな、付喪神。結構な年季が入っていそうなのだけれど。
「いないね」
「いませんね」
野田山様も似たようなことを考えていたらしく、このブローチを見て付喪神はいないと言っている。
「ただ、匂いがするね」
「匂い……ですか?」
匂いなんか別に、と首を傾げて見せれば、野田山様がブローチを私の顔の正面まで近づけてきた。嗅げってか。
「ちょ、待っ……あれ、本当だ。いい香り」
そんないきなり嗅げって言われても、と思って拒否しようとした瞬間、ブローチから微かないい香りが漂ってきた。
人工的な香料の香りではなく、優美なお花の香りがする。
なんで? という思いを込めて店主のおじさんのほうを見ると「知らないよ!」と全力で首を横に振りながら言われてしまった。
紫から黒のグラデーションで、中にもやのようなインクルージョンが入ってて、優美なお花の香りがする宝石もどき……不思議なブローチだな。
「それ! 持って帰っていいよ……!」
ブローチをもう一度手に取って見ていると、店主のおじさんに焦ったような、ビビったような声で言われた。
「え、でも」
「いいから! お願いだから持って帰って……!」
押し付けられた!
「い、いや」
「あ! あとそれとセットになってるこのカードみたいなのもあげる!」
増えた!
「そっちの湯飲みも安くしといてあげるから!」
「本当? 嬉しいなあ」
野田山様!!
「結局流されるままに受け取ってしまった……」
骨董品店から出てきた私の手には、押し付けられた例のブローチと少し重い箱がある。
この箱の中にはカードが入っていた。タロットカードとか、なんだかそんな感じのカードの束が。枚数は三十枚ほどあっただろうか。
どれも綺麗な絵柄で、絵画をそのままカードにしたようなデザインだったのだが、やはりブローチと同じくどこか不思議な様子なのだ。
なぜなら、絵柄はともかく、そこに書かれた文字がどの国の言葉でもなかった。日本語ではないし、英語でもない。そもそも言葉どころか一切見覚えのない文字で書かれている。
店主のおじさんが気味悪そうにする気持ちもよく分かる。
やべぇ物を押し付けられたな、とも思っている。
でも野田山様が! 安くしとくって言われて嬉しそうな顔をしてるのを見てしまったら! 断れなかった!!
「悪意はないし大丈夫だよ」
「だといいですけど」
「ただのいい匂いがするブローチだから大丈夫大丈夫」
「……もし何かあったら助けてくださいね」
「うん、わかった」
野田山様の返事は軽かったけれど、これがある限り野田山様との縁が切れることはないのかもしれないという可能性に私は少し喜んでしまった。
そんな時だった。
『不毛ねぇ』
という、知らない女性の声が聞こえたのは。
「……野田山様今の聞こえました?」
「……聞こえたねぇ」
こちらは立ち退きというより店主のおじさんの腰の状態が悪いらしく、元から近いうちに閉めるつもりだったんだそうだ。
その結果ついででうちの喫茶店が立ち退きをくらってコンビニになろうとしているのだが……いや、まぁ店主のおじさんが悪いわけではないのだけれど。
「あ、これこれ」
複雑な思いで店内を眺めていたら、野田山様の弾んだ声が聞こえる。ルンルンだな野田山様。
野田山様が嬉しそうに手に取った湯飲みは、なんとも渋いデザインの湯飲みだった。深い紫色と黒のグラデーションになっていて、ところどころ金と銀のラインが入っている。
骨董品の価値なんて一切分からないけれど、野田山様が気に入るってことはいいものなのだろう。あと野田山様ってこういうの好きなんだなぁ、と、それが知れたことがちょっとだけ嬉しい。
結局のところ骨董品よりも野田山様の好みのほうが気になるな、なんて思いながら、ふと野田山様の手元から自分の正面にあった棚に視線を移す。
するとそこには深い紫色と黒のグラデーションになっている宝石のようなものが嵌まったブローチと思しきものがあった。手のひらサイズくらいあるからブローチにしては大きい気もするのだけれど、裏を見てみたらそこにはピンみたいなものが付いているので、一応ブローチなのだろう。多分。
宝石の周りは透かし細工のようなデザインで、花のような形になっている。ただ何の花なのかが分からない。薔薇っぽくもあるしダリアっぽくもあるような?
しかし紫と黒のグラデーションカラーの宝石なんて初めて見たな。綺麗だし、さっき野田山様がルンルンで見てた湯飲みと同じ色だ。
ちょっと欲しいなと思ったけれど、値札がどこにもない。きっとお高いやつなんだろう。怖い怖い。私に買えるようなもんじゃないぞきっと。
「それが気に入ったの?」
ブローチをそっと元の位置に戻そうとしていたところ、野田山様に声をかけられた。
「気に入ったっていうか、綺麗だなと思って」
「そうだね。綺麗だねぇ」
野田山様はそう言いながら、私が元の位置に戻したばかりのブローチを手に取る。それを高く掲げて、宝石をじっと見ている。
綺麗だねと言った時の微笑みは優しくて穏やかだったけれど、宝石をじっと見る表情はとても真剣でキリリとしていて素敵だった。
「これ、なんか入ってるね」
「なんか?」
野田山様に見惚れてて気が付かなかったけど、さっきの宝石の中に何か入っているらしい。
「インクルージョンってやつですかね?」
私がそう言うと、野田山様は宝石をふりふりと小刻みに振っている。
「動くよ」
「水かなんかですか?」
「水っていうか……なんだろう? もや?」
「本当だ、なんかわかんないけどもやーっとしたものが入ってますね」
ブローチを前に二人並んでごにょごにょと会話をしていると、店主のおじさんがふらりと近寄って来た。
「ああ、それ。ほしいのかい?」
湯飲みを買おうとしている野田山様に声をかけるのかと思って油断していたが、声をかけられたのは私のほうだった。
「あ、いや、綺麗だなって思ってただけで」
「綺麗は綺麗なんだけど、値が付かなくてねえ、それ」
こんなにも綺麗なブローチなのに、どうして値が付かないのだろう? そんな考えが顔に出ていたのか、店主のおじさんはブローチに値が付かない理由を教えてくれた。
「ちゃんと鑑定してもらったんだけど、それ宝石に見えて石じゃないんだよね。でもガラスでもないし、なんだか分かんないんだってさ」
鑑定してもらったのになんだか分かんないってなんだ。そして石でもガラスでもないのにこんなにきらきらしてるってどういうことだ?
「石でもガラスでもないってことは、樹脂とか人工的な何かとかかな?」
と、野田山様が首を捻る。
「それにしては結構ずっしりしてましたけど」
ちゃちな作り物って感じではなかった。見た感じも触った感じもしっかりとした重厚感があるから。
いや、でも最近じゃ本物そっくりのダイヤが人工的に作られてるらしいって話もあるのか。
いやいや、でもこれは骨董品なんだっけ。本物そっくりの宝石を作る技術ってそんなに昔からあるのか?
「人工的に作ったにしては宝石みたいだし、こんな不思議な内包物を入れる技術なんてあるのかな?」
「ですよね。固体でも液体でもなく気体みたいだし、このもや」
「……もや?」
野田山様と私の会話を聞いた店主のおじさんの表情が固まる。
「もや……って、なんだい?」
あ、やべぇ、これ普通の人には見えない系のやつだったんだ。
野田山様も私も見えるから、皆見えるものなんだと勝手に思ってたわ。どう誤魔化そうかな。
「これ……見てない間に勝手に動いてたりする気がしてるんだけど、あれはもしかして気のせいじゃなかったり……する!?」
「そ、そこまでは、ちょっと分かりませんけども」
動いてるか動いてないかまでは私にも分からないな、と思いつつ野田山様のほうをちらりと見てみれば、野田山様は真剣な面持ちでブローチを眺めていた。
もしかして、野田山様なら私ごときでは見えない何かが見えているのかも? と思ったのも束の間。野田山様は爽やかな笑顔を浮かべて言うのだ。
「悪意はないね」
と。
その言いかただと、その先どうにもこうにも誤魔化せなくなるのでは!? という私の心配は的中する。
「悪意はないってことは、悪意はないけど何かはあるってことだよね!?」
ほら見ろ。
「でも骨董品を扱ってたら色々遭遇するでしょ、付喪神とか」
「しないね!」
しないんだ。結構いるのに。
ほんのちょっと視線を動かして店内を見渡しただけでも壺の中に隠れている子と目が合ったし、お高そうな櫛のところにはめちゃくちゃ綺麗なお姉さんがいる。あれは二人とも付喪神だ。
……そう考えて見ればこのブローチにはいないな、付喪神。結構な年季が入っていそうなのだけれど。
「いないね」
「いませんね」
野田山様も似たようなことを考えていたらしく、このブローチを見て付喪神はいないと言っている。
「ただ、匂いがするね」
「匂い……ですか?」
匂いなんか別に、と首を傾げて見せれば、野田山様がブローチを私の顔の正面まで近づけてきた。嗅げってか。
「ちょ、待っ……あれ、本当だ。いい香り」
そんないきなり嗅げって言われても、と思って拒否しようとした瞬間、ブローチから微かないい香りが漂ってきた。
人工的な香料の香りではなく、優美なお花の香りがする。
なんで? という思いを込めて店主のおじさんのほうを見ると「知らないよ!」と全力で首を横に振りながら言われてしまった。
紫から黒のグラデーションで、中にもやのようなインクルージョンが入ってて、優美なお花の香りがする宝石もどき……不思議なブローチだな。
「それ! 持って帰っていいよ……!」
ブローチをもう一度手に取って見ていると、店主のおじさんに焦ったような、ビビったような声で言われた。
「え、でも」
「いいから! お願いだから持って帰って……!」
押し付けられた!
「い、いや」
「あ! あとそれとセットになってるこのカードみたいなのもあげる!」
増えた!
「そっちの湯飲みも安くしといてあげるから!」
「本当? 嬉しいなあ」
野田山様!!
「結局流されるままに受け取ってしまった……」
骨董品店から出てきた私の手には、押し付けられた例のブローチと少し重い箱がある。
この箱の中にはカードが入っていた。タロットカードとか、なんだかそんな感じのカードの束が。枚数は三十枚ほどあっただろうか。
どれも綺麗な絵柄で、絵画をそのままカードにしたようなデザインだったのだが、やはりブローチと同じくどこか不思議な様子なのだ。
なぜなら、絵柄はともかく、そこに書かれた文字がどの国の言葉でもなかった。日本語ではないし、英語でもない。そもそも言葉どころか一切見覚えのない文字で書かれている。
店主のおじさんが気味悪そうにする気持ちもよく分かる。
やべぇ物を押し付けられたな、とも思っている。
でも野田山様が! 安くしとくって言われて嬉しそうな顔をしてるのを見てしまったら! 断れなかった!!
「悪意はないし大丈夫だよ」
「だといいですけど」
「ただのいい匂いがするブローチだから大丈夫大丈夫」
「……もし何かあったら助けてくださいね」
「うん、わかった」
野田山様の返事は軽かったけれど、これがある限り野田山様との縁が切れることはないのかもしれないという可能性に私は少し喜んでしまった。
そんな時だった。
『不毛ねぇ』
という、知らない女性の声が聞こえたのは。
「……野田山様今の聞こえました?」
「……聞こえたねぇ」
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