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第35話 莫大な遺産の相続人

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その三日後、トコトコと伯爵家の門まで特大のバラの花束を抱えてやってきた男がいた。

エドワードだった。

「あなたは、この家にはもう来られないものと思っていましたが?」

フィオナ嬢に会いたいと用件を告げると、どことなく歓迎していない雰囲気を漂わせた執事が対応した。

「それにフィオナ様は、今、この屋敷におられません」

「え? どこへ?」

「申せません。田舎の別邸に行ってらっしゃいます」

ダーリントン伯爵家に田舎の別邸はない。

しかし、執事はこう言うことで、なんとなく満足した。
なにか、大層なお金持ちのような響きがある。

「では、アンドルーを」

確かにアンドルーへの面会を断る理由はない。特大の花束は変だが。

「なんだ、エドワード」

アンドルーは、困惑の表情を浮かべて、客間に入ってきた。

「やあ、アンドルー、これをフィオナ嬢に」

「困るよ、エドワード。フィオナにはもう婚約者がいる」

エドワードは嬉しそうに笑った。

「フィオナ嬢は、莫大な遺産を受け取るそうじゃないか」

アンドルーは眉をしかめた。彼はまだフィオナの遺産の噂を知らなかったのである。

「莫大? 確かに少しはあるが……」

「なにを謙遜を! 莫大な額じゃないか。それほどお金があるって言うんなら、僕が結婚してやっても全然構わない。どうして、その話を最初にしてくれなかったんだい? 最初の舞踏会の時だって、ちゃんと踊ってやれたのに」

「どう言う意味だ?」

エドワードの言っている意味がアンドルーにはさっぱりわからなかった。彼は、浮かれているエドワードから、自分の家の話を聞くことになった。



「ほんとうなのか!」

「兄のあんたが知らないなんて、おかしいだろう。あ、そうか、結婚が決まるか二十一歳になるまで、家族にも秘密だったんだね」

「秘密……」

アンドルーの顔が赤黒く変わってきた。
自分……と、アレクサンドラだけが知らなかったのか。
どう言うことだ。みんなで、自分を、次期伯爵当主を蔑ろにして……。

「さあ。という訳で、やってきたのさ。君みたいな家は、成金一家なんぞより立派な貴族と縁を結ぶべきだ。少々器量が悪くても、地味でも、それだけの財産があれば、このエドワード、喜んでもらい受けよう。フィオナ嬢も、大喜びだ」

アンドルーは、我にかえった。

彼は妹に対する愛がないわけではない。だから財産があると聞いた途端に手の平を返したように振舞うこの男に腹が立った。それにアンドルーは、今や立派なジャック派だった。エドワードが、古い貴族の家柄である以上、自分に味方するのが当然だと言った態度にむかついた。

まずは、この勘違い男を退治することが先決だ。

「すでに話は決まっている。覆すことはない」

「フィオナ嬢の気持ちを聞いたことがあるのか?」

エドワードは自信たっぷりに聞いてきた。アンドルーはなんだかイライラしてきた。

「フィオナの気持ち? ジャック・パーシヴァルで満足しないんだったら誰ならいいんだ」

「花を送ったら、また会いましょうって手紙をくれたんだ。フィオナ嬢は僕と会えるのを心待ちにしてる。遺産目当ての成金の婚約者なんか相手にするはずがないだろう」

さすがにアンドルーはカチンときた。

「じゃあ、今頃、ここへ来たエドワードは遺産目当てじゃないと言うのかね」

「遅くなったのは、フィオナがあのジャックとかいう男とばかり話をするからだよ。言いたくなかったが、アンドルー、君はダメだな。妹の躾が出来てない。本当に若い娘は考えなしで愚かだが、まあ、そこがフィオナのかわいいところかな……」

ちょっと得意そうに頰を染めるエドワードに、アンドルーはあっけにとられた。何の夢を見て居るのだ、この男は。

「まあ、今度、誰かに会った時に、その話をしてみるといいかも知れんな。もう、誰にも相手をされなくなるだろうが。少なくとも、この家には二度と来るんじゃない」


アンドルーは手荒くエドワードを追い返した。ばかばかしすぎる。執事が後を追い立てるように執拗に玄関まで送りだした。彼も怒っているのだろう。

「エドワードがあそこまで馬鹿だとは知らなかった」


だが、エドワードの残した言葉はトゲのように心に刺さった。

『フィオナに莫大な遺産がいく』だと?

何の話だ。

そこへ急いで帰宅したらしいアレクサンドラが玄関で金切り声で叫んでいた。

「アンドルーはどこ?」

バタバタと足音がして、親戚のお茶会から帰って来たばかりのアレクサンドラが、花飾りのついた帽子を斜めにかぶったまま、客間へ入ってきた。

「アンドルー、ジョージアナ叔母様が言うには、ハドウェイ大伯母様には莫大な遺産があって、それが全部フィオナに行くって言うのよ? あなた知ってた?」

「今、聞いたところだ。いくらなのか知らないが」

アンドルーは努めて冷静に言った。

「ゴードン弁護士事務所は私たちをだましたのよ! 五十万ルイ以上あるらしいわ!」

アンドルーは目が飛び出しそうになった。

「あのフィオナなんかに! それだけあれば、私たち、こんな苦労することないのに! 私たち、大金持ちになれたのに! フィオナは大伯母様を騙したのだわ」

アレクサンドラは、アンドルーをにらみつけて叫んだ。

「修道院にいれましょう! もともと修道院に入りたいと言っていたじゃないの。願いをかなえてやりましょう。入会金だけあればいいでしょう。残りは、実家の伯爵家に残せばいいのよ。あんな娘を飾り立てるだなんて、本当にお金の無駄だったわ。なんてことだろう、私たち、あの小娘に出し抜かれたのだわ!」



騒ぎはそれだけでおさまらなかった。

その日から麗々しくフィオナ嬢宛ての招待状が何通もダーリントン家に届いた。パーティや舞踏会へのお招きである。

「最初から遺産相続の話をしていれば、壁の花なんかにならないで済んだのに……」

アンドルーはしみじみ思った。
もっとずっと華やかなデビューを飾れたはずだった。ましてやマルゴットが付いていた。伯爵夫人が何もしなくても手配は出来たはずだ。

だが、手紙を一枚一枚ひっくり返して招待主の名前を確認していくうちに、必ずしも喜んでいられるわけではないとも思った。
明らかに財産狙いとしか思えない招待状が多かった。
いや、ほとんどがそうだろう。

今、アンドルーはゴードン弁護士から聞かされた大伯母の無謀とも言える『貧乏でも愛してくれる人を選んで』という言葉をしみじみ噛み締めていた。

だが、それが無謀な世迷言で終わらなかったのは、大伯母が彼女にドレス代だけは出してくれたからだった。

「シンデレラだって、ドレスがなかったら、お城の舞踏会には行けなかったものな」

大伯母は賢い人だと言う評判だった。
フィオナは、良い婚約者に巡り合えた、よかったと、ジャックの顔を思い浮かべながら、アンドルーはしみじみ思った。



一方、社交界には、この遺産相続はまるで爆弾のような効果をもたらしていた。

「やっと納得がいきましたわ。どおりで、あんな貧乏伯爵家の、何の取り柄もなさそうな娘にグレンフェル侯爵やパーシヴァル家のご子息が付きまとっていらっしゃったのか」

「秘密事項とやらは、守られなかったのね。きっとその娘は、良さそうな男の方には自分から遺産相続の秘密を打ち明けたのでしょう」

そんなやっかみ混じりの話もあったが、相当な財産がフィオナのものになることは事実であり、社交界全体の雰囲気はガラリと変わっていた。

フィオナがもう一度、どこかの舞踏会に参加したら、最早、壁の花などはあり得ない。

それどころか、名だたる名士や、特に金に困っている高位の貴族連中から、悲鳴のように花嫁として望まれたことだろう。

プライドばかりが高くて、金がある平民との婚姻を忌避し、そのくせ働くことを潔しとしない高位の連中に取り囲まれるに決まっている。彼らは由緒正しい古い伯爵家の令嬢なら公爵家などへ嫁ぐべきだと説きつけるだろう。

エドワードのように。

いや、ダメだ、とアンドルーは思った。

ジャックがいい。彼は、懸命にフィオナを追っていた。彼の愛は本物だ。
商家の出だろうと、関係ないではないか。
十分な教育を受け、礼儀をわきまえ、繁盛している家業を引き継ぐだけの力量を持った一人前の男だ。

フィオナが全財産を継いだ件については、アンドルーも残念だったが、前回、1万5千ルイの件で弁護士事務所を訪ねた時、説明されたことを忘れたわけではなかった。

遺産は大伯母の意志に左右される。これまでのことを考えてみれば、フィオナ以外に行くはずがなかった。
もし、アレクサンドラが大伯母とあんなにもめなければ、少しはアンドルーに回る余地だってあったのだが。
アレクサンドラは大伯母のお眼鏡にかなわなかったうえ、大伯母の物言いが気に入らないと一悶着やらかしたのだ。アンドルー自身は、大伯母に気に入られてはいなかったが、まあまあ我慢しようと言う態度だったのに、あれで全部だめになった。

親族が気に入らないと、全額、慈善団体へというケースもありうる。

遺産相続人がせめてフィオナでよかったと思わないではいられなかった。

これが父の伯爵の手に渡っていたら、目も当てられない。遺産を受け取った次の日には、だまされて全額他人への遺贈証書にサインしかねない。

フィオナなら、必ずアンドルーを助けてくれるだろうし、彼女は堅実で公平だ。

「ちゃんとジャックと結婚させてやらねば」

アンドルーは、フィオナを修道院にやってしまえとわめく妻の傍らで、固く決意した。
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