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1.無実の罪で国外追放になりました

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「狡猾(こうかつ)な女狐め。漆黒の絹のように美しいその髪、怪しげに俺を見つめるルビーのような瞳、玉のように滑らかな肌……って、違う」

王太子フロレンツは危うく相手を褒めかけた己の口を制し、頬を叩く。

「そう、アンネリーゼ、お前こそ、この国で魅了の魔法をふりまく悪女だったのだな」

アンネリーゼと呼ばれた美女は、怪訝そうに眉をひそめる。
その表情でさえ人々がほぅとため息をつくほどに美しい。まさに傾国傾城の美女と呼ぶのにふさわしい女性だった。

義妹のビアンカにどうしても卒業パーティーに来てほしいと言われ、しぶしぶ参加していたアンネリーゼは、もとより不機嫌だった。
どうしてもと言ったはずのビアンカが姿をくらましたので、さらに気分は最悪になり。
そこに意味の分からないことをべらべらと語る婚約者が現れ、もうすでに彼女の不機嫌ゲージは限界に近かった。

もちろんその不機嫌さは、眉毛以外から読み取ることはできない。感情をコントロールするのは上手いほうだった。

「わたくしが、魅了の魔法を?」

観衆は王太子の思いがけない言葉に騒然としている。
「どうりで」と、誰かが言った。

「みなもそう思うだろう。”どうりでアンネリーゼのことが無性に気になる”と。それは我々が彼女に恋をしたからではない。彼女が我々に恋をさせていたんだ」

フロレンツは自信ありげに言うが、アンネリーゼには思い当たるふしがまるでない。

「――なんのために?」
「へっ?」
「なんのために、わたくしがみなさんに好かれようと思うのですかと聞いているのです」

的を射た質問に、フロレンツはたじろぐ。
そのとき、彼の後ろからピンクブロンドのふわふわな髪の少女が姿を現した。

「お姉さま、証拠は私が提示できるのよ。言い逃れはできないわ」

アンネリーゼの義妹、ビアンカ。
彼女は淡く光る玉を掲げ、続けて言った。

「みなさん、聞いてください。この玉は魅了の魔法に反応すると強く光ります。よく見ていてください」

ビアンカはゆっくりとアンネリーゼに近づく。
だんだんと、玉の光が強くなってゆく。

「ビアンカ、あなた――」
「ほら、ごらんください。お姉さまが使う魅了の魔法に反応して、この玉は強く光っています」

アンネリーゼはなにかに気がついたように声をあげたが、ビアンカによってさえぎられてしまう。

確固たる証拠を見た大衆は、いよいよアンネリーゼを不審な目で見始めた。

――ビアンカは、自分の卒業パーティーにわたくしを招待するような子じゃないわ。もっとはやくに気づいていればよかった。

アンネリーゼは卒業パーティーという名の茶番劇に参加してしまったことを、いまさらながら悔いた。

ビアンカは、昔からなにかとアンネリーゼに対抗心を持っていた。
ビアンカの母親は平民の踊り子だった。公爵が麗しの踊り子に手を出した結果生まれたのがビアンカだ。
対して、アンネリーゼの母親は由緒ある公爵家の出。身分も作法も勉強も見た目も、なにもかもが完璧だった。
五歳の頃から公爵邸に住むようになったビアンカは、そんなアンネリーゼに常に嫉妬心を燃やし続けてきた。そのことはアンネリーゼも知っていた。

「さあ、お姉さま、観念なさい。あなたは罪を償うべきよ」

観衆も賛同の声をあげている。
ビアンカはフロレンツのほうを向き、はやく罰を与えろと目で急かす。
それとなく察したフロレンツはアンネリーゼに向かって言った。

「アンネリーゼ、お前は国外追放だ」
「えっ?」

素っ頓狂な声を放ったのはアンネリーゼではない。ビアンカだった。

「どうした、ビアンカ」
「殿下、もっときつい罰の方が良いと思いますわ。だって、首席卒業も魅了の魔法を使った結果かもしれませんのよ。殿下が一年留年なさったのも、もしかしたらお姉さまの――」

「そろそろ反論してもよろしくて?」

今まで黙っていたアンネリーゼはようやく口を開いた。
眉間にはシワがしっかりと刻み込まれていて、珍しくかなり感情的になっていることが見てとれる。

「まずその玉、本物ですの?」
「本物もなにも、これは王家の秘宝。お姉さまの悪事を暴くため、殿下に持ち出していただいたのよ」
「そう。それはご苦労なことね。では仮にわたくしが魅了の魔法を使っているとして、どうして首席卒業や殿下の留年に関係があるのかしら?」

ビアンカは鋭い質問に身体を揺らすが、なんとか言い返す。

「先生方まで魅了して、そういう不正を行ったかもしれない、と思ったのです。あくまでも可能性で――」
「可能性の話で、どうしてわたくしをよりきつい罰にさせようと? あなた、ただわたくしがひどい目に遭うところを見たいのでしょう」
「そんなことっ!」
「ビアンカ、落ち着け。アンネリーゼ、君は怒った姿も美し……、じゃなくて」

フロレンツは再び自身の頬をぴしゃりと叩く。

「まだ魅了の魔法を使っているんだな。まあいい。――君は国外追放で十分だろう。それからビアンカ、俺の留年は自業自得なんだ、……えぐるな」

「うっうっ」と肩を震わせ泣き出しそうなフロレンツに、これ以上は責め立てられないとビアンカは口をつぐむ。

国外追放は、十分に重い罰である。

だがそれ以前の問題で、王太子が公爵令嬢を国外追放に処すことはできないはずだ。
しかしアンネリーゼがそれを問いただす前に、フロレンツの取り巻きたちによってパーティー会場からつまみだされてしまった。

「国外追放、ねぇ」

それにしては、パーティー会場からポイッされるだけで済んだ。
頭の悪いフロレンツには、国外追放を言い渡したあとするべきことが分かっていないらしい。

「馬車でも用意して他国で投げおろすところでしょう、そこは」

――あんなのが王太子だなんて、大丈夫なのかしら。

アンネリーゼはこの国の未来をまじめに案じる。

ふと、背中に気配を感じた。
振り返ると、彼女が学生時代に仲良くしていた後輩が立っていた。
アンネリーゼはぱあっと太陽が差し込んだような笑顔を見せる。

「まあ、ハルトヴィヒ! どうしてこちらに?」

ハルトヴィヒと呼ばれた青年は、端正な顔立ちを歪めている。
どうやら、さきほどの茶番が気に入らなかったらしい。

「僕も今年卒業だからだよ。まさかそのパーティでアンネリーゼが断罪されるとは思わなかった」
「そう、そうよね。あなたも今年で卒業だったわね」

アンネリーゼは可愛い弟を見るような優しいまなざしをしている。

「ハルトヴィヒは、わたくしが魅了の魔法を使っていると思う?」
「まさか。君はもとが魅力的すぎるだけなのであって、魔法の力は感じられないよ」
「まあ」

アンネリーゼはころころと笑う。
ハルトヴィヒはそれを見て頬を赤く染める。と思うと、何かを思いついたように突然笑顔になり、「そうだ」と呟いた。

「国外追放なら、今ここで僕がさらっていっても、いいわけだよね?」
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