愛と欲の主従

瀬楽英津子

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愛と欲の主従〜2

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 シャワーを浴びていないペニスは、生温かい湿気と独特の臭気を放ちながらながら真琴の舌先に吸いついた。
 それを、歯を立てないよう、唇と頬の内側の肉で包み込み、舌を絡めてゆっくりと吸い上げる。
 そのまま喉の奥まで飲み込むと、克己の腰がぶるっと震え、大きな手が真琴の頭を両側から挟んで股間に引き寄せた。

「そうだ……。いつもやってるように、もっと舌を使って、いやらしい音を立ててしゃぶれ」

 言われるままに、舌の上に唾液を溜めてジュルジュルと啜り上げる。
 克己が満足そうに目を細める。
 勝ち誇ったような、それでいて冷ややかな笑みを浮かべる克己を見上げながら、鈴口をくるくると円を描くように舐め、カリ首の周りを唇で挟んで締め付けながら亀頭だけをぬぷぬぷと出し入れした。

「裏側もしっかり舐めろよ」

「ん……ふぅんッ……」

 舌の先を丸めて裏筋をくすぐり、強めに咥えて頭を上下に振り動かす。
 んぐんぐと喉を鳴らしてさらに吸い込むと、克己のペニスがみるみる膨張し、塩っぱい先走りが口の中に広がる。
 それを飲み込み、一旦口を離して、唾液を竿にたっぷりと絡めながら、根元から上へ何度も舐め上げる。
 乾いた唾液と雄臭さの入り混じった体臭が鼻先にモワンと立ち昇る。
 精悍な顔立ちに似つかわしい、これまで何人もの相手を泣き狂わせてきたであろう硬く筋張った竿を隅々まで舐め上げ、張り出た亀頭を舌の上で転がし、鈴口に溜まった先走りをじゅるじゅると吸い上げる。

「玉も……だ……」

 命じられるまま玉に吸い付き、ハーモニカを吹くように小刻みに唇を移動させながら小さなキスを繰り返す。
 ずっしりとした袋を片手で持ち上げ裏側に舌を這わせると、克己が快楽を貪るように、真琴の頭を自分の股間にグリグリと押し付けて腰をグラインドさせる。
 真琴が更に舌を使うと、頭に添えられた克己の手が、ふいに真琴の髪を愛でるように回し撫でた。

「気持ち良いよ、真琴。真琴は本当に物覚えの早い、良い子だ……」

 鞭の合間の甘い飴。
 自分本位なプレイを強要されることに抵抗を覚えながらも、克己に優しくされると、真琴は、それまでの無理強いなど無かったかのように全てを許し受け入れてしまう。
 乱暴な仕打ちも理不尽な要求も、克己の優しい言葉ひとつで真琴の中では全てが帳消しになる。
 真琴にとって、克己はそれほどかけがえのない大切な恋人だ。
 自分よりも克己の喜びこそが最優先。克己に褒められたことが嬉しく、酷い仕打ちを受けたことよりも、克己の機嫌が治まったことに安堵した。

「小さな口で一生懸命頑張って……。お前のそういうとこホント可愛い。すげぇ好き……」

 真琴の気持ちを知ってか知らずか、克己が、真琴の髪を両手で撫でながら、腰を突き出し、亀頭の先を真琴の唇に押し付ける。
 咥えろと言わんばかりの仕草に真琴がうっすらと口を開く。
 それも束の間、髪を撫でていた克己の手がいきなり後頭部を掴み、ガチガチに張った亀頭を喉奥に突き立てた。

「んぐッ! んッ……ごふッ……ぐふッ……」
 
 圧倒的な質量にむせ返る暇もなく、容赦の無い抽送が始まる。

「んんんッ、んがッ、ごほッ、んぐッ」

 先走りが喉に貼り付くが、口の中をペニスに占領されているせいで、吐き出すことも飲み込むことも出来ない。
 まともに息をすることもままならず、真琴は、塞がれた喉の代わりになんとか鼻で息をしながら、唇と舌で必死に克己のペニスを舐めた。
 
「すげ……気持ち良いよ……真琴……」

 甘美な快楽を貪るかのように、克己は真琴の頭を自分の股間に押し付け腰をグイグイ突き入れる。

「うぐッ……おえッ……ごふッ…………」

 ズン、ズン、ズン、ズン、とペニスの先端が喉奥を直撃する。
 胃袋の中身が逆流する。目尻に涙が溜まっていく。
 苦しい。辛い。
 しかし、克己は一向に手を緩めない。
 涙目で耐える真琴を見下ろしながら、突き入れるペースをさらに上げる。

「もっと喉を開いて……舌の付け根で締め付けろ……」

 口元からは唾液がダラダラ流れ、目尻に溜まった涙が頬を伝い落ちる。
 もう限界。
 思った瞬間、まるでそうなるのを見計らったかのように、克己の動きがピタリと止まり、生暖かい精液が口の中に流れ込んだ。

「ゴホッゴホッ……グフッ……グッ……フゥゥッ……」

 二度三度とペニスをビクつかせ、克己が精液を迸らせる。

「飲むなッ! まだ飲むなよッ!」

 飲み込みそうになるのを堪えてなんとか舌の上に留めると、克己が口の中からゆっくりペニスを引き抜く。

「良く見えるよう、あーんしな」

 克己に命令され、真琴は舌の上に大量の精液を乗せたまま大きく口を開く。
 涙で歪んだ視界の先に、恍惚とした表情を浮かべる克己が見える。
 その目がスッと細まり、唇が吊り上がった。

「いっぱい溜まってるな。よし。飲んでいいぜ」

 不敵な笑みで見下ろす克己を見上げながら、真琴は、口の中に溜まった精液をゴクリと飲み込む。
 ちゃんと飲んだことを証明するために再び口を開くと、克己が下顎を押してさらに口を開かせ、真琴の口の中をくまなくチェックする。
 いつの頃からか、こうして自分の精液が無事飲み込まれたかどうか確認されるようになった。
 最初は抵抗していたであろうこの行為も、一連のプレイとしてすっかり習慣化されてしまった今となっては、自分がどんなふうに抵抗していたのかもよく思い出せない。
 克己と身体を重ねた日々が、少しづつ真琴の価値観を崩し麻痺させていた。

「綺麗に飲めてる……。本当に、真琴は優等生だ……」

 克己は言うと、真琴の顎から手を離し、フラリとその場を離れた。
 床の上にへたりこむ真琴を尻目に、勝手知ったる様子で棚をあさり、ローションを片手に振り返る。
 反動で、まだ萎えていないペニスがブルンとしなる。
 克己の昂ぶりがあれだけのフェラで治まるはずがないことは真琴が一番良く理解している。
 長い時はこのまま続けて三、四回。実際、大量に射精したにもかかわらず、克己のペニスは一向に萎える気配を見せない。
 企むような笑みを浮かべる克己とはうらはらに、真琴の頬は不安に引き攣り、唇が震え出す。
 不安は無情にも的中し、いきなり足首を掴まれ問答無用に引きずり倒され、真琴は、大きな目を目玉が飛び出さんばかりに見開いた。

「まって! そこはダメだって……」
 
「ローションたっぷり塗ってやるから大丈夫だ」

「イヤッ! イヤッ! 許してッ、お願いッ!」

 ジタバタと足を動かすものの、腰を浮かされ太ももの裏側を押さえ付けられ、無防備になった後孔に冷たいローションをドボドボと垂らされる。
「やめて!」と叫ぶも無駄な抵抗。尻肉を開かれたと思ったら、関節の太い指をズブズブと後孔に埋められ、真琴はギッと奥歯を噛んだ。

「ほぉら……ちゃんと入った。イヤイヤ言ってても、ココは俺の指を美味しそうに咥え込んでるじゃないか……」

 傷ついた粘膜を掻き回され、刺激された肉壁が熱と痛みを巻き上げる。
 まるで、焼け爛れた傷口に塩を擦り込まれているような痛み。未だかつて経験したことない強烈な痛みに、初めて命の危険が真琴の脳裏をよぎる。
 しかし克己は、泣きながら許しを乞う真琴に全く動じることなく、獲物を追い詰める獣のように目を光らせながら真琴を見据え、後孔に埋めた指を二本三本と増やして行く。
 あまりの痛みに、真琴の顔は苦痛に歪み、額からは大粒の汗が噴き出した。

「痛いッ! イヤッ! イヤッ! ホントに無理ッ! お尻壊れちゃうッ!」

「壊れやしないさ。万が一壊れたとしても、ちょうど明日から一週間の出張なんだ。帰ってくる頃には治ってるだろ」

「そんなッ……」

 非情な言葉に恐怖が迫り上がる。
 絶望的な状況に打ちひしがれる真琴に追い打ちをかけるように、克己は、真琴をうつ伏せにしてお尻を持ち上げ、両足を左右に開いて出来た隙間に腰をズイッと割り入れた。
 その体勢から自身のペニスにローションをたっぷりと塗り込み、硬く張った先端を真琴の窄まりにピトリと当てる。
 挿入を察した真琴が歯を食い縛る。
 すると、克己のペニスが赤く腫れた窄まりを突き破り、まだ傷の癒えていない後孔にメリメリと押し入った。

「あーーーああああぁぁぁッ……あッ……」

 想像を超えた痛みに、自分のものとは思えない、喉を裂かれるような、壮絶な悲鳴が真琴の口から迸る。
 割り裂かれた肉壁は異様な火照りを上げ、後孔と言わず下半身全体が焼け付くようにジンジン痺れる。
 内側から押し広げられる圧迫感、絶え間なく襲う痛みに身体が硬直して上手く息が出来ない。ハッ、ハッと浅い呼吸を繰り返す真琴をよそに、克己は、真琴のお尻を、肉に指が食い込むほど強く掴み、力の差を見せ付けるように腰を打ち据える。

「すげ……めっちゃ絡む……マジで気持ち良い……」

「痛いッ! 嫌ッ……も……やめてッ!」

 克己の猛り切ったペニスが抜き差しされるたびに、真琴の窄まりが捲れ上がって赤い粘膜が露出する。
 切れ切れの声で助けを求めるものの、パンッ、パンッ、と、肉と肉とが激しくぶつかる音に真琴の声はことごとく掻き消され、言葉にならない悲鳴だけが虚しく空を切る。
 床に頬を擦り付けてイヤイヤをすることしか出来ない真琴を組み伏せ、その小振りなお尻に何度も股間を打ち付けながら、克己が、ふいに突き入れたペニスを抜け落ちる寸前のギリギリのところまで引き戻す。
 そして、狙いを定めるように腰の位置を低く構えると、次の瞬間、ズンッ、と体重を乗せて勢い良く奥まで突き入れた。

「ひぐッ!」

 狭い腸壁を無理やり開かれ、真琴が声にならない悲鳴を上げる。
 痛みのショックで息が止まりそうになる。
 しかし克己は、真琴の深い部分を硬く張った亀頭でグリグリと押し開き、その先の内蔵までを開かんとばかりに腰を突き入れる。

「やぁッ、やめてッ、突かないでッ、突かないでッ、突かないでぇぇぇッ!」

 狂ったように叫ぶ真琴とはうらはらに、克己は鋭く引き締まった顔を妖しく歪めて忙しなく腰を突き入れる。

「あぁッ! んんんッ、ダメッ、ダメッ、も、突かないでぇッ……突かな……いッ……いあぁぁぁッ……ああッ……あッ……」

 ガシッ、ガシッ、ガシッ、ガシッ、と、肉がぶつかる音に身体が軋む音が混ざりだす。
 克己の、筋ばった竿が肉壁をえぐり、パンパンに膨れ上がった亀頭が直腸の最奥をしつこく突き回す。
 克己が一突きするたびに、押し上げられた内蔵が胸部を圧迫し、揺さぶられた膀胱がじわじわと尿意を揺り起こす。
 いつもなら失禁することへの羞恥で動転しているが、幸か不幸か、痛みのせいでそこまで頭が回らない。
 ただでさえ傷付いた後孔をゴリゴリと掘り削られ、苦痛に歪む額はもちろん、硬直した背中までびっしりと玉の汗が浮かぶ。
 両手に握り拳を作って痛みに耐える真琴を見下ろしながら、克己は、体重を乗せて目一杯奥を突いてはズズっと引き戻し、再び目一杯奥を突く動作を繰り返す。
 
「ひッ、ひぃッ、いッ、痛い! 痛いよぉッ……や、やめてぇッ!」

「愛する彼氏とのセックスだ。これくらい我慢できるだろ?」

「ひいぃぃぃッ!」

 猛烈な勢いで奥を突き、かと思えば、敏感な入り口付近を抜き差しして性感帯を発火させ、前立腺を擦り上げながら奥へ進む。
 やがて最奥へ到達すると、真っ直ぐに進んでいた肉棒が角度を変え、さらに奥の狭い腸壁に侵入した。

「んんんあッ……ああああああぁぁッ!」

 ただの痛みではない、真っ赤に焼けた鉄の棒をグリグリと押し込まれているような衝撃に、真琴は悲鳴を抑えることが出来ない。
 限界はとうに超えていた。
 自身のつんざくような悲鳴を聞きながら、真琴は崩れ落ちるように意識を失った。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 電話口の店主に「すみません」と謝ると、真琴は、店主が電話を切るのを待ち、やがて通話の切れたスマホを耳から遠ざけた。
 何度目かの当日欠勤。
 昨日も、痛みを押して出勤したものの、全く戦力にならず予定より二時間も早く帰らされてしまった。
 人手不足でなんとか雇ってもらえているが、こんなことが続いたらいつかクビになる。
 思いながら、スマホを握り締めた手を投げ出し、シミの浮かんだ天井をぼんやり見上げる。
 身体の痛みは昨日の比では無い。
 バイトに行ける状態でないことは言うまでもなく、結局、真琴は、昨日の今日でまたしてもバイトを休む羽目になった。
 バイト先に迷惑を掛けることはもちろん気になるが、それよりもお金のことが気にかかる。
 時給で働く真琴にとって予定外の欠勤は収入にモロに影響する。身体を痛めようが家賃や水道光熱費の支払いは待ってくれない。明日はなにがなんでも出勤しなければ生活面で大きなダメージを受けることとなる。
 しかし、そう思う反面、痛む身体を抱えながら、たった一人、布団に包まりながら生活に怯える自分が哀れで自然と涙が溢れた。
 克己は知らない間にいなくなっていた。
 どれくらい気を失っていたのかは解らない。お腹の痛みで目を覚ました時には、真琴は、真っ暗な部屋の中で、万年床と化した煎餅布団の上に寝かされていた。
 お腹の痛みが中出しによるものだということはすぐにピンときた。
 一刻も早く洗い流そうと身体を起こすと、下半身に激痛が走り、後孔から克己が残した精液がドロリと垂れた。
 痛みに耐えながらシャワーを浴び、這うようにして布団に戻ると、再び意識が遠くなり、裸のまま倒れ込むように眠りについた。
 次に目覚めたのはスマホのアラームが鳴った朝の七時。この時真琴は初めて克己からメッセージが届いていることに気が付いた。

『ーーー真琴へ。酷くしてごめん。
 目、覚ましそうにないので帰ります。
 出張先の連絡先を伝えるので何かあったらすぐ連絡ください。じゃあまた』

 克己なりの精一杯の謝罪。
 いつもなら全てを帳消しに出来るはずの克己の気遣いがやけにうら寂しく感じるのは、身体の節々に残るかつてないほどの激しい痛みのせいだろう。
 返信しなければまた克己の機嫌を損ねてしまうと解っていながらも、『大丈夫』という、たった一言が打てず、真琴は、メッセージ画面に文字を入力しては削除する動作を繰り返した。

 ーーーいつまでこんなことを続けるのだろう。

 白紙のままの返信画面を眺めているうちに、ふと、これまで考えもしなかったことが脳裏をよぎった。
 いや。
 考えもしなかった、のではなく、考えないようにしていた。
 自分らしく生きようと単身上京したものの、都会の暮らしは真琴が思い描いた理想からは程遠く、中でも前職を追われる状況にまで追い込まれた恋愛関係のいざこざは、真琴のその後の人生を大きく狂わせ、屈辱的な敗北感と劣等感を抱かせた。
 その時の光景は、今でも真琴の脳裏にトラウマのように貼り付き、ふとした拍子にフラッシュバックする。
 もうあんな思いは二度としたくない。
 過去の忌まわしい経験が真琴をひどく臆病にした。
 その真琴が、慎重に慎重を重ねて恋心を育んだのが克己だった。
 克己との恋愛が間違いだったとは思いたくない。
 克己は、どん底にいた自分を引っ張り上げてくれた、いわば恩人だ。
 社交的でルックスも良い、皆の憧れの的。
 克己に愛されたことで、真琴は、失っていた自信を取り戻し、苦しい劣等感から抜け出すことが出来た。
 真琴が、老舗ゲイバー『ツキアカリ』の常連客たちに快く迎え入れられたのも、克己が真琴を気にかけ、働きかけてくれたお陰であることは想像に容易い。
 真琴にとって克己は大切な恋人だ。
 克己を悪く言うなど、あってはならない裏切り行為だと真琴は思う。
 にもかかわらず、どんよりと重たい感情が、返信を打つ真琴の指先を鈍らせていた。

『いつもこんなふうになるのか……?』

 ふと、立花の言葉が脳裏をよぎった。

『こういうことが続くなら考えたほうがいい』

 十年近くも顔を合わせていなかった、それ以前に、もともとたいして親しくもなかった、ついこの間十年ぶりに偶然再会し、ほんの少し級友めいたやり取りをしただけの立花の言葉がどうしてこんなにも気に掛かるのか真琴自身にもよく解らなかった。
 解っているのは、そう言った時の、立花の、全てを見透かしたような瞳と諭すような口調、それでいて、時折り額の傷をピクピク震わせながら緊張する立花の力んだ顔、そして、そんな立花を完全には拒絶しきれない自分がいる、ということだった。
 青春時代への懐古か、はたまた、疎遠になってしまった故郷への望郷の念か。中学時代を彷彿とさせる立花の振る舞いは、真琴に、輝いていた頃の自分を思い出させる。
 仲間に囲まれ甘やかされ、世界は自分を中心に回っているのだと勘違いしていたあの頃。
 それは、真琴を甘ずっぱい喜びに浸らせると同時に、その頃とはまるで違う今の自分を否応なしに真琴の目の前に突き付けた。

 ーーーどうしてこうなってしまったんだろう。

 身体が痛い。
 胸が苦しい。
 全身を襲う鋭い感覚が、真琴がこれまで考えないようにしてきた様々な問題を掘り起こす。
 立花と再会したことで、真琴がこれまで自分なりに折り合いをつけて保ってきた心の均衡が、少しづつ崩れ始めていた。

「つらい……」

 真琴は無意識に口走り、しかしすぐに気付いて、頭に浮かんだ思いを慌てて振り払った。
 余計なことを考えてはいけない。
 今この状態で考えてしまったら、自分でも想像もしなかったような感情が胸の奥底から噴き出してしまうような気がして怖い。
 頭ではなく身体の内側から込み上げる本能的な恐怖心が、真琴の思考にブレーキを掛けた。
 頭を切り替えなければならない。
 気を取り直し、真琴は、胸の上に置いたスマホを再び目の前に構えた。
 今は克己への返信が先決。
 大丈夫。心配かけてごめん。
 何度伝えたか解らないお決まりの文言を入力し、一呼吸おいて送信ボタンに指を近付ける。
 すると、

 ピンポーン

 殆ど同時にインターフォンが鳴り、真琴は送信ボタンに置いた手を止めた。

 ーーーまさか……克己?

 返信が無いのを心配して、克己が出張先から駆け付けてくれた。
 一瞬、淡い期待が真琴の頭をかすめる。

 ピンポーン、ピンポン、ピンポン、ピンポン

 痛む身体を引き摺りながらやっとの思いで布団から這い出る。
「克己!」と叫びながら手を伸ばすと、なかなか出ない真琴にしびれを切らしたのか、ドアノブがガチャガチャ回り、閉まっていたドアがいきなりバタンと開いた。
 すると、

「立……花……?」

 玄関先で仁王立ちする予想外の人物に、真琴は大きな目をまん丸に見開いた。

「ごっ、ごめん……鍵、開いてると思わなくて……」

 立花は一瞬たじろぐように後ずさったが、真琴が、伸ばした手をバタンと床について上半身を崩すと、慌てて駆け寄り、全裸のまま床の上に這いつくばる真琴に布団を掛け、そのまま真琴の身体を包み込むように抱きかかえて敷布団の上に横たえた。

「立花……なんで、お前……」

「し、心配で……。ゆ、昨夜、あんなだったから……」

「まさか、あれからずっといたのか?」

「ちがっ……ちゃんと店に戻って、仕事終わってから、タクシーで……」

「わざわざタクシーで? てか、一回来ただけなのに、家覚えたのかよ、このストーカー野郎が……」

 声を荒げる真琴に動じることなく、立花は、傍に置いたビニールの手提袋から消毒液を取り出すと、それを一緒に取り出した脱脂綿に含ませて真琴の唇の横に当てた。

「ここ、傷になってる」

「ちょ……なにッ!」

 顔を背ける真琴をよそに、唇、頬、額、目尻、と、細かな傷の一つ一つ順番に消毒し、ビニール袋から軟膏を取り出し傷口にたっぷりと塗る。
 それが済むと、ふいにタオルを片手に立ち上がり、

「ちょっとお湯借りる……」

 真琴の返事を待たずに台所に向かい、お湯で湿らせたタオルを片手に戻ってきた。

「身体、拭くから」

「いっ、いいよッ! シャワー浴びたしッ!」

「なら、打ったとこ……この、痣んなってるとこ冷やすから……」

 立花の不可解な行動に戸惑う暇もないまま、身体を横向きに返され、掛け布団を腰の辺りまで下げられる。
 咄嗟に背中を丸めて身体を隠すと、冷たい感触が首筋に走り、真琴は思わず声を上げた。

「ひやッ! ちょッ!」

「冷却シート。内出血してる時はこっちのほうがいいんだ……」

 言いながら、立花は、首の後ろと両肩、左右の腰骨の辺りに冷却シートを貼っていく。
 後ろを貫かれている間、克己に押さえ付けられていた場所だ。貫かれた痛みが強すぎて、他の部分の痛みや、身体に打撲痕が出来ていたこともにも気付いていなかった。
 それを、玄関のドアを開けた時のほんの数秒で立花は気が付いた。
 その程度で心を開くほど弱ってはいなかったが、自分でも気付かなかった身体の傷に直ぐに気付いて心配してくれる立花に、僅かながら心を動かされたのは事実だった。
 真琴は抵抗するのを止めて立花に身を任せた。

「ずいぶんと手慣れてんな……」

 冷却シートを貼り終えた立花にそう声を掛けると、立花は、厳つい顔に似合わず、はにかみながら笑った。

「昔、よく、やってたから……」

 ポツリと言い、眉の上の傷を指でなぞる。
 額から眉を真っ二つに割るように走る大きな傷。
 皆から気味悪がられ敬遠される原因となった立花のこの傷痕が、父親のDVによるものだということは真琴も噂に聞いて知っていた。
 中学生当時から周りより頭一つ分背が高くガタイも良かった立花の外見からも想像がつくように、立花の父親は、一見してその筋の人間と解る強面の大男だったという。
 もっとも、それもあくまで噂話で実際に立花の父親の姿を見た者は誰もいない。
 中学一年の三学期に真琴の地元に引越して来た時には、立花は、すでに母と子二人の母子家庭だった。
 立花が転校生として初めて登校した日は、立花のガタイの良さと額の傷に、誰もが、とんでもない不良が来たと震え上がったが、実際の立花は、厳つい見てくれとは真逆な大人しい男で皆を拍子抜けさせた。
 立花がその大きな身体を丸めて人目を避けるように行動する姿は、むしろ格好の陰口のネタとなった。
 とはいえ、立花な大きな身体と額の傷はやはり恐ろしく、面と向かって揶揄する猛者は誰もいない。父親のDVについても、噂だけが独り歩きして真実を確かめようとする者は誰もいなかった。
 しかし、傷の手当てをする立花の手際の良さと先ほどの発言から、真琴は、その噂が真実であったと悟った。
 真琴の確信を裏付けるように、立花は、太いミミズ腫れになった傷を遠い目をしながらなぞっている。
 父親に付けられたであろう傷を思い詰めたような顔でなぞる立花の仕草が、自分に対する警告めいた行動のように感じられ、真琴は苛立ちを覚えた。

「俺は違うから」

 気付くと、心の声がひとりでに漏れていた。

「俺のは暴力じゃねーから。お前と一緒にすんな」

 立花は、一瞬顔を引き攣らせ、しかし直ぐに額の傷から手を離して淋しそうにうつむいた。

「ああ……そうだな。俺と蜂谷は違う……」

「あったりめーだ! 昨夜はたまたま激しくなっただけだ。……いつもじゃないッ」

「そうか……」

「そうだよッ!」

 身体の痛みが神経を昂らせるのか、真琴自身にも説明のつかない苛立ちが胸の底から湧き上がる。
 立花の反応がいちいち気に障り、自然と口調が荒くなった。

「本当に、たまたま、さ! いつもはこんなじゃない! 何を勘違いしてるか知らないが、俺は、お前に心配されるようなことは何もないんだッ!」

 立花は、暗い憂いを帯びた目で真琴を見詰め、ああ、と頷いた。

「解ってる。でも、何かあってからじゃ遅いから……」

「何か? 何があるっていうんだ! 俺たちのこと何にも知らないくせにッ……」

「蜂谷……」

「優しい時だってあるッ! 今回だって、酷くしてごめん、って謝ってくれたんだ! 何かあったらすぐに連絡しろって言われてる。俺のこと凄く心配してくれるんだ!」

 瞬間、立花の目が鈍く光り、やがて、見たこともないような悲しげな表情に変わった。

「そう……だな……。ごめん……」

 気まずい沈黙。
 こうなることが解っていて声を荒げておきながら、真琴は、自分が招いた張り詰めた空気に耐えられず、立花からプイと顔を背けた。
 立花は、そっぽを向く真琴を困り顔で見ていたが、やがて諦めたように、大きな背中を丸めて床に散らばった冷却シートや絆創膏の空き殻を拾い、殺風景な部屋の中をキョロキョロと見渡して、部屋の隅々に並んだカラーボックスの中から下着と着替えを持ってきた。

「何か着ないと風邪引くから……自分で着るのが無理なら俺がやるし……」

 狸寝入りを決め込もうとした真琴だったが、今にも布団を捲り上げそうな勢いの立花にギョッとして飛び起きた。

「じ、じぶんで着るから放っとけよ!」

 立花の手から着替えを引ったくり、腰を庇いながら下着を穿き、Tシャツを頭から被る。
 眉根を寄せて四苦八苦しながら袖を通す真琴をチラチラと気にしながら、立花は、六畳二間のボロアパートに申し訳程度に付いた台所に立ち、頭上の棚から鍋を取り出し水を張って火にかけた。

「調味料とか……ないのか?」

「あるか、そんなもん」

 会社勤めをしていた頃はたまに自炊していたが、バイトの掛け持ち生活に転じてからはすっかり家事から遠ざかっていた。
 冷蔵庫の中には発泡酒と克己が飲むミネラルウォーターが数本入っているだけ。自分のための食事も作らなければ、自分以外の誰かが台所に立っている姿を見るのも久しぶりだった。
 やがて、グツグツと鍋が煮え立ち芳ばしい匂いが漂い始めると、しばらくして、立花が、鍋の中身をよそったお椀とスプーンを持ってきた。

「たまご粥。塩、無かったから味薄いかもだけど」

「わざわざ材料買ってきたのか……」

「店で余ったやつ。ママにもらった」

「ママに? 俺のことママに言ったのか!」

「いっ、言ってない。こ、これは、いつも帰りにもらってるから……」

「本当だな!」

「ほ、ほんと。一人暮らしだから、い、家で食べろって……」

 ホッとしたのを悟られないよう、真琴は、わざと不機嫌に、フンッ、と鼻息を吐いた。

「変なこと言いふらしやがったらただじゃおかねーからなッ!」

 ママに限らず、克己との仲を応援してくれている店の仲間にはこの状況は知られたくない。
 店での真琴は、皆のアイドルであり、店公認の克己の恋人。
 皆が克己との交際を温かく見守り、時に二人のイチャイチャぶりを面白おかしく騒ぎ立てる。そんな仲間たちを心配させたくないのはもちろん、店の雰囲気を悪くするような真似もしたくなかった。
 真琴にとってツキアカリは、過酷な都会生活の中で見つけた心の拠り所であり、気の許せる仲間との憩いの場所でもあった。それを昨日今日入ったばかりの立花なんかに壊されたくはなかった。
 それでも、目の前に出されたお粥を口に含むと、久しぶりに食べる素朴な味に目頭が熱くなった。

「味、どうかな……」

 口の中に広がる甘さと喉を下る熱さが、空腹の冷たい胃袋を温かく満たし、身体の痛みを和らげる。
 誰かに食事を作ってもらうなどいつぶりだろう。
 過去に付き合った男の中には、真琴を気紛れに家に招いて手料理を振る舞ってくれた者もいたが、たいていの場合、その後強引にベッドに連れ込まれ、いつも以上にしつこく身体を求められた。
 こんなふうになんの見返りもなく手料理を振る舞われるのは実家を出て以来初めての経験だった。
 そんな料理が心に染みない筈はない。
 しかし真琴の口から出たのは、心とは裏腹な冷たい言葉だった。

「帰れーーー」

 唐突に言われ、立花が、わけが分からないといった表情で真琴を見る。
 小動物のように瞳を震わせながら、それでいて決して視線を逸らさず瞬きもしないで真琴を見る。
 まともに見たら絆されてしまいそうで、真琴は、逃げるように立花から目を逸らした。

「帰れ! そんでもって、もう二度と来んな!」
 
 さすがに諦めるだろうと思ったが、真琴の予想に反し、立花はなおも食い下がった。

「でもまだ身体が治ってない」

「これくらい平気だ」

「う、うそだ。まだ安静にしてないと……こじらせたら大変なことに……」

「うっせぇな! マジで迷惑なんだよッ!」

 あまりのしつこさに、真琴がついに怒鳴り声を上げる。
 迷惑と言われたことがショックだったのか、立花は、絶句したまま何か言いたそうな顔で真琴を見ている。
 その顔が、中学時代、いつも真琴を物陰から見ていた立花の顔と重なった。

『アイツ、いっつも真琴のこと見とるよな』

 過去から響いてくる声が耳の奥を震わせ、それ揺り起こされるように、遠い記憶が鮮明な映像となって脳裏に甦る。
 本当は指摘される前からとっくに気付いていた。
 校庭の隅、下駄箱の陰、教室の端、真琴が意識を向けると、そこにはいつも、大きな身体を目立たないように縮めながらおどおどと様子を伺う立花の姿があった。
 その時の立花が、今目の前にいる立花と真琴の頭の中で完全に一つになる。
 と同時に、なんとも言えない切なさが込み上げ、真琴はグッと息を詰まらせた。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 物置と化していたテーブルが、ようやく本来の役割を取り戻していた。

「いつもの余りモノだけど……」

 ママご自慢の、ソーセージとジャガイモとキャベツのポトフ、白米のおにぎりと卵焼きは立花がこしらえたのだろう。注文が入ってから握る出来立てほやほやが売りの塩おにぎりと、作り置きの出来ないふわトロの卵焼きが余るわけはない。
 紙コップに入ったコーンスープは、立花が、勝手知ってる様子で台所に立ち、手早く作ってテーブルに運んできた。

「缶詰のコーンペーストを牛乳で伸ばして味付けしただけだけど……」

「ふぅん。これも店の余り?」

「いや。これはコンビニで材料を買って……」

 二度と来るなと言ったにもかかわらず、立花は、その後も仕事の帰りに食事を持っては真琴の部屋を訪ねて来た。
 立花に介抱されたそのすぐ翌日、真琴がバイトに出掛けようと玄関のドアを開けると、部屋のすぐ脇で、地べたに座り込んで眠りこける立花の姿が目に入った。
 身体の痛みは続いていたものの、これ以上バイトを休むわけにもいかず気力を奮い立たせて部屋を出た矢先のことだった。呆気に取られる真琴をよそに、立花は、玄関脇の壁にもたれながら、胡座をかいた膝の上に紙袋を乗せ、それに顔を埋めるように突っ伏してスースーと寝息を立てている。
 ツキアカリの営業時間は午後八時から明け方の四時。時間的な状況から考えて、立花が仕事帰りに直接訪ねて来たのは確かめるまでもなく、朝になるまで部屋の前でじっと待っていたのは明らかだった。
 家の前で座り込まれるのは迷惑以外のなにものでもなかったが、疲れた顔で眠りこける立花を置き去りに出来るほど薄情にもなれなかった。
 結局真琴は、立花を叩き起こし、部屋の前から去るよう言い付けた。
 立花は、弾かれたように飛び起きて目をパチクリさせていたが、やがて事態を飲み込むと、ならばこれを、と膝の上に抱えた紙袋を真琴に差し出した。
 中身は、タッパーに詰められた惣菜とペットボトルのお茶。
 それを受け取ってしまったのがそもそもの始まり。以来、次の朝も、その次の朝も、立花は店の余り物を持って真琴の部屋を訪ねて来た。
 最初は受け取るだけだった真琴も、二日三日と続くうちに、さすがに玄関先で追い返すのは気の毒だと思い始めた。
 そうして五日が経った今日、真琴は、初めて自分から立花を部屋に上げた。
 必要最低限の生活用品しかない殺風景な部屋で、真琴は、惣菜の入ったタッパーの並んだ折り畳みテーブルを挟んで立花と向かい合っていた。

「し、仕事は? 行かなくていいのか?」

「今日は休みだ……」 

「そう……か……」

 短い言葉だけのぎこちない会話。気まずい筈の沈黙がさほど気にならないのは、食事中という大義名分があるせいばかりではない。
 立花の用意した料理は、真琴が、喋るのも忘れて口に運んでしまうほど美味しく、特に即席で作ったコーンスープは、母親の作る実家の夕食メニューのハンバーグに必ずセットで付いてきたコーンスープと同じ味がして、真琴をしみじみとした気持ちにさせた。
 立花に対するいつもの苛立ちも今はない。今はむしろ、温かい手料理を立花と食べるのも悪くはないと思い始めている。
 恋人の克己は、真琴一人では入れないような高級店や巷で話題の小洒落た人気店に真琴を連れて行くのを好んだが、克己の選ぶ店は、庶民感覚の染みついた真琴には敷居が高く、息が詰まるような、気後れしてしまうような感覚に襲われた。
 克己に相応しい恋人でありたいと背伸びをして合わせていたが、本音を言えば、心から楽しいと思ったことは一度もない。むしろ早く帰りたいという気持ちの方が強かった。
 それが、今は一切無かった。
 立花と恋人同士になるなど想像したこともなかったが、仮にそうなったとしても、立花になら気を使う必要も背伸びをする必要も無いように思われる。
 ヨレヨレのTシャツを着ていても食べ方が汚くても、真琴のすることなら、おそらく立花は笑って許す。
 立花の前でなら、真琴はいつでも優位な立場でいられる。
 自分の方が絶対的優位な立場でいられる相手といるのは気が楽だ。
 そんな、甘えた気持ちが真琴の心の奥に芽生え始めていた。

「口に……合わないか?」

 思ったよりも長く箸を止めていたらしい。ふいに言われて顔を上げると、立花の不安そうな目と目が合い真琴は我に返った。

「べ、べつに……意外と食えるよ……」

「食える……?」

「意外と旨い、って言ってるんだ」

「そ……そっか……」

 ホッ、と息を吐く音が聞こえてきそうなほどわかりすく安堵の表情を漂わせながら、立花が、お世辞にも爽やかとは言えない歪(いびつ)な笑顔を浮かべる。
 昔、何度か見掛けた立花の笑顔だ。
 普段滅多に笑わない立花がたまに見せる笑顔を仲間達は薄気味悪いと口を揃えて警戒したが、真琴は、立花のこの喜んでいるのか困っているのか解らない、どっちつかずの引き攣った笑顔が嫌いではなかった。
 不器用だが、立花の笑顔には、普段真琴が仲間たちの笑顔から感じるしたたかな気配が全く無かった。
 あるのは、ぎこちない緊張と隠しようのない恥じらい。気まずい空気とはまた違う、優越感をくすぐる畏れにも似た沈黙。
 その時と同じ空気感が、今また真琴を心地良く押し包んでいた。

「てか、お前、料理もできんだな」

 再会した時の警戒心はいつの間にか消えて無くなった。
 立花も、真琴の和やかな雰囲気に釣られて少しずつ緊張を解いているようだった。

「昔からやってたから……」

「昔から?」

 コクリ、と立花が頷く。

「小学校の低学年くらいの頃から飯の支度は俺の役目だった」

「小学校低学年? そんなガキの頃から?」

 どうしてと聞き返しそうになり、ふと、中学時代、大人たちが話していた噂話を思い出した。

『あそこの家はああだから』

 父親のDV。借金苦。貧困による母親の情緒不安。ネグレクト。
 中学一年の三学期という中途半端な時期に転校してきたという理由と立花の外見から、大人たちは立花の家について勝手な憶測を並べ立てては面白おかしく噂した。
 それは立花が学校指定の体操服や上靴を持っていなかったことに端を発した噂話だったが、立花の母親が学校行事に一度も顔を見せなかったことや、立花が家庭の事情で一人だけ修学旅行に参加しなかったことで説得力を増し、さらなる尾ビレを付けて広まった。
 それが、今の立花の発言でにわかに真実めいた。
 自分がどんなふうに噂されていたかは立花も当然知っている。
 聞き返したものの、真琴は、その先の言葉に詰まりあたふたと視線を泳がせた。
 立花は、そんな真琴を見て小さく笑った。

「気を使う必要なんか無い。陰口を言われるのは正直しんどかったけど、全くのデタラメってわけじゃないし。……それに、家のことするのも別に嫌じゃ無かった。昔からそうだったし、母親の手伝いをするのは当たり前だから……」

「当たり前……?」

「家族が困ってるんだから当たり前だろ? 家族に限らず、困ってる人は助けなきゃ」

「困ってる人……? まさか、俺のことも、困ってるから助けてるとか?」

 咄嗟に口を突いて出た言葉に、真琴は自分でハッとした。
 
 ーーーこれじゃあまるで拗ねてるみたいじゃないか。

 取り繕おうと口を開くと、幸か不幸か、自分の唾液にむせて激しく咳き込んだ。

「大丈夫か! 蜂谷!」

 立花は咄嗟に駆け寄り、ゴホゴホと咳き込む真琴の背中を撫でる。
 壊れ物を扱うかのような繊細な撫で方に、触れられた部分が徐々に熱を帯びていく。
 温かい手料理も久しぶりなら、こんなに優しく撫でられるのも久しぶりだった。

「こんなことされたら勘違いするだろが……」
 
 ひとりでに心の声が漏れる。
 しまったと思った時にはすでに遅く、立花に、

 「勘違い……とは?」

 間髪入れずに真顔で尋ねられ、真琴は誤魔化すタイミングを失った。

「だから、気があるんじゃねーかって思われるっつってんだ!」

 真琴は、開き直るしかなかった。

「お前はそうじゃねぇかも知んねーが、店の奴らは皆んなゲイなんだ。こんなふうにされたら、俺のこと好きなんじゃねぇかって勘違いする奴が絶対出てくる。早い話が、その気もねぇのに、思わせぶりなことすんな、って話しだよ!」

「その気ならあるが……?」

「だから……」と言い掛け、真琴は、立花の声にハタと気付いて、「へッ?」と間抜けた声を上げた。

「その気なら……ある?」

 オウム返しする真琴を、立花は神妙な面持ちで見詰めている。

「ちょっと待て! そりゃどういう意味だ。お前はゲイじゃないんだろ?」

 立花は、一瞬考え込むようにうつむき、「たぶん」と答えた。

「他の男にはなんとも思わないから、たぶんゲイじゃない。……は、蜂谷だけ」

「俺だけ……?」

 一瞬何を言われたのか解らず真琴は唖然とした。
 立花は、真琴から不自然に目を逸らし、照れているのか怒っているのか解らないような顔でうつむいた。

「蜂谷のことを考えると、胸がドキドキしてわけ解んなくなる。他の奴にはこんなふうになったことない。男にも女にも……」

「女……にも……」

「兄貴に色んな女紹介されたけど、蜂谷みたいに思えるような相手はいなかった」

「俺が好き、ってことか」

「め、迷惑か?」

 迷惑か迷惑でないかで言えば、今の段階では迷惑ではない。
 けれども素直に答えてやれないのは、立花の唐突すぎる告白と、その告白に胸の高鳴りを覚えている自分自身への戸惑いからだった。
 立花と再会した日、立花がゲイでないことを知り、ならばどうしてあんなに熱い視線で見ていたのだと、肩透かしを食らったような、バカにされたような気持ちになったことを真琴は今でもハッキリと覚えている。
 その時の不可解な感情の答え合わせをさせられているような気分だった。

「いつからだ……?」

 動揺を悟られないよう、努めて冷静に真琴は言った。
 立花は、一瞬ためらう素振りをし、やがて観念したように真琴を見返した。

「中学の時……転校して、初めて学校に行った日……職員室の窓から、蜂谷が校庭を歩いてるのを見て……」

「まさか、転校初日から?」

「ああ……。たぶん一目惚れ」

 恥ずかしげもなく言う立花に、ただでさえ熱くなった真琴の頬が赤く火照る。
 自分で聞いておきながら、真琴は、どう反応して良いのかわからず仏頂面をして誤魔化した。

「一目惚れとか、バッカじゃねぇの?」

 立花は、「ごめん」と、盛り上がった肩を小さく窄めた。

「俺なんかに思われて迷惑だよな……。でも、蜂谷のことずっと忘れられなくて……。初恋……だから……」

「初恋って……」

 真琴はいよいよ返答に詰まった。
 その気もないのに気を持たせるのは本末転倒だが、迷惑だと思ってないものを迷惑だと一刀両断するのにも抵抗がある。
 好意を寄せられるのは嫌じゃない。
 立花は自分のことが好きなのだろうとずっと思っていた中学時代の自分が独りよがりな勘違い野郎でなかったことが証明されたことも単純に嬉しかった。
 しかし、それだけでは説明のつかない感情が、真琴の胸をざわつかせていた。
 立花の赤裸々な告白が、痛みの残る身体にじんわりと沁み渡る。
 それは、突き放してしまうにはあまりにも心地良く、受け止めるにはあまりにも脆い、儚い夢のようにも感じられる。
 まるで生まれたばかりの恋心に出会ったかのような、甘く切ない高揚感を含んだ感情。もっとも、同郷故の懐かさしさと、遠い昔に忘れていた甘ずっぱい告白のシチュエーションに、心が誤作動を起こしている可能性もあった。
 うっかりすると引きずられてしまいそうで、真琴は、冷静になるよう自分自身に言い聞かせた。
 真琴の気も知らず、立花は、見ている真琴の方がハラハラするほど切羽詰まった様子で真琴に迫る。

「む、無理だっていうのは解ってる。俺なんかが蜂谷に釣り合うわけないし、蜂谷に恋人がいることも解ってる。……でも、す、すきだから……は、蜂谷のこと放っておけなくて……」

 搾り出すような声が、二人を取り巻く空気をピリピリとした緊張で押し包む。
 
「ちょっと落ちつけよ」

 言いながら見上げると、いきなり立花に腕ごと身体を抱き締められ、真琴はギョッとした。

「落ち着いてる!」

 立花は、真琴の細いうなじに鼻先をうずめながら、今にも押し倒さんばかりの勢いで真琴を抱き締めている。

「立花……く、くるしいよ……」

「ごめん。でもこれだけは言わせてくれ。あいつはダメだ! こんな、蜂谷を傷付けるような奴は絶対、絶対……」

 厚い胸板をグイグイと押し付けながら立花が呟く。
 言われた言葉の意味よりも、立花が自分の制止を聞かず強引に迫ってくることに真琴は動転した。
 いつも大きな身体を縮めて物陰からビクビクと伺っていたあの立花が、人が変わったように激しい感情をぶつけてくる。
 立花を見掛け倒しと見下していたかつての自分が嘘のように、真琴は、立花の迫力に圧倒されていた。

「余計な世話なのは解ってる。でも、こんなことする奴とは別れた方が良い。早く離れないと大変なことになる!」

「立花ッ……」

「こういうのは治らない! 期待するだけ無駄なんだ! 今まで何回されて何回謝られた? だいたい、どうして謝らなきゃならないようなことをする? 優しい時だってある、って言ったが、優しい人間は何度も人を殴ったりしない!」

「殴られてなんか……」

「ならこの傷はどういうことだ? 最初にあった時もそうだった。それが短期間でこんな傷……。どう見てもあの時より酷くなってる。どんどんエスカレートしてるんじゃないのか?」

 瞬間、心臓を突かれたような衝撃が走り、真琴は反射的に立花を振り払った。

「違うッ!」

「蜂谷!」

「うるさい! 違うったら、違う! 離せッ!」

 身体を左右に振りたくり、立花が怯んだところを、お腹を蹴って突き放す。
 真琴の蹴りなど立花にとっては子供の遊び程度の反撃にしかならない。
 それでも、真琴が、「帰れッ!」と一蹴すると、今までの強引な態度から一転、いつものおどついた立花に戻り、あたふたと真琴を見返した。

「蜂谷……お、おれは……」

 その、震える瞳を睨み付け、真琴はもう一度言った。

「帰れッ! 今度こそもう二度と来んなッ!」


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 顔面に衝撃が走り、鉄の味が喉を伝った。
 殴られたのはすぐに解った。
 しかし、どうして殴られたのかはさっぱり解らなかった。
 出張帰り、突然アパートを訪ねて来た克己に、「誰か来たのか」と尋ねられ、「誰も」と答えると、いきなり胸ぐらを掴まれ顔面を殴られた。

「嘘をつけ!」

 頭の整理もつかないまま二発目を喰らい、床に倒れたところを、胸の上に馬乗りになられて前髪を掴まれる。

「あいつが来てたんだろうッ! しらばっくれても無駄だ!」

 打たれた頬がジンジン痛み、耳の奥がポワンと詰まる。
 いつもの嫉妬。
 しかし、次の瞬間、克也が発した言葉に真琴は耳を疑った。

「初恋だと? ガキが戯れ言いやがって! 今更そんな昔話してんじゃねぇよ!」

 ギュッと心臓を握り潰されたような衝撃が走る。

「どうして……」

「どうして知ってるのかって? 彼氏の俺が知ってちゃおかしいか? 悪いが、お前のことは全部お見通しなんだッ!」

 罵声とともに、胸ぐらを掴まれ、引き千切るようにシャツを剥ぎ取られる。
 突然の激昂に狼狽える暇もなく、克己の手がズボンにかかり下着ごと引き下ろし、無防備に曝け出されたペニスを握った。

「痛ッ! いッ、やだッ……」

「自分が悪いんだろう! 俺のいない間に男を引っ張り込んで……。『優しい時もある』だと? まるで俺がいつも酷いことしてるみたいな言い草じゃないかッ!」

 おかしい。
 疑心暗鬼な妄想にしては具体的すぎる。まるで、立花とのやり取りをその場で聞いていたかのような口ぶりだ。

「まさか……盗聴……?」

 咄嗟に視線を向けると、克己の引き攣った薄ら笑いが真琴の視界に飛び込んだ。

「今頃気付いたか。この部屋の様子は全部筒抜けだ。どんなに言い訳しようとお前にもう逃げ場は無い」

「克己……」

 問い正す暇もなく、両膝で太ももを割られ股を大きく広げられる。
 尻たぶが開き、流れ込んだ外気がその奥の窄まりをひんやりとなぞる。
 恐怖と緊張で後孔がキュッと締まるのが解る。
 膝頭でお尻をグイッと押されて持ち上げられると、両足が宙に浮き上がり、ペニスと言わず陰嚢の膨らみから蟻の門渡り、窄まりまでもが克己の目の前に曝け出される格好になった。 

「皺の一本一本までくっきり見えるぜ。俺がいない間に悪さしてやしないかじっくり調べてやる」

「いやッ!」

 窄まりを真横に開かれ、お尻の溝を伝い流れるほど大量のローションを垂らされる。

「使いモンにならなくなったら困るからな。別の方法で泣かせてやるよ」

 ブスリ、と指先が窄まりに突き刺さり、そのままゆっくり後孔に埋め込まれる。  

「あああああッ」

 一週間が経っているとはいえ、まだ完全に傷の癒えない後孔に突き立てられ、真琴の口から悲鳴が迸る。それでも、ローションの滑りのせいだろう。克己の指が肉壁をまさぐり始めると、お腹の底から甘い痺れが湧き上がり、悲痛な叫びに切ない嬌声が混じり始めた。

「あっ、ああっ……ダメッ……そんな、掻き回さないないでぇッ……」

「こうしなきゃ隅々までチェックできないだろ? ……それにしてもやけに熱いな。アイツにいじられて火照ってやがるのか?」

「ちがうッ……それはこの前克己にやられたとこがまだ……」

「俺にやられた? こりゃまたずいぶん勝手な言い草だな。もとはと言えば、お前がそうされるようなことをしたからだろう? それを俺のせいみたいに言いやがって……」

 グチュグチュと、人差し指で円を描くように肉壁を掻き回し、ふいにぐるりと回転させて指先をお腹側にクイッと曲げる。
 途端、ピリッと電気が走るような快感が下腹部を駆け抜け、真琴はビクンと身体を硬直させた。

「あひぃッ! そこ、ダメッ……」

 克己は構わず、窄まりを真上に向けてひっくり返る真琴を見下ろしながら、後孔に埋めた指をクイクイと曲げて感じる膨らみを突きまくる。
 お腹の奥がカッと熱くなり、縮み上がっていたペニスがムクムクと勃ち上がっていくのが分かる。
 
「ひとが説教してる時に何喘いでんだ。この淫乱が」

「はあああああッ、いッ、いやッ、そこッ……いやッ……」

 浅い位置を小刻みに突き、かと思えば、いきなり根元までずっぽりと埋めてズボズボと抜き差しする。
 お尻を持ち上げられて両足を開かされ、小さな窄まりに何度も指を突き立てられる。
 一本だった指が二本になり、反対側からも指が捻じ込まれる。

「あひぃぃッ! 。も……無理ッ! 抜いてッ! ……きッつ……いッ!」

 三本、四本。
 もう何本入れられているのかも分からない。
 ズボズボ、グチャグチャ。右から左から上から下から、増やされた指が、狭い後孔を圧迫しながら肉壁を突き回す。
 それが、ふいに動きを止め、ごっそりと引き抜かれた。

「ぱっくり開いて、いやらしい……」

 至近距離から覗き込まれ、熱い吐息が腸粘膜に降りかかる。
 無数の指によって蹂躙された肉壁がヒクヒク蠢いているのが分かる。
 そこに、何か得体の知れないものが近付く気配を感じ、真琴は咄嗟に股の間を見た。

「なにそれッ!」

 黒い、ゴツゴツした太い棒。
 バイブだ。
 人間のサイズとは思えないほど長い。竿の部分は、大小無数のイボを纏った楕円形の玉がいくつも連なり、その先端には亀頭を模した出っ張りが嵩高く盛り上がっている。
 初見ならばおそらく震え上がっている。バイブを使われた経験のある真琴ですら、思わず驚きの声を上げてしまうほど凶悪な代物だった。

「まさか俺のを入れてもらえるとでも思ったか? バカめ。俺様を裏切るような奴はこのニセモンでじゅうぶんだ」

「裏切ってなんか!」

 言い終わらないうちに、克己が聞く耳持たないとばかり、持ち手のスイッチをカチリと押す。
 途端、ウイーンというモーター音が響き、楕円形の玉が連なった竿が、表面を取り囲んだイボを振動させながら節足動物のようにクネクネと動き始めた。

「凄いだろ。これを今からお前のケツに入れてやる」

「そ、そんな長いの無理だよッ! お願いッ、やめてッ!」

 逃れようとするものの、両足が宙に浮いているせいで思うように身体が動かせない。
 もぞもぞと背中をよじることしか出来ない真琴の窄まりに、グロテスクなイボ付きバイブが容赦なく迫る。

「この長いのを根元まで埋めたらどうなるかな……」

「やッ、やあぁッ! 無理ッ! お尻が裂けちゃうよッ!」

「そうならないようじっくり拡げてやったんじゃないか。もっとも裂けない保証はないけどな……」

「やぁッ! ゆるしてッ! ゆるしてってばぁッ!」

 泣き叫んだところで意味はない。
 バイブはウインウインとモーター音を上げながら接近し、ぬるり、と冷たい質感が窄まりに触れた次の瞬間、硬くて大きな塊が窄まりのシワをメリメリと拡げながら後孔に侵入した。

「うあああああッ!」

 つんざくような悲鳴を上げながら、真琴は全身をビクンと硬直させた。
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