ストロボ

煉瓦

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 僕がその人に似ているらしいと知ったのは、偶然、鹿島くんの友人に会ったときだった。

「よー久し振り、鹿島っ」

 鹿島くんの友人が鹿島くんに声をかけたとき、僕は鹿島くんとの久しぶりのデートを楽しんでいるところだった。
 駅で待ち合わせをしてから一緒に電車に乗り、数駅移動した先のモールをブラブラする。特に用事なんてなかったけれど、僕はそれだけで幸せを感じていた。冷やかしで店に入り、商品を見ながらあれだのこれだのと話す。僕より少し背の高い彼の横顔を見つめながら、こんな時間がずっと続けば良いのに、とこのとき何も知らなかった僕はそう思っていた。

「ああ、大川。懐かしいな、一年ぶり? この辺に住んでるのか?」
「いや、ちょっと離れたところに。ホント、卒業以来だよな?」

 ファッションに疎い僕が見てもオシャレだなと思う格好をしている大川というその友人は、鹿島くんの高校時代のクラスメイトらしかった。
 久し振りらしい再会を喜んでいる鹿島くんと大川さんから少し離れ、僕は興味なんて無いのに店の服を見ているフリをする。この店は鹿島くんが入ろうと言って二人でフラリと寄ってみた店だから、値段も何も知らなかった僕は、服に付いたタグの値段を見て驚いてしまった。僕がよく着ている服の三倍以上する……!
 ハンガーにかかった服をラックに戻しつつ鹿島くんたちのほうを窺うと、二人はまだ話しているようだった。
 忙しい鹿島くんとの久し振りのデートだったから、早く話が終わらないかな、と思ったけれど、そんなことを思っているなんて知られてしまったら鹿島くんはきっと僕を嫌いになってしまうに違いない。彼を独り占めしたい気持ちを必死に隠し、僕は鹿島くんたちに背中を向け、これならまだ値段が安いかなと思って、棚の上の畳まれたTシャツを手に取って眺めてみたりした。

「今日、久米らと飲みあるんだけどお前もどう?」

 背中を向けたままでも、鹿島くんたちの会話に耳をそばだててしまう。久米くん、というのも多分彼らの高校の同級生なんだろう。卒業してまだ一年しか経ってないけど同窓会しようぜ、なんて大川さんは明るい声で話している。
 嫌だな、と思った。
 今日は一ヶ月ぶりのデートだった。
 大学でも鹿島くんは人気があって、僕はなかなか話す機会を見つけられない。彼はいわゆる陽キャと言われるグループにいて、地味で存在感のない僕が近づけるような人じゃなかった。付き合ってはいるけれど、男同士なうえ、大学の知り合いに見られると鹿島くんが困るだろうから、デートはこうして大学からなるべく離れた場所に行くようにしている。今日はこれからモールに併設された映画館に行く予定で、そのあとの予定は特に決めていなかったけれど、一人暮らしの僕の部屋に呼べたら良いな、なんて思っていたのだ。
 まだ終わらないのかな、と別の棚のTシャツを手に取るふりをして、僕は控えめに鹿島くんたちを見た。

「今日は友達と来てるから」

 チラリとこちらを見てくれた鹿島くんの視線に気づき、大川さんが僕を見る。僕は軽く会釈をすると、再び商品を見ているふりを続けた。

「あれ。よく見たらさ、ちょっと久米に似てね? 雰囲気とか、服? とか?」
「そうか?」
「確かにお前らスッゲェ仲良かったけどさ、大学行っても似たようなタイプとダチになるって、どんだけアイツのこと好きなんだよ、あはは」
「何言ってるんだよ、全然似てないって」

 鹿島くんと大川さんの話はまだ終わらない。まるで僕なんて最初からいなかったみたいに、二人だけで話を続けている。

「でもお前がつるむにしては地味じゃね? 何となく似てるけど、だいぶランク落とした感じ?」

 声をひそめたつもりらしいけれど、必死に耳をそば立てていた僕には、大川さんのその言葉はしっかりと届いていた。

 僕なんかが鹿島くんの隣に立つなんて、おこがましい。

 浮かれていた僕は、その事実を忘れていた。
 格好良い鹿島くんに優しくされて、すっかりその気になっていた自分が恥ずかしい。冷静になって客観的に見てみれば、鹿島くんには僕なんかよりも大川さんのような派手目なイケメンと話しているほうが似合っている。いわゆる、立ってるだけで絵になるってやつだ。
 手に持っていたTシャツを畳み直して棚へ戻すと、僕は小走りで鹿島くんに近づいてコソッと告げた。

「僕、よ、用事ができたから帰るね」
「え? なんで?」

 あっさり了承されると思っていた僕は、予想外の鹿島くんの返答にしどろもどろになってしまう。

「あの、だから、用事……が」
「今日は一日俺と遊ぶ予定だったろ」
「ごめん……」

 大川さんと話していたときとはまるで違い、不機嫌丸出しとなってしまった鹿島くんを前にして、僕は小さく縮こまる。

「で? 用事って何?」
「え、あ……」
「終わるまで待ってるからさ」

 本当は急用なんて無い。釣り合わない僕と遊ぶより、気心の知れた大川さんと、それからすごく仲が良かったらしい久米さん? たちとの飲み会に行くほうが鹿島くんは楽しいだろうと思ったから、そう言ったに過ぎない。

「今日中……には、終わらない用事、でっ」
「は?」
「じゃあ、ごめんね、鹿島くん、また!」

 眉を顰めたままの鹿島くんが何かをいう前に、僕は走って店を出た。

「ちょ、村瀬!」

 鹿島くんは声まで格好良い。そんな彼に名前を呼んでもらえるだけでも僕は幸せ者だ。けれど、彼を不愉快な気分にさせたのが申し訳なくて、僕は泣きそうな顔を見られないようにモール内の人混みに紛れ込んだ。



 家に帰る電車の中で、僕は早速スマホで検索をしてみた。鹿島くんの卒業した高校名と、久米さんという名前。それを入れて検索ボタンを押すと、高校の公式サイトに載せられた、二年前の部活動の画像が出てくる。サッカー部の県大会で準優勝したときの集合写真だとキャプチャには書かれていた。
 画像の下に書かれた名前と照らし合わせなくても、僕にはどれが久米さんなのかすぐに分かってしまった。確かに僕と少しだけ雰囲気の似た、いや、似てるだなんて思い上がりも甚だしい、と感じるほど可愛らしくて整った顔の人物が、高校生の鹿島くんの隣に映っていたからだ。彼らは肩を組んでいて、本当に仲が良さそうだった。
 アイドルと言ってもおかしくないほど容姿の整った久米さんと、高校生の頃も今も、若手俳優みたいに格好良い鹿島くんは、とてもお似合いだと僕は感じた。

 急に帰ってしまった僕のことを鹿島くんは少し怒っていたけれど、次の日、顔を合わせてちゃんと謝ったら許してくれた。優しいな、鹿島くん。そう思ったものの、僕の心には少しモヤモヤとしたものが残っていた。
 大好きな鹿島くんと話していても、どこか気分は晴れない。いつもより元気がないと鹿島くんは心配してくれたけど、その理由を僕は説明できる訳もなく、ただ大丈夫だよと繰り返すことしかできなかった。



 僕の中に生まれた疑問。その答えが明確になったのは、それからしばらくしてからのことだった。

 忙しい鹿島くんは金曜日か土曜日のどちらかの夜、会いたいからと僕を部屋に呼んでくれる。大学では迷惑になるからあまり一緒にいられないし、休日も、一緒にいるところを誰かに見られたら申し訳ないから、部屋で二人で過ごせるのは本当に嬉しかった。

 その日も家で準備を済ませてきた僕は、ベッドに座ったまま鹿島くんがシャワーを済ませるのを待っていた。そしてふと目をやったカラーボックスの下段に入っていたアルバムに目を止めてしまったのだ。
 勝手に見るなんてダメだと思ったけれど、知りたいという欲求に僕は負けた。ベッドから下りて紺色の背表紙のそれを取り、床の上で表紙をめくる。中には、高校時代の鹿島くんと友人たちが何人もいた。もちろんあの大川さんも、そして、久米さんも。
 そこには、部活のジャージ姿、制服姿、私服姿、と色んな鹿島くんが友人たちと笑顔で楽しそうに映っていた。やっぱり鹿島くんは格好良い。そう思いながら最後のページをめくった僕の手が止まる。

「…………」

 アルバムの最後のページ、そこに鹿島くんはいなかった。
 代わりにいたのは、久米さんだ。久米さんだけが映った笑顔の写真、横顔、後ろ姿。一ページ分の六枚の写真ポケットには、その全てに私服の久米さんの写真が入っていた。

 やっぱり、と思う。
 あの日から僕を苦しめていた予想は当たっていた。
 思えば、最初からおかしかったのだ。鹿島くんのような人が僕のような人間を恋人に選ぶなんて、どう考えてもあり得ないことだったのに。たまたま講義で隣に座ったから、これも何かの縁でしょと話しかけられて、次の講義でもたまたま隣になって、それが続いて次第に仲良くなって、友達になって、告白されて、恋人になって。鹿島くんが理由もないのに、ただ偶然隣に座っただけの僕なんかを好きになるはずがない。そんなこと、やっぱりあり得なかったんだ。

 友達になったころから鹿島くんは僕を連れて服を買いに行ったり、行きつけだという美容院に連れて行ったりしてくれた。服だけじゃない、カバンなんかの持ち物も、こっちのほうが似合うとか、プレゼントするなんて言ってくれたりもした。最初は気後れしていた僕も、それを身につけると鹿島くんが喜んでくれるのが嬉しくて、貰う代わりに必死でバイトをして鹿島くんの好きなブランドのものをプレゼントしたりしていたのに。
 元が良くなくても、髪型や服装で少しは鹿島くんの隣に立っても恥ずかしくないような見た目になれれば良いな、なんて思っていた僕は愚かだった。

 写真の中の久米さんの髪型や私服は、今の僕の格好によく似ていた。
 今なら、大川さんが言った、ちょっと久米さんに似ている、という言葉の意味が良く分かる。鹿島くんは僕に高校生の頃の久米さんの格好をさせて、彼の代わりにしていたのだ。


 浴室のシャワーの音が止んだので、僕は慌ててアルバムを閉じ、本棚へ戻した。浴室のドアの開く音がし、廊下をペタペタと裸足で歩く音がする。僕は慌ててベッドに潜り込み、眠っているふりをした。

「コウ?」

 康介という名前から付けてくれた、鹿島くんしか使わない愛称で僕を呼んでくれる。二人きりのときだけ呼んでくれるその名前が僕は好きだった。
 僕はその声で目が覚めたかのように、欠伸をしながら目を開けた。少し涙が出て、目が赤くなってしまったことも、これで誤魔化せているといいな。

「寝てた?」
「んー……うん、ごめん」

 鹿島くんは少し笑うと、ベッドに横たわった僕の体に覆いかぶさり、唇に軽くキスをした。

「眠い?」
「ちょっと」

 今日はあまりしたくないな、と思ってそんな返事をする。事実を知って、さすがの僕も少しばかり傷ついたからだ。
 鹿島くんは僕の頬を優しく撫で、それからもう一度唇を重ねた。いつもみたいに舌先が僕の下唇を舐め、だから僕は自分から唇を開いて彼を受け入れる。したくない。けれど、鹿島くんがしたいなら仕方ない。
 舌を絡められ、唾液を飲み込んだ。そうすると鹿島くんは嬉しそうに笑ってくれる。その笑顔が僕はとても好きだったのに、今は心が痛くなる。けれどやっぱり僕は鹿島くんのことが好きだったから、我慢して笑い返した。

「コウ、疲れてるよな? ごめんな。でもコウのこと抱きたくて先週から我慢してたから」
「……ううん、良いよ」
「ありがと」

 鹿島くんがしやすいように、自分からシャツと下着を脱ぐ。立てた膝を開くと、鹿島くんは僕の胸に舌を這わせながら、ローションを垂らしたお尻に指をそろっと挿れた。

「痛くない? 大丈夫?」
「大丈夫、気持ち良いよ」
「良かった」

 もう何度もした行為なのに、鹿島くんは僕の体を気遣ってくれる。けれどそれも、僕のことを久米さんだと思って抱いているからなのかな、と思った。一度そう思ってしまうと、もう止められなかった。体は全然痛くないのに涙が勝手に流れてしまう。それを誤魔化すために、僕は両腕を上げて顔を覆い、派手に感じているフリをして、早く挿れてと鹿島くんにねだった。



 それからも僕は、なんでもない顔をしながら鹿島くんと付き合い続けた。
 だって、僕は彼のことが好きだったからだ。彼が僕を好きじゃなくても構わない。僕に久米さん……彼の想い人の面影がある限り、僕は鹿島くんの恋人でいられる。だから僕は自分の姿を、一度見たっきりのあのアルバムに最後のページに映る久米さんの姿へ似せるようにと必死に努力した。

 二週間ぶりのデートの日、僕は前日に髪を切った。写真の久米さんより少し長めだった髪を短くして、より彼へと近づけるようにした。

「髪、切ったんだ」
「うん。ちょっと鬱陶しかったから」
「そっか。今の髪型も良いけど、前のも似合ってたよ」

 待ち合わせ場所にしていた駅前の広場へ来た彼は、僕を見るなりそう言った。少し含みがあるような鹿島くんの言いかたに、僕は不安を覚える。僕なんかが久米さんに近づけるわけがないことなんて百も承知だ。けれど少しでも、ほんの少しでも、彼を思い出して鹿島くんが僕のことを気に入ってくれれば良いなと思ったのだ。

「に……似合わない、かな」
「ううん! 凄く似合ってる。かわいいよ」

 鹿島くんは笑顔でそう言ってくれる。けれど僕の心には燻ったものが残り続けた。


「この服どうかな? コウに似合うと思うんだけど」

 一緒に入った服屋で、鹿島くんがハンガーにかかったカーディガンを僕に示す。淡いグリーンのそれは、久米さんの身につけていた洋服の色とは全く違うものだった。だから僕は曖昧に笑い、でもこっちのほうが好きかな、と黒をベースにしたパーカーを手に取る。写真の中の久米さんは、モノトーンの服をよく着ているようだった。淡い色なんて彼らしくない。鹿島くんの好みから遠ざかってしまう。

「そっか、それも似合うよ」

 鹿島くんはにっこり笑ってそう言った。そっか、の言いかた少し気になったけれど、気にしていないふりをする。気にしたところで、僕にはこうするしかないのだから仕方がないんだ。
 ハンガーをラックに戻す鹿島くんの横顔が寂しそうに見えた僕は、何か違う話題を探そうと急いで口を開いた。

「ば、晩御飯、どこで食べようか? この間連れて行ってくれた店、美味しかったよね、あそこに……」
「今日はさ、俺の家に来てよ」
「え?」
「俺、作るからさ。コウに食べてほしくて練習したんだ、料理」

 慌てた口調の僕を遮った鹿島くんは、少し照れくさそうに笑った。やっぱり格好良いな、と思う。
 僕はこれからもずっと鹿島くんと付き合っていたい。そのためにはやっぱり、僕は久米さんを真似なければならない。


 鹿島くんの部屋へ上がらせてもらうのは幾度もあったけれど、手料理をご馳走してもらうのは初めてだった。
 手伝おうとした僕に、「ここで待ってて」と言ってローテーブルの前に座らせると、鹿島くんは手際よく料理を始めた。野菜を切って、卵を割ってかき混ぜて、それから冷凍のご飯を解凍して、とスムーズにこなしていく。僕はそんな彼の横顔を盗み見ながら、やっぱり格好良いなと胸をドキドキさせていた。

 お待たせ、と鹿島くんが持ってきてくれたのはオムライスだった。前に僕が好きな料理だと言ったのを覚えてくれていたらしい。
 美味しい、と感想を言いながらそれを食べた僕は、必死に涙を堪えていた。僕はこんなに好きなのに、彼が僕に優しいのは僕が僕じゃないからだ。僕が久米さんの雰囲気に似ていなければ、この優しさを僕が受け取ることは無かったのだろう。僕は、久米さんに似ていて良かったと思うと同時に、似ていなければ良かったと思った。


「好きだよ、コウ」

 食事を済ませてお風呂に入ったあと、鹿島くんは僕を抱きしめてキスをしてきた。僕は素直に目を閉じてそれを受け入れる。好き。好きだよ、鹿島くん。君が僕を好きじゃなくても、僕は君が好きなんだ。

「エッチ……しても、良い?」
「うん」

 鹿島くんは僕をベッドへ押し倒す。いつもの優しそうな顔から雄の顔になった鹿島くんは、僕の体の中へ指を挿れようとした。

 プルルッ、プルルッ。

 マナーモードになっていなかった鹿島くんのスマホが震えながら着信音を鳴らした。それはローテーブルの上にあり、そばにあるベッドに寝転んでいる僕からよく見える。
 ロック画面の通知欄には、久米さんの名前があった。そしてメッセージの一部も。

『この前楽しかったな! で、来週は? 俺ん家泊まっても良いし』

 来週はデートできないと鹿島くんから聞いていた。そうか、久米さんと泊まりでどこかに行くんだ。なんだ、僕の知らないうちに久米さんと上手くいってたんだ。なら僕より大事な用事だよね。それはそうだ、僕なんかとデートしてる場合じゃない。本命の彼と上手くいけばスペアの僕なんて必要なくなるんだから。
 鹿島くんのローションに濡れた指は僕のお尻に入っている。けれど彼はいつものようにそれを動かさなかった。

「ごめん、痛かった?」
「え?」
「泣いてるから、痛かったかなって……」

 驚いて両手で頬を擦ると、確かに涙が流れていた。スペアでしかないくせに傷つくなんて、鹿島くんは引いてしまったんじゃないだろうか。
 僕は急いで涙を拭うと、大丈夫と言って足を大きく広げた。
 泊まりっていうことは、鹿島くんと久米さんは来週セックスをするのかな。だったら今日が、僕にとっては鹿島くんに抱いてもらえる最後の日なのかもしれない。

「痛くないよ、鹿島くん。い……挿れて、挿れてほしい」

 胸がキリキリと痛む。でも最後かもしれないから。
 なのに鹿島くんは僕の体から指を抜くと、僕の横へと寝転んで抱きしめてきた。

「鹿島くん」
「駄目。今日はやめとこう。……コウ、何だか辛そうだし」
「で、でも僕、鹿島くんとエッチしたい」
「俺もしたいけど、また今度にしよう? コウの体調が戻ったら、ね?」

 そう決めてしまった鹿島くんは、僕がどんなに言っても抱いてくれることはなかった。今度なんて来るかどうかも分からないのに。鹿島くんと久米さんが上手くいったら、僕は捨てられるしかないのに。
 僕を抱きしめたまま眠ってしまった鹿島くんの腕の中で、僕は静かに泣いた。



 結論から言うと、それから一ヶ月ほどが経っても僕は鹿島くんに捨てられることは無かった。
 けれどチラチラと盗み見た鹿島くんのスマホには久米さんからの連絡が増え、逆に僕は鹿島くんとデートをする日が減っていった。

「コウ、元気ないな……大丈夫?」
「今日はもうデート切り上げて帰ろうか」
「疲れてるのに誘ってごめん」

 最近ではもう、せっかくデートの約束をしていても、待ち合わせ場所で顔を合わせるなり、そんな風に言われて家まで送られることも増えた。
 そして夏休みが始まる前の週、暑いからと一緒に入った駅前の喫茶店で、僕は鹿島くんに言われたのだった。

「来週、四泊五日で友達と旅行に行くんだけどさ、お土産何が良い?」
「……ぁ、な、何でも……友達って、久米、さん?」
「あれ? 久米のこと、コウに話したっけ?」
「うん……だいぶ前だけど」
「そっか。その久米の田舎が東北でさ、そこへ……」

 そこからはあまり覚えていない。何とか笑顔を浮かべて鹿島くんの話を聞いていたけれど、何も考えられなかった。

「俺、ちょっとトイレに行ってくる」

 鹿島くんがそう言って席を立ったことで、息をつめていた僕は、ようやく呼吸ができるようになった。
 そこで初めて、鹿島くんといることを嬉しいと感じられていない自分に気付いてしまった。嬉しいどころか、息をするのさえ苦しくてたまらない。好きなのに、早く僕を捨ててほしいとさえ思っている。

 そのとき、テーブルに置いたままだった鹿島くんのスマホがブルブルと震えた。通知欄には、もう見慣れてしまった久米さんの名前がある。そしてその下には、

『そんなことない。好きだから大丈夫だって。だから鹿島から好きって言って』

と表示されていた。
 駄目だ。もう駄目だ、終わりだ。
 僕は伝票と荷物を持って席を立ち、レジの店員さんに先に帰るからと鹿島くんへの伝言を頼むと会計を済ませて店を出た。



 急に具合が悪くなったと思ったらしい鹿島くんからは何度も着信があったけれど、僕はそれに一切出なかった。送られたメッセージにはただ一言、急用ができたからごめん、と返した。

 次の日から僕は、メッセージでのみ当たり障りのない連絡を取りながら、大学で鹿島くんに会わないように気をつけて過ごすようになった。元々違う学科だし、一般教養以外で同じ授業を取ることもないから、それはあまり苦労することもなかった。そうしながら空きコマや学校終わりに不動産屋へ寄り、引越し先を探した。
 親には、生活音が気になって、という理由で引っ越したい旨を伝えて了承してもらった。
 何軒か不動産屋を回って即入居可の物件を見せてもらったあと、早々にその一つへと引っ越し先を決めた。

 鹿島くんが久米さんと旅行に出掛けた日に引っ越しした僕は、次の日、スマホを解約した。新しいスマホを契約して、古いものを初期化してからリサイクルに出した。引っ越し代とスマホ代で貯めていたバイト代はほとんど無くなってしまったけれど仕方ない。
 新しいスマホには両親と兄弟、それから少ない友人のアドレスを入れただけで、鹿島くんのものは入れていない。LI○Eも新しくアカウントを取り直して、それでようやく僕は終わったという実感を得られた。
 鹿島くんが旅行から帰ってくる前に僕は実家に帰り、夏休みのほとんどをそこで過ごした。兄弟や地元の懐かしい友人と遊んだり、一人でブラブラしたり、持って帰ってきた教科書とノートを見ながら夏休み明けにある前期試験の勉強をしたりしていると、時間はあっという間に過ぎていった。


 けれど、夏休みが終わって前期の試験が終了し、短い秋休みが始まったその日、僕は大学の校内で鹿島くんに会ってしまった。大学の事務局に転居届を出すのを忘れていたために朝から門をくぐった僕は、後ろから腕を掴まれたのだ。

「コウッ」

 もう懐かしささえ覚える呼び名で呼ばれる。反射的に振り払おうとしたけれど、鹿島くんの力は存外に強くて出来なかった。仕方なく、僕は鹿島くんへと向き直る。今日の僕は久米さんのような服を着ていない。薄い水色のシャツにジーンズだ。髪だってあれから伸びたままで、鹿島くんの好きだった僕じゃない。
 そのことは僕に少しの自信を与えていた。

「久し振り、鹿島くん」
「久し振り、じゃないよ。コウに連絡つかなくて、俺……何かあったのかって思って家まで行ったら引っ越してるし……っ!」
「ああ、ごめん」

 二ヶ月ぶりに会う鹿島くんは、やっぱり格好良かった。僕を見かけて走って来たのか、乱れた前髪さえも彼の魅力になっている。少し笑って謝った僕がそんな彼を見つめていると、近くの棟から出てきた女の子二人組が声を掛けてきた。

「鹿島くんじゃん。ラッキー、忘れ物して良かった! ね、このあと用事ある? 無いなら」
「俺ら、用事あるから」
「え、あ」

 唖然とした女の子たちを横切り、鹿島くんは僕の腕を掴んだまま女の子が出てきたばかりの棟へと入る。秋休みだから棟内に人気は無く、そこにはただ僕と鹿島くんの足音だけが響くのみだった。
 鹿島くんは一階にある講義室の扉を開けて中に入る。腕を掴まれたままの僕も当然鹿島くんに続いた。ここで別れ話をするのかな、と思った僕は、その背中に向けて鹿島くんよりも先に口を開く。

「鹿島くん。僕たち別れよう」
「え?」
「鹿島くんは悪く無いよ。でも僕もいい加減キツかったから丁度良いんだ」
「何、言って……」

 信じられないものを見たような顔で絶句する鹿島くんを見て、もしかして久米さんと上手くいかなかったのかな、と思った。けれどもう無理だ。これ以上鹿島くんと付き合うのは僕の心がもたない。

「終わりにしようよ、ね、鹿島くん」
「嫌だ」
「鹿島くん」
「絶対に嫌だ。……なあ、どうしてだよ? 俺、コウが好きだよ。何かしてしまってたなら謝るから、別れるなんて言わないで」
「鹿島くん」

 強めに言った僕の声に、鹿島くんは怯んだようだった。けれど彼は相変わらず僕の腕を離してくれない。だから僕は最終通告を突きつけるしかなかった。

「鹿島くんは久米さんと両思いになったんだから、もう僕は必要ないよね」

 鹿島くんの顔を見ながら久米さんの名前を出すのはまだ辛い。だから僕は床を見つめ、早口でそう言った。これで鹿島くんは僕と別れてくれるはずだ。

「え? 久米……?」

 けれど予想に反して鹿島くんは戸惑ったような声を出す。その声に、今度は僕が戸惑った。

「え、だって、鹿島くんは久米さんが好きで」
「え……は?」
「僕は久米さんの代わりで」
「ちょ、ちょっと待って!」

 鹿島くんは僕の言葉を遮り、腕を離してくれた代わりに両手で僕の肩をがっしりと掴んだ。

「コウは凄く大きな勘違いをしてる……気がする」
「だ、だって」
「話し合おう? な?」

 間近で顔を見つめられた僕は、その迫力に押されて思わずうんと頷いてしまった。



 オムライスをご馳走になったあの日振りに、僕は鹿島くんの部屋へ招かれた。
 大学からここまで、鹿島くんは僕の手を離してくれない。部屋へ入っても、僕が床へ座っても、鹿島くんはずっと僕の手を握っていた。

「コウ」
「う、うん、なに?」
「最初に言っておくけど、俺と久米はただの友達だから。俺が好きなのはコウだけだよ」

 鹿島くんは片手だけじゃなく両手を握って僕を正面から見つめ、そう言った。嘘をついているようには見えない。けれど僕の心は迷っていた。

「旅行も四人で行ったんだ。高校のときの友達同士で」
「そうなんだ……」

 てっきり二人きりで行ったのだと思っていた僕は恥ずかしくなる。鹿島くんが言うには、僕が鹿島くんと最後にあった日、喫茶店でその辺りのことを話してくれたそうなんだけれど、上の空だった僕はそのことを覚えていなかった。
 と、喫茶店という単語でスマホの通知画面を思い出した僕は思い切って聞いてみる。

「あの日、鹿島くんがトイレに行ってる間にスマホに通知が来てて、それを僕、見ちゃって、それで……」
「あの日っていうと、これかな」

 鹿島くんはなんでもないことのようにスマホを操作すると、僕に見えるように画面をこちらへ向けてくれた。

『相手もお前のこと好きだって言ってくれてるんだろ?』
『でも嫌われ始めてたらって思うとさ』
『そんなことない。好きだから大丈夫だって。だから鹿島から好きってちゃんと言ってやらないと。応援してる。』

 通知画面に表示されていなかった文面を目にして、僕は恥ずかしくなった。でも、このやり取りって……。
 鹿島くんの顔を見ると、彼は恥ずかしそうにこちらを見ていた。

「コウがよそよそしくなったって感じてて、相談してたんだよ」
「そっか……そうだったんだ」
「安心した?」
「……もう一つだけ」
「ん?」

 誤解は解けたけれど、やっぱり気になることが一つ残っている。残っている、と言うより、それが始まりで一番大きな問題だと感じていた僕は、鹿島くんの手を握り返して恐る恐る聞いた。

「僕、久米さんに……似てる?」

 鹿島くんはすぐに返事をしなかった。
 少し遅れて、うん、と頷いた彼に、やっぱりなと僕は思った。

「初めて見かけたとき、雰囲気が似てるなって。久米とは親友だから、コウも似てるなら仲良くなれるかなって思ってさ。だから気になって話しかけた」
「やっぱり」
「でもそれは最初だけだから! きっかけ、だっただけで……それから仲良くなって、性格とか全然違うって分かってから、……好きになった」
「でもあのアルバム」

 僕はカラーボックスに収まったアルバムを指差す。

「勝手に見てしまってごめん、でも、あの最後のページに久米さんの写真があったから僕は、鹿島くんは久米さんのことが好きなんだって思って、それで……」
「違うよ」
「けど」
「前にさ、コウ、格好良くなりたいって言ってたじゃん?」

 それは覚えている。鹿島くんと話すようになって、一緒にいる時間が長くなった頃、周りの目が気になるようになったんだ。格好良い鹿島くんの横に立つのに恥ずかしくない格好がしたいと、そういうことを鹿島くんに冗談めかして言ったような気がする。

「だから、久米みたいな格好したらコウもそれが似合うかなって思って、アイツの写真だけピックアップして服の傾向とか見てたんだよ。……で、俺、結構ズボラだからそのまま写真を元に戻すの忘れてたんだけど……」
「…………」
「でもやっぱり久米と違ってコウは優しいって言うか、柔らかい雰囲気のほうが似合うからさ、途中で参考にするのは止めたんだ」
「ハ、ハハハ……」

 恥ずかしい。恥ずかし過ぎて逃げたくなる。
 なんだ、そうだったんだ。僕は馬鹿だ、鹿島くんに確かめることもせず、自分の中に勝手な鹿島くんを作り上げて勝手に傷ついていた。
 髪型も前のも似合ってたって言ってくれたのはそうだったんだ。確かに、勧められる服も途中から傾向が変わっていたのに、僕は久米さんに似せることに必死で鹿島くんの気持ちを誤解していた。

「誤解、解けた?」
「……うん、ごめん」

 僕が謝ると、鹿島くんは首を横に振る。

「コウの元気が無くなっていくの気付いてたのに何も聞けなかった俺が悪いよ。嫌われたのかも、とか、コウが他の人を好きになったのかもって思ったら怖くて聞けなかった」
「そんな! 僕が鹿島くんを嫌いになるわけなんてないよ。鹿島くんがいるのに、他の人なんて好きになるわけない」

 必死に否定する僕を見て、鹿島くんはようやく笑ってくれた。

「俺も。俺も、コウより他に好きな人なんていないよ」

 僕は鹿島くんを見つめ、たまらない気持ちになる。だから目を閉じて自分から顔を近づけた。
 唇が触れ、鹿島くんは僕の手を離して背中を抱き締めてくれた。優しく撫でる手のひらから伝わる熱が嬉しい。この温かさを、僕は自分から捨てようとしていたのだ。

「好きだよ、鹿島くん」
「俺だってコウがすごく好きだ」

 鹿島くんは僕にもう一度キスをして、それから少し恥ずかしそうにこう聞いた。

「エッチしても良い?」

 僕はもちろん頷いた。



 ベッドの上で僕の中にペニスをいれたまま鹿島くんは僕を抱き締める。

「しばらくこうしてても良い?」
「良いよ」

 僕の返事に嬉しそうに微笑んでくれる鹿島くんが大好きだ。
 鹿島くんは、その都度僕の気持ちを聞いてくれる。僕が嫌がることはしたくないから、と言っていた。こんなに格好良い鹿島くんなのに。引く手数多の鹿島くんなのに。とおかしくなって僕は少し笑ってしまった。

「ん? なに?」
「ううん。……ただ、鹿島くんのことが大好きだなあって」

 好きな人とこうして抱き合ってセックスをして、大好きだと言って、言ってもらえるなんて、僕は幸せだと思う。
 僕は鹿島くんに何度もキスをして、鹿島くんも僕に何度もキスをしてくれた。そうしてようやく鹿島くんはゆるゆると腰を動かし始める。僕が感じてしまう場所を優しく突いてくれたから、何度目かの抽送で僕は呆気なく達してしまった。

「かわいい」

 鹿島くんはそう言って、お腹の上に出してしまった精液を手のひらで広げる。そしてその手で僕の腰を掴み、今度は少し強めに腰を動かした。

「あっ、ん、んぅっ」
「好きだよ、コウ、コウッ」

 僕の中へ鹿島くんが射精する。いつもはゴムを使ってくれるけれど、今日は僕がどうしてもと言ったから、鹿島くんはゴムを付けずに中へ出してくれた。

「ここ、あったかい」

 お腹を押さえて嬉しいと言うと、鹿島くんのペニスが大きくなったのが分かる。もう一回しても良い、とまた聞いてくれる鹿島くんに、僕は良いよと答えた。


 セックスが終わっても鹿島くんは僕の体を離さず、僕は鹿島くんの腕の中で眠りにつくことになった。
 やっぱり鹿島くんとこうしてくっついていると安心するし、何より幸せだと感じる。
 鹿島くんも、僕とこうしていると幸せだと笑ってくれた。
 二ヶ月ぶりに実感したこの幸せを、僕はもう二度と離したくない。だからこれからは、鹿島くんともっと話そうと心に決めた。幸せなことも、不安なことも、自分の気持ちを鹿島くんにちゃんと伝えようと思う。そうすればこの幸せな時間を少しでも長く続けることができる気がする。
 鹿島くんにそう言うと、彼は笑って、少しでも長くじゃなくてずっとだろ、と言い、僕にキスをしてくれた。
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