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第14話 獣の本能、焦燥の爪痕
しおりを挟む久々のオフの晴れた午後。
澪は、ひとり気ままに街を歩いていた。
今日は店の定休日。つまり──彼に会う理由も、偶然出会う可能性もない日。
それだけのことなのに、胸の奥がスカスカとして、風が吹き抜けるようだった。
彼の低い声と近づく気配。
強引なはずなのに、どこか甘く包むような熱が恋しかった。
最初は本気で、うっとうしいと思っていたはずなのに。
(……どうして、今はこんなに恋しいんだろ)
自分の気持ちがわからないまま、ふと視線をショーウィンドウに向けた、そのとき──
「ねぇ、そこのお姉さん。人間?」
背後から突然かけられた声に、反射的に振り返る。
見知らぬ獣人の男が薄く笑いながら、こちらを見ていた。
「ちょっと時間ある?」
「すみません、用事があるので──」
さっと距離を取ろうとした、その時。
男の手が、不意に澪の手首を掴む。
「まあまあ、いいじゃん。すぐ終わるって」
「──っ、離してください」
(いやだ……)
瞬間、全身が総毛立つ。
皮膚の上を逆撫でされるような拒絶感に、脳が追いつくより先に、本能が悲鳴をあげた。
(気持ち悪い……この人の匂い、嫌だ……!)
触れられた場所が、明確に“違う”と告げていた。
この手は、自分に許されたものではないと、魂が叫んでいる。
(……リクさんには、こんなふうに思わなかったのに)
あの人の手は、荒くて熱くて、強引だけどどうしようもなく心地よかった。
なのに今は、ただ──嫌悪と恐怖だけが募る。
「……離してっ!」
振りほどこうとしても、男の手はびくともしない。
「っ……誰か……っ!」
その瞬間だった。
ガシャァン!!
ガラスが砕けるような鋭い音とともに、風が唸りをあげて吹き抜ける。
瞬間、男の身体が吹き飛ばされたようにして後方へ跳ねた。
「その手を離せ」
鋭く、威嚇するような声が背後から届く。
「な、なんだ……っ!?」
「俺の“番”に触れるな」
地の底から響くような低音が、周囲の空気を一瞬で凍らせる。
「ちょっ、話しかけただけだって──!」
「黙れ。今すぐその手をもぎ取られたくなければ、消えろ」
リクの瞳が鋭く光る。獣としての怒りが、ほんの一呼吸で空気を支配する。
怯えきった男は、何も言い返せず、一目散に逃げていった。
リクの瞳には、怒りと焦燥。そして、それ以上に激しく揺らぐ、抑えきれない何か。
「……怪我、してないな?」
その声が、ほんの少しだけ震えていた。
「リクさん、どうしてここに?」
「澪の匂いが変わったのが、遠くにいてもわかった」
リクの手が、澪の手首をそっと包み込む。
さっき触れられていた場所を、まるで塗り替えるように、その温もりを重ねた。
「澪が他の男に触れられてるのを見た瞬間……秒で理性が吹き飛んだ」
囁かれるような声に、背筋がぞくりと震えた。
「他のやつの匂いを澪がまとってるの、無理だ」
彼の目が潤んでいるようにも見えて──怒りとも哀しみともつかないその光に、胸の奥が締め付けられる。
「……澪は、俺のこと鬱陶しいって思ってんだろ。しつこいとか、面倒くさいとか」
「……正直に言うと、最初は思ってました」
そう言うと、リクは少し笑った。
「でも、あの人に触れられたときは全身が拒否したのに……リクさんの手は、一度も気持ち悪いと思ったことなかったなって気づいたんです」
その一瞬で、リクの瞳が細められる。
「──それ、もう告白ってことでいいよな?」
「ち、違いますっ!」
「じゃあ、どういう意味だよ」
低く、にじり寄るようなその声は、熱を持った空気となって彼女の肌に張り付いた。
「……俺、今──正直、限界近い」
リクの指先が、澪の手首からゆっくりと上へ。肘をなぞり、肩を撫で、頬へ至る。
指先が触れた場所が、じんわりと熱を持っていく。
(……また、この熱。嫌じゃない)
いや、それどころか。
もっと欲しい、もっと触れてと──体の奥が、勝手に訴えそうになる。
そして澪は、この熱が自分にとってなくてはならないものだと悟った。
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