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第二十一話 咎人の野心
しおりを挟むろうそくの火が揺れる室内に黒ローブを着た者達が集まっていた。
円状に陣を組む彼らの中心には本を持った女の像がある。
頼りない火が点滅するたび、フードを被った彼らの口元が照らされる。
「《鍵》はまだ手に入らないのか?」
「空の姫君はよほどうまく隠したようだな」
「もう根こそぎ奪ってしまえばいいのでは?」
「まだルドヴィアを敵に回すのは困る。それに、かの地には結界が張られている」
進捗のない報告にその場にいる者達は苛立ちを隠せていない。
誰かが舌打ちした。
「空の姫君が愚かな夫にすべてを話していれば済んだものを」
「その件ですが」
中性的な声を発した黒ローブが手をあげる。
「子ネズミが周囲を嗅ぎまわっている」
「ほう?」
「我らの存在に気付いたのか」
「いえ、そこまでではないようで。ただ、『継承者』の周囲を腕利きで固めています。特にアリステリス家の『賢姫』は我らでも一対一では危うい」
「ふむ」
濁った声の黒ローブがある一点に目を向ける。
「裏切り者としてはどう思うね、ヴィルヘルム令息?」
「……っ」
顔立ちのいい顔を歪めてエドワードは歯噛みした。
上等な貴族服は泥や血で汚れていて、爪を剥がされた跡があった。
断続的な鈍い痛みのせいで、気絶することも出来ない。
「まさか『灰狼』殿のご子息がここまで愚かなことをするとは思わなかったよ」
「黙れ! 僕はお前たちの道具じゃない!」
「そうとも。君も我らも道具ではない。神に仕える奴隷なのだ」
「何が神だ。存在しない書物を崇めてる老害共が」
「その存在しない書物のおかげでこの世に魔法が広まった。全知は偉大なのだよ」
耳障りな哄笑がエドワードを不快にさせる。
(古の技術に妄執する老害共が……!)
全智教団。
《空の文明》の末裔を宣い古代魔法に固執する者達だ。
現代魔法を軽蔑しており、魔法師教会に所属する者達を簒奪者と呼んで蔑んでいる。
《黒の書》を聖遺物として崇めており。《空の文明》の復活を目論んでいる。
エドワードは父親のせいでこの教団に所属する羽目になっていた。
(いきなり連れてきて暴行を加えるとは。野蛮な奴らめ……!)
「反抗的な目つきだな」
「……」
「貴殿に機会をやろう。ヴィルヘルム小伯爵」
黒ローブたちは言った。
「《空の姫君》が遺した《鍵》を連れてこい」
「せっかく成熟するまで確保しておいた《鍵》だ。手放した罪は贖ってもらわねばな」
「何が《鍵》だ。あんな小娘一人、居なくなったところで何も変わらない!」
「ハッ! 美醜で人の価値は決まらない。少なくとも貴様の命よりアレを確保するほうが重要だ」
「ひっ」
いつの間にかエドワードの首筋に刃が突きつけられていた。
音も気配もなく、背後から誰かが近づいていたのだ──。
まるで『お前などいつでも殺せる』と言われているかのようだ。
言葉なく死刑宣告を受けた罪人は頬を引き攣らせた。
「わ、分かった。分かったからこれを退けろ。僕を殺したら親父が黙ってないぞ」
「『灰狼』殿は話が分かる人だ。無能の命一つ、取るに足るまい。所詮、貴様は《鍵》の娘が居なければ何も出来ないのだから」
「……っ」
「さぁ行け! 貴様が手放した《鍵》をここへ連れてこい!」
「大いなる文明を復活させるために!」
は、は、は、は、は、は。
エドワードの足元に魔法陣が煌めき、不気味な哄笑がひびきわたる。
「世界に祝福と終焉を」
「鍵の覚醒を以て扉を開かん」
「我らが『黒の書』の恩寵があらんことを」
◆◇◆◇
魔法師教会の廊下に苛立ち混じりの靴音が響きわたる。
教団から解放されたエドワードは廊下の壁を殴りつけた。
「クソ! ひどい目に遭った。なんで俺がこんな目に……何も悪いことはしてないのに」
教団の意に背いてライラを手放したのは事実だが、元よりエドワードは教団の信者ではなく、父に言われて仕方なく婚約しただけ。あの陰気で根暗な女と一緒にいたら気が滅入るし、出自も怪しい母から教わった魔法陣と本で読んだことをべらべら語る彼女の話にはうんざりしていた。
「あの女が居なくても俺はやっていける。それを証明してやる」
エドワードは教団の意のままに動くつもりは毛頭なかった。
確かに、アリステリス卿の機嫌を損ねるなど失態はあったが……
まだだ。まだ自分はやり直せる。
そのために魔法師教会の研究室で書類をまとめ、上層部に提出しなければ。
金一封を渡しておけば、あのハゲ親父たちも黙るだろう……。
魔法師教会に属する上級魔法師には一人一室の研究室が与えられている。
魔法研究のために与えられた部屋は魔力紋でしか開かない金庫同然の一室だ。
ライラから盗んだ魔法陣構築式や、これまでのすべてが保管してある。
今回の論文以外にもライラの知識を溜め込んだ書類があるのだ。
栄達のために少しずつ小出しにするつもりだったが、こうなったら話が別。
エドワードはこれまでの研究成果をまとめ、上層部を無理やり納得させるつもりだった。
「……ん?」
異変は研究室に着いた時に見えた。
あろうことか、研究室の中身が空っぽだったのだ。
「……………………は?」
部屋を間違えたかと入り口を見る。
『ヴィルヘルム上級魔法師の研究室』
間違いなく自分の部屋だった。それなのに、中身が空っぽだ。
「ない……」
エドワードは幻覚がかけられているのかと部屋に踏み込んだ。
しかし、どれだけ壁をまさぐっても──
床に這いつくばっても、あれだけ溜め込んだ書類が跡形もなく消えている。
「どういうことだっ!」
慌てて事務室に行って詰め寄ると、事務員は冷めた目で答えた。
「ヴィルヘルム卿の研究室は現在停止されております」
「停止、だと……?」
「なんでも、資格に疑いが生じたとかで、アリステリス様が」
エドワードは先日の出来事を思い出した。
「あのジジイ……!」
だん! と机を叩いて詰め寄る。
「部屋の荷物はどうした! 家具は! 書類は! 全部俺のものだぞ!」
「資格が停止されている場合、研究室の荷物は押収されます」
「は?」
「資格が正しいものと判断できれば返却出来ますのでご安心を」
「……判断できなければどうなる」
「さぁ……なにぶん例が少ないもので。資格が疑われた者は犯罪者しかいませんから」
暗にお前も犯罪者なんだろうと蔑む事務員。
顔も知らない無礼者の言葉にエドワードは血が出るほど唇を噛みしめた。
「アリステリス卿に実演しなければならないんだ……せめて論文だけでも返せ」
「論文が無くても自分の研究なら頭の中に入っているのでは?」
「…………っ」
事務員は指でカウンターの机を叩いた。
「これ以上は仕事の邪魔ですのでお引き取りを。周りの方に迷惑ですので」
エドワードはおそるおそる振り返った。
魔法師教会の事務所に用がある者達が列を作っている。
「おい、まだかよ……もう十分だぞ」
「なんか伯爵令息が揉めてるらしいよ」
「上級魔法師の資格が停止されたんだって」
「嘘、それって本物?」
「これだから貴族は……ちゃんと実績のある人間を上級にしないからだ」
「どうせ実力が足りないから金で買った資格なんでしょ。ダッサ」
エドワードはぎろりと睨みつける。
伯爵令息の自分に向ける無礼な視線を今すぐ問い詰めてやろうかと。
しかし、追い詰められた犯罪者まがいに臆する人間はここには居なかった。
「……失礼するっ」
エドワードは土気色になった顔でその場を後にする。
身分が下のゴミ虫たちから向けられる、目、目、目、目……。
『貴様は《鍵》の娘が居なければ何も出来ないのだ』
脳裏に薄気味悪い教団幹部の声が響きわたり──
「取り戻さなければ……」
エドワードは変色するほど指を噛みながら呟いた。
「俺の栄光を。俺の道具を、取り返さなければ……!」
彼の瞳の奥に、野心と欲望の火花が散った。
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