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第二十五話 帰郷
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旧アナトリア王国はイシュタリア帝国の東に位置する国家だ。
肥沃な大地と左右の街道を繋ぐ貿易国家として世界中の食材が集まり、食べ物目当てにアナトリア王都へ観光に来る者達も後を断たなかったと聞く。シェラの故郷は王都とはかなり離れた辺境の山奥にあった。
「……ずいぶん残ってるのね」
馬車から降りたシェラは緑が生い茂る森を見て言った。
なにせ村が丸ごと炎に包まれていたのを見ていたのだ。
あの火が山に移っていてもまったくおかしくないし、現にシェラはそう思っていた。
「君の故郷はこの先だよ」
「……知ってる」
リヒムの使いであるラークのあとを追いながら、シェラは周りを見渡す。
一年前まで見慣れていた森の樹々には思い出がたくさん詰まっている。
見ているだけで姉との記憶があふれてきて、目の奥がつんと熱くなった。
(……お姉ちゃん)
「平気?」
「……ん」
袖で瞼を拭ったシェラは頷き、ラークを見上げる。
「そもそも、なんでお姉ちゃんの遺体が残ってるの」
「遺体っていうか骨だけどね」
「だから、なんでその骨がお姉ちゃんのだって分かるわけ」
シェラが最後に見た姉は炎に囲まれていた。
あの燃えさかる火の中で遺体が残っているとは思えない。
「閣下が胸を刺したからね。傷跡が残っていたんだよ」
「あの炎の中で……? 普通、灰になるんじゃ」
「別に彼女自身が燃えていたわけじゃないだろう?」
「それは、そうだけど」
確かにシェラはアリシアの遺体が燃えているところを見ていない。
その前に傭兵に捕まって目と口を塞がれたのだ。
奇跡的に炎に呑まれなかったアリシアの遺体が残っていてもおかしくはないが。
「もっと他に良い土地はあったのに、閣下は君のためにフォルトゥナまで手に入れたんだ。会ったらお礼言いなね?」
「……」
正直に言えばシェラが大事にしているのは姉であって故郷ではない。
むしろアナトリアではずっと姉と比べられ続けて辟易していた。
友達もいなければ知り合いすらいない。
彼らは姉の隣に立つ自分を見下して指を差す赤の他人でしかなかった。
(でも……)
自分のためにそこまでしてくれるリヒムの行動原理を、知りたい。
なぜ兵士ではなかった姉を殺したのか。
なぜあの時、あの場で、この場所にいたのか。
(それを知ったら、私も前に進める気がする)
「さぁ着いたよ。君の故郷だ」
「……」
だだっ広い野原を指差してラークが言った。
あの火事が起きたのは一年前なのに、もう命が芽吹いて草が伸びている。
ところどころに崩れた家の残骸や塀のあとが見えるものの、それだけだ。
(見覚えのある場所も、あるけど)
ここはもう、自分の故郷ではない。
特に何の情動も覚えない自分にシェラはそう思った。
ラークはそんなシェラを見下ろしながら、気さくに言った。
「閣下はこの奥で待ってる。行こう」
「……ん」
野原となった一番奥に、シェラの家だった神殿があった。
石造りの神殿はあの戦争でも無事に残っていたようだ。
嫌な思い出も良い思いでもある神殿に入ると、静謐な空気がシェラを迎えた。
「この下だよ」
「……?」
大理石の床が広がる神殿の祈りの間。
最奥にしつらえられた祭壇の下に地下へ続く階段があった。
(あれ、なんであの場所が……)
「ほら行こう」
「あ、ちょっと」
立ち止まったシェラの腕をラークが強引に引いていく。
あの下にリヒムが居るということだろうか。
遺体を安置するため? でもここは隠されていたはずじゃ。
「ねぇ、ほんとにここにリヒムがいるの?」
「間違いないよ。ほら、靴の後があるだろ?」
「……確かに」
疑問はあるが、リヒムに会えばすべて解決するだろう。
思考を放棄したシェラが地下に降りると、そこは壁画があった。
「これ……」
最低限の絵とミミズをのたくったような文字の羅列。
古代アナトリア語だ。おそらくは料理のレシピだろう。
「君、これ読める?」
「……読めない」
「アリシアの妹だったんじゃないの?」
「そうだけど……この文字は巫女だけに教えられたから」
それより、とシェラは周りを見渡した。
壁画のある部屋はがらんとしていて、リヒムも、姉の遺体もない。
「ねぇ、あいつはどこ? お姉ちゃんの遺体ってどこにあるの?」
「はぁ」
ラークが深く長いため息をついた。
感情が抜け落ちた顔で彼はつぶやいた。
「君もハズレか。つまんないの」
「え」
刹那の出来事だった。
一歩分の間合いを詰めたラークが刀に手をかけ、銀閃が宙を奔る。
シェラが咄嗟に飛び退けたのは奇跡だった。
「………………え?」
「ありゃ、避けるんだ。存外にすばしっこいね」
意味が分からず、シェラは顔を上げる。
ラークはリヒムの副官だったはずだ。彼が家に入れるほど信用されていた。
「なんで」
「分からないなら死んでいいよ。もう用済みだからさ」
ラークはそう言って笑った。
肥沃な大地と左右の街道を繋ぐ貿易国家として世界中の食材が集まり、食べ物目当てにアナトリア王都へ観光に来る者達も後を断たなかったと聞く。シェラの故郷は王都とはかなり離れた辺境の山奥にあった。
「……ずいぶん残ってるのね」
馬車から降りたシェラは緑が生い茂る森を見て言った。
なにせ村が丸ごと炎に包まれていたのを見ていたのだ。
あの火が山に移っていてもまったくおかしくないし、現にシェラはそう思っていた。
「君の故郷はこの先だよ」
「……知ってる」
リヒムの使いであるラークのあとを追いながら、シェラは周りを見渡す。
一年前まで見慣れていた森の樹々には思い出がたくさん詰まっている。
見ているだけで姉との記憶があふれてきて、目の奥がつんと熱くなった。
(……お姉ちゃん)
「平気?」
「……ん」
袖で瞼を拭ったシェラは頷き、ラークを見上げる。
「そもそも、なんでお姉ちゃんの遺体が残ってるの」
「遺体っていうか骨だけどね」
「だから、なんでその骨がお姉ちゃんのだって分かるわけ」
シェラが最後に見た姉は炎に囲まれていた。
あの燃えさかる火の中で遺体が残っているとは思えない。
「閣下が胸を刺したからね。傷跡が残っていたんだよ」
「あの炎の中で……? 普通、灰になるんじゃ」
「別に彼女自身が燃えていたわけじゃないだろう?」
「それは、そうだけど」
確かにシェラはアリシアの遺体が燃えているところを見ていない。
その前に傭兵に捕まって目と口を塞がれたのだ。
奇跡的に炎に呑まれなかったアリシアの遺体が残っていてもおかしくはないが。
「もっと他に良い土地はあったのに、閣下は君のためにフォルトゥナまで手に入れたんだ。会ったらお礼言いなね?」
「……」
正直に言えばシェラが大事にしているのは姉であって故郷ではない。
むしろアナトリアではずっと姉と比べられ続けて辟易していた。
友達もいなければ知り合いすらいない。
彼らは姉の隣に立つ自分を見下して指を差す赤の他人でしかなかった。
(でも……)
自分のためにそこまでしてくれるリヒムの行動原理を、知りたい。
なぜ兵士ではなかった姉を殺したのか。
なぜあの時、あの場で、この場所にいたのか。
(それを知ったら、私も前に進める気がする)
「さぁ着いたよ。君の故郷だ」
「……」
だだっ広い野原を指差してラークが言った。
あの火事が起きたのは一年前なのに、もう命が芽吹いて草が伸びている。
ところどころに崩れた家の残骸や塀のあとが見えるものの、それだけだ。
(見覚えのある場所も、あるけど)
ここはもう、自分の故郷ではない。
特に何の情動も覚えない自分にシェラはそう思った。
ラークはそんなシェラを見下ろしながら、気さくに言った。
「閣下はこの奥で待ってる。行こう」
「……ん」
野原となった一番奥に、シェラの家だった神殿があった。
石造りの神殿はあの戦争でも無事に残っていたようだ。
嫌な思い出も良い思いでもある神殿に入ると、静謐な空気がシェラを迎えた。
「この下だよ」
「……?」
大理石の床が広がる神殿の祈りの間。
最奥にしつらえられた祭壇の下に地下へ続く階段があった。
(あれ、なんであの場所が……)
「ほら行こう」
「あ、ちょっと」
立ち止まったシェラの腕をラークが強引に引いていく。
あの下にリヒムが居るということだろうか。
遺体を安置するため? でもここは隠されていたはずじゃ。
「ねぇ、ほんとにここにリヒムがいるの?」
「間違いないよ。ほら、靴の後があるだろ?」
「……確かに」
疑問はあるが、リヒムに会えばすべて解決するだろう。
思考を放棄したシェラが地下に降りると、そこは壁画があった。
「これ……」
最低限の絵とミミズをのたくったような文字の羅列。
古代アナトリア語だ。おそらくは料理のレシピだろう。
「君、これ読める?」
「……読めない」
「アリシアの妹だったんじゃないの?」
「そうだけど……この文字は巫女だけに教えられたから」
それより、とシェラは周りを見渡した。
壁画のある部屋はがらんとしていて、リヒムも、姉の遺体もない。
「ねぇ、あいつはどこ? お姉ちゃんの遺体ってどこにあるの?」
「はぁ」
ラークが深く長いため息をついた。
感情が抜け落ちた顔で彼はつぶやいた。
「君もハズレか。つまんないの」
「え」
刹那の出来事だった。
一歩分の間合いを詰めたラークが刀に手をかけ、銀閃が宙を奔る。
シェラが咄嗟に飛び退けたのは奇跡だった。
「………………え?」
「ありゃ、避けるんだ。存外にすばしっこいね」
意味が分からず、シェラは顔を上げる。
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