鹿翅島‐しかばねじま‐

犬河内ねむ(旧:寝る犬)

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兄屋木 尊美(あにやぎ たけみ)の場合(◇ホラー)

兄屋木 尊美(あにやぎ たけみ)の場合

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 くそ、体が重い。

「大丈夫ですか?」

「あぁ、だけど……くそっ! なんで俺らがあんな化け物・・・に追っかけらんなきゃならねーんだ!」

「化け物に人間の理屈は通じないですよ」

「……そうだな」

 化け物に襲われた傷はもう痛みもなくなっていたが、その分、体は重く、俺の動きを妨げていた。

 俺たち人間にそっくりな、でも本質は全く違う、俺たち人間を追い回して、無差別に殺す化け物。
 あいつらが現れたのは、もう遥か昔の事のようにも思えるが、まだ数時間ほど前の事だった。

 同じアパートに住んでいた、今までに何度か顔を見たことがある程度の隣人、尾畑おばた 建彦たつひこと言う学生と一緒になんとか身を隠しているが、ここもいつ見つかるか分からない。
 俺は真っ暗で何も見えない押し入れの中で、ただじっとりと息を殺した。

「……兄屋木あにやぎさん、あなたはどんなふうに襲われたんですか?」

 ただ黙って座っていることに我慢しきれなくなったのか、尾畑が話しかける。
 音を立てれば見つかる可能性も増えるが、俺もそろそろ限界だった。
 朝から何も食べてないから、まるで丸一日食事を抜いているみたいに腹も減っている。
 不安や空腹をごまかすために、俺は出来る限り声を潜めて、朝の出来事を語った。

「……つっても、もったいぶるような事は何もないんだけどな。夜勤明けで半分寝ながら帰ってきたら、そこの通りでふらふらしてるホームレスにぶつかってさ、そいつが『ヴぁぁああぁぁ!』なんて大声を出すもんだから怒鳴りつけて蹴飛ばしてきたんだけど、家に着いたら玄関で急に意識を失っちまったんだ」

 ふと気が付けば、化け物が俺の体を揺すっていた。
 そいつの顔は逆光でよく見えなかったし、言葉は「あー」だか「うー」だかよくわからない耳障りな金切り声だった。

 俺はそいつを突き飛ばし、なんとか逃げようともがく。
 でも、結局俺は逃げることも出来ずに、背中に衝撃を感じてまたその場で気を失ってしまった。

「で、気が付いたら外は真っ暗さ。隣の部屋から聞こえたお前の声につられてここに逃げ込んだって訳だ。殺されなかったのが不幸中の幸いってやつかな。……お前は?」

 尾畑が居心地悪げに体を動かす音が聞こえる。
 全島で停電でも起きているのか、本当に一寸先は闇と言う感じのここで、何も見えない俺は否が応でも音に敏感になっていた。
 呼吸や一挙手一投足がたてる音で、尾畑の不安や焦りが手に取るように分かるほどだ。
 俺は安心させるように、尾畑の背中をとんとんと叩いた。

「……僕は……信じられないかもしれませんが、今朝、コンビニの帰りに『ゾンビ』に襲われたんです」

「ゾンビ? あの生きてる死体の、人間を食う、あれか?」

「まさにそれです。でも、運良くそれは子供のゾンビだったので、僕は何とか逃げることが出来ました。転がるようにめちゃくちゃに走って、気が付くと家の前でした。そしたら、急に暗くなった通りで、あの化け物が人間を襲っていたんです。もう夢中で家に逃げ込みましたよ。そして、ここに隠れて神様にお祈りをしていたら……その声を聞いて兄屋木あにやぎさんが来たんです」

「……ゾンビと化け物ねぇ。まぁ今更何が来ても驚かねェけどな」

――がたっ。

 その物音で、俺らは身を竦める。こんな時だと言うのに、音に合わせて漂う何とも言えない食欲をそそる臭いに、俺はゴクリとつばを飲み込んだ。

 声を聞かれてしまったか?
 体をすくめてじっと全てが過ぎ去るのを待つ俺らを沈黙が包んだ。
 しかしなんだ、この美味そうな匂いは。頭がおかしくなりそうだ。

 数瞬の後、玄関が開き、中へ入ってくる化け物の足音。
 そして耳障りな化け物どもの金切り声がそれに続いた。

「大丈(あーーーー)夫だ。ゾン(ああーー)ビは(うー)居な……いや、ちょっと(ううーー)待て、そこの押し(うあーーー)入れから唸り声(ううああーーー)がする」

「気(あーー)をつけ(うあー)ろ」

 頭の中で、化け物どもの声がキンキンと響く。
 俺は敏感になっている耳を掻き毟って、割れそうになる頭で押し入れを飛び出した。

 何を言っているか分からねェが、この化け物どもは敵だ!
 ただ殺されるのをこそこそと待っていてやる義理もねェ。

「うぉぉぉぉぉ!!!」

 俺はあらん限りの声をあげて、真っ暗闇の中、金切り声をあげる化け物へと襲い掛かる。
 また、あの食欲をそそる匂いが鼻腔を満たし、俺は口の中にあふれるよだれを止められなかった。


  ◇  ◇  ◇  ◇


 明るい太陽に照らされたアパートの一室。
 打ち倒したゾンビ2体を見下ろして、地元の警察官が2名、荒い息を吐いていた。

「大丈夫か?」

「ああ、問題ない」

 警棒からゾンビの血を垂らし、1人の警察官が汗を拭いた。
 その足元で、まだ動こうとしているゾンビが「ヴぁぁぁあアアぁぁ……」と唸り声をあげる。

擬声ぎせい行動確認。まだ生きているぞ」

「あぁ、まかせろ」

 言葉と同時に警棒が振り下ろされ、ゾンビの頭はぐしゃりとつぶれた。
 もう1人が無線でどこかへ連絡を取る。

「アパートの一室で感染者2名を発見。衣服などからこの部屋の住人、尾畑おばた 建彦たつひこと隣の部屋の住人である兄屋木あにやぎ 尊美たけみの2名であると推測されます」

『了解。引き続き非感染者の救出と感染者の処理を続けろ』

 ザザッとノイズを発して、無線を切る。
 2名の警察官は、次の部屋をめざし、あたりに気を配りながら尾畑の部屋を出て行った。


――兄屋木 尊美(あにやぎ たけみ)の場合(完)
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