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しおりを挟む戻ることは無いかもしれないという意識が再び戻ってきた時、感じるのは安堵だった。
呪いにズタボロにされた私は、死の淵を確かに見た。
その上でいま感じているのは、生きる世界に引き戻される感覚だった。
その奇跡を手放したくなくて私は渾身の力で跳ね起きた。
「生きてるっ……!?」
ベッドのスプリングが弾む。
叫ぶと同時に大きく息を吸った。その呼吸が熱い。
目を開けた私の視線がとらえたのは全く見知らぬ部屋だった。
(っえ、ここ、どこ!? 実家(いえ)の間取りじゃない)
まず目に飛び込んできたのは高価な家具だった。
白磁の花瓶に、銀の燭台。
明らかに手入れの届いたじゅうたんに、重厚な木製のドア。
(天国、かな?)
疑問が脳裏をかすめた。あまりに現実離れした大邸宅。
――伯爵家すら持ち得ない調度品が並べられた場所に、自分が寝ている心当たりがない。
ならば死んで天国に来てしまったのだろうか。
「アルミア、良かった。目が覚めたか」
呆然としていると、名前を呼ばれた。
――その声、どこかで聞き覚えがある。
だが微妙に異なる。記憶にある声はもう少し甲高く若い。
その声はベッドの隣から聞こえてきた。
隣を見た私は――信じられなさに目を瞬かせた。
「うそ……フリッツ……?」
名前を呼んで、まるで都合のいい夢を見ているような気分に襲われた。
そこに居たのは、今際の際に会いたいと願った少年――その成長した姿だ。
銀の髪に、物憂げな表情。眼鏡の向こうの瞳が私を見抜いている。
男の唇の端がほころんだ。
「ああ。すぐ、理解(わか)ってくれるか」
眼鏡の奥で揺れる瞳が破顔した。
間違いないその表情は、同門のひとつ上の少年――フリッツ・ウィルカースだった。
「久しぶりだなアルミア。“お山”の教室以来もう3年になるか」
そんな彼の微笑を見た瞬間だった。
家族に申し訳ないけど、それよりもっともっと心の奥底から安心が湧き出してくる。
同時に涙がこみ上げてきた。
「……っ……ああ……どうして……フリッツ、貴方が」
「どうした。どこか痛いか? ――呪いは殆ど取り除いたはずだが」
そして、目頭が熱くなる。
「い、いえ、ごめんなさい。わたし、もう目がさめることがないと思ってた。そしたら生きてて……しかも、貴方が目の前にいてくれるなんて」
シーツの裾を握りしめ、こらえ切れない言葉がほとばしる。
ようやくそれだけを言い終えて、私は嗚咽を漏らして涙が止まらなくなった。
止めどなく涙が溢れる。それは久々の涙だった。
――心を凍りつかせるようなダウナード伯爵家の日々は涙さえ流す暇もなかった。
「アルミア、君は婚約破棄をされたと聞いた。相手の家で何があった?」
「っ……フリッツ、私はっ……」
フリッツの優しい言葉に私は思わず、今までのことを全て彼に打ち明けていた。
ダウナード伯爵家の地獄の日々。だれも味方はおらずひとりぼっちで呪いを受け続けていたこと。
身体に異常を抱え、死に瀕した状態で追い出されたこと。
「そんなことが……。辛かったな、もう大丈夫だ」
フリッツはそんな泣きじゃくる私に一言そう声をかけて手を握ってくれた。
暖かくて、大きくて――頼りになる手だ。
記憶を呼び起こす、あの学び舎時代より大きくなった。大人の手だ。
しばらく泣いて落ち着いた私にフリッツは含めるように言葉をくれた。
「君の身体に食らいついていた呪力の殆どは俺が吸い取った。もう命の心配をしなくていいんだ」
「え、あ、本当。身体が軽い。それに痛みもない」
告げられた言葉に私は驚いて顔に手を当てた。
触れた手の感触から、3年もの間ずっと取り憑いていた目の下の隈も消えている。
痛みのない体がこんなに素晴らしいなんて!
「フリッツ……どういうことなの? 私の身体にある呪いは生半可なものじゃなかった。どうやって……? それにここはいったいどこ?」
驚きのあまり次々に疑問が出てくる。
3年間フリッツと全く顔を合わせる機会がなかった。婚約を機に私は修練場を抜け、彼と疎遠になった。
彼は一度足りともダウナード伯爵家にたずねて気はしなかった。
なのにどうしてフリッツは私と一緒にいるのだろう。
「いっぺんに質問されると困るな。1つずつ答えさせてくれ」
混乱に極まる私を制しながら、フリッツは話を続ける。
「まずここは俺の所持してる別荘なのようなものだ。仕事で各地に行く必要があって、拠点を色々と持っている」
私は驚いてまじまじとフリッツを見つめた。簡単に行ったが、こんな邸宅を構えるなんてそうそう出来ることではない。
「君の身柄をここに移したのは、君も知っての通り、呪いは高所に来づらいからな。君を安全な場所に移した結果だ」
急に知らない場所にいて心細かったが、説明を受けることでいくぶんか安心した。
呪いの性質を知っているアルミアからしても理にかなった処置だ。
貴族が高所に家を建てたがるのは、高所に呪いが登ってきづらい性質に由来する。
私はふとフリッツが身につけた手袋に刻まれた、特徴的な薔薇の文様を見つけた。
「その手袋についた文様ってまさか、宮廷魔術師の文様?」
彼が身に着けているのは、この伯爵領の更にはるか上、王侯が住まう首都の宮廷魔術師に支給される装具だ。
「しまった、外す暇がなかった。部下の瞬間移動魔法で飛んできた時のままだな」
バツの悪そうにフリッツは手袋を外した。
プライベートであまり見せびらかすのが良くないほどの立場なのだろう。
「宮廷魔術師ならあの呪いを解けたのもわかるわ。でもまさか、貴方が王都に行っていたなんて」
私はしみじみとそう告げた。
確かにフリッツは“お山”でも成績優秀な呪術師だった。けれどまさか宮廷魔術師にまでなっていたとは。
私が驚いていると、フリッツがふと遠い目をした。
「力が無ければ譲らなければならないし、守りたいものも守れないからな」
フリッツはそう告げてから私を見た。
そして私の手を握る力を少し強め、つぶやいた。
「君をこんな目に合わせたダウナード伯爵家……許せるものじゃない」
怒りの声だった。
そんな彼の怒りに私はびくりとした。凄まじい、他人事ではない本気の怒りだった。
私を脅かしたのに慌てたのか、フリッツは慌てて相好を崩し顔のけんをとった。
「……そうだ。そういえばアルミア。君の身体に憑いていた呪いは8割方は取り除いたが、完全というわけじゃない。もう少しここに滞在してもらうよ」
冷静な面持ちに戻ったフリッツは話題を変える。
その内容に私はふと居心地の悪さを覚えた。
「あの、フリッツ、こんな良くしてもらって。私……貴方に返せるものがないわ」
死に瀕した身体を救ってもらった嬉しさが冷め始めていた。
結果、普通ではありえないほど大きな借りを作ったという事実がのしかかってきた。
あのダウナード家に嫁いでいた間、自由になるお金など貰えるはずもない。
婚約破棄の慰謝料がもらえるかもわからない状況で、対価を支払える気がしない。
「何を言う。返せる物など! 君が生きているだけで」
私の言葉にフリッツは驚いたように目を見張った。
そして言葉を返そうとして、私と視線を交わして何かを察したように沈黙した。
(私自身に助けてもらう価値なんて……無いものね)
私はそう思ってしまっていた。結局のところ、自分の身の振り方を自分で決められなかった。
危険だと薄々気づいていたダウナード家への縁談は、私の意思が強ければ断れたかもしれない。
だけどそれを押しのける勇気が私にはなかった。
うつむいた私を呆然と見つめたフリッツは、1つ小さくため息を付いた。
「……対価は貰っている。俺が呪術師なのは知っているなアルミア?」
え、と思った瞬間だった。手を取られていた。
「呪術師にとって呪いは、力そのものだ。君から吸い上げた呪いは俺にとって重要な力になる」
「ああそうか。私に蓄積された呪いは、貴方の力になるのね」
それを聞いた私は顔を起こし、彼の瞳を見た。
「実際に見せよう」
彼はつぶやいて、私の手を強く握った。
その瞬間だった。握られた手の先に熱さを感じた。
右腕の肘あたりに残ったアザから何かが吸い上げられている。
それは私の手をつたい、外へと流れだしていく。
「呪いが銀の光に……」
フリッツの手に移動した呪いは、白銀の光へと姿を変えた。
これが呪術師が行使する力。
(綺麗だわ。なんて高度な操作なのかしら。呪いにこんな可能性が)
私は思わず罪悪感も忘れてそれに見入った。
呪いを専門に学んだ私にも信じられない操作だった。
黒ずんだ汚らわしい光がいまや、白銀のような淡い光沢を放っている。
「呪術師の中でも珍しいだろう。直接的に世界に干渉する“呪力”だ。この力が集まればどのようなことでも出来る」
熟練の指揮者のようにフリッツは指を動かし、呪力がそれに合わせて変化した。
白銀の光は振動を発し、風を起こした。
やがてその風は空間をつたい、ドアの近くにある花瓶へと走った。
そして、花瓶に活けられた花の茎をすぱりと切り裂いた。
「まあ!? 魔法と同じ、いえそれ以上の!?」
精緻な動作だった。呪いを学んだ私から見ても驚愕するほどの。
そしてその花を呪力の風が巻き上げ、空中を移動する。
花はフリッツの開いた手の上にふわりと落ちた。
「だから安心しろアルミア。君からは十分すぎるほどのものを貰っている」
そう言ってフリッツは握った花を私の枕元にもある、空の花瓶に活けてくれた。
赤い花弁の美しい花だった。
私は嬉しくなった。
自分の力が役に立ったということも嬉しかったがそれ以上に。
呪力の扱いを自慢するフリッツの得意そうな笑みは、少年の頃の彼のままだったからだ。
(……ああ。こんな風に、昔も笑ってた。フリッツだ。これは、紛れも無く彼なのだ)
懐かしさがこみ上げてきた。
いままで、どこか遠い世界に行ってしまったようで一致しなかったフリッツの姿がようやく一致した。
「アルミア。治療を承知してここに居てくれるね?」
「はい」
その言葉に私は我を忘れて頷いていた。
死に瀕した次の日から一転した生活が始まったのだ。
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