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愛の軌跡 ~盟約~

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「あ、そういえばお風呂の時にひとつ残念なことがありまして……」

 髪のケアを終えたヒイロが眉尻を下げながらポツリと漏らす。

「残念なこと? …なんだ?」
「今だってそうですけど、耳としっぽ、隠しちゃったんですね。あれも洗いたかったなぁと思いまして。かわいかったのに」
「……ブッ! ゲホッ!!」
「危なっ!」

 飲みかけていたミルクで咽せ、手から落ちそうになったマグカップをヒイロが慌てて奪ってくれたおかげで零さずに済んでホッとする。

「……あ、すまぬ。だが、男の僕にそう何度も何度もかわいいだなんて言うな! そもそもあの姿は滅多に見せるものではない! 耳やしっぽも触るのが許されるのは伴侶……」

 そこまで言ってハルカリオンは失言を悟った。

「耳やしっぽに触れられるのは、世界でたったひとりの愛する俺=伴侶……?」

 待て。待て待て。何か色々くっついて来ているのは気のせいか?

「昨晩、俺に触らせてくれただけでなく、自分から耳を押し付けてきたり、しっぽを足に巻き付けてきたということは…」
「はぅっ! あ、う、うぅ…」

 いくら(お子様エールで)酔ったからといって、昨晩の自分のあまりの失態に赤くなったり青くなったりしているのを見て、ヒイロが笑う。

「ぷっ。お子様エールで酔っ払っていただけですもんね?」
「…そ、そうだ! 全てはお子様エールのせいだ!」
「そういうことにしておきますね。今のところは。はぁ、本当にかわいいな。ハルカさん。顔自体はとてつもない美人さんなんだけど、内面がすごくかわいいから全体的にかわいく見えるでしょうね」
「だから! かわいいと言うなと言っている!」
「えー。だって本当にかわいいんですもん。かわいいと思ったら、その都度かわいいって言いたいです俺は。後になって、ちゃんと気持ちを伝えておけば良かったとか、そういう後悔はしたくないですから」 

 ハルカの口元についたミルクをサッと自然に指で拭いながらヒイロは微笑む。

「なので、これからだって伝え続けますよ。言い続けますよ。かわいいも愛してるも、大好きなあなただけに」

 こんなセリフ、100人中99人が完全に落ちるやつだ。しかも、今までみたいにふにゃりとしてない、超真剣な顔で言ってきた。この顔だけでも正直、95人くらいは落ちる気がする。
 それを今、その気持ちを受け入れるわけにはいかないたったひとりであるハルカリオンだけが聞いて、受け止め、全身を駆け巡った愛の言葉が心の入り口でこれ以上入り込まないように必死になって最後の砦を守っている状態だ。

「う、うう……だが、僕とお前に起こったことは……ただの過ちなんだぞ?」

 今までとは違うその真剣なヒイロの視線にオロオロと視線を彷徨わせてそう告げると、目の前にあるテーブルを横に移動させたヒイロはがいきなり毛足の長いラグが敷かれた床に額を押し付けるように頭を下げたので目を見開いて驚く。

「こんなことを情の深いあなたに言うのはズルいとは思うんですけど、だったらどうかその過ちの責任を取らせて下さい!」
「責任!?」

 突然何を言いだすのかとギョッとして思わず二度聞きしてしまう。

「あなたとこういう関係になってしまったことの!です!」
「女性ならわかるが、僕は男だ。だが、昨夜のことは僕にも責任はある。だから別にお前だけがべ責任を感じる必要は……」
「あります! 女性であろうが男性であろうが、入れる場所が違うだけで……」

 やめろ。
 それ以上は言ってはならぬ、ヒイロ。
 それを言ったら僕はまたダメージを受けるんだ。
 僕のことを好きだと言うのなら、僕の心も慮ってくれ、ヒイロ。

 しかし、ハルカリオンの願い虚しく……。

「この俺が! あなたの処女を奪ってしまったんですからっ!!」

 大声による振動で窓が震え、家の外に広がる森からは大量の鳥が羽ばたく音がした。
 ああ、本当に良かった。ここが森深い場所で。
 ほんの少しほっとしながら、ハルカリオンは30秒ほど意識を手放した。




 しばし無我の境地をさ迷ったハルカリオンは、閉じていた瞼を開けるなりそう伝えた。

「僕は段々慣れ出来たぞ。そしてお前のことがわかってきたぞ、ヒイロ」

 ――こいつはアホだ。

「いや、どこまでもまっすぐで、素直過ぎると言うべきか……」
「……? どういう意味かはわかりませんが、それは良いことですよね?」
「いや、ただの独り言だ。気にするな。……ごほん。ならば、どう責任をとるというんだ? 僕に何を求められても是と答えてくれるのか?」

(勇者はいつか必ず魔王を屠らねならない。だが、責任を取るつもりならば、僕を殺すなと言ったら…こいつはなんて答えるんだろうな?)

 床に押し付けていた顔をバッと上げたヒイロはそのままハルカリオンの両手を大きな手で包み込む。

「俺を……ずっとあなたのそばにいさせてください。俺の人生をかけて絶対にあなたを幸せにしますから!」

 斜め上を行く突然の求婚の言葉にハルカリオンの頭の中が真っ白になる。

「……は? お、お前……なにを…言って…」
「あなたが大事に120年もの間守り続けた童貞を奪ったわけではないですが、それでも身体を繋げたこと自体は120年にして初めてでしょう?」
「うっ! そ、れはそうだが……だからと言ってそこまでして責任を取ると言われても困る!」
「……なら、どうしてそんなに長い間、誰とも肌を合わせなかったんですか?」
「っ、そんなの僕の勝手だろう! 長く生きているというだけで、好き勝手に生きてきたと思うな。僕はただ……待っているだけだ。いつか魂ごと分かち合える運命の者と出会えることを。……だが、待って待って、待ち続けた挙句にこの不始末。笑えんな……」

 乾いた笑いと共に語尾が少し涙声になると、ハルカリオンの手をヒイロがぎゅっと握る。

「大体、僕とお前の関係性をよく考えてものを言え! いい加減、手も離せ!」
「嫌です。それに、勇者だの魔王だの言う前に、俺達はただの男でしょ?」
「そんな簡単な言葉で片付けられるような関係じゃないってことくらい、お前だってわかっているだろう?」

 その大きな手から逃げようとしても結局振り払うことが出来ず、掴んだ手を引かれそのままヒイロの腕の中に包まれる。

「なら、俺とハルカさんで簡単に片づけられるような世界にしちゃえばいいじゃないですか」
「……え?」
「勇者と魔王がお互いの手を取って、平和に導く世界。そんな世界にしちゃえばいいんですよ。というか、そういう世界じゃなきゃあなたを幸せにできないのなら、俺は仲間だって世界だって敵に回したっていいし、何なら神にだって剣を向けますよ」
「……ヒイロ。なぜお前は、そこまで……」
「何回も伝えているでしょう? あなたを愛しているからです。それ以外の理由なんてありません。責任という形でもいい。あなたの隣にずっといたいんです」
「僕とお前が手を取り合うだって? そ、んな……簡単に言うな……。デヴィガルドもアースガルドも、この2千年ほどでどれだけの血が流れてきたと思っているんだ? なのに今更…そんなこと、許されるはずがないじゃないか! バカヒイロ!!」

 勇者と魔王の愛が平和へと導くなんて、そんな夢物語を語るにはもう遅すぎるんだ。

「できる、のなら…っ、うっ、もう…とっくにして、いた……」

 誰も彼もが手を取り合い、二度と戦うことのない幾百幾千続く平和の道を開拓するなんて。

「好きで…好きで戦っているわけないだろう!! 我が民らを戦地に赴かせるなんてこと、本当はしたくないんだ…っ」

 涙で濡れる顔をヒイロの胸に押し付けながら、その胸をポカポカと殴る。

「なら、答えは簡単じゃないですか。許されるまでふたりで頑張ればいいだけです」

 ヒイロはアホだ。
 アホだが、人として強い。
 こんな強い男に勝てるわけがない。戦力云々の話ではない。
 圧倒的なほどに強い心と強い意思。
 それどころか、自分の欲するものために簡単に排除できる冷酷さすら持ち合わせている。
 そこに正義も悪もない。
 きっと勇者という存在は、純粋な思いだけで世界を救うことも滅ぼすことも出来る存在なのだ。
 そして――そんな勇者を悪に堕とさぬために存在するのが、魔王なのかもしれない。
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