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18 ニセモノの父親

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 それから、大輝とたわいもない話をしたり、お手洗いに逃げたりしながら。
 しばらくすると、むにゃむにゃと颯麻が目を覚ました。

「おぱよ、ママ」

 目をしゅぱしゅぱさせながら、颯麻が言う。

「おぱよ、だーち」

「おはよう」

 私たちにふにゃんと微笑む颯麻。
 けれど、次の瞬間には「あそぶー!」と靴を手に取り、私に履かせろと押し付けてくる。

「嘘でしょ、元気過ぎない?」

「ははっ、颯麻くんは元気だなー」

 大輝はケラケラ笑いながら、靴を履く。

「俺とあそぼっか。梓桜はのんびりしててよ」

 靴を履かせていた私にそう言って、大輝は颯麻の手を取った。 

 芝の上で、他の子供たちと同じように走り回る颯麻。
 追いかける大輝は、颯麻を抱き上げ、また肩車をしたり、手を持ってぶらぶらしたり。
 私にはできないような、力を使った遊びをしてくれる。

 颯麻もご機嫌で、やっぱり颯麻はこんな風に遊びたかったのかな、と罪悪感に囚われる。
 私に、そういう遊びはできない。

 この子に、父親がいたら――
 なんて思うけれど、それは大輝じゃない。

 胸の中に、漠然とそういう気持ちがある。

「ママー!」

 不意に颯麻がこちらに向かって手を振ってきた。なぜか、大輝も大きく手を振っている。
 私も小さく振り返す。

 ふふふっという笑い声が聞こえ、振り向くと老夫婦が私と颯麻のやりとりを見ていたらしい。

「すてきなご家族ねえ」

「あ、ありがとうございます……」

 ――違う。
 大輝は家族じゃない。

 今はまだ、家族にしちゃいけない。
 先ほどの決意を、私は忘れない。

 なのに。

「ぱぁ?」

「違う、パーパ」

 大輝に抱っこされ、戻ってきた颯麻。
 そんな二人から聞こえてきた会話に、胸の奥から何かがこみ上げた。

「パーパ?」

「そう、パパ」

 大輝は颯麻の顔に自分の顔を近づけて、笑顔でそう言う。

「止めて!」

 思わず、戻ってきた大輝の腕から颯麻を奪ってしまった。

「大輝はパパじゃないでしょ!」

 睨んでしまった。
 大好きな、その人を。

 大輝の顔が暗いのは、逆光のせいだけじゃない気がする。
 それでも、私は大輝に強く吐いた言葉を取り消す気にはなれなかった。

 私は自立したいんだ。
 大輝にふさわしい人間になってからじゃないと、私は大輝に並べない。

 さっき誓ったばかりだ。
 いつまでも、この大輝のぬくもりにぬくぬくと浸かっていてはダメなんだって。

 それなのに、私のそんな戒めを大輝にことごとく否定されてしまった気がした。

 許されるなら、浸かりたい。
 甘えて、頼って、それだけで生きていきたい。
 けれど、それじゃだめだと思う。

 それに、私は大輝が思っているような、強くてかっこいい人間じゃない。
 大輝にそのことがバレてしまって、幻滅されてしまったら。
 まだ生まれたばかりの息子を抱きかかえたまま見せられた、あの日の絶望の光景を繰り返してしまったら。

 ――大輝に、嫌われたくない。
 大輝には、嫌われたくない。

 そばにいたいから、今はまだ――

 自分の情けなさに目頭が熱くなる。

「ごめん、無神経だったわ……」

 大輝はそういうと、そっと目の前にしゃがむ。
 颯麻と視線を合わせて、「やっぱり、だいき、な」とその頭を撫でた。

「だーち?」

「そう、だいき」

「だーち!」

 腕のなかで無邪気に笑う颯麻。
 それに応えるように、大輝は無理やりに笑っているような気がした。

「そろそろ、帰ろうか」

 大輝に言われ、「うん」と返す。

 私が颯麻を抱っこしたまま立ち上がると、大輝はささっとシートを畳む。
 気まずい空気のまま、私たちは芝生の広場を後にした。

 駐車場に着き、チャイルドシートに颯麻を乗せる。

「帰る、ないー!」

 颯麻がそう言って駄々をこねるけれど、「もう帰るの」と言いながらミニカーを持たせてやる。
 それで少しは落ち着いて、その隙にベルトをさっと止めた。
 助手席に荷物を置いていた大輝と一瞬目が合って、微笑まれる。
 私はそんな大輝に何も返せず、慌てて車の反対側に回った。

 車が動き出す。
 すると息子はおとなしく、タイヤをくるくる回して遊び始めた。

「大輝――」

 ステアリングを握る、大輝の後頭部に話しかける。
 ルームミラー越しに、大輝と一瞬目が合った。

「さっきはごめんね。大人げなかった」

 言いながら、俯いてしまう。

「大声出して、止めたりして」

 言いながら、自分の未熟さを思い知らされている。
 カッとなって、睨んでしまうなんて。
 もっと大人に対処できれば良かった。

「俺もさ、梓桜の気持ち考えないで、調子乗って悪かった」

 ステアリングを握る大輝とは、もう目が合わない。
 それで、私はほっとした。

 けれど、頭の中で思うのは、大輝が自分のことを颯麻に「パパ」と呼ばせた事実だ。
 もちろん、大輝はこの子の父親じゃない。

 けれど、大輝は「パパ」と言った。
 それは、彼の覚悟。
 私との未来を、ずっと先まで見ていてくれている、ということ。

 大輝の中で、私はもう大輝と付き合う未来が確定していて、その先まで見ている。
 『恋人』までじゃない。
 その先にある『結婚』や『家族』という未来だ。

 私がとっさに思い出してしまったのは、元旦那に裏切られたあの日。
 けれど、大輝が思い描いていたのは、きっとあの日の家族――

 ――仲睦まじいご両親、ちょっとおませな妹。
 太陽みたいなあの家族だ。

 私と大輝とでは、『家族』の捉え方がまるで違う。

 孤独で、裏切りもある、辛いもの。
 温かくて、優しくて、包んでくれるもの。
 その差を私は、埋められる?

 大輝とお付き合いして、結婚して、その先。
 私は大輝のご両親みたいに、温かい家庭を築ける?

 ぐるぐると頭の中に巡る想いに、今の私は結論を出せない。

「大輝、あのさ――」

 信号で、車が停まる。
 また、ルームミラー越しにちらりと目が合った。
 今度は、私はそらさなかった。

「お付き合いとか、そういうことに関してさ。ちょっと気持ち整理したいから、しばらく時間が欲しい」

「ん、分かった」

 大輝がそう言うと、信号が青に変わる。
 静かな車内。車がゆっくりと、走り出した。

 *

 もうすぐ家の前。
 沈黙したままの車内では、颯麻の「ポンプ車ー!」の声が時折響くのみ。

 自分から『時間が欲しい』と言ったのに、寂しいと思ってしまっている。
 大輝と離れたくないと、思ってしまっている。

 ダメだなあ。
 そういうところが、ダメ人間なんだって。

 自分を奮い立たせ、今日大輝が誘ってくれたことに感謝して。
 笑って「またね」って言えるように、頬を両手でムニムニして、表情筋をほぐす。

 その時、不意にスマホの通知に気づいた。
 メッセージアプリを開く。

 そこに表示された名前を見て、先ほどまでほぐしていたはずの表情筋が固まった。
 車が前進するのに、私は全然動けない。

 やがて車が停まる。
 どうやら、私の家に着いたらしい。

「どうした? 梓桜、車酔い……?」

 振り向いた大輝に言われ、はっと顔を上げる。

「顔色悪いけど。大丈夫?
 俺の運転、梓桜に合わな――」

「ううん、違うの!」

 私がスマホを手にしていたことに気づき、大輝は「そう」と声を掛けてくれる。

「今言うのもあれだけど、着きました」

「ごめんね、大輝の安全運転はすごく……好き」

 言いながら、スマホをポケットにしまう。
 慌てて颯麻のシートベルトを外し、反対側の扉に回らなきゃいけなかったと思い出し。
 あたふたしていると、颯麻側の扉を大輝が開けて、颯麻を抱きかかえて下ろしてくれた。

「梓桜はチャイルドシート外してくれるか?」

「あ、うん」

 私の焦りも大輝はお見通しらしい。
 はぁ、とため息を吐き出して、チャイルドシートを大輝の車から外した。
 これは、後で私の車に戻さないと。

 よし、と意気込み、チャイルドシートを手に車を降りる。
 ふう、と息を吐き出して、笑顔を作る。
 うまく笑えているか、分からないけれど。

「大輝、ありがとうございました」

 大輝が下ろしてくれた颯麻と手をつなぐ。「大輝にバイバイしようね」と言いながら。

「梓桜……平気か?」

「あー、うん。元旦那から連絡来てただけ」

 無理やりに口角を引き上げて、大輝に伝える。

「そっか。力になれること――」

「大丈夫! これは私の問題だし、大輝巻き込むわけにいかないよ」

 慌てて言えば、大輝は悲しそうな目元のまま笑った。

「ごめん、ナイーブな話だった。首ツッコむべきじゃねーな」

「気持ちだけ、受け取っておく。ありがと」
「だーち、ばいばーい!」

 私が頭を下げると、それを別れの挨拶だと勘違いしたらしい颯麻が手を振る。

「おう、またな!」

 そう言って大輝は軽く手を挙げ、車に乗り込む。
 そのまま来た道を去って行った。
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