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26 少しでもお返ししたくて

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 家に帰った大輝は、さっそく欠伸をこぼす。

「大輝、疲れてる?」

「ん、わり……」

 言いながら、何故かガサゴソと玄関の靴箱を漁る。

「昨日当直の深夜出動、そーいや仮眠とってねーって今気付いた」

 私は颯麻を抱っこしたまま、そんな大輝の背中を見つめた。

「ごめん……気が利かないね」

 こんなに、必死に私のためにしてくれている。
 そんな大輝に、今、私がしてあげられることは何があるのだろうか。

「ぜーんぜん! 疲れてんのはお互い様だろ?
 ……あ、あった!」

 不意に大輝が振り返り、箱をこちらに差し出す。
 蓋を開いてくれた大輝。
 その中に入っていたのは、赤色の小さな靴だった。

「15センチ。いける?」

「いける! 全然いける、けど……」

 これはきっと、大輝のご両親が、大切に取っておいてくれたもの。
 颯麻にいつまでも靴がないのは困るけれど、ても――

「ほら、そんな顔しない。いーの、どうせ俺のお古だから」

 大輝は立ち上がり、私のおでこを小突いた。

「颯麻くん、お靴これでいいかなぁ?」

「はくー! 赤! かーっこいい!」

「消防車の色だぞ!」

「やったー!」

 大輝はきっと、買い物のときからずっと考えていたのだろう。
 だから今、さっとこうして行動してくれているわけで。

「ありがとう……」

 玄関に並べておいてくれる大輝に、私はそれしか言えない。

「それから、颯麻くんにはこれも」

 そう言うと、大輝はポケットをガサゴソと漁り、中から何かを取り出す。
 開いて見せた、手のひらの上に乗ったもの。
 それは――

「ポンプ車ー!」

 颯麻の、ミニカーたちだった。

「残ってたから。颯麻くんには、これが大事だろ?」

 颯麻はさっそくミニカーに手を伸ばし、両手に持つ。
 そんな颯麻に、大輝はニカっとお日さまみたいな笑顔を向ける。

「大輝……」

 大輝の優しさと、何もできない申し訳なさと、颯麻のことまで考えてくれている情の深さに、また涙が溢れそうになる。

「ママ―、ごはんはー?」

 舌を噛んで堪えていると、そんな暢気な声が腕の中から聞こえた。

 大輝の家に来たのは初めてではないけれど、キッチンに立つのは初めてだ。
 にんじん、玉ねぎ、じゃがいも、ブロッコリー。
 冷蔵庫の食材を拝借して、切っていく。

 ピー、ピーと音が鳴る。
 ご飯が炊けたらしい。

 炒めて煮込んでルーを加え、カレーライスを作った。

「ん、良い香り」

 大輝が颯麻を抱っこして、キッチンに様子を見に来る。

「カレー!」

 颯麻がお鍋の中を指差した。

「ありがとな。梓桜の手料理食べれるなんて、俺マジ幸せ」

 へへっと笑う大輝に、申し出たのは私なのにと思い出す。

 先ほど、玄関で颯麻にミニカーを手渡してくれた大輝。
 そんな彼になにかしてあげたいと、せめて夕飯づくりを申し出た。

「大輝の好きなものって何?」

「カレー。……甘いの」

「じゃあ、カレー作るね」

「マジで!?」

 そう言って目を輝かせた大輝が、ちょっとだけあどけないと思ってしまった。

 大輝の家に常備されていたカレールーは甘口ばかり。
 これなら颯麻でも食べれそうだからと、そのまま作らせてもらうことにしたのだ。

「カレーだけどね」

 言えば、「カレー、好きー!」と颯麻。
「梓桜が作ってくれるもんなら何でも嬉しいの」と、大輝。

 お皿に盛り付け、ダイニングに運ぶ。
 サンルームの床に寝そべってブーンとミニカーを転がす颯麻と、それを見ながらソファに腰かけ雑誌を読んでいる大輝。

 ちょっとはお返しできたかな。

 今の私にできる精一杯が、これしかないのは情けないけれど。

「ご飯できたよー」

 その声に反応して顔を上げた大輝が、笑顔を見せてくれたから。
 私はそれだけで、彼に笑顔を返すことができた。

 カレーをもりもり食べる大輝につられて、颯麻も3回カレーをおかわりした。
 お風呂を頂いている間に、大輝が一階の和室に布団を敷いてくれた。

「ここでいいか?」

「うん、ここ……」

 白檀の香りのする、仏壇のある部屋だ。
 私はご両親の写真に会釈して、それから颯麻寝かせた。

「だーちのお家、匂い、好きー」

 颯麻はそう言っていたけれど、しばらくするとすー、と寝息を立てて寝てしまう。

「ありがとう、颯麻寝た――」

 まだ明かりのついていたリビングへ戻ると、その先のサンルームのソファで大輝が寝ていた。

「大輝……本当にありがとう。迷惑かけてごめんね」

 言いながら、そばにあったブランケットを大輝にそっとかける。
 大輝の寝顔は、優しくてかっこよくて愛しくて、あの頃みたいにちょっとあどけなかった。

 翌日も颯麻を保育園に預け、自宅からものを運び出す作業をした。
 今日も大輝は張り切っている。
 仕事はいいのか、と訊くと、「昨日は非番で今日は休日。明日は出勤だけど、こういうのは24時間勤務の特権だな~」なんて言っていた。

 きっと、本当はお休みの日くらいゆっくり寝ていたいはず。
 それなのに、お手伝いをしてくれる大輝にどこかやっぱり申し訳なさが募る。

 昼前になり、私は大輝に断って父母の迎えに行くことにした。
 その足で、役所や諸々の手伝いに行こうと考えている。
 昨日のうちに大輝が手配してくれたおかげで、朝イチで車の代替の鍵を手に入れることもできた。

「大輝も、もういいから適当なところで帰ってね」

 言うけれど、「大丈夫だから」と笑顔で返されてしまった。

 病院へ行き、父母の退院手続きをする。
 保険証もあの日に場所を覚えていたから、すぐに持ってくることができたのは幸いだ。

「颯麻くんはどうしてるの? 梓桜は仕事は?」

 矢継ぎ早に聞いてくる母と、心配そうにこちらを見つめる父。
 私は火事の原因と、颯麻は保育園に預けていること、仕事は休んでいることを伝えた。

 役所などを巡って諸々の手続きをし、お昼ご飯にするころには昼を過ぎていた。
 父も母もはっきりとしており、入った定食屋でそれぞれちゃんとご飯を食べる元気ぶりだ。

「家に帰るのか、なんだか不安だなあ」

「それよりも住まいの心配よ。やっぱり大輝くんにお世話になるしかないのかしら……?」

 先ほど行った手続きの中で、公営住宅には入れないと言われてしまったのだ。

「大輝くんはどうしてる? 連絡とれるの?」

「大輝は家の片づけしてくれてる」

 私が言うと、父は驚いた顔をして。

「それを先に言いなさい! 私たちも早く戻ろう」

 そう言って、さっさと定食屋を後にした。

 自宅に戻ると、庭には案の定大輝のSUVがまだ停まっていた。

 大輝が玄関から出てきて、こちらに手を上げた。
 消防士さんらしい、分厚いグローブを手に嵌めている。

「おかえり、梓桜。おじさんと、おばさんも」

 車を降りようとする私たちに、大輝が太陽みたいにニカっと笑う。
 その爽やかすぎる笑顔は、きっと私たちへの気遣いだと思う。

「大輝くん、ありがとうね、こんなに……」

「いえいえ」

 母の言葉にも、大輝は笑って答える。

「日用品系はほとんど水濡れと異臭でダメですね。
 取り出せるのお金とか、貴金属とか。
 場所を教えてもらえれば、俺取ってくるんで――」

「大輝くん」

 車のドアを開け、その座席に座ったままの父が静かに口を開いた。

「おじさん! お元気そうで良かったです!」

 大輝はまたニカっと笑う。
 そんな大輝と対照的に、神妙な面持ちの父に大輝も笑顔を収めて真剣な顔をする。

「表は焼けていない。けれど、とても住める状態じゃないと、娘に訊いたよ」

「まあ、そうっすね……。残念ですけど」

 大輝がふっと顔を曇らせ、俯く。

「君が、家の片付けも応急処置もしてくれたんだってね」

「俺も消防士ですからね。こういうのは慣れて――」

「そのうえでおこがましいのは重々承知なのだけれど、しばらくの間君のお宅にお世話になってもいいだろうか?」

 父のその言葉に、大輝ははっと顔を上げる。

「もちろんですよ!
 むしろ一軒家に一人暮らしで俺一人じゃ広すぎるくらいなんで!
 来てください!」

 途端に笑顔になる大輝。
 父の目には、ほんのりと涙が浮かんでいる。

「大輝くん……本当に、本当にありがとう」

 私の隣にいた母が言い、大輝はこちらに向かってニカっと笑う。

「いいですって。
 困ったときはお互い様ですし。それに――」

 大輝は私の方を向く。

「これも全部、俺にとってはあの日のお返しだから」

「え……?」

「あの日、梓桜が俺にくれたものはそれだけ俺にとって大きかったってこと」

 大輝はそう言って、照れくさそうに私の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。

「わー、もう!」

 そんな私たちを、父母がにこやかに見ていた。
 こんな状態でも、みんなで笑えるのは、絶対に大輝のおかげだ。

 昼下がりの温かい日差しの下、そう思った。
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