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27 新しい生活と新たな誓い

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 佐岡家にお世話になりながらの、塩沢家の再建が始まった。

 塩沢家はほどなくして解体工事を始めた。
 私も仕事に復帰し、颯麻も普通の通園に戻り。
 初期費用はかさんでしまったけれど、家財保険である程度は保証されるとのことで、父母はそんなに金銭的なダメージは受けていないようだ。

 各所への手続きや挨拶は母が済ませ、父も再び職場復帰。
 貸与品のスマホとパソコンを駆使して、仕事の傍ら自宅の設計図まですでに描き始めていた。

 3交代制の仕事の大輝は、平日の昼間も家にいることが多かった。

「今日は大輝くんがお布団干してくれたの」

「お父さんのベッド、新しく買ったんだけど、大輝くんが設置してくれたのよ」

 仕事から帰ると、大輝が家に居る日は毎日、母が大輝の話をしてくれた。
 父はリビングの隅に、大輝に断ってそこに椅子と小さな机を置いていた。
 父の小さな仕事スペースである。

 颯麻を連れて仕事から帰ってくると、大輝は母が洗濯物を畳むのを手伝っていたり、キッチンで夕飯の支度を手伝ったりしていた。

「いつもありがとうねえ」

「何ならずっと住んでてもらってもいいっすよ!」

 そう言う母に、大輝はいつも、冗談交じりにこう返していた。

 サンルームは大輝のお気に入りの場所らしい。
 よくソファに座っているし、リビングを片付けた時も自分の読む雑誌などはそこに集めていた。
 なぜか颯麻もサンルームにいることが多かった。
 だから、必然的に大輝は颯麻ともよく遊んでくれた。

 私と颯麻は二階の元ご両親の寝室、大輝は高校生のころまで使っていた自分の部屋で寝ている。
 一緒に住み始めてから2週間経った今は、颯麻もその家の間取りをしっかりと覚え、寝る前になれば自然に二階に上がるようになっていた。

 そんな風に、佐岡家になじんでいく塩沢家。
 まるで塩沢家の中に大輝が元々いたような、そんな明るい空気が佐岡家には広がっていた。

「大輝、いい?」

 私はある夜、颯麻を寝かせた後に大輝の部屋を訪れた。
 大輝の部屋に入るのは、これが二回目だ。
 一度目は、まだ高校生の時。恋人同士だったときだった。

 今の大輝の部屋は、ダンベルやハンドグリップが転がっていて、棚には消防士さんらしい分厚いグローブや懐中電灯などが並べられていた。

 大輝は床に散らばるそれをぱぱっと隅に寄せると、「どうぞ」と私を部屋内に招き入れた。

「颯麻くんは? もう寝た?」

「うん……」

 言いながら、少し緊張しながら大輝の部屋に入る。
 腰を下ろした場所に既視感があって、懐かしい気持ちと甘酸っぱい気持ちが胸にやってくる。

 そんな思い出に浸りにきたんじゃない。
 私はスウェット姿でまだ髪の濡れている大輝を前に、早速口火を切った。

「大輝、無理してない?」

「はぁ? そんなことねーって」

 大輝は首にかけたタオルで髪をごしごし拭いながら、大輝はニカっと笑う。

「緊張しながら入ってきたから、ついに告白の返事でもしてくれんのかと思ったー」

 大輝は隣の部屋で寝ている颯麻に気を遣ったのか、小声でケラケラ笑った。

「もう、茶化さないでよ」

 拗ねるように言えば「ごめんごめん」って笑う。

「大輝、ずっと笑ってるじゃん?
 この家に私たちが来てから、至れり尽くせりって感じだし。
 大輝のお仕事ってすごく神経使う、気を張る仕事だって分かってるから、余計に申し訳なくなっちゃって……」

 言いながら俯きそうになり、慌てて頭を振って大輝の方を向いた。

「いいの。俺がしたくてしてること」

「でも大輝、お母さんたちが散歩とか行ってる間に、仏壇の前で手を合わせたりしてるでしょ?
 ご両親との思い出があるこの家に、私たちが大輝の大切な思い出を邪魔してたりしないかな、とか、
 家族のにぎやかさとか、大輝には本当は辛いんじゃないかな、とか……」

 言いながら、先ほどまで笑顔だった大輝の顔が険しくなる。
 そして。

「別に俺は献身的なボランティアってつもりで梓桜たちをここに泊めてるわけじゃない」

「へ?」

 聞き返す間に、大輝は身をこちらに乗り出して。

「梓桜と付き合いたいって下心もある。分かれ」

 型がピクリと震え、思わず背を逸らせる。
 すると大輝はすぐに元の位置に戻る。

「『しばらく時間が欲しい』って言われてたのにな。急いて悪い」

 そう言って、私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。


 寝室に戻り、颯麻の隣に寝転ぶ。
 その寝顔を見つめながら、先ほど大輝に言われたことを頭の中で復唱した。

『下心もある。分かれ』

「下心……」

 小さく呟き、はあ、とため息をこぼした。
 下心だとしても、それ以上に尽くしてくれている。

『手放したくない』
『アタックするから』
『好き』

 確かに、そう言われた。
 けれど、大輝の温かさや優しさは、どうしてもあの笑顔に還元されていく。
 だから余計に、罪悪感が募る。

 けれど、今は大輝の優しさと“下心”に甘えるしかない。
 そんな自分が、情けなかった。


 次の日は土曜日。
 大輝は日勤での出勤で、朝から仕事へ向かった。
 塩沢家は、皆で実家の様子を見に来ていた。
 父が、実家の解体が終わったという連絡を受けたのだ。

 庭の芝があったところまで、綺麗に更地になった場所。
 ここに、私が幼いころに父が設計した、あの家が建っていた。
 それは、思ったよりも狭い。
 家の中にいた時は、広いと思っていたのに。

「お家、どこー?」

 颯麻がそう言って更地の中に入っていく。
 母は感傷に浸るように、じっと家のあったその場所を眺めている。
 父は感傷に浸るまもなく、業者の人と話していた。

「颯麻、あんまり遠く行かないでね」

 言いながら、私の颯麻に駆け寄る。
 颯麻は更地内の石を拾う遊びをしていた。

「これはー、お家の、石!」

 そう言って、私に小さな石を手渡してくれる。

「ばあばも、どーぞ」

 颯麻の言葉にはっとした母は、しゃがんで颯麻から小石を受け取る。

「これはー、じいじの!」

 そう言って掲げたのは、ころんとした10円玉くらいの小石。
 業者の人との話が終わった父に、颯麻はすぐにそれを渡しに行った。

「おお、ありがとう颯麻くん!」

 綻んだ父の顔は、悲しくも見える。

「新しい家はな、お母さんと相談して、入り口にスロープをつけた平屋にしようと思ってるんだ」

 父は私の方を向いて、そう言った。

「広すぎても仕方ないしな。設計ももうほぼ済んで、手配諸々も済ませてあるから、地鎮祭は来週だ!」

 得意げに言う父は「ゼネコン勤めで良かったよ」と付け加える。
 父の会社は、父が大学の頃の友人が立ち上げた大手ゼネコンだ。
 その父の友人が社長を務めているから、そのあたりも相まってのことの運びの早さなのだろうと思う。

「このままで行けば、4か月後――7月半ばには、竣工しゅんこうできるからな!」

 父は更地になった場所に目線を向けながら言う。
 そして、手元の颯麻が拾った石に目を向けた。

 その目には、未来と過去と、両方が映っているような気がして。
 気丈に振舞ってくれるのは、きっと父が前を向こうと頑張っているのだと、娘ながらにそう思った。

 ファミレスによって昼食を取り、大輝の家に戻る頃には颯麻はお昼寝をしてしまっていた。
 そんな颯麻を抱きかかえリビングに入ると、いつも通りお日さまみたいな匂いがした。

 父が右足を引きずりながら、ゆっくりと後ろから入ってくる。
 母はそんな父を支えながらリビングへ入り、父を椅子に座らせた。

「お茶でも淹れる?」

 母が言い、キッチンへ向かう。
 私はリビングのテーブル前に座り、颯麻を抱えたまま和室の方を向いた。
 仏壇の扉が開いていて、そこに大輝のご両親の写真が見える。

 ――本当に、このままでいいのかな?

 昨夜のことを思い出し、優しすぎる大輝に想いを馳せる。
 ため息を零すと、背後から「いいわねえ、こっちも」などと声が聞こえた。

「どうだ、梓桜も見てくれよ」

 振り向けば、父と母がパソコンを覗いている。
 見ているのは、新しい我が家の図面とCGで作成したイメージ絵だ。

 けれど、振り返った瞬間に両親が顔を曇らせた。
 私は一体、どんな顔をしているのだろう。

「ああ、ごめん! えっと……」

 立ち上がろうとして母に制され、代わりに母が私の斜め前に座った。
 いつの前にか、私の前には温かいお茶が置かれている。

「梓桜、何を考えていたの?」

「……大輝のこと」

 言いながら、まっすぐに仏壇を見た。
 また、大輝のご両親が目に入った。

 高校生の頃の記憶、このリビングで、二人が目の前に座っていたこと思い出す。

「この家ね、付き合っていた頃に来たことがあるの。
 大輝のご両親も、私を温かく迎えてくれた。
 この場所でね、二人が笑って、私を歓迎してくれてた」

「うん」と、静かに母が相槌を打ってくれる。

「そんなご家族がいたこの場所をね、私たちが奪っちゃったような気がしてる。ずっと……」

 写真の中の二人は笑っている。
 それが余計に、辛い。

「そうね、大輝くんにとってはここは、家族との場所だものね」

「うん……だからね」

 私は母の方を向いた。
 父にも目くばせをした。

「あと4か月、塩沢家が竣工するまでさ、大輝に甘えないようにしたくて。
 ここに住まわせてもらってるだけで、精一杯甘えてるんだから。
 でも、だからって大輝は腫物みたいに扱われるのは、好きじゃないと思うから――」

「いつも通り、ね」

 母が言う。
 こくり、と頷くと、父も母も同じように頷いてくれた。

「それでね、私――」

 私は母に、父にもう一度目線を合わせる。

「――私もね、同じくらいまでにちゃんと部屋見つけて、家を出れるようにする。
 ちゃんと一人で立って生きていきたいの」

 ――甘えてばかりの私じゃダメ。一人で生きていけるようにって、私は離婚したあの日に誓ったんだ。
 それは、今も変わらない。

 ちゃんと一人で立って生きていく。
 それができたら、大輝の気持ちを受け取りたい。

 皆までは言えなかったけれど、なりたい自分になるために。
 頑張りたいと、父母に伝えたかった。
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