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30 新たなスタート

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 4か月が経った。
 梅雨が開け蝉が鳴き始めた、じめっとした空気の暑い夏の日。
 塩沢家は、無事竣工した。

 今日、塩沢家はここに引越す。
 私は家族と大輝と共に、竣工した家の前に立っていた。
 立派な平屋の一軒家は、入り口に階段とスロープ両方がついている。

 あの更地だった場所に、もう家が建っている。

 そう思うと、懐かしい気持ちと悲しい気持ちと、新たな気持ちが同時にやってきた。

 玄関を開けると、明るい木の床と白い壁。
 まだ家具の何もない家は、玄関から見ても広々としている。

 後からゆっくりとやってきた父が、「いい家だろう?」と言いながら、ポケット何かを取り出した。
 そしてそれを、玄関の靴箱の上に置く。

「颯麻くんがくれた、『おうちの石』だよ。今日からこれが、このお家の守り神だ」

 「お家、お家、あたらちーお家~♪」

 颯麻は嬉しそうに玄関に腰かけ、足をバタバタさせて靴を脱ぎ、さっと家の中に走って行った。

「あー、もう颯麻!」

 慌てて脱ぎ捨てられた靴をそろえ、私も家に上がる。
 
「からっぽだー! ひろーい!」

 リビングダイニングと思わしき場所と走り回る颯麻。
 それを見守っていると、後ろから入ってきた大輝に肩を抱かれた。

「お義母さんとお義父さん、引っ越し業者来るまで玄関に座ってるって」

「うん」

 大輝がさらっと『お義父さん』『お義母さん』と言うのが、私はまだくすぐったい。

 *

「梓桜さんと、お付き合いさせていただいてもよろしいでしょうか!」

 あの日、そう言った大輝に対し、母は「もちろんよ」と即答した。
 父は「梓桜はいいのか?」と私に答えを委ねた。

「私もね、大輝とお付き合いしたいって思ってる」

「もちろん、未来のことも颯麻くんのことも考えています。
 だから、どうか――」

 私が言うと間髪入れずに大輝がそう言って、父の目をまっすぐに見る。

「いや、大輝くんは私の命の恩人だからね。
 反対しようだなんてこれっぽっちも思っていないよ」

 父がそう言って笑った。

「ママ、なーに?」

 颯麻がそう言って、こちらを見上げる。

「俺は梓桜が好きで、梓桜も俺が好きだって」

 えへへと笑いながら、大輝が目の前の颯麻に言う。

「ぼくもー! ママ、だーち、ちゅき!」

 颯麻が満面の笑みで言い、カレーだらけの手で私のエプロンを握ってくる。

「あーもう! 先に手洗うよ!」

 そう言う私。それで、大輝も母も父も笑う。
 佐岡家に、ほんわかとした空気が広がる。

 家族ごと、まるっと大切にしてくれた大輝だから。
 だから塩沢家はみんな、大輝が大好きなんだよ。

『恋人』

 私は頼もしく愛しい家族の人気者との、そんな新たな関係に、胸が温かくなっていくのを感じた。

 *

 晴れてお付き合いを始めた私たち。
 今では父も母も、大輝のことを『家族』として接してくれているし、颯麻も大輝のことは大好きだ。
 ――もちろん、私も。

「梓桜ー、ちょっと颯麻止めて!」

 いつの間にか引っ越し業者が到着していたらしい。
 大輝が、業者が玄関まで運んでくれた荷物を抱えてリビングに入ってくる。

「お義父さん、この辺でいいですかね?」

 後から入ってきた父に、大輝が聞く。

「ああ、いいよ」

 運んでいたのは父の机と椅子。
 佐岡家でリビングに置いていた、父の小さな書斎だ。

 父は設置してくれた大輝にお礼を言って、さっそくそこに座る。

「すみませーん、ベッド運びますねー」

 業者のお兄さんの声がして、颯麻を抱っこしキッチン側に身を引く。
 それで、気が付いた。

 新しい家は、キッチンから寝室――父の過ごす部屋が、良く見える。
 母と父の想いが詰まっている。

「お母さん、この家って――」

「ふふ、お母さんが言ってやったのよ。
 どこからでもお父さんが監視できるような設計にしてちょうだいって」

 備えつけの食器棚に食器を仕舞いながら、母が言って笑っていた。

 その日のうちに、注文していた家具や家電も届いた。
 ある程度片づけを終えたところで、私は母に「もう大丈夫よ、もともと荷物も少ないし」と言われてしまった。

「本当にいいの? 泊まろうかと思って、私と颯麻の着替えとか持ってきたけれど――」

「いいの。ほら、それに――」

 母が、父と大輝の方をちらりと見た。
 二人は何かを話して、笑い合っている。
 その足元で、颯麻がミニカーを転がして遊んでいた。

「――あのお家に、私たちがいたんじゃ恋人らしいこともできなかったでしょうから」

「ちょ、お母さん!」

 慌てて出した声は思いの外大きくて、真新しい塩沢家に響く。
 けれど、言いながら私は思い出していた。

 大輝の希望もあって、私と颯麻はそのまま佐岡家に住むことになったことを。

「なんなら、颯麻くんはうちにお泊りしてってもいいのよ?」

 母が意味深に言うので、私の顔は真っ赤になる。

「もう、そんな大丈夫だから! ほら、大輝、颯麻、帰ろう!」

 慌てて言うと、大輝は「何かあったら駆け付けるんで、いつでも言ってくださいね!」と爽やかに言う。

 けれど、颯麻は。

「ママー、だーちのお家?」

「そう、私たちは大輝のお家に住むの。
 ここは、じいじとばあばのお家だからね」

「ないよー。
 ぼく、新しいお家、ちゅきー」

 そう言って、床に転がったまま動こうとしない。

「じゃあ、今日はここにお泊りする?」

 母がニヤリと笑って、寝転んだ颯麻の隣にしゃがむ。

「え、いいよお母さん!」

「お泊り、するー!」

 私の声は虚しく、颯麻は母に同調する。

「ママと大輝も帰るからね! いないからね!」

「いいよー、バイバーイ」

 手を振られてしまった。
 悲しさと気まずさで固まっていると、立ち上がった母に肩を叩かれた。

「今日くらい甘えなさい。いつまでも、二人きりで過ごせなくなるわよ」

「お母さんすぐそういうこと――」

 すると、母は大輝の方を振り向いて。

「今まで頑張ってくれたお礼よ。大輝くん」

「ちょっと待っ――」

「ではお言葉に甘えて、梓桜さんと二人で過ごさせていただきます!」

 私の声はまたも虚しく、大輝の元気な宣言にかき消されてしまった。

「お父さんも何か言ってよ!」

「いやぁ、大輝くんのことは信頼しているし、お母さんがいいって言うなら私は止める権利がないからなぁ」

 父に振っても甲斐なし。

「ああー、もう!」

 言った私の肩を、ぐっと大輝が抱き寄せる。

「帰ろうか、梓桜」

「うん。……颯麻のこと、よろしくお願いいたします」

 言いながら、大輝と触れた部分がじんじんと熱い。
 鼓動がどんどんと早くなる。

 今夜は、大輝と二人きりだ。
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