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29 大好きな人のために

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 翌朝、起きてダイニングに向かうと、父がパソコンを覗いて「こりゃすごいな……」と呟いていた。

「どうしたの?」

「いやぁ、あそこのゴミ処理会社。火事だって」

 父の声に、慌ててパソコンの画面を覗きこむ。

「どうしたんだ、梓桜」

「大輝がね、夜に緊急招集だって出てったから……」

 映し出されていたのは、もくもくと上がる煙とそこに必死にホースから出る水をかける消防隊の姿。

「中に人はいないらしいが、心配だな」

 颯麻が「ヘリコプター」と言って窓の外を指差す。
 この映像は、きっとあのヘリコプターが撮ったのだろう。

 それで、私の足は勝手に動いた。
 サンルームに身を乗り出し、街中に視線を移した。
 高台の大輝の家からは、海の方までよく見渡せる。
 その一角、西側の方に煙があがる一角が見えた。

「火事、あそこね」

 やってきた母が後ろでそう言う。
 振り返れば、悲痛な顔をした母がその場所を見つめていた。

 昨日の夜に大輝に召集がかかって、まだこの状態――。
 きっと、消火活動は難航しているのだろう。

 そんな、大規模な火事だったんだ。

 大輝は、あの火を止めようと頑張っている。
 あの火を消そうと戦っている。

『やっぱり出動の時は毎回怖いんだ』

 そう言った大輝を思い出す。
 無事を祈ることしかできない無力さに、やる瀬無さが募る。

 大輝はあんなにしてくれたのに、私は何も――

 ――ううん、今の私は。

 私はポケットからスマホを取り出して、メッセージアプリを起動した。
 届くか分からないけれど、応援したい。
 それが助けになるなら、任務から戻ったときに安心してもらえれば。

 そう思って、私は「頑張れ!」の大輝にスタンプを送った。
 魚みたいな龍みたいな、何だか良く分からない生物のキャラクターの。

 送ってすぐに既読が付いたのに驚いたが、その後急にスマホが震えてもっと驚いた。
 私は危うく落とすところだった。

 発信主は大輝。
 もしかして、何かあった!?

 震える手で通話ボタンをタップし、耳に当てる。

「梓桜!」

 元気な大輝の声が聞こえて、ほっと胸をなでおろす。

「大輝、どうしたの――」

「嬉しかったから。今なら電話できるし、だったら肉声で応援してもらおっかな~って」

「え!?」

 聞くと、大輝は深夜には消防署に戻って仮眠をとっていたらしい。
 今は朝食の時間で、その後現場に出動するとのことだった。

「だーち?」

 颯麻がそう言ってこちらを見上げている。
 なので、私は「そうだよ」と言いながら、通話をスピーカーモードに切り替えた。

「大輝に、頑張れーって言ってあげようか」

 一人で言うのは恥ずかしくて、颯麻に促す。
 すると、颯麻はすぐに私のスマホに向かって大声を上げる。

「だーちー! ばんばれー!」

「お、颯麻くん! ありがとな!」

 電話の向こうから、大輝が言う声がする。
 その声の中に、笑顔の大輝が見える。

「なぁ、梓桜はー?」

 大輝が笑う。だから。

「が、頑張ってね!」

 恥ずかしさを超えて、声を出す。

「めっちゃやる気出た! サンキュ」

 大輝との電話はそれで切れてしまったけれど。
 大輝なら大丈夫だと、そう思えた。


 完全鎮火のニュースが流れたのは、それから5時間後のことだった。

「だーち、頑張った?」

 颯麻に訊かれ、「すんごく頑張ったと思うよ」と答える。

 その夜、「頑張った、俺」のスタンプが送られてきた。
 もちろん、魚みたいな龍みたいな、何だか良く分からない生物のキャラクターのものだ。
 当番の大輝は、明日の朝、帰ってくる。
 その時に、なにかしてあげられたら――。

 そう思いながら、私は眠りについた。

 *

 翌朝、私はキッチンに立っていた。
 コトコト煮えるお鍋には、大輝の大好きなカレーが入っている。
 午前8時半。もうすぐ大輝が帰ってくる。

 今日は祝日なので、颯麻はすっかりお休みモード。
 ご飯を少しだけ食べた後、サンルームでごろごろしながらミニカーで遊んでいる。

「いいにおーい」

 時折、そんな声を上げながら。

 がちゃり、と玄関が開いた音がする。

「だーち!」

 一番に反応したのは颯麻だ。
 手を伸ばしてリビングのノブを開け、玄関に走ってゆく。

 私も慌てて火を止め、玄関へ走る。
 一刻も早く、大輝に会いたくて。

「おかーり!」

 颯麻の声が聞こえて、負けた、と思った。

 私が玄関につくと、大輝はまだ靴を履いたまま、「ただいまー」としゃがんで颯麻の頭を撫でている。
 いつもの、太陽みたいな笑顔のままで。

「おかえり!」

 甲斐もなく颯麻に張り合う。
 すると大輝は顔を上げ、温かい笑顔を私にも向けてくれた。

「ただいま」

 言いながら立ち上がり、靴を脱ぐ。

「いい匂い。カレー?」

「正解。大輝の好きな甘口カレー」

「やった!」

 大輝はそう言って、荷物を置きに階段の方に行こうとする。
 けれど、すれ違うその瞬間。

「本当、色々サンキュ」

 そういって、私の頬に触れるだけの優しいキスを落としていった。

「カレー、すぐ食べたいなー」

 階段を上る大輝の暢気な声。

「僕も、たべるー」

 と颯麻の声。
 私は真っ赤になりながら、愛しい人が無事帰還したことに安堵していた。


 朝9時半。
 なのに、ダイニングには、もりもりと出来立てのカレーを食べる大輝と颯麻。

「颯麻は朝ご飯食べたでしょ?」

 そう言ったけれど、「食べる―、食べるー!」と癇癪を起こして泣き叫び。
 早めのお昼にしては早すぎるけれど、大輝と一緒に食べさせることにした。

 大輝は本当に良く食べる。
 もりもりと口に掻き込んで、「おかわり!」と笑う。
 つられたのか、颯麻も「おかーり!」と叫ぶ。

「それじゃあ『おかえり』なのか『おかわり』なのか分かんないな」

 ケラケラ笑って、大輝は自分の分をよそっている私の横で、颯麻の器にご飯をよそってくれる。

「このくらい?」

「うん、ありがとう」

 そう言って小さな器を手渡してくれる大輝。
 このやりとりに、なんだかちょっと家族みたいだな、と思ってしまった。

 やがてカレーの鍋は中身がなくなり、大輝も颯麻もふー、とお腹をさする。
 私は颯麻の口の周りを拭きながら、「よくこんなに食べたね」と颯麻のお腹をさすった。

「梓桜のカレー、美味いもんなあ」

 大輝がそう言って、颯麻が「うん」と言う。

「市販のルーですけど。そこにあったやつですけど!」

 言うけれど、「でも梓桜の愛情が入ってるから美味いんだ」と大輝が茶化す。

「もー」

 私はまた真っ赤になってしまって、顔を隠すように大輝の肩をペチンと叩いた。

 その時、不意にリビングの方から視線を感じた。
 そうだ、お父さんとお母さんがいるんだった!

 ちらりとそちらを向くと、案の定二人と目が合う。

「ねえ、二人って――」

 母が言いかけると、大輝はしゃっと背筋を正す。
 それから、隣に立ったままの私の腰を、ぐっと自分に抱き寄せて。

「梓桜さんと、お付き合いさせていただいてもよろしいでしょうか!」

 ちらりと見下ろした大輝は、真剣な顔で両親を真っ直ぐに見ていた。
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