雪の記憶は君のもの

あめのあられ

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第一章

静かな日々

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 ノクと納屋で過ごす時間が、少しずつ日常になっていた。

 納屋の中は今日も静かだ。時おり薪のはぜる音が小さく弾けて、天井の梁にやわらかな影を落とす。
 私はテーブルに広げた薬草を、乾いた指先でひとつひとつ確かめていた。香りや色、触れたときの質感で状態を見極めていく。それは、村の薬師だった祖母が教えてくれた大切な作業だ。

 外ではノクが薪を割ってくれている。
 体調はまだ万全とは言えないけれど、できる範囲で私を手伝おうとしてくれた。
 斧の刃が木に打ち込まれる音が、一定のリズムを刻んで心地よく響いてくる。

 ふと顔を上げると、窓越しにノクと目が合った。

「……」

 言葉はなかったけれど、視線をそらすこともなく、ただしばらく見つめ合う。
 そしてすぐにまた、それぞれの作業に戻った。

 それだけのことなのに、どうしてこんなにも胸が温かくなるのだろう。

 名前も、過去も、何もわからない人。なのに、こうして肩を並べていると、まるで昔からここにいたみたいに感じる。
 誰かがそばにいるということが、こんなにも心を満たしてくれるなんて私は知らなかった。

 薪の束がひと山分できると、ノクは斧を置き、額の汗を無言でぬぐった。私は湯を沸かし、乾燥させた薬草でお茶を淹れる。すっきりとした香りの爽やかなこの薬草茶は最近のノクのお気に入りだ。

「ありがとう、ノク。はい、おつかれさま」

「ありがとう」

 受け取ったカップを、彼は両手で包むように持ち、静かに口をつけた。

「熱くない?」

「ちょうどいい。……いい香りがするな」

「これは頭がすっきりするから、疲れたときにいいんだよね」

「リセルは、いろんな事よく知ってるんだな」

「ううん、まだまだだよ。おばあちゃんがたくさん教えてくれたの。でも全部は覚えきれなくて、まだ勉強中」

「それでも、すごいよ」

 そう言ってノクは、少しだけ微笑んだ。
 私はその笑顔を見て、胸の奥がふわっと温かくなる。

 ノクはあまり多くを語らない。でも私は、その沈黙が嫌いじゃなかった。むしろ、静けさの中で少しずつ心が通っていく気がして、安心できた。

 夜になると寒さがいっそう深まり、外では風がうっすらと唸っていた。私は毛布の上で丸くなりながら、薪の炎のゆらぎをぼんやりと見つめていた。

 最近では、町にある家ではなくこの納屋で寝泊まりすることが多い。狭いけれど、本に囲まれていて、最低限の生活に困ることはない。そして何より、ノクがいるから。

 彼はすでに、反対側の毛布の中で眠っている。
 今日もきっと、静かな夜になる。そう思っていた。

「……やめろっ」

 暗闇の中、不意に響いた掠れた声。

 私ははっとして振り返る。ノクがうなされていた。目を閉じたまま眉間に深いしわを寄せ、夢の中で何かと闘っているように両手で空を切っている。

「ノク? 大丈夫?」

 私は急いで彼のそばに膝をついた。そっと肩に触れると、その体がびくりと震える。
 体をゆすって起こすと、ノクはうつろな目を開けて、ここがどこかわからないような表情を浮かべた。しばらくすると、私の顔に焦点が合う。

「……俺は……っ」

 頭を抱え、苦しそうに呻くノク。

「ノク、しっかりして」

 私は彼の手をそっと握った。冷たかった指先が、少しずつ温もりを取り戻していく。

「大丈夫。ここには、私しかいないから。……ね?」

 彼はゆっくりと息を吐き、目を開けた。

 警戒するように強張っていた体から、ほんの少しだけ力が抜けていく。

「……ああ……」

 そのひと言がかすれていたけれど、どこか安心したように響いていた。

「……リセルがいればいい」

 私は思わず笑ってしまった。

「うん、ここにいるよ。ちゃんとそばにいる」

 ノクの手を握ったまま、私はしばらくそのまま隣に座っていた。

 彼の手のぬくもりが、静かに胸の奥に染み込んでいく。この人は、何か大きなものを背負っている。でもその痛みを、少しでも分けてくれるのなら、私は受け止めたいと思った。

 明日もまた、ここで一緒に朝を迎えられたら、それでいい。
 私はただ、それだけを願っている。
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