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第一章
冬の星
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薪がはぜる音が、心地よく響く納屋の中。雪はまだ降り続いていて、外の世界は白く閉ざされたままだ。
「スープ、できたよ」
私は木の椀を両手で抱え、簡易の寝床に目を向ける。
ノクはまだ横になったまま、天井をぼんやりと見つめていたが、私の声に小さく瞬きをした。熱はだいぶ下がり、意識もはっきりしてきた様子で、こうして起きている時間も少しずつ増えている。
ノクは無口だけれど、何かをしてあげると必ず「ありがとう」と言ってくれる。椀を両手で受け取る仕草も丁寧で、私はそんなところが好きだった。
朝から雪は止む気配を見せず、町に降りるのはしばらく難しそうだった。自分の家にすら戻れないかもしれない。
だから今日は、この納屋で一日を過ごすことに決めた。
薪を足して湯を沸かしながら、私はいつものように本棚の前に立つ。
父が遺した本たち。古びた革の装丁、かすれたインクの匂い。どれも大切で、ここだけが私の世界だった。
ふと背後に気配を感じ、振り返ると、ノクが一冊の分厚い本を手にしていた。
膝を立てて座り、その本を静かに開いている。ページをめくる指に迷いはなく、文字を目で追う表情には、内容を理解しているような確かな色があった。
「それ、戦術指南書よ。お父さんが残したものなの。私には難しすぎて読めなかったけど……ノク、理解できるの?」
思わず声が漏れた。
ノクはほんのわずかに目を細めて、低く答える。
「わかる……」
その一言に、言葉を失ってしまった。
何気なく呟いた言葉に、確かな返答が返ってきたことがうれしくて。
「ノク、すごい!」
彼の横顔は相変わらず表情に乏しかったけれど、戦術書に触れる姿は不思議としっくりきていた。
まるで、かつて馴染んだ道具を再び手にしたかのような自然さがあった。
本当に……ノクって、いったい何者なんだろう。
胸の奥に、ひとかけらのざわめきが広がった。
彼が少し遠くにいるように感じてしまったから。
夕方になっても、私たちの間に交わされた言葉はほとんどなかった。
それでも、ノクの視線の先に気づくたび、私は自然と動くようになっていた。薬草の瓶を手渡したり、本の場所を教えたり、スプーンをそっと置いたり。そんな小さな動作の一つひとつが、確かに私たちをつないでいく。
ひとつ屋根の下で誰かと暮らす。そんな感覚が、ゆっくりとよみがえっていた。
長い間、ずっと一人だったから、誰かのために何かをすることがこんなにも嬉しい。
ノクのために食事を作り、寝床を整え、時折交わす短い会話に、私自身の心の奥も少しずつ変わっていくのを感じていた。
夜になり、雪はようやく小降りになった。
私は納屋の小さな窓を少し開け、冷たい夜気に頬を撫でられながら空を見上げる。
雲の切れ間から、きらきらと星が顔をのぞかせていた。
「ノク、少し起きられる?見て、今夜は星がきれいだよ」
彼にも見えるように体を少し横にずらす。
「お母さんがね、教えてくれたの。冬の空には、狼の形をした星座があるんだって」
ノクがそっと私の隣に立ち、星空を見上げる。
「本当だ。きれいだな」
それだけの言葉だったけれど、そこには確かな感情がこもっていた。
驚いた。初めて彼が、自分の心から何かを語った気がした。
いつもぽつりと返してくれる言葉とは違って、それは彼の中から湧き出たものだった。
胸の奥がふわりと温かくなる。
「うん……冬の星って、澄んでて好き」
私の言葉に、ノクは何も答えなかった。
けれどその視線が空を離さなかったことが、何よりの返事のように思えた。
背後で薪がはぜる音がして、あたたかい空気が肩を包む。
雪の夜は静かで、まるでこの世界が二人だけのものになったようだった。
私はそっと、ノクの横顔に目をやる。
気づけばすぐ隣にノクがいる。星の光を映すその横顔に、目が離せなくなっていた。
この穏やかな時間が、ずっと続いてくれたらいいのに。
けれど、それが叶わないことも、どこかでわかっていた気がした。
「スープ、できたよ」
私は木の椀を両手で抱え、簡易の寝床に目を向ける。
ノクはまだ横になったまま、天井をぼんやりと見つめていたが、私の声に小さく瞬きをした。熱はだいぶ下がり、意識もはっきりしてきた様子で、こうして起きている時間も少しずつ増えている。
ノクは無口だけれど、何かをしてあげると必ず「ありがとう」と言ってくれる。椀を両手で受け取る仕草も丁寧で、私はそんなところが好きだった。
朝から雪は止む気配を見せず、町に降りるのはしばらく難しそうだった。自分の家にすら戻れないかもしれない。
だから今日は、この納屋で一日を過ごすことに決めた。
薪を足して湯を沸かしながら、私はいつものように本棚の前に立つ。
父が遺した本たち。古びた革の装丁、かすれたインクの匂い。どれも大切で、ここだけが私の世界だった。
ふと背後に気配を感じ、振り返ると、ノクが一冊の分厚い本を手にしていた。
膝を立てて座り、その本を静かに開いている。ページをめくる指に迷いはなく、文字を目で追う表情には、内容を理解しているような確かな色があった。
「それ、戦術指南書よ。お父さんが残したものなの。私には難しすぎて読めなかったけど……ノク、理解できるの?」
思わず声が漏れた。
ノクはほんのわずかに目を細めて、低く答える。
「わかる……」
その一言に、言葉を失ってしまった。
何気なく呟いた言葉に、確かな返答が返ってきたことがうれしくて。
「ノク、すごい!」
彼の横顔は相変わらず表情に乏しかったけれど、戦術書に触れる姿は不思議としっくりきていた。
まるで、かつて馴染んだ道具を再び手にしたかのような自然さがあった。
本当に……ノクって、いったい何者なんだろう。
胸の奥に、ひとかけらのざわめきが広がった。
彼が少し遠くにいるように感じてしまったから。
夕方になっても、私たちの間に交わされた言葉はほとんどなかった。
それでも、ノクの視線の先に気づくたび、私は自然と動くようになっていた。薬草の瓶を手渡したり、本の場所を教えたり、スプーンをそっと置いたり。そんな小さな動作の一つひとつが、確かに私たちをつないでいく。
ひとつ屋根の下で誰かと暮らす。そんな感覚が、ゆっくりとよみがえっていた。
長い間、ずっと一人だったから、誰かのために何かをすることがこんなにも嬉しい。
ノクのために食事を作り、寝床を整え、時折交わす短い会話に、私自身の心の奥も少しずつ変わっていくのを感じていた。
夜になり、雪はようやく小降りになった。
私は納屋の小さな窓を少し開け、冷たい夜気に頬を撫でられながら空を見上げる。
雲の切れ間から、きらきらと星が顔をのぞかせていた。
「ノク、少し起きられる?見て、今夜は星がきれいだよ」
彼にも見えるように体を少し横にずらす。
「お母さんがね、教えてくれたの。冬の空には、狼の形をした星座があるんだって」
ノクがそっと私の隣に立ち、星空を見上げる。
「本当だ。きれいだな」
それだけの言葉だったけれど、そこには確かな感情がこもっていた。
驚いた。初めて彼が、自分の心から何かを語った気がした。
いつもぽつりと返してくれる言葉とは違って、それは彼の中から湧き出たものだった。
胸の奥がふわりと温かくなる。
「うん……冬の星って、澄んでて好き」
私の言葉に、ノクは何も答えなかった。
けれどその視線が空を離さなかったことが、何よりの返事のように思えた。
背後で薪がはぜる音がして、あたたかい空気が肩を包む。
雪の夜は静かで、まるでこの世界が二人だけのものになったようだった。
私はそっと、ノクの横顔に目をやる。
気づけばすぐ隣にノクがいる。星の光を映すその横顔に、目が離せなくなっていた。
この穏やかな時間が、ずっと続いてくれたらいいのに。
けれど、それが叶わないことも、どこかでわかっていた気がした。
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