雪の記憶は君のもの

あめのあられ

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第一章

春の約束

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 朝から雲ひとつない快晴だった。陽の光が雪に反射してまぶしく、辺り一面が銀色に輝いている。
 こんな日は、あの丘のことを思い出す。両親と手をつないで歩いた、雪に覆われた尾根の先の丘。
 ずっと心の奥にしまっていたその場所に、今日はどうしても行きたくなった。

「ねえ、ノク。ちょっと散歩に行かない? いい場所があるの」

 私は湯気の立つ薬草茶をテーブルに置きながら声をかけた。ノクは読んでいた本から顔を上げて、少しだけ首をかしげる。

「どこへ?」

「町の北の丘だよ。雪が積もってるけど、今日は晴れてるし、道も歩けると思う。昔よく行ってたんだ」

「わかった。準備する」

 ノクは椅子から立ち上がり、一気にお茶を飲んでから、上着を羽織って外へ出た。私もその背中を追って戸口をくぐる。

 足元で、雪がきゅっきゅっと鳴く。白く覆われた道の上を、ふたり並んで歩いていく。聞こえるのは白い息と、雪を踏む音だけ。静寂が心地よくて、言葉がなくても十分だった。

 途中、枝に積もった雪がふいに落ちてきて、ノクの肩を白く染めた。私はふふっと笑い、手でそっと払い落としてあげた。

「油断してるから、雪にやられるんだよ」

「そうみたいだな」

 ノクも少し笑って、今度は私に雪をかけようとしてくる。笑いながら身をかわし、そのまま彼を追い越して、ざくざくと雪を踏み進んだ。

 ふざけ合いながら辿り着いた丘の上で、ふたりともすっかり息が切れていた。
 空はどこまでも澄んだ青。遠くの山々までくっきりと見渡せる。
 その中でもひときわ目を引いたのは、凍りついた湖だった。雪の白と氷の青が溶け合って、まるで絵本の中に出てきそうな風景。

「ねえ、あの湖、見える? 春になったらね、あのほとりに花が咲くの。黄色や紫の、ちっちゃな花」

 私は指を差しながら、少し声を弾ませた。

「その花の根を甘く煮ると美味しいんだよ」

「ふふっ。リセルは食いしんぼうだな」

「そ、そんなことないよ」

 ふたりで笑い合う。澄んだ空気の中、笑い声がやさしく広がっていった。

「……リセルは、春が好きなんだな」

「うん。春はあたたかいし、美味しい食べ物もたくさん採れるから」

「やっぱり食いしんぼうだ」

 ノクは笑いながらしばらく黙り、それからぽつりと呟くように言った。

「その時まで……ここにいてもいいか?」

 その言葉は、まるで雪の音に紛れるほど小さかった。でも、ちゃんと私の耳に届いた。

「ううん。ずっといて。春だけじゃなくて、もっとずっと、ずっと一緒にいてよ」

 ノクは小さく目を伏せ、それからふと微笑んだ。

「うん、ずっと一緒にいる」

 空から舞い降りる雪が、きらきらと光る。青空の下、風の音だけが静かに流れていた。

 帰り道、私はふと思い出したように口を開く。

「ねえ、ノクって名前、嫌だったり変えたくなったりしてない?」

 ノクは立ち止まり、私も足を止めて彼の顔を覗き込む。

「私が勝手に決めちゃった名前だし、気になっちゃって」

 彼はしばらく沈黙し、それから静かに答えた。

「不思議だな。なんだか今はそれが自分の名前って感じがする」

「……そっか」

 胸の奥がじんわりとあたたかくなる。私は右手を差し出した。

「じゃあ、その名前で指切りしよ。リセルとノクは春になったらまたここに来るって。約束!」

 ノクは少し戸惑ったようにしながらも、私の小指に自分の指を絡めた。

「約束だな」

 その一瞬、触れ合った指先から、ひんやりとした風の中にあたたかなぬくもりが宿った気がした。

 雪原に傾く夕陽が、私たちを静かに包んでいた。
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