5 / 7
第一章
春の約束
しおりを挟む
朝から雲ひとつない快晴だった。陽の光が雪に反射してまぶしく、辺り一面が銀色に輝いている。
こんな日は、あの丘のことを思い出す。両親と手をつないで歩いた、雪に覆われた尾根の先の丘。
ずっと心の奥にしまっていたその場所に、今日はどうしても行きたくなった。
「ねえ、ノク。ちょっと散歩に行かない? いい場所があるの」
私は湯気の立つ薬草茶をテーブルに置きながら声をかけた。ノクは読んでいた本から顔を上げて、少しだけ首をかしげる。
「どこへ?」
「町の北の丘だよ。雪が積もってるけど、今日は晴れてるし、道も歩けると思う。昔よく行ってたんだ」
「わかった。準備する」
ノクは椅子から立ち上がり、一気にお茶を飲んでから、上着を羽織って外へ出た。私もその背中を追って戸口をくぐる。
足元で、雪がきゅっきゅっと鳴く。白く覆われた道の上を、ふたり並んで歩いていく。聞こえるのは白い息と、雪を踏む音だけ。静寂が心地よくて、言葉がなくても十分だった。
途中、枝に積もった雪がふいに落ちてきて、ノクの肩を白く染めた。私はふふっと笑い、手でそっと払い落としてあげた。
「油断してるから、雪にやられるんだよ」
「そうみたいだな」
ノクも少し笑って、今度は私に雪をかけようとしてくる。笑いながら身をかわし、そのまま彼を追い越して、ざくざくと雪を踏み進んだ。
ふざけ合いながら辿り着いた丘の上で、ふたりともすっかり息が切れていた。
空はどこまでも澄んだ青。遠くの山々までくっきりと見渡せる。
その中でもひときわ目を引いたのは、凍りついた湖だった。雪の白と氷の青が溶け合って、まるで絵本の中に出てきそうな風景。
「ねえ、あの湖、見える? 春になったらね、あのほとりに花が咲くの。黄色や紫の、ちっちゃな花」
私は指を差しながら、少し声を弾ませた。
「その花の根を甘く煮ると美味しいんだよ」
「ふふっ。リセルは食いしんぼうだな」
「そ、そんなことないよ」
ふたりで笑い合う。澄んだ空気の中、笑い声がやさしく広がっていった。
「……リセルは、春が好きなんだな」
「うん。春はあたたかいし、美味しい食べ物もたくさん採れるから」
「やっぱり食いしんぼうだ」
ノクは笑いながらしばらく黙り、それからぽつりと呟くように言った。
「その時まで……ここにいてもいいか?」
その言葉は、まるで雪の音に紛れるほど小さかった。でも、ちゃんと私の耳に届いた。
「ううん。ずっといて。春だけじゃなくて、もっとずっと、ずっと一緒にいてよ」
ノクは小さく目を伏せ、それからふと微笑んだ。
「うん、ずっと一緒にいる」
空から舞い降りる雪が、きらきらと光る。青空の下、風の音だけが静かに流れていた。
帰り道、私はふと思い出したように口を開く。
「ねえ、ノクって名前、嫌だったり変えたくなったりしてない?」
ノクは立ち止まり、私も足を止めて彼の顔を覗き込む。
「私が勝手に決めちゃった名前だし、気になっちゃって」
彼はしばらく沈黙し、それから静かに答えた。
「不思議だな。なんだか今はそれが自分の名前って感じがする」
「……そっか」
胸の奥がじんわりとあたたかくなる。私は右手を差し出した。
「じゃあ、その名前で指切りしよ。リセルとノクは春になったらまたここに来るって。約束!」
ノクは少し戸惑ったようにしながらも、私の小指に自分の指を絡めた。
「約束だな」
その一瞬、触れ合った指先から、ひんやりとした風の中にあたたかなぬくもりが宿った気がした。
雪原に傾く夕陽が、私たちを静かに包んでいた。
こんな日は、あの丘のことを思い出す。両親と手をつないで歩いた、雪に覆われた尾根の先の丘。
ずっと心の奥にしまっていたその場所に、今日はどうしても行きたくなった。
「ねえ、ノク。ちょっと散歩に行かない? いい場所があるの」
私は湯気の立つ薬草茶をテーブルに置きながら声をかけた。ノクは読んでいた本から顔を上げて、少しだけ首をかしげる。
「どこへ?」
「町の北の丘だよ。雪が積もってるけど、今日は晴れてるし、道も歩けると思う。昔よく行ってたんだ」
「わかった。準備する」
ノクは椅子から立ち上がり、一気にお茶を飲んでから、上着を羽織って外へ出た。私もその背中を追って戸口をくぐる。
足元で、雪がきゅっきゅっと鳴く。白く覆われた道の上を、ふたり並んで歩いていく。聞こえるのは白い息と、雪を踏む音だけ。静寂が心地よくて、言葉がなくても十分だった。
途中、枝に積もった雪がふいに落ちてきて、ノクの肩を白く染めた。私はふふっと笑い、手でそっと払い落としてあげた。
「油断してるから、雪にやられるんだよ」
「そうみたいだな」
ノクも少し笑って、今度は私に雪をかけようとしてくる。笑いながら身をかわし、そのまま彼を追い越して、ざくざくと雪を踏み進んだ。
ふざけ合いながら辿り着いた丘の上で、ふたりともすっかり息が切れていた。
空はどこまでも澄んだ青。遠くの山々までくっきりと見渡せる。
その中でもひときわ目を引いたのは、凍りついた湖だった。雪の白と氷の青が溶け合って、まるで絵本の中に出てきそうな風景。
「ねえ、あの湖、見える? 春になったらね、あのほとりに花が咲くの。黄色や紫の、ちっちゃな花」
私は指を差しながら、少し声を弾ませた。
「その花の根を甘く煮ると美味しいんだよ」
「ふふっ。リセルは食いしんぼうだな」
「そ、そんなことないよ」
ふたりで笑い合う。澄んだ空気の中、笑い声がやさしく広がっていった。
「……リセルは、春が好きなんだな」
「うん。春はあたたかいし、美味しい食べ物もたくさん採れるから」
「やっぱり食いしんぼうだ」
ノクは笑いながらしばらく黙り、それからぽつりと呟くように言った。
「その時まで……ここにいてもいいか?」
その言葉は、まるで雪の音に紛れるほど小さかった。でも、ちゃんと私の耳に届いた。
「ううん。ずっといて。春だけじゃなくて、もっとずっと、ずっと一緒にいてよ」
ノクは小さく目を伏せ、それからふと微笑んだ。
「うん、ずっと一緒にいる」
空から舞い降りる雪が、きらきらと光る。青空の下、風の音だけが静かに流れていた。
帰り道、私はふと思い出したように口を開く。
「ねえ、ノクって名前、嫌だったり変えたくなったりしてない?」
ノクは立ち止まり、私も足を止めて彼の顔を覗き込む。
「私が勝手に決めちゃった名前だし、気になっちゃって」
彼はしばらく沈黙し、それから静かに答えた。
「不思議だな。なんだか今はそれが自分の名前って感じがする」
「……そっか」
胸の奥がじんわりとあたたかくなる。私は右手を差し出した。
「じゃあ、その名前で指切りしよ。リセルとノクは春になったらまたここに来るって。約束!」
ノクは少し戸惑ったようにしながらも、私の小指に自分の指を絡めた。
「約束だな」
その一瞬、触れ合った指先から、ひんやりとした風の中にあたたかなぬくもりが宿った気がした。
雪原に傾く夕陽が、私たちを静かに包んでいた。
20
あなたにおすすめの小説
マジメにやってよ!王子様
猫枕
恋愛
伯爵令嬢ローズ・ターナー(12)はエリック第一王子(12)主宰のお茶会に参加する。
エリックのイタズラで危うく命を落としそうになったローズ。
生死をさまよったローズが意識を取り戻すと、エリックが責任を取る形で両家の間に婚約が成立していた。
その後のエリックとの日々は馬鹿らしくも楽しい毎日ではあったが、お年頃になったローズは周りのご令嬢達のようにステキな恋がしたい。
ふざけてばかりのエリックに不満をもつローズだったが。
「私は王子のサンドバッグ」
のエリックとローズの別世界バージョン。
登場人物の立ち位置は少しずつ違っています。
【完結】今更、好きだと言われても困ります……不仲な幼馴染が夫になりまして!
Rohdea
恋愛
──私の事を嫌いだと最初に言ったのはあなたなのに!
婚約者の王子からある日突然、婚約破棄をされてしまった、
侯爵令嬢のオリヴィア。
次の嫁ぎ先なんて絶対に見つからないと思っていたのに、何故かすぐに婚約の話が舞い込んで来て、
あれよあれよとそのまま結婚する事に……
しかし、なんとその結婚相手は、ある日を境に突然冷たくされ、そのまま疎遠になっていた不仲な幼馴染の侯爵令息ヒューズだった。
「俺はお前を愛してなどいない!」
「そんな事は昔から知っているわ!」
しかし、初夜でそう宣言したはずのヒューズの様子は何故かどんどんおかしくなっていく……
そして、婚約者だった王子の様子も……?
女避けの為の婚約なので卒業したら穏やかに婚約破棄される予定です
くじら
恋愛
「俺の…婚約者のフリをしてくれないか」
身分や肩書きだけで何人もの男性に声を掛ける留学生から逃れる為、彼は私に恋人のふりをしてほしいと言う。
期間は卒業まで。
彼のことが気になっていたので快諾したものの、別れの時は近づいて…。
やさしい・悪役令嬢
きぬがやあきら
恋愛
「そのようなところに立っていると、ずぶ濡れになりますわよ」
と、親切に忠告してあげただけだった。
それなのに、ずぶ濡れになったマリアナに”嫌がらせを指示した張本人はオデットだ”と、誤解を受ける。
友人もなく、気の毒な転入生を気にかけただけなのに。
あろうことか、オデットの婚約者ルシアンにまで言いつけられる始末だ。
美貌に、教養、権力、果ては将来の王太子妃の座まで持ち、何不自由なく育った箱入り娘のオデットと、庶民上がりのたくましい子爵令嬢マリアナの、静かな戦いの火蓋が切って落とされた。
愛に死に、愛に生きる
玉響なつめ
恋愛
とある王国で、国王の側室が一人、下賜された。
その側室は嫁ぐ前から国王に恋い焦がれ、苛烈なまでの一途な愛を捧げていた。
下賜された男は、そんな彼女を国王の傍らで見てきた。
そんな夫婦の物語。
※夫視点・妻視点となりますが温度差が激しいです。
※小説家になろうとカクヨムにも掲載しています。
側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!
花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」
婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。
追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。
しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。
夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。
けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。
「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」
フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。
しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!?
「離縁する気か? 許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」
凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。
孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス!
※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。
【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる