ガチレスすると、ポテト逮捕された

ポテト男爵

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5章【りゅうの忠告と、ポテトのタバコ】

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鉄格子の向こう、また新しい番号で呼ばれる日々。

ポテトはもう、数字でしか存在を認識されない“物”になっていた。
名乗ることもない。自己紹介もない。朝になれば起こされ、飯を食い、作業に出される。夕方に戻ってきて、あとはただ、壁を見ている。

「……なにこれ、マジで、人生か?」

ある夜、独房でぼそりと呟いたその言葉には、もうかつてのような“開き直り”もなかった。
虚無。その一言がふさわしい。

ふと、脳内に“あの声”が蘇る。

——「お前、それ、マジで一線越えてるんだぞ」

りゅうの声だった。

あの夜、最初に闇バイトを始めたことを伝えたとき、りゅうは怒りを通り越していた。
「本当にやめとけ。お前、今ふざけてるつもりかもしれんけど、笑えんことになるぞ」
「そんなもんで稼いだ金、全部地獄に引っ張られる」

ポテトは、そのときどう返したか思い出す。

「しらね。お前、黙ってろ」

——煙を吐きながら。

ポテスピの味と一緒に、忠告を灰にした。
自分が正しい、俺は分かってる——そう思い込むことで、かろうじて“自分”を守っていた。

でも今、その言葉が、何より胸に刺さる。

「……黙ってるべきじゃなかったかもな、りゅう」

初めてそう思った。でも、今さら何も届かない。
りゅうはもう、二度と面会にも来てくれないだろう。

裁判の日以来、誰とも会っていない。手紙も来ない。差し入れもない。

完全な“孤立”。

作業中、隣の囚人が呟いた。

「お前さ、前にネットで見たよ。借金理論のやつ。ガチでキレてて笑ったわ」

「……」

ポテトは反応しない。
その“笑われた映像”こそが、自分をここまで引きずった鎖だと、今ではよく分かる。

——自分を面白がっていたのは、世間じゃない。自分だった。

夜、夢に出てきたのは、かもめでもりょうでもなく、りゅうだった。

「お前、壊れてるの、自分じゃん。気づけよ、なあ」

その言葉に、夢の中のポテトはタバコを吸いながら、また言っていた。

「……正直言っていい? 俺、間違ってなかったって、今も思ってる」

けれど——

そのタバコは、燃え尽きることなく、煙すら出なかった。

朝。無機質なブザーが響く。
薄い毛布を剥がされ、ポテトはゆっくりと体を起こした。

誰にも話しかけられず、誰の名前も呼ばれず、ただ「2854番」として存在を維持している。
昨日と今日の区別も、曜日の感覚もない。

ただ、規則正しく死んでいくだけのような時間が、ここにはある。

「ガチで、俺、生きてんの?」

呟いた声は、もう“反抗的な若者”のそれではなかった。
カラカラに乾いた、使い古された雑巾みたいな声。

洗面所で鏡を見れば、そこには“ポテト”などいない。

目の下に深く刻まれたクマ。脂ぎった肌。前歯の黄ばみ。頭頂部は完全に薄くなり、もはや“汚い中年”でしかなかった。

「なにこれ……だれ?」

心の奥で、小さな“ポテト”が震えていた。
かつて“お前の知らないやつ”だったはずの自分が、今や“誰も知らなくていいやつ”になっていた。

作業場では、隣の受刑者がまた話しかけてくる。

「お前、昔SNSで自分語りしてたやつだよな。『金は貸す側が負け』ってやつ。あれ、マジで伝説」

「……伝説じゃなくて、事故な」

ポテトは苦笑するが、その笑いには力がなかった。
けれど、心の中ではこう叫んでいた。

——「お前に言われたくねぇよ。てめぇだってここにいるクズだろ?」

だが、口には出さなかった。もう、自分がクズだと認めざるを得なかったから。

夜、独房で一人。ポテスピは当然吸えない。
手持ち無沙汰なまま、ポテトはベッドに横たわる。

夢に出てくるのは、いつも同じ。

りゅうの顔。
かもめの笑い声。
りょうの煽り。
そして、かつての自分——バカみたいに笑って、バカみたいに金を借りて、バカみたいにタバコを吹かしてたあの男。

夢の中で、りゅうが言う。

「お前は、誰かが止めてくれると思ってた。ずっと。他人のせいにすれば、全部リセットできると思ってた。でも、俺は何度も言ったぞ?“今に地獄見る”って。なぁポテト、それでもお前、俺の声、聞かなかったよな?」

ポテトは、夢の中でも目を逸らす。

「……だって、誰も……助けなかったし……俺が悪いだけじゃねぇし……」

その言い訳を遮るように、りゅうが顔を近づける。

「お前、ずっと誰のせいにしてた?“世界が悪い”“時代が悪い”“周りが馬鹿”って。……でも結局、お前、ただの“自分が嫌いなだけのやつ”だろ?」

「ちがう……」

「じゃあ証明してみろよ、塀の外で。それができなかったから、お前はここにいるんだろ?」

「ちが……俺は……俺は……っ」

目が覚めた。体が汗でびっしょりになっていた。

息が荒い。手が震えている。
今すぐタバコを吸いたい。でも、どこにもない。

代わりに、部屋の隅に蹲って、声を殺して叫んだ。

「……俺は……悪くねぇ……っつってんだろ……!!」

しかし、その声に返答はない。鉄格子が答えてくれるわけもない。

“りゅうの忠告”は、今になって初めて理解された。

そして、理解したところで、もう遅い。

「なあ、ガチで聞いてくれる?」

その日、作業場でポテトはいきなり隣の受刑者に話しかけた。

「俺さ、言われてんの。“全部自分のせい”って。でも、普通に考えて、こんな社会でまともに生きてけるわけなくね?」

隣の男は無視した。だがポテトは止まらない。

「しらねぇだろ、お前。俺がどんだけネットでバズったか。“借金してても偉そうなやつ”って、超話題だったから。正直、あの時の俺、マジで伝説だと思ってる」

男がチラリと視線を送るが、すぐに前を向き直す。

「でもさぁ、炎上ってやっぱ嫉妬なんよ。俺のキャラが濃すぎたってだけ。あいつら、俺が自由だったのが気に入らなかっただけ」

その語り口は、まるで“まだ世界の主役を気取っているかのような”厚顔無恥な自信に満ちていた。
だが、どこか目が泳いでいた。声のトーンも不安定で、早口だった。

「お前の知らないやつになってやる、って言って、俺マジで“越えた”んだよね。しらねーけど」

「……黙れよ」

隣の男が低く言った。

「は?」

ポテトは一瞬、ムッとした顔を浮かべる。

「お前、俺の話聞いてた?ガチで、今の話、人生訓レベルだったっしょ」

「お前の“人生訓”で、人生終わってんだよ。まだ気づいてねーのかよ」

その言葉に、ポテトは目を見開いた。

「は?何様?ガチで言うけど、お前みたいな量産型受刑者とは違うから、俺」

「違うよな。お前、ただの“痛い奴”だよ。自分の口臭にも気づかずに、世間に毒ばら撒いて自爆した、ただの恥さらしだ」

沈黙。作業場の空気が一瞬、止まる。

だが、ポテトは笑ってごまかした。

「いやいや、草。お前、センスねぇな。口臭ネタ、今さら?時代遅れだって」

「それ、お前が言う?」

「……しらね。お前は黙ってろ」

そう言って目を逸らしたが、その背中には“敗北”の気配がにじんでいた。
もう誰も、彼を“面白がって”はいない。誰も“いじって”もくれない。
“無関心”という最大の軽蔑だけが、彼の存在に張りついていた。

夜、独房で一人。

ポテトは自分の匂いにむせそうになりながら、ふとこう呟いた。

「……でも俺は、正直に生きただけなんだけどな」

その“正直”が、どれだけ多くの人を傷つけ、不快にさせ、巻き込み、潰してきたか——
彼には、まだちゃんとは分かっていなかった。

「俺が間違ってた? いや、しらね。だって、お前の知らないやつが、俺だったんだし」

最後の逃げ道も、もう誰も聞いてくれない空間で、ポテトは“自分だけの言い訳”を、ただ一人で繰り返していた。

「なぁ……ちょっと見てみ?」

ある日の夕方、独房の中で、ポテトはゴミ箱を漁っていた。

空になったティッシュ箱、黒ずんだペットボトルのキャップ、割れたボールペンの芯。
その一つひとつを吟味するように拾い上げては、自分のスペースに持ち帰る。

「これさ、“ポテスピ改”って名前なんだけどさ。正直言って、ガチで発明だと思うわ」

——“ポテスピ”とは、ポテトが塀の外で吸っていた、誰も知らないほど安い粗悪なタバコの銘柄名。
いまや当然、刑務所では禁煙。代替品などない。だが、ポテトは自作していたのだ。“記憶とプライドの再現”として。

ボールペンの芯を中空にして、ティッシュを巻き、黒い糸で縛る。内部に、乾燥した茶葉を詰める。
それを使い捨てライターで(なぜか所持していた)炙るという、完全にアウトな工程。

「しらねーけど、俺の発明力、ヤバくね?」

そう笑いながら、囚人服の裾でこっそり隠しつつ、“ポテスピ改”に火をつける。

「……っく……ゲホッ!!」

最初の一口で、咽せ返る。煙じゃない。“燃えた布”の毒気だった。

「お前、なにやってんだよ」

その様子を見ていた隣房の囚人が、呆れたように呟く。

「見りゃわかるだろ。タバコだよ。“自作”の。“ポテスピ改”。ガチで革命。俺、これで起業できると思う」

「……死にてぇのか?」

「いやいや、しらねーし。俺、耐性あるから。外でもこれに近いもん吸ってたし」

その言葉に、周囲からくすくすと笑い声が漏れた。それは“感心”でも“羨望”でもない。

——“憐れみ”と“軽蔑”の入り混じった音。

数分後、巡回に来た看守が異臭に気づき、ポテトの独房に踏み込んだ。

「なにを燃やした。言え」

「いや、ガチで……あの、実験……っていうか、クリエイティブ?」

「“燃やしてはいけない物品の不正使用”。罰則対象だ」

「え、でも、ポテスピって……」

「聞いてない」

そのまま引きずり出され、別棟で小一時間説教を食らった。
罰点が加算され、作業は最下層の“糞バケツ清掃”に降格された。



それ以来、ポテトは“くさいやつ”という新たな肩書きを得ることになった。

食堂では誰も同じテーブルに座らなくなった。

「おい、ポテスピが来るぞ」「マジで臭くね?まだあれ吸ってんの?」「いや、あれ脳まで焼けてるだろ」

聞こえるように囁かれ、わざと咳き込まれる。

ポテトは笑っていた。最初は。

「お前ら、しらねーよな。伝説になるってこと」

「俺、今、お前らの知らないとこでバズってるから。マジで」

でもその笑顔は、日を追うごとに引きつっていった。

自分を“面白がってくれる”観客はいない。
自分の“ナルシズム”に拍手してくれる舞台もない。

ある日、作業場で、“糞バケツ清掃”の途中。ポテトは誤って、清掃用バケツの中身を自分の足元にぶちまけた。

その瞬間、作業場中に汚物の悪臭が充満した。

「うわ、ポテトじゃん!まーた“臭い伝説”作ったの?」

「お前、もう“ポテスカトール”に名前変えろや」

笑いが弾けた。

そして、その中の一人が、ポテトの肩を叩いてこう言った。

「なぁ、次はそのうんこで“ポテスピ最終形態”でも作ってくれよ?」

ポテトは、その瞬間、口を開けて笑った。

「は……いや……しらね……俺は、ただの発明家……っしょ?」

しかし、目の奥には涙が浮かんでいた。

誰も見ないと思っていた。でも、見ていた。
そして、誰も、もう助ける気はなかった。

夜。ベッドで横になりながら、ポテトはこうつぶやいた。

「……俺って……いつから、こんなに……いらねぇやつになったんだろ」

その言葉が、虚空に吸い込まれた。

でも、すぐにこう言い直した。

「ま、でも……しらね。ガチで俺、間違ってねぇし」

もう、誰もその言葉を聞いていない。

それでもポテトは、今日も“王”のつもりで、孤独な玉座に座り続けていた。

夜明け前、点呼前の薄暗い独房。

ポテトは壁に向かって喋っていた。

「……俺がさ、“今の社会”で間違ってるって言われても、正直、納得いかねーのよ。わかる?ガチで」

壁は答えない。

「だって俺、才能あったし。ネットでも話題だったし。“言葉選びのセンスがある”ってDMも来てたし。マジで」

布団の上に足を崩して座り、膝を抱えながら、独り言は続く。

「バズってた頃、1日5000再生くらいは普通だったし。“お前の知らないやつ”シリーズ、毎日拡散されててさ……ほんと、今でも伝説だと思ってるし」

誰かに伝わるはずもない言葉を、ポテトは“聞こえてるつもり”で吐いていた。



日中、作業場。

ポテトは清掃担当として便器を磨いていた。
雑巾がけ中に、後ろから囁く声が聞こえる。

「ねえ、“ポテスピ様”って、今も吸ってんの?」

「いや、吸ってるっていうか、“生き様”が煙たいんだよ」

爆笑。
ポテトは無言で雑巾を絞り続けた。

「お前さ、何で笑わないの?」

背後の囚人がわざとらしく声をかけてきた。

「昔みたいに『しらね、お前は黙ってろ』って言わねーの?」

ポテトは、雑巾をもう一度強く絞った。
滴る水音が、滑稽なくらい大きく響いた。

「……言ったところで、どうせ“はいはいポテト君”で終わりじゃん」

「は?なにそれ。“被害者ムーブ”すか?w」

「しらねーけど、俺ってさ、どっちにしても“ウザい”って言われんの。だったら、黙ってた方がマシじゃね?」

「いやいや、黙っててもウザいよ、お前は」

その一言に、周囲がまた笑った。

——“何をしてもムカつかれる存在”。

ポテトはついにそこまで“純化”されていた。



午後、休憩中。ポテトは食堂の隅に座っていた。

目の前のトレーには、冷えた白飯と煮物。誰とも話さない。話しかけられない。

周囲のざわめきの中で、ポテトは小声で歌い始めた。

「お前のしらな~い~や~つ~……♪ 今も~王様~~……♪」

変なメロディ。変な声。誰も笑わない。

「……俺はまだ……終わってない」

そう呟いた瞬間、背後から何かが飛んできて、トレーに落ちた。

——残飯だった。

「おっと、王様に献上物。失礼いたしました~」

笑い声。ポテトは一瞬、拳を握った。

でも、何も言わなかった。
ただ、静かに残飯を拭き取って、飯を食べ続けた。



夜。独房。

また、壁に向かって喋っていた。

「……俺は、諦めてない。しらねーけど、ここ出たら……もう一回やれるって、俺は信じてんの」

言葉は、泣いているようだった。

でも、目には涙がなかった。

「りゅうがさ、“今に地獄見るぞ”って言ったけど……ここが地獄って、俺、まだ思ってないし」

「俺はさ、“お前の知らないやつ”で、ここから出てくって決めてんだよ。誰に何言われても、それだけは……」

——その言葉の途中で、ポテトの声が詰まった。

誰も見ていないと思っていた。

でも、監視カメラの向こうで、記録を取っていた若い職員が、ぼそりと呟いた。

「……あの人、もう“人”じゃないな……」

画面の中のポテトは、汚れた囚人服のまま、独房の壁に語り続けていた。

まるで、そこに“自分しかいない”ことを証明するために。

冬。冷え込みが厳しくなった頃、ポテトの部屋の暖房が壊れた。

独房の中、冷たい床に毛布を巻きつけて横たわるポテトは、唇を噛みながらこう呟いていた。

「いや……でも、これぐらい別に。ガチで、外の方が寒かったし」

声が震えていた。
歯がカチカチと鳴るのを止められず、それでも“寒さに負けてない”自分を演じようとしていた。

それは“誰かに見せるため”ではない。
——“自分にだけは、見下されたくなかった”からだった。



ある日、雑居房の壁に、囚人たちの落書きが書かれていた。

《ここで一番イラつくやつランキング》

そこには、堂々とこう書かれていた。

1位 ポテト(うざい・口くさい・全てが不快)

2位以下は空欄だった。

「……は?」

ポテトは見て、固まった。

「いや、しらね。ガチで俺、ここで一番“考えてる人”だと思うけど?」

呟きながら、歯を食いしばる。
だが、その直後、他の囚人が背後から囁いた。

「ポテト、お前、書いた本人かと思ったわ。自作自演?」

周囲に笑いが起こる。

ポテトは何も返せなかった。
怒鳴りもせず、睨みもしなかった。ただ、黙って落書きをじっと見つめていた。

その夜。
壁に向かって話す癖も、もう無くなっていた。

布団の中で、小さくつぶやく。

「俺、なんでここにいんの?」

言葉が出た瞬間、胸がギュッと痛んだ。

——その答えだけは、知っていた。ずっと前から。
だけど、ずっと、見ないふりをしていた。

——金を借りて
——人を裏切って
——自分は悪くないと信じて
——嘘を垂れ流して
——他人のせいにして
——全部崩れたのに、まだ崩れきってなかったフリをして

「……正直言っていい? 俺……ただのゴミだったわ」

その言葉だけは、誰にも聞かれたくなかった。

だから、涙がこぼれる前に、自分の口を毛布で塞いだ。



翌朝、看守が巡回に来たとき、ポテトはまだ布団にくるまっていた。

声をかけられても動かない。何度呼ばれても反応しない。

「おい、大湯。点呼だ」

無反応。

看守が扉を開け、近づくと、ようやくポテトが動いた。

だが、その目は焦点が合っていなかった。
まぶたは腫れ、口元はわずかに開いていた。

「……しらね。もう全部……どうでもよくね?」

声は、限りなく“終わっていた”。

看守は無言でその場を離れた。報告も、何もなかった。

——“あいつは、もう壊れた”

それだけだった。



誰もがポテトを忘れ始めていた。

りゅうは新しい仕事に集中していた。
りょうは別のネタでSNSを荒らしていた。
かもめは、どこか別の場所で、別の“面白いやつ”と笑っていた。

そして、ポテトだけが、未だに“自分が主役”の世界で、誰にも届かないセリフを、口の中で繰り返していた。

「……お前の……知らないやつ……」

しかし、それを覚えているのは、もはやポテトだけだった。
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