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幸せは、思いがけず突然やってくる。……いやほんと、予想以上の展開だよ!?
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昨夜の0時。
年末恒例の歌番組を見て、0時を迎え、両親と「あけましておめでとうございます」と言葉を交わして、自室に戻った。
父と母は、この後ふたりでお酒を飲む。
私はお酒も飲めないため、早々に寝ることにしていた。
これも、例年のことだ。
私が生まれた時に父が建てたこの家には、もう10年以上も前に家を出た私の部屋がまだ残っている。
お正月に戻った時は、そこにお客様用の布団を敷いて、寝ている。
すべてが、例年通りだった。
けれど、去年はすこしだけ違った。
私はもうすぐ結婚する予定で、1月3日には博昭が両親に挨拶に来た。
去年の1月1日は、その話をするために、0時を過ぎても両親と一緒にリビングで話をしていた。
この家で、3人で過ごすお正月は最後になるだろうと、そんな話をしていたのだ。
結婚式の予定は、8月だった。
お正月休みを利用して、私と博昭はいろいろ相談を重ねていた。
クリスマスに二人で行った教会も、式場の候補地のひとつだった。
33歳の私にはかわいすぎると思いながら、けれど一生に一度のことだからとドレスなんかを情報誌でチェックするのも楽しかった。
2歳年上の博昭は鷹揚で、どれも私に似合うだろうと笑ってくれていた。
それが一転したのは、その1か月後のことだ。
私は、博昭がクリスマスに、彼の会社の女子社員に告白されていたことを知る。
お正月休み、私と結婚式の相談をしながら、合間に彼女と会っていたことも。
「別れたい」と言われたのは、2月に入ってすぐのことだった。
「他に、好きな子ができた」という言葉は、「香苗と結婚したい」と言った男の口から、同じ重みで語られた。
きっぱりとした博昭の態度は、「そんなの受け入れられない」という私の言葉を寄せ付けなかった。
彼が、こういう態度をとるときは、決してその決定は覆らない。
3年という短くはない付き合いで、私はそれを知っていた。
私にできるのは、別れを受け入れることだけだった。
私と博昭の婚約破棄を知った両親の嘆きは、思った以上のものだった。
33歳まで仕事づけだった娘が、やっと結婚したいと言ったのだ。
喜びもひとしおだけだっただけに、その結婚が相手の心変わりでなくなったこと、それによって私が傷ついているだろうことに激怒していた。
両親の気持ちは嬉しかったけれど、その時は正直そっとしておいてほしかった。
あちらの両親にも訴えるという父をなだめるのは大変で、お願いだからなにもしないでと泣きわめいたりもした。
博昭の両親にも、丁寧なお詫びをいただいていたのだ。
博昭の心変わりは、あちらのご両親のせいではない。
それは博昭と、新しい恋人、それに私の問題だ。
不幸中の幸いだったのは、私たちが結婚することはまだ親しい人にしか言ってなかったこと。
博昭に憤る友人もいたけど、おおむねみんな私をそっとしておいてくれた。
私はあれこれ考えることに疲れて、仕事も辞めた。
もともと終電で帰るのも休日出勤も日常的なブラックな職場で、30歳を過ぎてからは体力的にキツかったこともある。
幸いお給料はたっぷりいただいていたので、そのお金で、今までできなかったことをいろいろした。
何日もだらだら眠ったり、のんびりテレビを見たり、近くを散歩したり。
お決まりの海外旅行にも、あちこち出かけた。
呆れるほど無為な生活は、私の心をいやしてくれた。
正直なところ、私は今、それほど傷ついてるわけではないと思う。
博昭のことは、好きだった。
地方銀行に勤める博昭は、職業にふさわしく真面目で落ち着いた人だった。
地に足がついた堅実な生き方をする人で、両親や職場の人を大切にしていた。
ゆったりとした口調で語られる彼の生活は穏やかな輝きに満ちていて、そんな博昭と一緒にいると、落ち着き、安らげた。
それまでの数少ない彼氏といるときのように、どきどきしたり、ときめいたりすることはなかった。
けれどそれまでの彼氏とは違い、博昭と一緒にいることは嫌になることはなかった。
あのまま博昭と結婚できていたら、私は幸せだったと思う。
けれど、別れた今、不幸かと言われれば、そうでもないのだ。
確かに博昭と別れたことは辛く、悲しい。
それでも1年も好き勝手に生きていると、案外心は立ち直るものだ。
だからこそ、両親の嘆きを聞いて、家にいずらくなった。
別れた直後は悲しみが大きすぎて、両親の前で号泣したこともあった。
今の私はもう、ほとんど立ち直っているのだけれど、昨夜の両親の雰囲気だと、正直にそう言っても強がっているだけだと影で泣かれそうな気がする。
年末恒例の歌番組を見て、0時を迎え、両親と「あけましておめでとうございます」と言葉を交わして、自室に戻った。
父と母は、この後ふたりでお酒を飲む。
私はお酒も飲めないため、早々に寝ることにしていた。
これも、例年のことだ。
私が生まれた時に父が建てたこの家には、もう10年以上も前に家を出た私の部屋がまだ残っている。
お正月に戻った時は、そこにお客様用の布団を敷いて、寝ている。
すべてが、例年通りだった。
けれど、去年はすこしだけ違った。
私はもうすぐ結婚する予定で、1月3日には博昭が両親に挨拶に来た。
去年の1月1日は、その話をするために、0時を過ぎても両親と一緒にリビングで話をしていた。
この家で、3人で過ごすお正月は最後になるだろうと、そんな話をしていたのだ。
結婚式の予定は、8月だった。
お正月休みを利用して、私と博昭はいろいろ相談を重ねていた。
クリスマスに二人で行った教会も、式場の候補地のひとつだった。
33歳の私にはかわいすぎると思いながら、けれど一生に一度のことだからとドレスなんかを情報誌でチェックするのも楽しかった。
2歳年上の博昭は鷹揚で、どれも私に似合うだろうと笑ってくれていた。
それが一転したのは、その1か月後のことだ。
私は、博昭がクリスマスに、彼の会社の女子社員に告白されていたことを知る。
お正月休み、私と結婚式の相談をしながら、合間に彼女と会っていたことも。
「別れたい」と言われたのは、2月に入ってすぐのことだった。
「他に、好きな子ができた」という言葉は、「香苗と結婚したい」と言った男の口から、同じ重みで語られた。
きっぱりとした博昭の態度は、「そんなの受け入れられない」という私の言葉を寄せ付けなかった。
彼が、こういう態度をとるときは、決してその決定は覆らない。
3年という短くはない付き合いで、私はそれを知っていた。
私にできるのは、別れを受け入れることだけだった。
私と博昭の婚約破棄を知った両親の嘆きは、思った以上のものだった。
33歳まで仕事づけだった娘が、やっと結婚したいと言ったのだ。
喜びもひとしおだけだっただけに、その結婚が相手の心変わりでなくなったこと、それによって私が傷ついているだろうことに激怒していた。
両親の気持ちは嬉しかったけれど、その時は正直そっとしておいてほしかった。
あちらの両親にも訴えるという父をなだめるのは大変で、お願いだからなにもしないでと泣きわめいたりもした。
博昭の両親にも、丁寧なお詫びをいただいていたのだ。
博昭の心変わりは、あちらのご両親のせいではない。
それは博昭と、新しい恋人、それに私の問題だ。
不幸中の幸いだったのは、私たちが結婚することはまだ親しい人にしか言ってなかったこと。
博昭に憤る友人もいたけど、おおむねみんな私をそっとしておいてくれた。
私はあれこれ考えることに疲れて、仕事も辞めた。
もともと終電で帰るのも休日出勤も日常的なブラックな職場で、30歳を過ぎてからは体力的にキツかったこともある。
幸いお給料はたっぷりいただいていたので、そのお金で、今までできなかったことをいろいろした。
何日もだらだら眠ったり、のんびりテレビを見たり、近くを散歩したり。
お決まりの海外旅行にも、あちこち出かけた。
呆れるほど無為な生活は、私の心をいやしてくれた。
正直なところ、私は今、それほど傷ついてるわけではないと思う。
博昭のことは、好きだった。
地方銀行に勤める博昭は、職業にふさわしく真面目で落ち着いた人だった。
地に足がついた堅実な生き方をする人で、両親や職場の人を大切にしていた。
ゆったりとした口調で語られる彼の生活は穏やかな輝きに満ちていて、そんな博昭と一緒にいると、落ち着き、安らげた。
それまでの数少ない彼氏といるときのように、どきどきしたり、ときめいたりすることはなかった。
けれどそれまでの彼氏とは違い、博昭と一緒にいることは嫌になることはなかった。
あのまま博昭と結婚できていたら、私は幸せだったと思う。
けれど、別れた今、不幸かと言われれば、そうでもないのだ。
確かに博昭と別れたことは辛く、悲しい。
それでも1年も好き勝手に生きていると、案外心は立ち直るものだ。
だからこそ、両親の嘆きを聞いて、家にいずらくなった。
別れた直後は悲しみが大きすぎて、両親の前で号泣したこともあった。
今の私はもう、ほとんど立ち直っているのだけれど、昨夜の両親の雰囲気だと、正直にそう言っても強がっているだけだと影で泣かれそうな気がする。
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