君がいないと、息が出来ない

遥彼方

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吹雪の中で私が呼んだのは、君

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 どくどくと嫌な感じに波打つ心臓を宥めて、私は前へ進もうとストックを思い切り突いた。

 慌てて進もうとしたのが悪かったんだと思う。ちゃんと八の字をキープできずに滑り出してしまった。
 そうするとやっぱり腰が引けて、スキー板の制御が上手く出来なくなった。スキー板だけが前に出て、妙にスピードが出てしまい、止まらない。

「ゃあぁぁぁぁ」

 私は声になっているんだか、なってないんだかの悲鳴をあげて尻餅をついたけど、しばらく止まれずに滑った。真っ直ぐになったスキー板はぐいぐい滑ってうまくスピードを殺せない。そのままぼふっと柔らかい雪に突っ込んだ。

 下半身がすっぽり埋もれた感触、正面から飛んできた雪が顔にかかり、ウェアの中に入ってくる。

 なに、どうなったの?

 必死に状況を把握しようとするけど、相変わらず視界は白ばかり。分かったのは白以外見えないということと、吹き付ける雪の冷たさ。聞こえるのは身が縮むような風の音だけ。

 もうパニックだ。

 めちゃくちゃにもがこうとするけど、手に持ったストックと足のスキー板が邪魔で、上手く動かせない。
 目の前は真っ白で何がなんだか分からない。また雪がたくさんウェアの中に入ってきたけど、それどころじゃなかった。

「やだやだやだやだ!」

 大声を出して、必死にばたばたと手足を動かした。

 誰か、誰か、誰か。

「すみれ、有栖川さん、先生ーっ、お母さんっ」

 怖くなった私は、もがきながら片っ端から名前を呼んでいった。
 けれど誰も答えてくれない。

「……徹っ! 徹ーーっ!」

 無我夢中の私が、最後に呼んだのは……君の名前だった。

 かくれんぼで見つけて貰えずに泣きべそをかいていた時、探しに来てくれたのは君だった。
 ショッピングモールで二人、お母さんたちからはぐれてしまったけど、君といたから心細くなかった。
 一人で留守番しているときに雷が鳴って、怖くて泣いていた時「ピンポーン」と鳴った玄関。大急ぎでドアを開けたら君がいた。

 寂しい時、心細い時、怖い時、いつだって君がなんとかしてくれた。

 助けて、来て。

 君だったら、きっと来てくれる。なんとかしてくれる。

「千尋!!」

 低くて力強い声が、風の音をかいくぐって私の鼓膜を震わせた。首をねじって声の方向、後ろへ目を凝らす。吹き付ける雪と白ばかりの世界に、僅かな色が見えた。

「徹!」

 こっちだ、ここにいるからと、声を張り上げて君の名前を呼んだ。

「千尋!」

 ぼやっとしたシルエットと、もう一度響く君の声。
 たった今、聞きたくてたまらなかった君の声。
 来てくれるって信じていた人。

 白い膜を突き破って、君の蛍光色が現れた。雪は変わらず吹き荒れているけど、流石に至近距離だと見えるらしい。

「徹、とおるぅぅ」

 来てくれた。来てくれた。
 ……来て、くれた。

 途端に涙が出てきて、胸の中が嬉しさと安心でぐちゃぐちゃになった。

 君は歩いて近付いてきたようで、スキー板も履かずストックも持っていなかった。そばに膝を着いた君へ、私は精一杯、腕を伸ばす。

「怖かった、怖かったよぉ」

 埋まっているからほとんど自由にならないけれど、出来る限り君へしがみついた。

「ばか、落ち着け。大丈夫だから」

 子供みたいにぐしぐしと泣き始めた私の背中を君が軽く叩く。叩かれるたびに大丈夫なんだって思えて、心が落ち着いてきた。

「うん、うん」

 私は君の言葉に何度もうなずいてから、しがみついていた腕をはなした。
 うん、もう大丈夫。君がいるから。

「怪我とかしてないか?」
「うん、大丈夫」

 どこも痛くない。それよりも何もない世界に一人、取り残されたような恐怖だけだった。それも君が来てくれたから消えてしまった。

「そうか」

 私が首を縦に振ると、君は下を向いてはーっと大きく息を吐いた。

「なんか声がしたなって思って滑ってたら、少し先にお前の班のやつがいたから」

 私の姿が見えないから君がどうしたんだって聞いたら、すみれたちはそこではじめて私がいないことに気付いたらしい。

「他のやつらと離れてない場所でよかったよ。こんだけ視界が悪かったら分かんねぇからな」

 ぐるりと周りを見渡した君にならい、私ももう一度まわりを見たけどやっぱり白い。君以外は。

「落ち着いて手をついてみろ。足を踏ん張れるか」
「う、うん」

 真っ白だった世界にはもう色がある。言われた通りに固い雪の部分へ手を着き力をこめる。体を押し上げようと足を踏ん張ったけど、スキー板が雪に引っかかって無理だった。

「スキー板外せるか」
 君が私の手からストックを取ってくれた。君の問いにうなずき、スキー板を外そうと雪の中でごそごそする私を覗き込んでくる。それから私の脇の下へ腕を差し込んだ。

「外せたか」
「うん」
「よし、引っ張るぞ」

 脇に入れた腕に力がこもって、ぐいっと引っ張り上げられる。固い雪の上に立てた私はまた泣きそうになって、それを誤魔化すためにうつむき、ウェアについた雪を払った。

「千尋ー」
「佐藤さん」

 そこへスキー板を外したすみれたちが歩いて来てくれた。吹雪はさっきより緩んでいて、周りの様子が少し見えるようになっている。

 視界が晴れてしまえば、私はコース横の新雪に突っ込んでいただけだった。雪が柔らかいから腰まで埋もれてしまったけど、スキー板さえ外したらすぐに抜け出せた。
 首もとに入ってきた雪は、私がむやみに暴れたせいで横にあった木の根との雪を崩しちゃっただけみたい。
 てっきり体全部が埋まってしまったんだと思って、パニックになっていた自分が恥ずかしい。

「ごめんね、千尋。進むのに必死で気付かなかった」
「ううん。こっちこそ心配かけちゃってごめん」

 私は力なくうなだれて首を横に振る。本当にすみれたちのせいじゃない。それよりも無駄に使った体力と、自分のバカさ加減にどうしようもなく疲れた。

 雪は相変わらずだったけれど、風が弱まったお陰で視界はすっかり戻っている。あんな風に全く見えないくらいの白は、時間にすると数分のことだった。その数分の間の出来事を思い、私はしゅんとうなだれた。

 君は四つん這いになって雪に埋もれた私のスキー板を掘り起こした。そうこうしているうちに、なんだどうしたと他の班の子たちも寄ってくる。

「何でもない! ただ雪に突っ込んだだけ!」

 君が大声で周りに簡単な説明すると、そうかとみんなは滑って下りて行った。君と同じ班の子だけ残っていたけど、君が私について一緒に下りるから先に行ってくれるように頼んだ。

 みんなで少し先まで歩き、すみれたちと君が雪にさしていたストックとスキー板をつける。私ももう一度スキー板をつけて、すみれたちの後ろへ付き君が私の後ろへと続いた。

 集合場所までは本当にすぐだった。

 そのまま今日のスキーは終了になって宿へ帰った。目の前が真っ白になるようなひどい吹雪は一瞬の間だったけれど、今も雪は降り続いている。これ以上は危険だという先生たちの判断だ。

 何人かの子は頬や鼻の頭を赤くしていた。どうやら凍傷になってしまったらしい。

 インストラクターの人は昨日みたいな晴天も珍しいが、こんなに吹雪くのも珍しいと言っていた。晴天はいいけど吹雪は嬉しくない。

「すごかったよな」
「遭難するかと思っちゃった」

 滅多にない経験をみんなはあちこちで茶化していたけど、私は同じように面白おかしくしゃべれなかった。
 体がすごく重くて、頭がガンガン痛む。
 ウェアの中へ入り込んだ雪がすっかり溶けて、冷たくて仕方がない。

 結局その夜、私は熱を出して寝込んでしまった。最悪。
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