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第三章 ディオファーン王侯貴族の複雑な事情
17、波乱ずくめの交流会 中編
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ラテライト王子がいるグループと話をしたあと、あたしはほとんどしゃべらなかった。陛下がうまく会話を誘導してくれるおかげで、あたしは自己紹介だけですんで助かったわ。
話し上手でエスコートも完璧。底の厚い草履に慣れないあたしに、スマートに手を貸してくれる。そういうところかっこいいと思うんだけど、どうして公の場を離れるとあんなに残念な人になっちゃうんだろう。
考え込んでいたら、陛下から心配そうに話しかけられた。
「どうした、舞花? 疲れたのか?」
「いっいいえ!」
話しかけられると思ってなかったので、驚いて声がうわずってしまう。
各国の王子王女たちと一通り話し終えると、今度はディオファーンの貴族たちと引き合わされた。
ディオファーンの貴族といえば、王家の血を引く血族たち。つまり、陛下の親戚ということになる。この間の歓迎会で陛下の婚約者を演じてしまったあたしとしては、彼らから会いたい話がしたいと言われればお断りし続けるのは難しく、それでこの機会に全員と会って話をしようということになった。
本当はあまり交流したくないんだけどね。あたしは陛下の婚約者になったつもりがなければ、結婚する気もさらさらない。そもそも、〝いつまでこの世界にいられるかわからない〟あたしが、この世界の人と結ばれていいとはやっぱり思えない。
陛下の補佐官のロットさんに「本当の別れが訪れたとき、自分の気持ちに正直にならなかったことを後悔しませんか」と訊ねられたことがある。返事をする機会はなかったけれど、あたしはロットさんの考え方に同意することはできなかった。
愛するほど別れはつらく、愛さなければ心の傷は軽くてすむ。
その考えは、今も変わっていない。
可愛くない態度を取り続けるあたしに、陛下が愛想を尽かせばいいと思ってる。
それはともかく、今は交流会のさなかで、陛下の親戚の皆さんに引き合わされているのでした。
陛下との親交を深めにきている王子王女たちの質問をかわすのは簡単だったけれど、陛下の婚約者を品定めしたい血族の皆さんが相手だとそうはいかない。王子王女たちと違って目当てはあたしなので、直接問いかけてくる。
「舞花様は祖国ではどのようなご身分で?」
一般人って答えたら面倒なことになるんだろうな。下々の血を王家に入れるつもりかと言って騒ぎ出し、陛下が小っ恥ずかしい反論をする。嘘をつきたくないあたしが本当のことを言えば、陛下が情けなく懇願してくる。……その光景が目に浮かぶようだわ。
なので、あたしは目一杯しおらしいふりをして答える。
「あなたがたの国の身分制度に、わたくしの故国の身分を当てはめることはできません」
嘘は言ってないよね?
交流会には若い女の子たちも参加してる。陛下が年配の男性と話している隙に、あたしににこやかに話しかけてきた。
「舞花様、お話を聞くばかりではつまらなくありませんか? わたくしたちとおしゃべりいたしませんか?」
ヘマータサマやウェルティの外見と年齢から想像するに、彼女たちも十代後半から二十代頭くらいだろう。
「舞花」
女の子の声を耳ざとく聞いていた陛下が、あたしに声をかけてくる。嫌なら代わりに断ってくれるつもりらしい。
あたしは微笑んで首を振った。
「彼女たちとお話しをしに行ってきていいでしょうか?」
陛下はほんのちょっと心配そうな顔をしたけれど、あたしの曇りのない笑みを見てほっとしたように言った。
「行っておいで。余はこの辺りにいるから」
何か困ったことがあったら、こちらに助けを求めに来いということね。そういう気配りもできるところがまたかっこよくて困っちゃう。って、それはどうでもよくて。
女の子たちはにこにこしていて、どう見てもあたしに敵意があるようには見えない。だったらこちらからも歩み寄ろうとしないのは失礼だ。それに、あたしが彼女たちと仲良くなることは、フォージのためになるかもしれない。
陛下から離れ、彼女たちと一緒に歩いていると、少し離れたところにヘマータサマとウェルティの姿が見えた。
「ちょっとごめんなさい」
あたしは一言断って、足元に気を付けながら二人に近付く。
「来てたのね。姿が見えないからてっきり」
欠席したと思ってた、とまでは言わせてもらえなかった。
「招待を受けたので、挨拶に来たまでです」
「そういうことよ」
二人はそれだけ言うと、まっすぐ出口へと行ってしまう。本当に挨拶するためだけに来たみたいだ。
女の子の一人が、あたしの横に立って顔をしかめた。
「舞花様に対してなんて失礼なのかしら」
「陛下の誘惑に失敗して妃候補から脱落なさったのに、ねえ?」
別の女の子が嫌みたらしく言うのを聞いて、あたしはぎょっとした。
「え!? なんで知って──」
これ以上言葉が続かない。あたしの動揺に気付いていない様子で、女の子たちは意地悪な笑みを浮かべ隣同士顔を見合わせた。
「ヘマータ様ご本人がそうおっしゃったんです。陛下は媚薬を服用なさっていたのに、それでも誘惑できなかったそうじゃありませんか」
「ヘマータ様はお美しいですけど、冷たい表情をしてらっしゃるんですもの。陛下のお心を射止めるなんてとうてい無理だったんですわ」
愛想のいい無邪気な女の子たちの、見事なまでの早変わり。あっけにとられていると、女の子たちは内緒話をするように顔を近づけてきた。
「それに舞花様はご存じでないご様子なので、お耳に入れておきたいと思いまして」
「ウェルティはウィークソン家の令嬢ではないともっぱらの噂ですの」
これって告げ口? この子たち、初対面のあたしに告げ口するの?
ぽかんとするあたしに、女の子たちは口々に言う。
「ウェルティのお母上は現ウィークソン家当主の後妻なんですけど、結婚なさったときにはすでにウェルティを身ごもってらしたんです。ご当主はご自身の子だと公言しておいでですけど、ウェルティのお母上の醜聞は誰もが知っているところです」
「旅の楽士と道ならぬ恋に落ちて、駆け落ちなさろうとしたんです」
「でもその楽士にとってはいっときの遊びだったのでしょうね。ウェルティのお母上を置いて逃げてしまったの」
「ウィークソン家のご当主との結婚が決まったのは、そのすぐあとのことだったそうですわ。その醜聞を恥じてか、お母上は一度も社交の場に出てきません。ご当主も滅多なことでは公の場に姿を現しません。それが何よりの証拠ですわ」
だから、ウェルティはフォージに近寄れずにいたのか。
彼女たちが言っていることは多分事実だ。ウィークソン家は名家だというから、その家の血を引いていないということは、ウェルティにとって負い目なのだろう。でも、ウェルティが他人に知られたくないのはそのことじゃないんだろう。
ただのブラコンだと思ってたら、意外と複雑な事情を抱えてたんだなぁ……。
ついついため息をつくと、どういう意味に受け取ったのか、令嬢たちは口々に言った。
「ですから、ウェルティに偉そうな顔をさせておくことはないんですのよ」
「卑しい血を引いていながら、舞花様にまで偉そうな顔をして」
「ヘマータ様が側に置くから、ウェルティが増長するんです」
「あ、わたくしたちがこのことを舞花様にお伝えしたことはどなたにも内緒にしてくださいまし」
彼女たちが言わんとしていることがわかってきて、あたしはだんだんムカムカしてきた。
それが言いたくて、あたしを陛下のそばから引き離したのか。少なくとも、他人に知られてはマズいと考える程度に、自分たちのしていることはよろしくないとわかっているらしい。
こういう告げ口的なこと、自分がするのも他人にされるのも好きじゃないんだよね。特に、他人をおとしめて、自分の有利に事を進めようとする人たちにはムカつく。
年下だろうがまだ子供であろうが関係ない。あたしは怒りを押し殺した声で訊ねた。
「それで、あなたがたはわたくしにどうしろと言いたいのですか?」
あたしが怒っていることに気付きはしても、何故怒っているのかを察することができないらしい。一人がおずおずと訊き返してきて、あたしの神経を逆なでする。
「舞花様は、ウェルティにだまされて下働きにされたのではありませんか?」
「ええ。確かにわたくしはウェルティ様にだまされました。ですが下働きの仕事は苦ではありませんでしたし、一緒に働いていた方々にはよくしていただきました。高名な学者様とお話をするという目的も叶いましたので、ウェルティ様を恨む気持ちはありません。それに」
あたしは一呼吸置きながら、女の子たちの顔を見回す。
「ウェルティ様がわたくしにあのような態度をとるのは、この国ディオファーンの将来を案じているからです。ご存じのように、わたくしはディオファーン王家の血を引かないばかりか、この世界の人間でもありません。得体の知れない血が王家に受け継がれることを阻止せんと、ヘマータ様とともにわたくしを説得しに来られたのです。そのように行動されたご令嬢は、ヘマータ様とウェルティ様の他にはいらっしゃいませんでした」
つまり、今目の前にいるあなたがたは何もしなかった──あたしは暗に彼女たちを責める。
押し黙った女の子たちに、あたしはさらに言った。
「わたくしもディオファーンの将来を思い、身を引くつもりでおりました。ですが陛下のお心が思いの外揺るがず……それでヘマータ様は、フラックス様が提案した賭に身を投じられたのです。わたくしはディオファーンのために自身の犠牲もいとわなかったヘマータ様を尊敬いたしております。わたくしはディオファーンの民ではございませんが、ヘマータ様の崇高な行いを侮辱などとてもできません」
あたしの皮肉に何人かが気付いて、顔を赤らめたりうしろめたそうに目をそらしたりする。でもこれで終わりにすることはできなかった。
あたしは最後まで言い切る。
「自分から申し上げるのもおこがましいですが、わたくしはソルバイト国王陛下から寵をいただいております。そのわたくしに攻撃的な態度を取れば、ソルバイト陛下の不興を買うかもしれないのに、それでも怯まずわたくしに意見してこられるウェルティ様のことも、愛国心にあふれた貴族の鑑だと思いますわ。それに、ウェルティ様は【救世の力】をお持ちだと存じ上げております。つまり、ディオファーン王家の血を引いているということ。血族の血を一滴も持たないわたくしからすれば、ウェルティ様もあなた方と同様に、尊い血を受け継いでらっしゃる方としか思えません」
あたしが話を終えたときには、程度の差こそあれ全員が顔に怒りを浮かべていた。
あーあ、やっちゃった。フォージのために彼女たちと仲良くしなきゃと思ってたくせに。でもいいんだ。こんな底意地の悪い人たちと仲良くしたっていいことなんてないわ。って、あたしが判断していいことじゃないけどさ。
一人がわなわなと唇を震わせながら言った。
「舞花様こそ何をおっしゃりたいの? わたくしたちは舞花様のことを思って、口にするのもはばかられることをお伝えしたのに」
〝あなたのためを思って〟っていうのも、押しつけがましくて好きじゃないんだけどな。──なんてことを考えてたら、女の子は口元を引き結んでうつむいた。目尻には涙がきらり。まいったな。面倒なことになってきたぞ。
この場をどうおさめようか悩んでいると、、聞き覚えのある男性の声が割って入ってきた。
「何やら盛り上がっていたようだけど、なんの話をしてたんだい、舞花?」
「コークスさん」
「きゃあ! コークス様♡♡♡」
女の子たちはころっと態度を変えてコークスさんの前に集まっていく。変わり身しすぎるよ、彼女たち。でもって、やっぱりコークスさんってモテるんだ。でも、コークスさんの様子がなんだか変。笑顔なんだけど、なんだか作り物めいてるような……。
話しかけようとした女の子たちを手で制し、コークスさんはにっこり笑って言った。
「君たち、僕の妹について舞花によからぬことを吹き込んだようだね。妹のことを悪く言う人とは口をきかないと僕が宣言したことは知っているはずだ。君たちの顔は覚えた。今後、僕が君たちを相手にすることはないと覚えておいて」
こっ怖い! 王子様みたいな笑顔と穏やかな口調でその辛らつなセリフは怖いよ! 直接言われた女の子たちなんて、凍り付いたみたいにその場で固まっちゃってるよ。
コークスさんはよほど腹に据えかねているのか、あたしには曇りのない爽やかな笑みを向けた。
「行こう、舞花」
差し伸べられた手を取って、あたしはコークスさんと一緒にその場を離れる。
金縛りがとけた女の子たちはあわあわしながら言い訳するけど、コークスさんはまるっと無視。
彼女たちに同情はしないよ。むしろコークスさんに同情する。大事な妹をおとしめるようなこと言われたら、そりゃ腹が立つよね。
ちらっと視線を向けると、その視線に気付いたコークスさんはこちらを向いた。あたしは慌ててお礼を言う。
「もめごとになっちゃいそうだったので、来ていただいて助かりました。ありがとうございます」
「お礼を言うのはこちらのほうだよ。ウェルティをかばってくれてありがとう」
まぶしすぎるコークスさんの王子様スマイルから、あたしはさりげなく目をそらす。
「コークスさん、いつから話を聞いてたんですか?」
「『お母上の醜聞は誰もが知っているところです』からだよ。舞花だったらウェルティのことをわかってくれると信じてたけど、確かめずにはいられなかったんだ。すぐに助けに入ってあげなくてごめんね」
ウェルティも相当なブラコンだけど、コークスさんも結構なシスコンだよね。事情を思えばそうなっても仕方ないかなと思うけど。
「いえ、ちょうどいいタイミングでしたよ。言いたいことを最後まで言わせてもらえてすっきりしました。ありがとうございます。それにしても、コークスさんがあんな冷たい態度をとれるなんて思いませんでした。穏和で──な人だと思ってましたから」
空気読まない人と言っちゃうところだった。危ない危ない。
「何を言いかけたか気になるけど、訊ねている余裕はなさそうだ。じゃあ、ぼくはこれで」
そう言うが早いか、コークスさんはすごい早足で離れていく。
「え? コークスさん?」
驚いてその後ろ姿を見送っていると、背後から名前を呼ばれた。
「舞花」
「あ、陛下」
陛下がやきもちを焼いてコークスさんをまた放り投げないとも限らない。あたしは顔を近づけてこそっとくぎを差した。
「コークスさんは助けてくれただけなの。何かしたら三日間口きかないからね」
あたしがこんな口調で話しているのを聞かれたら、舞妓衣装で演出した神秘性が台無しになる。だからあくまでこそっと、他の人に聞こえないように。
あたしが顔を近づけたのが嬉しかったのか、陛下はでれっとした笑顔になって答えた。
「わかっている。コークスがそなたのところへ行ったから、そなたのことをコークスに任せたのだ」
あたしはぽかんとした。
反応が今までと違いすぎる。
「どうした?」
「いちいち嫉妬して、部屋を壊したりひとを窓の外へ放り出したりしてた人がどうしちゃったの?」
陛下はひとの上に立つ人間らしい、鷹揚な笑みを浮かべる。
「そなたに愛されているという自信がついてきたからだな」
「は?」
あたし、いつ陛下を愛してるって言いましたっけ?
あっけにとられるあたしに、陛下は得々と方って聞かせる。
「今までは他の男にいつ奪われるかと気が気でなかったが、今はそんな不安を覚えないのだ」
「え……なんで……」
陛下に劇的な心境の変化をもたらすようなこと、あたしした? 無意識のうちに、何かやらかしただろうかと、あたしはどぎまぎする。
陛下はあたしの耳に顔を寄せてささやいた。
「今さらであるが、そなたが暴力を振るうのは余だけだと気づいたのだ。それはそなたなりの余への愛情表現なのではないかとな」
い、言われてみればそうかも……。
あたしはうっかり顔を赤らめてしまう。
でも、暴力を振るいたくなるくらいあたしを怒らせるのは陛下だけなんだから、それを愛情表現と結びつけるのはちょっとおかしいんじゃない?
そう思うのに、あたしに顔を近づけてくる陛下が色っぽすぎて、どぎまぎが止まらない。
あたしは悔し紛れに言い返した。
「このドM」
「どえむとはなんだ?」
残念ながら陛下には伝わらなかった。
話し上手でエスコートも完璧。底の厚い草履に慣れないあたしに、スマートに手を貸してくれる。そういうところかっこいいと思うんだけど、どうして公の場を離れるとあんなに残念な人になっちゃうんだろう。
考え込んでいたら、陛下から心配そうに話しかけられた。
「どうした、舞花? 疲れたのか?」
「いっいいえ!」
話しかけられると思ってなかったので、驚いて声がうわずってしまう。
各国の王子王女たちと一通り話し終えると、今度はディオファーンの貴族たちと引き合わされた。
ディオファーンの貴族といえば、王家の血を引く血族たち。つまり、陛下の親戚ということになる。この間の歓迎会で陛下の婚約者を演じてしまったあたしとしては、彼らから会いたい話がしたいと言われればお断りし続けるのは難しく、それでこの機会に全員と会って話をしようということになった。
本当はあまり交流したくないんだけどね。あたしは陛下の婚約者になったつもりがなければ、結婚する気もさらさらない。そもそも、〝いつまでこの世界にいられるかわからない〟あたしが、この世界の人と結ばれていいとはやっぱり思えない。
陛下の補佐官のロットさんに「本当の別れが訪れたとき、自分の気持ちに正直にならなかったことを後悔しませんか」と訊ねられたことがある。返事をする機会はなかったけれど、あたしはロットさんの考え方に同意することはできなかった。
愛するほど別れはつらく、愛さなければ心の傷は軽くてすむ。
その考えは、今も変わっていない。
可愛くない態度を取り続けるあたしに、陛下が愛想を尽かせばいいと思ってる。
それはともかく、今は交流会のさなかで、陛下の親戚の皆さんに引き合わされているのでした。
陛下との親交を深めにきている王子王女たちの質問をかわすのは簡単だったけれど、陛下の婚約者を品定めしたい血族の皆さんが相手だとそうはいかない。王子王女たちと違って目当てはあたしなので、直接問いかけてくる。
「舞花様は祖国ではどのようなご身分で?」
一般人って答えたら面倒なことになるんだろうな。下々の血を王家に入れるつもりかと言って騒ぎ出し、陛下が小っ恥ずかしい反論をする。嘘をつきたくないあたしが本当のことを言えば、陛下が情けなく懇願してくる。……その光景が目に浮かぶようだわ。
なので、あたしは目一杯しおらしいふりをして答える。
「あなたがたの国の身分制度に、わたくしの故国の身分を当てはめることはできません」
嘘は言ってないよね?
交流会には若い女の子たちも参加してる。陛下が年配の男性と話している隙に、あたしににこやかに話しかけてきた。
「舞花様、お話を聞くばかりではつまらなくありませんか? わたくしたちとおしゃべりいたしませんか?」
ヘマータサマやウェルティの外見と年齢から想像するに、彼女たちも十代後半から二十代頭くらいだろう。
「舞花」
女の子の声を耳ざとく聞いていた陛下が、あたしに声をかけてくる。嫌なら代わりに断ってくれるつもりらしい。
あたしは微笑んで首を振った。
「彼女たちとお話しをしに行ってきていいでしょうか?」
陛下はほんのちょっと心配そうな顔をしたけれど、あたしの曇りのない笑みを見てほっとしたように言った。
「行っておいで。余はこの辺りにいるから」
何か困ったことがあったら、こちらに助けを求めに来いということね。そういう気配りもできるところがまたかっこよくて困っちゃう。って、それはどうでもよくて。
女の子たちはにこにこしていて、どう見てもあたしに敵意があるようには見えない。だったらこちらからも歩み寄ろうとしないのは失礼だ。それに、あたしが彼女たちと仲良くなることは、フォージのためになるかもしれない。
陛下から離れ、彼女たちと一緒に歩いていると、少し離れたところにヘマータサマとウェルティの姿が見えた。
「ちょっとごめんなさい」
あたしは一言断って、足元に気を付けながら二人に近付く。
「来てたのね。姿が見えないからてっきり」
欠席したと思ってた、とまでは言わせてもらえなかった。
「招待を受けたので、挨拶に来たまでです」
「そういうことよ」
二人はそれだけ言うと、まっすぐ出口へと行ってしまう。本当に挨拶するためだけに来たみたいだ。
女の子の一人が、あたしの横に立って顔をしかめた。
「舞花様に対してなんて失礼なのかしら」
「陛下の誘惑に失敗して妃候補から脱落なさったのに、ねえ?」
別の女の子が嫌みたらしく言うのを聞いて、あたしはぎょっとした。
「え!? なんで知って──」
これ以上言葉が続かない。あたしの動揺に気付いていない様子で、女の子たちは意地悪な笑みを浮かべ隣同士顔を見合わせた。
「ヘマータ様ご本人がそうおっしゃったんです。陛下は媚薬を服用なさっていたのに、それでも誘惑できなかったそうじゃありませんか」
「ヘマータ様はお美しいですけど、冷たい表情をしてらっしゃるんですもの。陛下のお心を射止めるなんてとうてい無理だったんですわ」
愛想のいい無邪気な女の子たちの、見事なまでの早変わり。あっけにとられていると、女の子たちは内緒話をするように顔を近づけてきた。
「それに舞花様はご存じでないご様子なので、お耳に入れておきたいと思いまして」
「ウェルティはウィークソン家の令嬢ではないともっぱらの噂ですの」
これって告げ口? この子たち、初対面のあたしに告げ口するの?
ぽかんとするあたしに、女の子たちは口々に言う。
「ウェルティのお母上は現ウィークソン家当主の後妻なんですけど、結婚なさったときにはすでにウェルティを身ごもってらしたんです。ご当主はご自身の子だと公言しておいでですけど、ウェルティのお母上の醜聞は誰もが知っているところです」
「旅の楽士と道ならぬ恋に落ちて、駆け落ちなさろうとしたんです」
「でもその楽士にとってはいっときの遊びだったのでしょうね。ウェルティのお母上を置いて逃げてしまったの」
「ウィークソン家のご当主との結婚が決まったのは、そのすぐあとのことだったそうですわ。その醜聞を恥じてか、お母上は一度も社交の場に出てきません。ご当主も滅多なことでは公の場に姿を現しません。それが何よりの証拠ですわ」
だから、ウェルティはフォージに近寄れずにいたのか。
彼女たちが言っていることは多分事実だ。ウィークソン家は名家だというから、その家の血を引いていないということは、ウェルティにとって負い目なのだろう。でも、ウェルティが他人に知られたくないのはそのことじゃないんだろう。
ただのブラコンだと思ってたら、意外と複雑な事情を抱えてたんだなぁ……。
ついついため息をつくと、どういう意味に受け取ったのか、令嬢たちは口々に言った。
「ですから、ウェルティに偉そうな顔をさせておくことはないんですのよ」
「卑しい血を引いていながら、舞花様にまで偉そうな顔をして」
「ヘマータ様が側に置くから、ウェルティが増長するんです」
「あ、わたくしたちがこのことを舞花様にお伝えしたことはどなたにも内緒にしてくださいまし」
彼女たちが言わんとしていることがわかってきて、あたしはだんだんムカムカしてきた。
それが言いたくて、あたしを陛下のそばから引き離したのか。少なくとも、他人に知られてはマズいと考える程度に、自分たちのしていることはよろしくないとわかっているらしい。
こういう告げ口的なこと、自分がするのも他人にされるのも好きじゃないんだよね。特に、他人をおとしめて、自分の有利に事を進めようとする人たちにはムカつく。
年下だろうがまだ子供であろうが関係ない。あたしは怒りを押し殺した声で訊ねた。
「それで、あなたがたはわたくしにどうしろと言いたいのですか?」
あたしが怒っていることに気付きはしても、何故怒っているのかを察することができないらしい。一人がおずおずと訊き返してきて、あたしの神経を逆なでする。
「舞花様は、ウェルティにだまされて下働きにされたのではありませんか?」
「ええ。確かにわたくしはウェルティ様にだまされました。ですが下働きの仕事は苦ではありませんでしたし、一緒に働いていた方々にはよくしていただきました。高名な学者様とお話をするという目的も叶いましたので、ウェルティ様を恨む気持ちはありません。それに」
あたしは一呼吸置きながら、女の子たちの顔を見回す。
「ウェルティ様がわたくしにあのような態度をとるのは、この国ディオファーンの将来を案じているからです。ご存じのように、わたくしはディオファーン王家の血を引かないばかりか、この世界の人間でもありません。得体の知れない血が王家に受け継がれることを阻止せんと、ヘマータ様とともにわたくしを説得しに来られたのです。そのように行動されたご令嬢は、ヘマータ様とウェルティ様の他にはいらっしゃいませんでした」
つまり、今目の前にいるあなたがたは何もしなかった──あたしは暗に彼女たちを責める。
押し黙った女の子たちに、あたしはさらに言った。
「わたくしもディオファーンの将来を思い、身を引くつもりでおりました。ですが陛下のお心が思いの外揺るがず……それでヘマータ様は、フラックス様が提案した賭に身を投じられたのです。わたくしはディオファーンのために自身の犠牲もいとわなかったヘマータ様を尊敬いたしております。わたくしはディオファーンの民ではございませんが、ヘマータ様の崇高な行いを侮辱などとてもできません」
あたしの皮肉に何人かが気付いて、顔を赤らめたりうしろめたそうに目をそらしたりする。でもこれで終わりにすることはできなかった。
あたしは最後まで言い切る。
「自分から申し上げるのもおこがましいですが、わたくしはソルバイト国王陛下から寵をいただいております。そのわたくしに攻撃的な態度を取れば、ソルバイト陛下の不興を買うかもしれないのに、それでも怯まずわたくしに意見してこられるウェルティ様のことも、愛国心にあふれた貴族の鑑だと思いますわ。それに、ウェルティ様は【救世の力】をお持ちだと存じ上げております。つまり、ディオファーン王家の血を引いているということ。血族の血を一滴も持たないわたくしからすれば、ウェルティ様もあなた方と同様に、尊い血を受け継いでらっしゃる方としか思えません」
あたしが話を終えたときには、程度の差こそあれ全員が顔に怒りを浮かべていた。
あーあ、やっちゃった。フォージのために彼女たちと仲良くしなきゃと思ってたくせに。でもいいんだ。こんな底意地の悪い人たちと仲良くしたっていいことなんてないわ。って、あたしが判断していいことじゃないけどさ。
一人がわなわなと唇を震わせながら言った。
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こっ怖い! 王子様みたいな笑顔と穏やかな口調でその辛らつなセリフは怖いよ! 直接言われた女の子たちなんて、凍り付いたみたいにその場で固まっちゃってるよ。
コークスさんはよほど腹に据えかねているのか、あたしには曇りのない爽やかな笑みを向けた。
「行こう、舞花」
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「いえ、ちょうどいいタイミングでしたよ。言いたいことを最後まで言わせてもらえてすっきりしました。ありがとうございます。それにしても、コークスさんがあんな冷たい態度をとれるなんて思いませんでした。穏和で──な人だと思ってましたから」
空気読まない人と言っちゃうところだった。危ない危ない。
「何を言いかけたか気になるけど、訊ねている余裕はなさそうだ。じゃあ、ぼくはこれで」
そう言うが早いか、コークスさんはすごい早足で離れていく。
「え? コークスさん?」
驚いてその後ろ姿を見送っていると、背後から名前を呼ばれた。
「舞花」
「あ、陛下」
陛下がやきもちを焼いてコークスさんをまた放り投げないとも限らない。あたしは顔を近づけてこそっとくぎを差した。
「コークスさんは助けてくれただけなの。何かしたら三日間口きかないからね」
あたしがこんな口調で話しているのを聞かれたら、舞妓衣装で演出した神秘性が台無しになる。だからあくまでこそっと、他の人に聞こえないように。
あたしが顔を近づけたのが嬉しかったのか、陛下はでれっとした笑顔になって答えた。
「わかっている。コークスがそなたのところへ行ったから、そなたのことをコークスに任せたのだ」
あたしはぽかんとした。
反応が今までと違いすぎる。
「どうした?」
「いちいち嫉妬して、部屋を壊したりひとを窓の外へ放り出したりしてた人がどうしちゃったの?」
陛下はひとの上に立つ人間らしい、鷹揚な笑みを浮かべる。
「そなたに愛されているという自信がついてきたからだな」
「は?」
あたし、いつ陛下を愛してるって言いましたっけ?
あっけにとられるあたしに、陛下は得々と方って聞かせる。
「今までは他の男にいつ奪われるかと気が気でなかったが、今はそんな不安を覚えないのだ」
「え……なんで……」
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陛下はあたしの耳に顔を寄せてささやいた。
「今さらであるが、そなたが暴力を振るうのは余だけだと気づいたのだ。それはそなたなりの余への愛情表現なのではないかとな」
い、言われてみればそうかも……。
あたしはうっかり顔を赤らめてしまう。
でも、暴力を振るいたくなるくらいあたしを怒らせるのは陛下だけなんだから、それを愛情表現と結びつけるのはちょっとおかしいんじゃない?
そう思うのに、あたしに顔を近づけてくる陛下が色っぽすぎて、どぎまぎが止まらない。
あたしは悔し紛れに言い返した。
「このドM」
「どえむとはなんだ?」
残念ながら陛下には伝わらなかった。
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