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第二章 エバートン家の別荘
22.六日目の渇求
しおりを挟む大魔王の叫び声のような雷の音も問題なかった。
私がシャワーを浴びる、その時までは。
非常用のランタンをシャワールームの外に置いて、僅かに隙間を開けたまま、シャワーを浴びていた。時折聞こえるドンッという音も、バリバリと雨が窓ガラスに叩き付ける音も、なるべく気にしないように努めた。
しかし、どういうわけかシャンプーをして洗い流している最中に今日一番の大きな雷が響き渡った。この落雷で自分は死んだのではないかと錯覚するような大きな音が。
「っきゃああ!!」
雷に比べると大した声量ではないけれど、思わず悲鳴が漏れ出た。慌てて外へ出ようとしたので滑って床に脚を打ち付ける。悶絶しながら身を縮こまらせていると、勢いよく部屋の扉が開いた。
「シーア…!声が聞こえたけど…」
「待って!私、今は裸なの!」
「ごめん、外で待ってる。安全を確認したいから服を着たらすぐに呼んでくれ」
そう言って再び部屋の外に出るので、私は急いでバスローブを引っ掴んで羽織った。扉越しに声を掛けるとルシウスが心配そうな顔をして入って来る。
こんな嵐の中でも私の悲鳴を聞き分けることが出来る彼の能力をすごいと思った。
「出過ぎた真似をしてごめん、就寝の挨拶に来ようと思ったんだ。そうしたら叫び声が聞こえたから」
「……いいえ、私こそ動転してごめんなさい」
「怪我はしていない?」
「ええ、大丈夫」
ルシウスの目が私の腕を見て止まった。
ランタンの灯りに照らされて、反対の手で押さえていても右手はずっと震えている。凝視する視線を感じながら、どうやって言い訳をしようかと考えた。
「クッキーを焼くときに使い過ぎたのかも」
「…………」
「明日になれば元に戻ると思うから、」
「シーア…」
「おやすみなさい。もう戻って良いわ!」
無理矢理に笑顔を作ってルシウスを追い出そうと背中を叩いたら、すごい勢いで右手を掴まれた。支えを失った手はまた臆病を丸出しで震え出す。
私に向き直るルシウスは少し怒っているようだった。
「君は雷が怖いのか?」
「こわ…こわくない」
「どうして嘘を吐くの?」
「怖くないってば!」
呆れたように肩を竦めて、ルシウスは少し考える素振りを見せた。私は教師に怒られる生徒のような気持ちで彼が口を開くのを待つ。
「分かった、じゃあこうしよう。俺は雷が怖い。だから君が寝付くまで一緒に居させてくれ」
「……え?」
支離滅裂な言い分に混乱する。
しかし、すぐにそれが彼の優しさだと気付いた。
変な強がりを見せる私を、遠回しな気遣いで落ち着かせようとしているのだ。強い口調で言われると私は拒むことも出来ず、その申し出をありがたく受け入れることにした。
手早く髪を乾かして整えた。
ルシウスが見守る中、そろりとベッドに入る。
傍に椅子を持って来て腕組みをして座るものだから、なんだか悪くて「ベッドで休めば良いのに」と言った。雷が怖いのは本当は私なのに、ルシウスに気を遣わせて、寝入るまで側に居させるのを申し訳なく思ったことも理由ではある。
「シーアが良いなら、そうさせてもらうよ」
「……うん、まあ…」
隣に滑り込んだルシウスの気配を背中越しに感じる。服の擦れる音やシーツが引っ張られる感覚を感じながら、また速まる心臓に手を当てた。
彼はどっちを向いているんだろう。後ろを振り返って目でも合ったら、とても気不味い。軽率に誘ってしまったけれど、ルシウスはこの状況をどう思っているのか。彼にもタイミングがあるだろし、早く部屋に帰って寛ぎたいと思っているかもしれない。
「………っ!」
伸ばした足の爪先がルシウスの脚に触れた。
「ご、ごめんなさい…」
「いいよ。気にしないで」
思ったより近くから返って来る声にドキドキする。太腿を擦り合わせると、また身体の奥が鈍く痛み出した。このズクズクした痛みは何なのだろう。
ルシウスと居ると自分がおかしい。
変な気持ちになる。
「……ルシウス、」
「どうしたの?」
「こんなこと言うの、どうかと思うんだけれど…」
暗闇の中で見えている筈もないのに、私はどうしようもなく恥ずかしくなって目をギュッと閉じた。
「……少しだけ抱き締めてほしい」
「………、」
「ごめんなさい、子供みたいなお願いして…!」
「いいよ、シーア…喜んで」
後ろから伸びて来た二本の腕は温かく、私は安心してその腕に擦り寄った。いつの間にこんなに愛しいと思うようになったのだろう。ロカルドとの関係を精算するまで、誰かにこんな気持ちを抱けると思わなかった。
心を落ち着かせていると、お腹に回されていたルシウスの右手が、ふいに上へ動いた。柔らかなバスローブの上から胸が包まれる。
「………ん、」
「ごめん…嫌だった?」
彼は本当にずるいと思う。
分かっているくせに、そんなことを聞く。
「嫌じゃない…触って」
「……シーア、」
「ルシウスに触ってほしいの」
部屋が暗くて良かった。今、灯りをつけたら私はいったいどんな顔をしているのだろう。きっと、自分でも見たことがない蕩けた顔をして彼のことを求めている。
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