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第四章 蛇と狼と鼠

51.狼が望むこと

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 一体全体、どうしてこうなったのだろう。

 最初は好きな色を言い合ったり、幼少期によくした遊びについて話していた気がする。リビングのソファに座って私は不穏な雰囲気を纏うルシウスから適切な距離を保っていた筈なのだけれど。いつの間にか、ぴたりと密着して仲良く座っているのは、なぜ?


「そうなんだ…じゃあシーアはお姉さんたちが結婚して家を出た時、相当寂しかっただろうね」
「ええ、まあ…仲の良い三姉妹だったし…」
「俺は兄弟が居ないから憧れるなぁ、」
「うん、えっと…そうね」

 どうしよう。全然話が入って来ない。
 さすがに距離が近過ぎる。

「……シーア?」
「っなに!?」
「なんでそんなに驚くの?」
「いや、ちょっと…」
「ちょっと?」
「……距離が…近くない?」
「うん」

 うん?
 ルシウスはニコニコしたまま、私に迫って来る。これはもしかしてキスされるのではないか、と危惧してギュッと目を閉じると、ルシウスの微かな笑い声が聞こえた後に私の視界は反転した。

 背中に柔らかなソファの感触がある。
 押し倒されたのだと驚いて開いた目線の先に、穏やかな笑みを浮かべたルシウスの顔があった。

「シーア、婚約破棄できたね」
「………そうね…?」
「じゃあもう遠慮しなくても良い?」
「遠慮って…?」
「俺はシーアのことが好きだよ」
「………!」

 ストレートな言葉に息を呑む。

「シーアはどう思ってる?」
「……わ、私は…」
「ただのロカルドの親友?それとも君の人生を不幸にしたどうしようもない悪人…?」
「そんな風には思ってないわ!」
「それじゃあ、」

 ルシウスの手がスカートの上から私の太腿を撫でた。
 思わず反射的にビクッと身体が震えてしまう。

「……君のこと何でも聞く便利な犬?」
「………、」
「それでも良いと思ってる。べつに結婚の形なんて人それぞれだし、こんな方法で君のこと手に入れようとしたから、すぐに心まで許す必要はない」
「ルシウス…、」
「なんでもするよ。お姫様のように愛でるし、女王様のように敬うことだって出来る」

 鼻先がくっつきそうな距離で、ルシウスは真面目な顔でそんなこと言う。敬えるなんて言うくせに、今だって私が逃げ出せないように手首を押さえているし、その矛盾に彼自身は気付いているのだろうか。

 私の意思を尊重するような物言いをするのに、その実、ゆっくりと私はルシウスの下に沈められていることに。


「貴方は犬っていうより、狼よ。牙が隠せてない」
「……狼?」
「私が婚約を拒否したり、他に好きな人が出来たら殺されてしまいそう」
「え、他に好きな人がいるの?」
「たとえばの話、」

 どうにも困ってしまう私を持ち上げて、ソファの上に再び座らせると、ルシウスはその碧色の瞳に熱を込めて私を見上げた。

「シーア、結婚してほしい。君じゃないとダメなんだ」
「………っ」
「来週、学園の休み明けにあるパーティーで返事を聞かせて。それまではゆっくり考えて良いから」

 休み明けにあるパーティー。
 それは、夏休みの終わりに学園全体で開催する立食パーティーのことを言っているのだろう。親睦を深めるだかの目的で、全クラス合同で開催されるけれど、私は一度もロカルドと一緒に参加したことはない。

 ルシウスは、私も一緒に連れて行ってくれる気でいるのだろうか。婚約者が居る者はもちろん相手と連れ立って参加するし、パーティーに二人で参加することは、つまり公に自分たちの関係を発表するような意味を持つ。

「……一緒に行ってくれるの?」
「うん、君が死ぬほど嫌でなければ」
「うれしい、」

 心から出た気持ちだった。

「でも、皆は私がロカルドの婚約者だと思ってる…貴方と連れ立って出席したら混乱を生まないかしら?」
「どうせいつかはバレることだ。シーアに責任はないから気に病まないでほしい」
「そうだと良いけれど……」

 毎年、憂鬱で仕方なかった学園のイベントたち。参加を拒否することは難しいし、私は進まない気持ちで行って、ロカルドが他の女の子と楽しそうに語り合う様子をただただ見て帰るだけだった。同じクラスの人からは「本当に婚約しているの?」と疑われる始末。

 少しだけ楽しみに思いながら、私はもう一度御礼を言ってルシウスの手を握り返す。頭の中ではどんなドレスを着て行こうかと早くも浮き足立っていた。


「シーア…触って良い?」

 胸元に付いたワンピースのリボンに手を掛けて、ルシウスは不安そうな顔をして聞く。狼が無理して作ったその弱々しい仔犬のような姿に、私はどうにも弱くて、小さく頷いた。


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