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第四章 蛇と狼と鼠
63.嗤う蛇
しおりを挟む途切れ途切れに聞こえる音。
誰かが何か言う声。
グッとルシウスに肩を掴まれて、初めて、私は自分が呆然と立ち尽くしていたことに気付いた。母は涙を流しながら「これから病院に向かう」とか「一緒に来てほしい」と言っている。あまりに突然のことに、完全に思考が停止していた。
「カプレット子爵の容態は…?」
「命に別状はないようだけど、お医者様は、もしかすると身体に麻痺が残るかもしれないと……」
ルシウスの手を借りて立ち上がった母親は、けれども一人では立っていられないようで、フラフラと壁に手を突いた。
ルシウスが呼んでくれた車に向かいながら、母エマの語る話を私は夢の中のような気持ちで聞いていた。彼女が言うには、父は昼に旧友たちと会う予定があり、食事に出掛けたらしい。パーティーがあるから夕方には帰ると言っていたものの、いつまで経っても帰宅しない父に痺れを切らして母が迎えに行ったところ、路地裏で伸びた血だらけの父ウォルシャーを見つけたと。
その時は意識があった父によると相手は複数人で、友人と別れた後で後ろから襲われたらしい。
いったい誰が、何のために。
整理の付かない頭を抱えたまま車に乗り込もうとした時、後方から嘲るような大きな笑い声が聞こえた。私は反射的に振り返って声の主を確認する。目にする前から、誰かなんてことは分かっていたけれど。
「おやおや、まだ学長から乾杯の声も掛かっていないのに帰るのか?耐え忍んだ純愛も他人から見たら略奪愛だもんなぁ」
「……ロカルド、」
ポケットに手を突っ込んで、長身を折り畳むようにして私を見下ろしたロカルド・ミュンヘンはふっと笑顔を見せた。傍には取り巻きのような女を数人連れている。
「貴方が…!ミュンヘンが手を出したんじゃないの!?父を襲ったのは貴方たちでしょう!?」
「言い掛かりは良くない、シーア。皆の前だぞ?」
クスクスと取り巻きの一人が口に手を当てて嗤う。
「父親が襲われたのか?それは因果応報だ。お前らは手を組んでミュンヘンと俺の純粋な心を騙したんだから、カプレットに何か災難があってもそれは神の裁きだろう」
「何を言ってるの!?貴方は私をずっと欺いていたくせに…!純粋な心なんてよく言えるわね!」
「ああ、そうだな。例えお前と結婚したところで俺はお前なんかに収まる器じゃない。だが、ミュンヘンの名に泥を塗ったことは許されることじゃあない」
「ロカルド、お前の父親と話がしたい」
私とロカルドの幼稚な言い合いを黙って見ていたルシウスが口を開いた。車に乗った母親に何事か伝えて、ドアを閉める。
「ミュンヘン公爵はどこに?」
強い口調で尋ねるルシウスに、ロカルドは少し怖気付いたように身を引きながら「もうすぐ到着するはずだ」と言った。
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