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19.誘拐犯との別れ
しおりを挟む「真さん、運転変わるよ」
そろそろ高速に乗ろうかという時に白秋から申し出があった。よほど私の運転に不安を覚えたのだろう。ハンドルを持つ手が震えていたのは真実なので、ありがたく受け入れて、コンビニに寄ったタイミングで運転席から助手席へと移動した。
「……鼻血出てるね」
「大丈夫。もうほぼ止まってます」
上を向いてズズと吸い込みながら、笑顔を向ける。
「ごめん、無茶させて」
「いいえ。白秋さんの役に立ちたいって言ったのは私なので。これで少しでも恩返しになれたら」
「恩返しって何の?」
「えっと、一週間分の生活…?」
私の返答を聞いて白秋は暫し目を見開いて静止した後、吹き出した。こんな風に笑う彼の笑顔は新鮮で私は驚く。
「なにそれ。はっきり言って、俺は誘拐犯だし監禁みたいなことしてたんだよ?それを恩返しって」
「でも、私は救って貰えた気がします」
「……真さんお人好し過ぎるよ」
呆れたようなその声音にすら私はなんだか安心する。須王白秋が隣に居ることが、いつの間にか当たり前になってしまっていることに気付いた。
白秋はコンビニでウェットティッシュを買ってきてくれたので、受け取って鼻血を拭く。
「ちゃんと再生されてるでしょうか?」
「どうだろうね。まあネットの海は広いから、明日にはどこの出版社もネタ持ってけば喜んで処理してくれるんじゃないかな。流石に無視できないだろうし」
「そうだと良いですね……」
私たちが一時的に作ったアカウントはある程度の再生回数を稼いだら削除する手筈となっている。もちろん録画した映像や音声は手元に残っているけれど。
これで須王正臣が白秋を狙うことも出来ないはずだ。再び走り出した車の中で、私はまだ震えている手をギュッと握った。
◇◇◇
最後の荷物の点検をしながら私は白秋の様子を盗み見る。帰宅してからはずっとリビングのソファに座ったまま、彼はぼんやりしていた。
「白秋さん、大丈夫ですか?」
「うん。ぜんぜん大丈夫」
「そろそろ出ようかと思います」
「明日まで居たら良いのに」
口先だけでも、残念そうにそう言ってくれることが嬉しい。
「ここにいたら甘えてしまうので」
「……甘えていいよ」
白秋の手が私の手に触れる。温かなその手を握り返しながら、目を閉じた。顔を見ると決意が鈍ってしまいそうで怖かった。もともと彼と私は出会うはずのない人間であって、一週間という期間がちょうど良いのだ。これでズルズルと関係を続けると、あとで痛い目に遭うのはきっと自分。
重たい荷物を持ち上げて、手を離した。
「どうか、無事に居てくださいね」
「真さんこそ、ちゃんと帰れるの?」
送って行こうかという申し出を断る。車の鍵を受け取りながら、この短いようで長かった一週間弱のことを思い返していた。
恐怖のどん底で始まった期限付きの同棲生活。意外と楽しかった家政婦としての仕事。徐々に見えてきた白秋の素顔と優しさ。ずっと逃げていた自分の深層心理について。
「私、少しは成長できたでしょうか?」
「そうだね。須王正臣に殴られても泣き出さなかったし強くなったんじゃないかな」
「あれは相当痛かったですけど」
「本当にありがとう。誘拐犯なのに、俺の方が助けてもらってばっかりだ」
目を伏せて俯く白秋の頭に手を伸ばしてポンポンと撫でると、複雑な顔をして彼は顔を上げた。
「真さんの中では、俺はまるで子どもみたいだね」
「だって実際白秋さんは私より若いし」
「なんかへこむな。その認識改めてほしいよ」
拗ねたように口を尖らせる白秋を見て笑った。
短い間でも一緒に暮らしたわけだから、お互いに少しは名残惜しいと思っていると思う。でもそれはきっと、良い関係が築けたということなのだ。白秋の言葉を借りると、信頼関係というものが。
グズグズしていると足に根が生えてきそうで、私は手を振って自分から玄関を潜った。頭を下げて礼を伝えたら、振り返らずにエレベーターまで足早に進む。最後に顔なんて見たら、それこそ気持ちは揺らいでしまう。
白秋は最後、どんな顔をしていただろう。
確認できないことが残念だ。
教えてもらった場所に久しぶりに愛車の姿を見つける。エンジンをかけてアクセルを踏み込むと、小さな軽自動車はご機嫌で走り出した。私はありふれた現実への道を戻っていく。
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