10 / 31
09 副メイド長
しおりを挟む月曜日がやって来た。
朝食後すぐにイーサンは父親とともに家を出た。私は義母ペチュニアとともにその様子を玄関で見送り、さっそく弁当作りに取り掛かった。
はっきり言って、料理は得意ではない。
だけど、得意にならざるを得なかった。クレモルン男爵家は決して裕福ではなかったから、使用人は清掃と夕食の支度をしてくれるメイドが一人だけ。アマンダは忙しいと台所に立つことを嫌がったし、父だって仕事人間なので余裕がない。
となれば、アカデミーを卒業後は不定期で家庭教師の仕事をしていた私がするのが当然だろう。本当は学校の先生になりたかったけれど、その頃はすでにイーサンからプロポーズを受けていたので、すぐ辞められるように家庭教師の道を選択した。時間がもっと巻き戻っていたら、迷わず教師になったと思う。
「ジャンヌ様………?」
不安そうな声に私はハッと我に帰る。
厨房では周囲のメイドたちがこちらを見ていた。
「あ、ごめんなさい。ええっと、お弁当ですね。卵や魚を多く入れてタンパク質が摂れる内容にしたいの。野菜は何がありますか?」
「にんじんとラディッシュがあります」
「ラペにしたら美味しそう。白身のお魚があれば、マリネにしても良いわね。卵はどうしましょう?」
「オムレツはいかがですか?」
「良いわね、名案!」
伯爵夫人が曲者なだけであって、メイドたちをはじめとする使用人は決して悪人ではない。ヘルゼン伯爵家での生活はつまり、義母ペチュニアとの関係の構築に左右される。
幸いペチュニアは今日友人との予定があるらしく、私が厨房でせっせと準備をしている間に家を出て行った。心なしかメイドたちの顔から力が抜けたような気もする。
「あの、実は………」
目を泳がせた後でメイドの一人が話し始めた。
「ジャンヌ様はイーサン様が迎え入れられたご令嬢なので、もう少し気難しい方かと思っていました。みんな身構えていたから、硬い態度で接してしまってすみません……」
「気難しい……?」
「はい。ジャンヌ様のお父様はヘルゼン伯爵様のお仕事仲間と伺っています。ということはつまりヘルゼン商会で働かれているのですよね?」
「ええ、まぁ……そうですね」
旦那様もまた実力主義な方なので、と言い添えるとメイドたちが暗い顔で俯いた。
記憶を辿るとそういえば、ヘルゼン伯爵家ではよく使用人が辞めていた。自分のことで精一杯だったからそれぞれの理由は追求しなかったけれど、何か不満や悩みがあったのかもしれない。
以前の私は、メイドたちはもちろん、イーサンやペチュニアといったヘルゼンの人間以外との関係をことごとく絶っていた。とにかく自分の時間がなかったし、たまに屋敷を訪れてくれる父やアマンダを除けば、友人らしい存在も居なかった。
だからだろう。
義母に強く当たられる最中に私がメイドたちを見ても、彼らは怯えた目で視線を逸らした。無論、お互いペチュニアの恐ろしさは分かっていたので、出来ることなんて無いのだけれど。
「皆さんが警戒される気持ちも分かります。でも私は……助け合っていきたいんです。お屋敷のことは何も分かりません。だけど、お義母様の前で失態を見せることは避けたい。協力していただけませんか……?」
「ジャンヌ様、」
「私はイーサンの、良妻になりたいのです」
結婚を避けられなかった以上、対策を考えていくしかない。不慣れなことも二度目なら前よりは上手く出来るはず。幸い、怒られるポイントは頭に入っている。
一人では難しいだろう。
義母から求められるハードルは高いし、イーサンの浮気関係を調べ上げる必要もあるから、家だけのことに構ってられない。協力者が必要だ。それぞれの分野に精通した、聡い協力者が。
「ジャンヌ様、お忘れでしょうか?」
飛んで来た鋭い声に私はハッとした。
この声には聞き覚えがある。
「奥様はジャンヌ様に家事を習っていただきたいとお考えなのです。床の汚れからお皿のひび割れまで、すべて把握していてこそ女主人の器だと」
「………副メイド長」
忘れていた。
ヘルゼン伯爵家の副メイド長、イボンヌ。
イボンヌ・イワノフは屋敷で長く働く女だ。年齢が近いこともあってペチュニアと非常に仲が良く、彼女の腹心同然の存在。通常お屋敷にはメイド長と副メイド長が揃っているが、今日はメイド長が休みを取っている関係で彼女が屋敷を管理する立場にある。
「すみません、ただ私は挨拶をと……」
「使用人は所詮使用人。私とてその線引きを弁えております。イーサン様に昼食を用意されると伺っていますが、私たちは手は出しませんので」
「え?」
「愛妻弁当なのでしょう?愛する妻が自分で作ってこそ、そう呼ばれるのです。ジャンヌ様の面子を守るためにも私どもは見守らせていただきます」
そう言ってスッと奥へと引っ込んだイボンヌを見て、若いメイドたちは困ったように顔を見合わせる。しかしじきに、一人、また一人と申し訳なさそうな顔で頭を下げて部屋を出て行ってしまった。
「そう簡単にはいかないってことね……」
私は短く息を吐き、シンクの上に置かれたエプロンを掴んで作業に取り掛かった。
139
あなたにおすすめの小説
【本編完結】婚約者を守ろうとしたら寧ろ盾にされました。腹が立ったので記憶を失ったふりをして婚約解消を目指します。
しろねこ。
恋愛
「君との婚約を解消したい」
その言葉を聞いてエカテリーナはニコリと微笑む。
「了承しました」
ようやくこの日が来たと内心で神に感謝をする。
(わたくしを盾にし、更に記憶喪失となったのに手助けもせず、他の女性に擦り寄った婚約者なんていらないもの)
そんな者との婚約が破談となって本当に良かった。
(それに欲しいものは手に入れたわ)
壁際で沈痛な面持ちでこちらを見る人物を見て、頬が赤くなる。
(愛してくれない者よりも、自分を愛してくれる人の方がいいじゃない?)
エカテリーナはあっさりと自分を捨てた男に向けて頭を下げる。
「今までありがとうございました。殿下もお幸せに」
類まれなる美貌と十分な地位、そして魔法の珍しいこの世界で魔法を使えるエカテリーナ。
だからこそ、ここバークレイ国で第二王子の婚約者に選ばれたのだが……それも今日で終わりだ。
今後は自分の力で頑張ってもらおう。
ハピエン、自己満足、ご都合主義なお話です。
ちゃっかりとシリーズ化というか、他作品と繋がっています。
カクヨムさん、小説家になろうさん、ノベルアッププラスさんでも連載中(*´ω`*)
表紙絵は猫絵師さんより(。・ω・。)ノ♡
【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。
猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。
復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。
やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、
勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。
過去の恋、未来の恋、そして政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。
魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に行動する勇者パーティは、
四人の魔将との邂逅、そして試練を迎え――。
輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私が、
魔王討伐の旅路の中で、“本当の自分”を見つけていく――。
そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。
※「小説家になろう」にも掲載。(異世界転生・恋愛12位)
※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。
公爵令嬢は逃げ出すことにした【完結済】
佐原香奈
恋愛
公爵家の跡取りとして厳しい教育を受けるエリー。
異母妹のアリーはエリーとは逆に甘やかされて育てられていた。
幼い頃からの婚約者であるヘンリーはアリーに惚れている。
その事実を1番隣でいつも見ていた。
一度目の人生と同じ光景をまた繰り返す。
25歳の冬、たった1人で終わらせた人生の繰り返しに嫌気がさし、エリーは逃げ出すことにした。
これからもずっと続く苦痛を知っているのに、耐えることはできなかった。
何も持たず公爵家の門をくぐるエリーが向かった先にいたのは…
完結済ですが、気が向いた時に話を追加しています。
【完結】婚約者様、嫌気がさしたので逃げさせて頂きます
高瀬船
恋愛
ブリジット・アルテンバークとルーカス・ラスフィールドは幼い頃にお互いの婚約が決まり、まるで兄妹のように過ごして来た。
年頃になるとブリジットは婚約者であるルーカスを意識するようになる。
そしてルーカスに対して淡い恋心を抱いていたが、当の本人・ルーカスはブリジットを諌めるばかりで女性扱いをしてくれない。
顔を合わせれば少しは淑女らしくしたら、とか。この年頃の貴族令嬢とは…、とか小言ばかり。
ちっとも婚約者扱いをしてくれないルーカスに悶々と苛立ちを感じていたブリジットだったが、近衛騎士団に所属して騎士として働く事になったルーカスは王族警護にもあたるようになり、そこで面識を持つようになったこの国の王女殿下の事を頻繁に引き合いに出すようになり…
その日もいつものように「王女殿下を少しは見習って」と口にした婚約者・ルーカスの言葉にブリジットも我慢の限界が訪れた──。
遊び人の侯爵嫡男がお茶会で婚約者に言われた意外なひと言
夢見楽土
恋愛
侯爵嫡男のエドワードは、何かと悪ぶる遊び人。勢いで、今後も女遊びをする旨を婚約者に言ってしまいます。それに対する婚約者の反応は意外なもので……
短く拙いお話ですが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
このお話は小説家になろう様にも掲載しています。
お姉さまが家を出て行き、婚約者を譲られました
さこの
恋愛
姉は優しく美しい。姉の名前はアリシア私の名前はフェリシア
姉の婚約者は第三王子
お茶会をすると一緒に来てと言われる
アリシアは何かとフェリシアと第三王子を二人にしたがる
ある日姉が父に言った。
アリシアでもフェリシアでも婚約者がクリスタル伯爵家の娘ならどちらでも良いですよね?
バカな事を言うなと怒る父、次の日に姉が家を、出た
あなたが残した世界で
天海月
恋愛
「ロザリア様、あなたは俺が生涯をかけてお守りすると誓いましょう」王女であるロザリアに、そう約束した初恋の騎士アーロンは、ある事件の後、彼女との誓いを破り突然その姿を消してしまう。
八年後、生贄に選ばれてしまったロザリアは、最期に彼に一目会いたいとアーロンを探し、彼と再会を果たすが・・・。
村娘になった悪役令嬢
枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。
ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。
村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。
※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります)
アルファポリスのみ後日談投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる