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第二章 ヘルゼン伯爵家の悪妻
50 終結に向けて
しおりを挟む「ジャンヌ……ハンベルクの両親から連絡を受けたときは驚いたよ。ヘルゼン伯爵たちは君がまだ第一病院に居ると思ってる。いったい何がどうなっているんだ?」
金曜日に訪ねて来た父ダフマンは、部屋に入って来るなり、いつも以上に疲れた顔で椅子に腰掛けた。
私は空き時間を使って三通の手紙を送っていた。
一通は南部に住むハンベルクの祖父母に近況を、心配することはないという言葉を添えて。二通目はコリーナ洋裁店の店主であるコリーナ・マドルガとその娘マリーに、少量ではあるがお眼鏡に適いそうな毛皮を発見したという知らせを。
そして、残る一通は騎士団の宿舎へ。
宛先はユーリとクリストフにして、二人への深い感謝の気持ちをしたためた。車の中ではあまり会話は出来なかったが、ユーリが居なければ私は今この場所に到着していない。呑気にヘルゼンの屋敷に戻って、変わらず時折訪れる胃痛に頭を悩ませていたころだろう。自分がいずれ死ぬとも知らずに。
「お父様、大切なお話があります」
父ダフマンは虚ろな目をこちらに向ける。
きっと睡眠も十分に取れていないのだろう。
切り出したくせに、迷いが生じた。
すでに負担の大きい父親に、更なる悩みを与えて良いのだろうか。仕事だって忙しいはずだ。私がイーサンと離縁するなんて言い出せば、ショックを受けることは間違いない。
「なんだい……?話って……?」
「………いえ、」
アマンダのことだって簡単に打ち明けられない。
この従姉妹を迎え入れたのは、亡くなった母親なのだ。母が大切にしたアマンダを、私たちは同様に愛して、本物の家族として関係を築いた。
どんな打ち明け方をしても、きっと父は傷付く。
自分を責める可能性だって十分にある。
私は黙って父親を見つめた。幼い頃よりも少し白髪が増えた姿を見て、長い年月が流れたのだと実感する。十五歳で母が亡くなってから、五年。私たちはアマンダと三人で、新しい家族を続けられていると思っていた。
「………いいえ。なんでもありません」
「え?あぁ、なら良いんだが……」
私は父の目元に浮かぶ濃い隈に気付いた。
「商会の仕事は忙しいのですか?」
「いつも通りだよ。ヘルゼン伯爵から私を会長補佐にしたいと話があった。役職が上がるのは嬉しいことだが、責任は感じる」
困ったように首を振る父の顔を黙って眺める。いつからか、父ダフマンの疲れた姿を見るのが当たり前になってしまった。昔はもっと明るく笑う人だったはずなのに、今ではその笑顔を思い出せない。
「お仕事はほどほどにしてください。なんでもお父様が背負い込もうとしないで」
「お前は私に似ているね。それはお互い様だ」
父は点滴が繋がったままの私の手首を指差す。
もっともな指摘なので何も言えない。
ダフマンはハンベルクの祖父母によろしく伝えるように、と言い残して王都へと戻って行った。アマンダも随分と心配していたと教えてくれたけれど、実際のところは分からない。
ユーリは否定的だったが、やはり真実は自分の目で確かめたいと思う。
◇◇◇
一人になった病室で、目を閉じて過去のことを思い返していた。
イーサンと初めて会ったのは、ヘルゼン伯爵家に呼ばれての食事会だったと記憶している。伯爵家にお邪魔するのなんて初めてで、アマンダと二人で何度も礼儀作法の勉強をした。クレモルンは男爵家といっても田舎の出だから、私たちは一張羅のドレスを着てドキドキしながら向かった。
初めて見たイーサンは、その社交的な性格も相まって、男性に疎い私には王子様に見えた。大人たちが仕事の話をしている間も、私やアマンダの様子を気に掛けてくれて、退屈しないようにしてくれたり。
(あのとき、もうアマンダは………)
恋に、落ちていたのだろうか?
もしそうだとしたら、いったいなんて酷いことを今までしてきたのか。私は父親の勧めでイーサンと付き合い始め、婚約に至った。それらは両家の願いだったし、特段断る理由も私にはなかった。
もしも、アマンダがずっと我慢をしていたなら。
積もり積もった気持ちが、今回の誤った選択を招いたというならば、私は完全に彼女を悪だと言い切れない。自分の配慮が足りなかったと思う部分もあるし、私たちはもっと本音で話し合うべきだったとも思う。
ぼんやりと投げた視線の先で、木の葉はすでに黄金色へと変わっていた。力無く舞い落ちていく枯葉たちを見守りながら、これからのことを考える。
ヘルゼンにこれ以上居ることは出来ない。
身を引く決意はもう出来ている。
アマンダの取った行動は決して許されることではないし、彼女の気持ちを受け入れたイーサンのことも信用は出来ない。二人は結局、二度目の人生でも同じ関係にあったのだから。
だけど、以前ほどの怒りは湧き上がらない。
私はただ、すべて終わりにしたかった。
イーサンとの夫婦関係、ヘルゼン伯爵家での気苦しい生活、そしてアマンダとの表面上の友情。それらすべてから離れて、ただ、一人で静かになりたいと思っていた。
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