お兄様、闇堕ちしないって本当ですか!?

由原靜

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第一章 ロードライトの令嬢

33 白椿は堕ちて

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 そして、世界は回る。
 
 
 
 
 次に目を開けたとき、なんだか周囲はざわざわとしていた。どうやらここは『お披露目の儀』後のパーティー会場のようだ。
 わたしはまた、母の腕に抱かれていた。綺麗に着飾った人々が、今より若い父と母に挨拶をしに次々と訪れる。
 
 名目としては『生まれた子に祝福を』というものらしいが、まぁそんなものは八割以上建前だ。
 この世界では、生まれた子にはひとまず『あなたの未来に光あれ』と言っておけば、大抵なんとかなるらしい。大体は赤ん坊のわたしへの祝詞は一言二言で、後はロードライト家の末永い繁栄が云々これからも我が家をどうかご贔屓に云々そう言えばうちの子も先月云々、と言った話ばかりだった。
 
 これも名門の宿命、といったところだろうか。誰に対しても丁寧に対応しては、愛想良く世間話に相槌を打つ。なかなか、大変そうな技術だった。
 
 はてさて、わたしの兄は同じようなことができるかな? なんて、そんなことをふと考えてしまう。
 ロードライト本家次期当主である兄も、いずれはこうやって多くの人と関わり合って行くのだろうが……なんだろう、兄が愛想笑いを貼り付ける姿が一切想像できなかった。
 
(素直な人なんだものなぁ……)
 
 好き嫌いがはっきりしているというか。態度をあまり取り繕えないというか。
 まぁ総じて、不器用な人なのだ。
 
 こうなると、兄の学校での具合が心配になってきてしまう。兄の側にいてくれるシリウス様は割と器用そうなので、その点だけは安心だけども。
 
 ふと背後から、誰かがわたしたちの元へと歩み寄ってくる。その音に目を向けると……驚いた、シギルだった。今よりも、なんだか少し雰囲気が若い気がする。だってまだ目が澄んでいるもの。
 
「すみません、我が主人」
 
「シギル、どうした?」
 
 シギルが何やら父に耳打ちする。え、と父は目を見開いた。
 
「父上が倒れた?」
 
「とのことです。命に別状はないようですが……」
 
 父は躊躇うように、訪問客と母を見る。母は気遣わしげに微笑んだ。
 
「私は大丈夫。だから、早く連絡してあげて?」
 
「……すまない、アリア。すぐに戻ってくるから」
 
 軽く頭を下げ、父はシギルに続いて出て行った。
 ふぅ、と母は小さく息を吐くと、そっとわたしに目を止める。
 
「……あら、リッカ。起きてたの?」
 
 喉から出るのは、しかしあーとかうーとかといった喃語なんごばかり。
 そんなわたしを見て、訪問客はわー可愛いですねーとか起こしちゃいましたかねーとかきゃいきゃいしている。
 
 見れば、周囲は全員にこにこしていて、さすが赤ん坊は笑顔にさせる魔法を持ってるなぁすごいなぁなんて、まるで他人事のように思ってみたりもする(まぁ、物心つく前のことなんて、ほぼ他人事のようなものだしね)。


 その時、そんな笑顔ばかりの集団の中に、一切笑顔を浮かべていない男が一人、突っ立っていたのに気が付いた。


 周囲も、母も、まだその男には気付いていない。

 男は、昏い目をしていた。今から通り魔でも起こしそうな、どこか悟り切った、暗く虚ろな眼差し。
 この世の理不尽に諦めながらも、マイナスの感情に振り切れて、その瞳は昏く、爛々と輝いている。
 
 唯一男の存在に気が付いていたわたしも、当時はまだ一歳の赤ん坊で、男の悪意なんてものを理解する術も、それを周囲に教える術も、もちろん持ってなどいなかった。
 
 男はツカツカと、無表情でわたしたち母子の元へと歩み寄ってきた。近付いてきた新たな人影に、母は素早く愛想笑いを貼り付け顔を向ける。
 
「こんにちは。本日はお越しいただき――」
 
 母に対し、男は無言で右腕を振りかぶった。
 
「!?」
 
 母が大きく息を呑む。
 
 すんでのところで拳を躱した母は、わたしを片腕に抱きかかえたまま距離を取った。そこかしこで悲鳴が上がる。
 
「……何方様かは知りませんが、ロードライトの眼前で蛮行を働こうとは良い度胸」
 
 懐から魔法陣の描かれた札を取り出した母は、それを軽く振ってみせる。瞬間、どこからともなく銀の剣が現れた。
 
 レイピアのように細くて、柄の部分には宝石が嵌っている。慣れた手つきで剣を振った母は、そのまま切先を男へと向けた。
 
「我が名はアリア・ロードライト。建国より続く我が一族、その本家《アージェント》当主が、謹んで御相手仕りましょう」
 
 凛とした声。反対に、母の視線は冷静だった。男が周囲に気を取られないよう、男から見て自分と一対一の間合いを保っている。
 
(――時間稼ぎ、かな)
 
 今はたまたま、父もシギルも席を外してしまっている。しかし二人が戻ってきたら、形勢はすぐさま逆転することだろう。

 チッと舌打ちした男は、素早く懐に手を突っ込んだ。母は警戒するように身構えるも、男が握ったものがただのサバイバルナイフであると気付いた瞬間、何故か母はきょとん[#「きょとん」に傍点]とした。

「え?」

「……ロードライト……っ」

 男は食いしばった歯の奥から声を零す。

「全部ッ、全部、お前らの一族のせいだ……ッ、お前らの一族ばかりが良い目を見て、他には全然還元されないッ!! お前らは、利益ばかりを貪る、最低最悪の蛆虫で」

「えぇ? ちょっと待ってよ。ロードライトだけが良い目を見てることって、何? 具体的に言って?」

 そう言って、母は首を傾げた。

「私、本家当主なんてやらしてもらってるけどさぁ。これまで、あんまり良い目って見た記憶ないんだよね。何度も誘拐されるし脅迫されるし毒殺されかけるしお友達は中々出来ないし、仕事は超~~~~ブラックだし? いくら頑張っても何一つとして私に還元されないしさぁ?
 それに、ロードライトだからって別に国の政治に口出してるわけじゃないんだよ? だから、文句は私じゃなくて国に言いなさい? 色々大変なんですって言ったら行政はちゃんと助けてくれるからね」

(……お母様、素で煽ってるぅ!)

 そこまで煽る? って思うくらいの煽りっぷり。無自覚だろうことが余計タチ悪い。刃物持ってる相手なんて、まずは落ち着かせるところから始めるんじゃないの? 何、余計に怒らせちゃってんの??

 予想通り、男は母の言葉に余計逆上してしまったようだ。雄叫びを上げながら、母の元に突っ込んでくる。

「ッ、ロードライトなど、未来永劫呪われてしまえばいいッッ!!」

「!」

 母は、しかし落ち着いた表情だ。訪問客に対して刃物を振り回されるより、ずっと対処しやすいと踏んだのだろう。
 
 踏んできた場数は、圧倒的に母の方が上。一瞬後、そこに転がっているのは、突っ込んできた男
 
 
 ――と、なるはずだった。
 
 
「……えっ!?」

 男が母の持つ剣に触れた瞬間、剣は光の粒子となって霧散する。空になった母の腕を掴んだ男は、そのまま母の腕をねじり上げた。


「今日の『お披露目の儀』のその娘、本当の父親はなんだろう?」

 
 未だに驚愕の色が拭えない母に、男が囁く。
 母はハッと身を強張らせると男を見た。

「――なんで、それを」

「『建国の英雄』御三家の一派にして――最低最悪の叛逆者として、ロードライトと全面戦争になったのはいつだったか? そんな仇敵とロードライトの本家当主が懇ろな仲だとは恐れ入る。――そして、その娘」

 男の視線がわたしを射抜いた。

「その赤い目こそ、テレジアの血を引いている確かな証か」

 母が、怯えた顔でわたしを見る。その顔にはありありと、先ほどまでには存在していなかった恐怖が刻まれていた。
 
 恐怖。
 母はわたしに、恐れを孕んだ目を向ける。
 
 
 ――いや、きっと、母は。
 わたし越しに誰かを見ては、恐怖しているのだ。
 

「違う……違うの、リッカは、この子は……」

 ぐったりと項垂れる母に、先程までの気丈さは既にない。跪いた母の前で、男は満足げに嗤《わら》う。

「敵の子供を孕み、夫も家名も穢した気分はどうだった?」

「……ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい……」

 今にもわたしを取り落としそうなほど、母の身体は震えていた。ほろりと流れた涙に、わたしは思わず手を伸ばす。

 でも、その手は母の頬に、触ることはできなくて。

 母の代わりに、男がわたしの手を掴んだ瞬間、ふつんと電気が落ちるように『記憶』は途切れた。
 
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