お兄様、闇堕ちしないって本当ですか!?

由原靜

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第一章 ロードライトの令嬢

44 再・お父様に会いたい

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 前回のあらすじ。
「父に会いたい」とねだったら、すぐさま父が部屋まで会いに来てくれた。

 ……こうして簡潔に書くと「ふーん」なんだけど、ついこの前までわたしは父に滅茶苦茶冷遇されていて、父の顔なんてこの数年見た記憶すら無くて、やっと会えたと思ったら「リッカなんて早く死んでくれた方が嬉しい」「リッカが生きているだけで家の恥」などと散々な言葉を浴びせられていたことを思うと、涙なしではいられないな。

 父はわたしの姿を見つけると、整った顔に微笑みを灯した。その笑みは穏やかで、優しくて――そしてやっぱり、兄に似ている。

「あ……お父、様」

 おずおずと声を上げた。
 瞬間、周囲にいた侍女たちが、父に向かって一斉に頭を下げる。右手で髪をかき上げピアスを見せながら、左手でスカートの裾を摘み、軽く膝を曲げるスタイルだ。
 何度か目にしてはいたけれど、これがこの家における、目上の人への挨拶らしい。

 思わず「わたしも何かするべき!?」とわたわたするも、わたしには所属を表すピアスも嵌っていなければ、ロングスカートも履いてない。
 ただただ戸惑うわたしを知ってか知らずか、父はわたしに穏やかに声をかけた。

「リッカ。もう大丈夫なのか?」

「あっ……はい、熱は下がりました」

 そうか、と、父は柔らかに目を細める。

 わたしと父に、血の繋がりはない。
 わたしは、父の本当の娘ではない。
 これまで冷遇されてきたとか、色々遺恨はあるものの――なんだ、今が割と良好なので、まぁいいかなぁって感じだった。

「……あれ? 今日は、シギルはどこへ?」

 いつも父に付き従っているシギルの姿が、何故だか今日は見当たらない。不思議に思って尋ねると、父は苦笑した。

「シギルは、ちょっと特別でな。先に国外へと向かわせたんだ。国外との調整役として駆け回ってもらっている」

 そうだったのか。シギルも忙しいなぁ。

「いつまでも突っ立っていると、リッカの身体に障るだろう? 話は聞いてあげるから、お前はベッドに横になっていなさい」

「えぇっ? そんな、悪いですよ!」

 元々は、わたしの側から父の元に出向くつもりだったのに。まさか向こうから会いに来てくれるなんて、それだけでもちょっと畏れ多いというのに、加えて楽にしていて良いだって?

「何、遠慮せず甘えておきなさい。セラ」

「承知しました、ご当主様。それではお嬢様、失礼しますね」

 さっと身を起こしたセラは、わたしを素早く抱え上げるとベッドに連れて行った。そうされると、わたしとしてはなす術もない。親猫に運ばれる子猫のように、両足がぷらぷらと浮いたまま、ベッドの上まで運ばれてしまう。
 せめてもの抵抗として、わたしは毛布を被せようとするセラの手を退けると、そのままベッドの端に腰掛けた。

 父は侍女たちを見回すと、穏やかな声で「リッカと二人きりにしてくれ」と言う。ロードライト本家当主である父に逆らえる人なんて、この中にいるはずもない。
 皆が連れ立って部屋から出て行く中、セラだけは何度も「少しでも体調が悪くなったら、すぐに私たちを呼ぶんですよ」と、何故かわたしではなく父に強く念を押していた。
 そこ普通、わたしに言い聞かせるもんじゃない? となんだか釈然としないまでも、ひとまずこの場は黙っておくことにする。体調に関しては、前科も余罪もあることだし。

「それでは、失礼します」

 セラが静かに扉を閉める。途端、部屋の中の静けさが気になり始めた。
 ……やばい。何から話そうか?
『父』と言ったところで、わたしと血が繋がっているわけでもなければ、長年可愛がられた記憶もないのだ。これまで何回喋ったっけ? 多分片手で数えられてしまう。

「あのっ……」

 この前のように、声が被ると余計気まずい。わたしから目を逸らしていた父は、わたしの声に驚いたように顔を向けた。

「その、ありが「すみません、お嬢様」……」

 突然の声が、わたしの声を遮る。
 再び姿を見せたセラは「忘れていました」と、テーブルにリンゴが乗った皿を置く。リンゴはどれも可愛らしくウサギの形にカットされていて、思わず顔がほころんでしまった。

 リンゴの皿を置いたセラは、先ほどと同じくピアスに手を当てお辞儀をすると、そのまましずしずと退出していった。

「……あのお辞儀の仕方って、一体どういう意味があるんですかね?」

 思わず気になって尋ねる。
 父の答えは簡潔だった。

「所属を示すことと、加えてあえて両手を塞ぐことで『敵意はありませんよ』と表している。魔法は、指先で陣を描くことで成立させるものだからな。魔法を使わないと示すことこそ、相手に対する最大限の敬意と礼儀の証でもある」

 ほーん。
 かつての日本武士が、刀を右側に置いて敵意がないことを示した構図と似た感じか?
 相変わらず、不思議な文化だなぁ。

 父は、リンゴをじっと見つめていたが、おもむろにわたしに問いかけた。

「……リッカは、リンゴが好きなのか?」

「えぇと……まぁ……」

「そうか……」

 少しの間リンゴを見つめた父は、おもむろにフォークを手に取るとリンゴを突き刺した。そのリンゴを、おずおずとわたしに差し出してくる。

「あ……ありがとうございます……」

 熱い視線が気になるので、食欲は無いものの、ひとまずリンゴを口に入れた。甘味と仄かな酸味が、しばらく寝込んでいた舌と喉に染み渡る。
 その様子を見ていた父は、そっとわたしから視線を外すと、自嘲するように口元に笑みを浮かべた。

「娘の好きな食べ物ひとつすら知らないような、そんな父親だったのだな、私は……」

 んぐ、と思わずカケラを飲み込む。
 何と言っていいか分からないまま、それでも何か言わなくちゃと、わたしは慌てて口を開いた。

「……今から知っていけばいいんじゃないですか?」

 父は、わたしに驚いたような目を向けた。
 兄とよく似た蒼の目が、わたしの姿を映している。その目をじっと見ながら、わたしは「ありがとうございます、お父様」と頭を下げた。

「わたしのために、大々的に手を打ってくれたこと。本当に、ありがたいと思っているんです」

 たくさんのリソースを、ただわたしのためだけに割いてくれている。
 実の娘でもない少女の命を助けるために、様々な手を打ってくれている。

 父は少しの間、黙ってわたしを見つめていたが、やがて静かに目を逸らした。

「……こんなことで、これまでにお前に仕出かした仕打ちが消えるとは、思いはしていないが……それでも、少しは罪滅ぼしになるだろうか」

 掠れた声で、父は呟く。

「最近、よく考えてしまう。もっと早く、手を打っておけば良かったと。リッカから『会いたい』と言われた最初、どうして即座に退けてしまったのだろうと。アリアと……お前の母親と、もう少しきちんと話をしておけば良かったと。私は……どこで、間違えてしまったのだろうかと」

「…………」

「以前のままの私であれば、お前の訃報を聞いたところで、感じるものなど何一つ無かったのだろうな。そう……確信できてしまうことこそ、今の私には恐ろしいと感じる。それは、道を外れた者の所業だ。……そんなことも、私は気付いていなかった。リッカと、そしてオブシディアン。お前たちのおかげで、自分の罪に気付くことが出来た。感謝しているのは、私の方だ」

 ありがとうと、父は言った。
 素直な声音に、ついこちらも胸打たれる。

「……ひとつ、質問があります」

 自分の胸に手を当て、父を見上げた。
 父はわたしをチラリと見ては、すぐさま視線を外へと移す。その仕草に、思わず首を傾げた。

 あれ? そう言えば、なんか結構目を逸らされることが多いような?
 思い返せば最初も、父はわたしに一切視線を向けようとはしなかったような?
 あれは、頑なな態度が原因かと思っていたけれど、和解した今でもこの様子ということは――

「あっ……カラコン入れた方がいいですかね?」

 ハッと思い至る。
 瞬間、ついつい口走っていた。

「は?」と、父は怪訝な眼差しでわたしを見る。わたしは慌てて両手を振った。

「そのっ、カラーコンタクト……あっコンタクトも無いか……えっと、その、目の色を変える魔法とかっ! あるんじゃないのかなーなんて……」

 父の怪訝な目が、徐々に驚きで見開かれる。うう、と思わず顔を覆った。
 わたしの赤い目は、実の父親――ロードライトと並ぶ『御三家』のひとつ、テレジア家を象徴するものなのだと聞いた。
 ロードライトでも赤色は禁忌タブー扱いでもあることだし、父にとってみれば、母の罪までも如実に思い出してしまうのは、仕方ないことなのかもしれない。

 父は唖然とした顔で、しばらくはくはくと口を開け閉めしていたが、やがて勢いよく首を振った。立ち上がらんばかりの勢いで「どうしてそうなる!」と叫ぶ。

「だ、だって……嫌じゃないです? こんな目見てるの……敵家の血筋と、母の裏切りの結果を目の当たりにしているわけで……」

「それは、その……だが、しかし!」

 ぐうっと眉を寄せた父は、そのままわたしとしっかりと目を合わせた。わたしの目をじっと見つめ、口を開く。

「それは、リッカが気にするべきことじゃない。お前の目は綺麗だよ……この世界で一番美しい、お前だけの宝石だ」

 父の指が、わたしの肩にそっと触れた。
 その指は、触れた肩の細さに一瞬びくりとするも、それでも確かな優しさで、暖かく包み込んでくれる。


 その暖かさに、思わず泣きたくなった。


「――おとう、さま……」

 息が震える。

 ――ただ、名前だけだと思っていた。

 この人は、わたしの実の父親じゃない。
 わたしはこの人に、娘であると思われていない。
 ――ならそれでいいと、確かにそう、思っていた。

 別に愛されてなくていい。
 わたしだってそんな人、父親だなんて思わない。
 興味のない人に嫌われたところで、別段悲しくなんてならないでしょう?

 ――そう、思っていたのに。
 あぁ、わたしは、いつの間にか。


「わたしは、生きていても、いいんですか……?」


 いつの間にか、わたしは。
 この人のことを、父親として好きになっていた。
 兄だけだったわたしの世界に、この人はちゃんと入り込んできた。

 この人に否定されるのが、今は怖い。
 以前のように「死んでほしい」と言われたら。
 きっとわたしは、立ち直れない。


「……わたしは、お父様の子供じゃない……わたしには、ロードライトにとって忌むべきテレジアの血が、入っているんですよ……?」


 ロードライトこの家は、僅かなキズすら許さない。
 母も、第二分家も、ただ「ロードライトに疵をもたらす存在だから」という理由で排除された。


『――先代は、ロードライトに災いを齎した咎で粛清されました。その落とし子である貴女もまた――災禍の器となってしまうのではないか。我が主人は、そんなことを怯えていらっしゃるのですよ』


 かつて、シギルはそう言った。
 であれば、わたしこそ。
 かつて絳雪こうせつ戦争で、ロードライトと敵対したテレジア家、その血を引いてしまっているわたしこそ――排除の対象として、この上なく相応しいのではないか。

 熱に魘されていると、ついついそんなことを考えてしまう。
 痛みを堪えていると、ふとそんな気持ちが弱った心に入り込む。

 わたしは、生きていていいのだろうか。
 やっぱり、死んだ方がいいのではないか。

 そんなことを――


「馬鹿を言え」


 はっきりとした声だった。

「リッカ。お前が死ぬ必要なんてどこにもない」

 意志の篭った、強い眼差し。
 明確な声で、父はわたしの言葉を否定した。

「そうか……お前、テレジアについても知っていたんだな……」

 目を伏せた父は、小さな声で呟く。

「全く、お前は……時々存外に、私の予測の範囲を超えてくる……」

 軽く頭を振り、再び父はわたしと目を合わせた。

「お前に、何ひとつとして罪はない。お前が罪悪感を抱えて生きる必要はない……ただ生きていてくれる、それだけで、私は……皆も……」

 父が声を詰まらせる。

「……本当に……?」

 そっと、父に手を伸ばした。
 父は驚いたように目を瞠るも、優しくわたしの手を包み込む。

「本当だよ、リッカ」

 ――あぁ。
 なんだかやっと、報われた気分だ。


「血が繋がってなくとも、お前は私の娘だよ」


 あやすように、父がわたしの頭に触れる。
 優しく頭を撫でられて、初めて、わたしは。




 ――わたしは、この世界で生きてもいいのだと。
 初めて赦されたような、そんな気がした。
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