お兄様、闇堕ちしないって本当ですか!?

由原靜

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第一章 ロードライトの令嬢

45 凪

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 今日は、わたしの最愛の兄がやって来る週末だ。
 先週会えなかった分、なんだか随分と待ち遠しい。部屋の扉を開けた兄を、わたしは両手を広げて出迎えた。

「お兄様! 会いたかったです!」

「……リッカ!」

 わたしを見てホッとした笑みを浮かべた兄は、そのまま駆け寄ってきては、わたしの身体をぎゅうっと抱きしめてくれる。
 痛くない、苦しくない、それでも包み込まれる絶妙な力感覚。暖かな腕に抱きしめられて、思わず笑みが溢れた。
 たった二週間会わなかっただけで、切なさと寂しさで、胸がいっぱいになってしまう。

「僕も会いたかったよ、リッカ……今日は、体調は大丈夫なのか?」

「はい……あっ」

 頷いた瞬間、前髪をかき上げられ、額と額をこつんと合わせられる。思わず頬に熱が集まった。
 全く、そういうことをナチュラルにするのは、心臓に悪いから止めてほしい……。

「ん、今日は大丈夫みたいだな」

 そう言って、兄はおでこを離した。うぅ、と思わずおでこを擦っては、熱くなった頬に手を当てる。
 ふぅ、冷たい手のひらが気持ちいいなぁ……。

 と、その時兄の背後から、シリウス様が顔を覗かせた。シリウス様はわたしを見ては「よっ」と片手を上げてニッと笑う。

「シリウス様! そうだっ、お二人とも、お手紙ありがとうございました!」

 慌てて背筋を伸ばすと、二人に対して頭を下げた。
 そうだ、二人がわたしを呪った相手に繋がる情報を集めてくれたから、ロードライトも大々的に動けるようになったのだ。感謝の念は尽きない。

「いやいや、こちらこそ。俺たちはただ、思いつきを伝えただけだよ。リッカがお父さんに、ちゃんと話を通してくれたおかげなんだって」

 そう言って、シリウス様はひらひらと手を振る。シリウス様らしい謙虚さに、思わずふふっと笑ってしまった。

「……それでも、助けられたことは確かです。本当に、ありがとうございました」

 深々と頭を下げた。
 わたしが持っているものは、この虚弱で呪われた身体しかない。だからせめて、誠意をちゃんと示したい。

 シリウス様は、照れたように軽く頬を掻いていたが、ふと「そういや黒曜コクヨウ、リッカに渡すものがあるよな?」と兄に視線を向けた。

「結構長い期間、リッカに会えなかったからな。お土産だよ」

「お土産!」

 思わず目を輝かせた。
 わぁい、一体何だろう? この二人からもらえるものなら、何だって嬉しいなぁ。
 小さく頷いた兄は、懐をまさぐり何かを取り出す。

「なんですか? それ」

 兄が取り出したのは、蓋付きの小さなケースだった。振ると、中からカランカランと軽い音が鳴る。
 兄が蓋を押し開けた。そこには――


「……薬?」


 中には、白い錠剤が数個入っていた。
 思わずきょとんと顔を上げたわたしに、シリウス様が口を開く。

「そうそ。リッカ、前に『薬がまずい』っつって手紙に書いてただろ? それを読んで、黒曜が奮い立っちゃってさ」

「学校の魔法薬学教授と協力して、シリウスからの助言も合わせて試作してみたんだ。まだ実験段階だから、お前に試させるわけにはいかないんだけど」

「あっ……」

 以前、シリウス様の手紙に相当な泣き言を書いたことを思い出し、わたしは思わず身を縮めた。
 だって……凄く、まずかったんだもの……。今はあの味にも少し慣れてきたけど、それでもどうにかなるのならどうにかしてほしいレベルには、飲みたくない代物なんだもの……。

 でも、うん。
 このタイプの薬なら、六花の頃から見慣れている。しかもなにより、口の中で溶け出す前に飲み込んでしまうから苦くない。
 ……もちろん、だからといって「大好き」とは言えないものの……それでも粉薬よりは、まだ割と「マシに飲める」方だ。

「……ありがとうございます。大変だったでしょう……?」

「何のこれしき。こんなの苦労でもなんでもないよ」

「リッカの頼みとあれば、なんだってするさ」

 二人の返事が頼もしすぎる。
 改めて、いい人に恵まれたなぁと感動してしまった。

「お兄様、シリウス様……」

 思わず目を潤ませたところで「薬ですか!?」と、わたしたちの会話にセラが飛び込んで来た。
 セラは、兄の手にある錠剤を食い入るように見つめた後、ハッと我に返ったように咳払いをしては礼を執る。

「しっ、失礼しましたっ。少し、興味深いお話が聞こえたもので……」

「いいよいいよ。セラも興味あるでしょ?」

 魔法薬に造詣の深いセラにとっても、薬の話は気になるところであるはずだ。ほらほらおいでーとこちらに手招きすると、セラはおずおずと近寄ってくる。そんなセラに、兄は錠剤が入ったケースを手渡した。

「これが……本当に、薬なんですか?」

 セラは目をまんまるにさせたまま、錠剤をあらゆる角度から眺めている。兄も「僕も、初めは驚いたが」と苦笑した。

「シリウスのアイディアなんだ。国外では、このタイプのものが市販薬としてメインに販売されているらしくって」

「ただ、既存の魔法薬を晶析しょうせきして、このサイズに圧縮しただけなんですけどね。それでも、飲みやすさじゃ雲泥の差だと思いますよ」

 シリウス様はさらりとそう言ったものの……そんなにさらりと口にしていいものじゃないと思うよ、これ。
 セラなんて、さっきからずうっと目をキラキラさせているのだし。興味深いのは分かるけど、まばたきくらいはしなさい、セラ。
 うっとりした顔で、セラは言う。

「いい……いいですねこれ……この技術が発達すれば、これからはお嬢様が薬をお飲みになるときに、物言いたげに眉を顰めることも、半泣きになりながら苦さにぷるぷる震えることも、一気に飲んでしまった方が楽なのは間違いないのに、それでもちまちまとお飲みになるのを『頑張れ、頑張れ……!』と心の中で応援することも無くなるのですね……」

 ……わたしが薬を飲むのを見ながら、内心でそんなこと考えてたの、セラ。
 道理で、なんだかやけに熱い視線を感じるなぁと思っていたよ。全く。

「お、オブシディアン坊っちゃま! この製法、一度詳しくお聞きしてもよろしいでしょうか!?」

 セラが、勢いごんで兄に尋ねている。軽く首を振った兄は「僕よりも、シリウスの方が詳しい」と言って、シリウス様に視線を向けた。

「えっ、俺?」

「そうだよ、他に誰がいる?」

 きょとんとしたシリウス様に対し、セラが「シリウス様! 是非とも、是非ともお教えください!」と詰め寄って行く。その際に勢い余ったセラがシリウス様の手をぎゅっと掴んだものだから、哀れ、シリウス様は耳まで真っ赤になっては顔を背けていた。

 セラのメイド服は伊達じゃないもんな……。十歳の純情少年には刺激が強かったかもな……。
 これで、シリウス様の趣味が歪んでしまったらどうしよう。とりあえず、シリウス様に合掌。

「シリウス様! どうか、どうかお願いいたします!」

「わ、分かった! 分かったから!! セラさんっ、離して! お願いだから!」

「本当に!? それじゃあ、研究所でちょっとレクチャーお願いしますねっ! お嬢様、坊っちゃま、少しの間彼をお借りしますので!」

「ねぇ聞いて!? あっちょっと待って、行くから、ちゃんと行くから、だから離してぇ!?」

 セラに速攻で押し切られてしまったシリウス様は、そのまま問答無用で腕を掴まれ引きずられて行く。わたしと兄は、生ぬるい笑顔で二人を見送った。

「あぁなったセラは、撒くのが大変だからな……」

「ですねぇ……」

 兄と二人でしみじみと呟く。
 そこで、兄は柔らかな笑みを浮かべてわたしに向き直った。

「でも、今日のお前は元気そうで良かった。雪が降ると、リッカは体調を崩しがちになっちゃうからな」

「わたしも、お二人が来る日に元気でお会いできて良かったです」

 いや、本当にね……。
 この体調、とても繊細なバランスの上に成り立っているので、調整が非常に難しい。わたしじゃなかったら、こんな調整途中で嫌になって投げ出してたぞ。

 我ながら、なんてややこしい身体なんだ。
 よくある(よくあるかな?)異世界転生じゃ、転生後ってチート的な能力を持ってたりレアスキルが使えたりと、どこか常人にプラスした特技を持ってたりするんじゃないの?
 なんで前世よりマイナスになってんだ。
 神様恨むぞ。本当にいるのか知らんけど。

「しかし、お前と二人きりになれたのは、なんだか随分と久しぶりな気がする。今日は、お前とゆっくり話をしたいと思ってたんだ」

 はにかんだ笑顔を浮かべる兄。普段わたしにしか見せないその表情に、思わず胸打たれる。

 ……相変わらず、この兄、顔がいいな……。
『ゼロナイ』作中ではもう少し歳が上だったけど、今のこの十歳の可愛らしさと精悍さが同居している感じも捨てがたい……。
 幼少期の頃のオブシディアンの立ち絵が『ゼロナイ』に実装されていたら、わたし、ショタコンにも目覚めていた気がするな。

 なんて身体に転生させてくれちゃってんの神様、なんて思ったけど、推しの妹に転生させてくれたことだけは感謝してるよ神様。
 こんな間近で、推しが成長していく様子を眺めていられるんでしょ? 神様、グッジョブ。

 ……まぁ、だからといってこんな身体に転生させてくれちゃったのは許さんけどね。
 推しの成長くらい、せめて健康体で見守らせてくれよ。

「……リッカ? 僕の顔をじっと見つめて、どうしたんだい?」

 ……と、ついつい兄の顔を見つめ過ぎてしまっていた。兄は眉を下げては「寝癖でも付いてた? 恥ずかしいな」と髪を撫でつける。そんな姿が存外に可愛らしくて、わたしは思わず笑ってしまった。

「ちょっと見惚れてしまっただけです。お兄様は、いつも格好いいなぁって」

「何言ってんだ。リッカこそ、いつだって世界で一番可愛いよ」

 兄は身を乗り出すと、わたしの両頬に手を添えた。うんと優しい眼差しで、わたしを見つめ微笑んでくる。


「愛してるよ、リッカ」


 蕩けるような甘い声。
 わたしにしか見せない笑顔を直視して、脳髄が痺れる心地になった。

「ひとつ、お前に聞きたいことがあったんだ」

 穏やかな声で、兄は言う。




「――よく、あれが薬だと分かったな?」




「僕もセラも、シリウスが発案したあの錠剤を『薬』だとは見抜けなかった。であるのにお前は、お前だけは、よくあれを、一目で薬だと見抜いたな?」

 声は、変わらず優しかった。
 蒼の瞳は、相も変わらず凪いでいた。

「リッカはさ……その呪いのせいで、昔から身体が弱くて……まともに部屋から出ることも出来なかった。数冊の絵本と、この窓から見える景色、そして僕。それだけが、リッカの全て――だったはずだよ」


 リッカが知るはずもないことを、お前は知っている。


「リッカが持っていなかったもの……行動力と、僕がいくら説いても持たせることが出来なかった『生きる希望』……それらを、お前は持っている。世間知らずのリッカが、いつの間にか大人と渡り合えるだけの交渉術を身につけている……これは、一体どういうことだろう?」


 鼻先が触れ合うほどの距離。
 吐息が掛かるほどの近さで、兄はわたしの瞳をじっと見つめていた。

 艶やかな黒髪が、わたしの額に落ちてくる。
 わたしを見つめる瞳は、それでもどこまでも優しく、慈愛に満ちていた。


 凪いだ瞳で、彼は言う。





「お前は、誰だ?」
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