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パメラは震える足で野を駆ける。
「はっ、はぁっ、はあっ」
星の瞬きと月明かりだけが、今は心の支えだ。小石を踏みつけて足の裏が切れようとも、この足を止めるわけにはいかない。
(さすがに森の中は暗いわね……)
馬車道の整備された森に辿り着き、肌に纏わりつくのは生い茂る草木のむせ返る匂い。浅くなる呼吸に周りの空気が湿り気を帯びてくると、騒ぎ立ててはいけないのに、嘔吐くように咳が出る。
「ゴホッ、ゴホッ」
慌てて口元を袖口で押さえて音を殺すと、必死に駆ける足だけは止めずに闇の中をひた走る。
どれくらいそうして走ってきただろうか。
この世には男女の性の他に、第二の性と呼ばれるアルファとベータ、そしてオメガと云う三つの性が存在する。ベータは極々一般的な男女の性と変わりなく、大半はこの区分に入る。
問題はそれ以外。容姿端麗にして頭脳明晰。選ばれし者に神からのギフトを与えられたとさえ称される、上位種とも呼ばれる圧倒的な支配者階級に君臨するアルファ。
そして数少ない希少種とも呼ばれ、唯一アルファの子を孕むことが出来るオメガ。
パメラは十八になるまで第二の性が目覚めることがなく、旅回り公演を行う劇団のお針子として普通に生活を送っていた。
けれどそれはある日突然訪れた、ヒートと呼ばれる発情期によって終焉を迎えることとなった。
パメラの第二の性は希少なオメガだったのだ。
「はあっ、はぁっ」
そろそろ息切れして喉が焼けるように熱い。乾いて切れてしまったのか、喉の奥がざらりとして呼吸に血の香りが混ざる。
背後から馬車が迫る音が聞こえて、パメラは咄嗟に茂みに飛び込んで街道を外れて呼吸を整える。
一台の馬車が停まり、男たちが大声で叫んでいる。
「あの女、どこ行きやがった!」
「匂うぞ、プンプン匂う。あの女は近くに居るぞ!探せ。探して連れ戻せ!」
ランプを手に叫ぶのは、パメラの劇団が巡業で訪れた町の商家の息子だ。奴はアルファらしく、オメガがヒート中に放つ匂いを追ってきたのだ。
(……こんなところで終わってしまうの?)
こんな田舎町でなくとも女オメガは珍しく、それに加えてパメラは一際美しい容姿を持っていた。
だから卑しい商家の息子は劇団に金貨を弾んでパメラを買い上げ、屋敷の離れに監禁しようと、家畜のような扱いを受けたところを隙をついて逃げてきたのだ。
息を殺しながら更に森の奥深くに身を隠すように、泥まみれで血塗れの足を引きずって静かに移動する。
パキッ。
(しまった!)
足元の小枝に気付かず、その上を踏み抜いてしまった。
「女は近くに居るぞ!」
松明の火が近付いてくる。もう逃げ場はない。終わってしまった。
「……静かにしてろ」
「……!」
突然背後から逞しい腕に抱き止められて口を塞がれる。パメラにはなにが起こったのか分からないが、背後の男はもう一度、静かにしてろと小さく呟く。
次の瞬間、森から一斉に賊たちが飛び出すと、パメラを追ってきた一団は全員のされて縛り上げられた。それは一瞬の事だった。
「お頭ぁ、コイツらどうしますか」
「そのまま馬に引かせて送り返せ。あとは頼んだぞ」
「分かりやした。行くぞテメェら」
男たちが馬に跨り、パメラの追手はその馬に引きずられて元来た道を引き返して行く。その光景に安堵の涙をこぼすと、抱きしめられていた腕が不意に外される。
「クソっ、お前オメガだな。しかもヒートを起こしてるとは、厄介な女だ」
「あのっ……助けてください!私、私っ」
「そりゃどう云う意味だ」
月明かりが照らす男の顔は、今までに見たことがないほど美しく、漆黒の髪が吹き荒れた風にたなびく。
「あの、私……あの追手の男に捕まれば、監禁されてしまうのです!せめて、せめてお薬が手に入るところへ連れて行っていただけませんか」
大きな街に行けばヒートをコントロール出来る抑制剤があると聞く。パメラは男の腕を掴むと、必死に縋り付くように懇願した。
「それは出来ねえな」
すげなく返されてパメラは絶望する。やはりオメガなんかに生まれてしまった自分がいけないのだ。
望まぬ相手に番われて犯され、子を孕まさせられる。家畜以下の生き方しかないのだと突き付けられた気持ちだった。
「では、では殺してください!」
「それも出来ねえ」
「何故ですか!どうして……」
「さっきから気付かないか?このむせ返る薔薇の甘い香りはなんだ」
「薔薇?」
「運命の番には、一目会えばそうと気付く。そんな話を聞いたことがないか?」
「運命の番……」
「俺はお前を娶る。俺はデルザリオ。お前、名はなんだ」
「あ……の、パメラです」
「お前は感じないか?あの卑しいアルファとは違う、狂おしいこの匂いを」
パメラはデルザリオに再び抱き止められて、ひどく心臓が高鳴るのを感じた。安心感とは違う、明らかな昂揚感。これは何?
「パメラ、俺と来い。まずはそのヒートを抑えてやろう」
「デルザリオ様?」
そのままパメラは横抱きにかかえられ、森の奥深くにある小さな集落で、巧妙な仕掛けを使って木の上にある小屋に連れて行かれる。
「お前を救ってやる」
ランプの灯りが照らすデルザリオはやはり息を呑むほど美しく、パメラは抗うことをやめてその身を彼に委ねることにして夜に溶けた。
そののち、街道を荒らす賊の頭領には、絶世の美女である伴侶が出来たと風の噂は囁く。それがデルザリオとパメラであるかは定かではない。
「はっ、はぁっ、はあっ」
星の瞬きと月明かりだけが、今は心の支えだ。小石を踏みつけて足の裏が切れようとも、この足を止めるわけにはいかない。
(さすがに森の中は暗いわね……)
馬車道の整備された森に辿り着き、肌に纏わりつくのは生い茂る草木のむせ返る匂い。浅くなる呼吸に周りの空気が湿り気を帯びてくると、騒ぎ立ててはいけないのに、嘔吐くように咳が出る。
「ゴホッ、ゴホッ」
慌てて口元を袖口で押さえて音を殺すと、必死に駆ける足だけは止めずに闇の中をひた走る。
どれくらいそうして走ってきただろうか。
この世には男女の性の他に、第二の性と呼ばれるアルファとベータ、そしてオメガと云う三つの性が存在する。ベータは極々一般的な男女の性と変わりなく、大半はこの区分に入る。
問題はそれ以外。容姿端麗にして頭脳明晰。選ばれし者に神からのギフトを与えられたとさえ称される、上位種とも呼ばれる圧倒的な支配者階級に君臨するアルファ。
そして数少ない希少種とも呼ばれ、唯一アルファの子を孕むことが出来るオメガ。
パメラは十八になるまで第二の性が目覚めることがなく、旅回り公演を行う劇団のお針子として普通に生活を送っていた。
けれどそれはある日突然訪れた、ヒートと呼ばれる発情期によって終焉を迎えることとなった。
パメラの第二の性は希少なオメガだったのだ。
「はあっ、はぁっ」
そろそろ息切れして喉が焼けるように熱い。乾いて切れてしまったのか、喉の奥がざらりとして呼吸に血の香りが混ざる。
背後から馬車が迫る音が聞こえて、パメラは咄嗟に茂みに飛び込んで街道を外れて呼吸を整える。
一台の馬車が停まり、男たちが大声で叫んでいる。
「あの女、どこ行きやがった!」
「匂うぞ、プンプン匂う。あの女は近くに居るぞ!探せ。探して連れ戻せ!」
ランプを手に叫ぶのは、パメラの劇団が巡業で訪れた町の商家の息子だ。奴はアルファらしく、オメガがヒート中に放つ匂いを追ってきたのだ。
(……こんなところで終わってしまうの?)
こんな田舎町でなくとも女オメガは珍しく、それに加えてパメラは一際美しい容姿を持っていた。
だから卑しい商家の息子は劇団に金貨を弾んでパメラを買い上げ、屋敷の離れに監禁しようと、家畜のような扱いを受けたところを隙をついて逃げてきたのだ。
息を殺しながら更に森の奥深くに身を隠すように、泥まみれで血塗れの足を引きずって静かに移動する。
パキッ。
(しまった!)
足元の小枝に気付かず、その上を踏み抜いてしまった。
「女は近くに居るぞ!」
松明の火が近付いてくる。もう逃げ場はない。終わってしまった。
「……静かにしてろ」
「……!」
突然背後から逞しい腕に抱き止められて口を塞がれる。パメラにはなにが起こったのか分からないが、背後の男はもう一度、静かにしてろと小さく呟く。
次の瞬間、森から一斉に賊たちが飛び出すと、パメラを追ってきた一団は全員のされて縛り上げられた。それは一瞬の事だった。
「お頭ぁ、コイツらどうしますか」
「そのまま馬に引かせて送り返せ。あとは頼んだぞ」
「分かりやした。行くぞテメェら」
男たちが馬に跨り、パメラの追手はその馬に引きずられて元来た道を引き返して行く。その光景に安堵の涙をこぼすと、抱きしめられていた腕が不意に外される。
「クソっ、お前オメガだな。しかもヒートを起こしてるとは、厄介な女だ」
「あのっ……助けてください!私、私っ」
「そりゃどう云う意味だ」
月明かりが照らす男の顔は、今までに見たことがないほど美しく、漆黒の髪が吹き荒れた風にたなびく。
「あの、私……あの追手の男に捕まれば、監禁されてしまうのです!せめて、せめてお薬が手に入るところへ連れて行っていただけませんか」
大きな街に行けばヒートをコントロール出来る抑制剤があると聞く。パメラは男の腕を掴むと、必死に縋り付くように懇願した。
「それは出来ねえな」
すげなく返されてパメラは絶望する。やはりオメガなんかに生まれてしまった自分がいけないのだ。
望まぬ相手に番われて犯され、子を孕まさせられる。家畜以下の生き方しかないのだと突き付けられた気持ちだった。
「では、では殺してください!」
「それも出来ねえ」
「何故ですか!どうして……」
「さっきから気付かないか?このむせ返る薔薇の甘い香りはなんだ」
「薔薇?」
「運命の番には、一目会えばそうと気付く。そんな話を聞いたことがないか?」
「運命の番……」
「俺はお前を娶る。俺はデルザリオ。お前、名はなんだ」
「あ……の、パメラです」
「お前は感じないか?あの卑しいアルファとは違う、狂おしいこの匂いを」
パメラはデルザリオに再び抱き止められて、ひどく心臓が高鳴るのを感じた。安心感とは違う、明らかな昂揚感。これは何?
「パメラ、俺と来い。まずはそのヒートを抑えてやろう」
「デルザリオ様?」
そのままパメラは横抱きにかかえられ、森の奥深くにある小さな集落で、巧妙な仕掛けを使って木の上にある小屋に連れて行かれる。
「お前を救ってやる」
ランプの灯りが照らすデルザリオはやはり息を呑むほど美しく、パメラは抗うことをやめてその身を彼に委ねることにして夜に溶けた。
そののち、街道を荒らす賊の頭領には、絶世の美女である伴侶が出来たと風の噂は囁く。それがデルザリオとパメラであるかは定かではない。
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