1 / 1
1
しおりを挟む
パメラは震える足で野を駆ける。
「はっ、はぁっ、はあっ」
星の瞬きと月明かりだけが、今は心の支えだ。小石を踏みつけて足の裏が切れようとも、この足を止めるわけにはいかない。
(さすがに森の中は暗いわね……)
馬車道の整備された森に辿り着き、肌に纏わりつくのは生い茂る草木のむせ返る匂い。浅くなる呼吸に周りの空気が湿り気を帯びてくると、騒ぎ立ててはいけないのに、嘔吐くように咳が出る。
「ゴホッ、ゴホッ」
慌てて口元を袖口で押さえて音を殺すと、必死に駆ける足だけは止めずに闇の中をひた走る。
どれくらいそうして走ってきただろうか。
この世には男女の性の他に、第二の性と呼ばれるアルファとベータ、そしてオメガと云う三つの性が存在する。ベータは極々一般的な男女の性と変わりなく、大半はこの区分に入る。
問題はそれ以外。容姿端麗にして頭脳明晰。選ばれし者に神からのギフトを与えられたとさえ称される、上位種とも呼ばれる圧倒的な支配者階級に君臨するアルファ。
そして数少ない希少種とも呼ばれ、唯一アルファの子を孕むことが出来るオメガ。
パメラは十八になるまで第二の性が目覚めることがなく、旅回り公演を行う劇団のお針子として普通に生活を送っていた。
けれどそれはある日突然訪れた、ヒートと呼ばれる発情期によって終焉を迎えることとなった。
パメラの第二の性は希少なオメガだったのだ。
「はあっ、はぁっ」
そろそろ息切れして喉が焼けるように熱い。乾いて切れてしまったのか、喉の奥がざらりとして呼吸に血の香りが混ざる。
背後から馬車が迫る音が聞こえて、パメラは咄嗟に茂みに飛び込んで街道を外れて呼吸を整える。
一台の馬車が停まり、男たちが大声で叫んでいる。
「あの女、どこ行きやがった!」
「匂うぞ、プンプン匂う。あの女は近くに居るぞ!探せ。探して連れ戻せ!」
ランプを手に叫ぶのは、パメラの劇団が巡業で訪れた町の商家の息子だ。奴はアルファらしく、オメガがヒート中に放つ匂いを追ってきたのだ。
(……こんなところで終わってしまうの?)
こんな田舎町でなくとも女オメガは珍しく、それに加えてパメラは一際美しい容姿を持っていた。
だから卑しい商家の息子は劇団に金貨を弾んでパメラを買い上げ、屋敷の離れに監禁しようと、家畜のような扱いを受けたところを隙をついて逃げてきたのだ。
息を殺しながら更に森の奥深くに身を隠すように、泥まみれで血塗れの足を引きずって静かに移動する。
パキッ。
(しまった!)
足元の小枝に気付かず、その上を踏み抜いてしまった。
「女は近くに居るぞ!」
松明の火が近付いてくる。もう逃げ場はない。終わってしまった。
「……静かにしてろ」
「……!」
突然背後から逞しい腕に抱き止められて口を塞がれる。パメラにはなにが起こったのか分からないが、背後の男はもう一度、静かにしてろと小さく呟く。
次の瞬間、森から一斉に賊たちが飛び出すと、パメラを追ってきた一団は全員のされて縛り上げられた。それは一瞬の事だった。
「お頭ぁ、コイツらどうしますか」
「そのまま馬に引かせて送り返せ。あとは頼んだぞ」
「分かりやした。行くぞテメェら」
男たちが馬に跨り、パメラの追手はその馬に引きずられて元来た道を引き返して行く。その光景に安堵の涙をこぼすと、抱きしめられていた腕が不意に外される。
「クソっ、お前オメガだな。しかもヒートを起こしてるとは、厄介な女だ」
「あのっ……助けてください!私、私っ」
「そりゃどう云う意味だ」
月明かりが照らす男の顔は、今までに見たことがないほど美しく、漆黒の髪が吹き荒れた風にたなびく。
「あの、私……あの追手の男に捕まれば、監禁されてしまうのです!せめて、せめてお薬が手に入るところへ連れて行っていただけませんか」
大きな街に行けばヒートをコントロール出来る抑制剤があると聞く。パメラは男の腕を掴むと、必死に縋り付くように懇願した。
「それは出来ねえな」
すげなく返されてパメラは絶望する。やはりオメガなんかに生まれてしまった自分がいけないのだ。
望まぬ相手に番われて犯され、子を孕まさせられる。家畜以下の生き方しかないのだと突き付けられた気持ちだった。
「では、では殺してください!」
「それも出来ねえ」
「何故ですか!どうして……」
「さっきから気付かないか?このむせ返る薔薇の甘い香りはなんだ」
「薔薇?」
「運命の番には、一目会えばそうと気付く。そんな話を聞いたことがないか?」
「運命の番……」
「俺はお前を娶る。俺はデルザリオ。お前、名はなんだ」
「あ……の、パメラです」
「お前は感じないか?あの卑しいアルファとは違う、狂おしいこの匂いを」
パメラはデルザリオに再び抱き止められて、ひどく心臓が高鳴るのを感じた。安心感とは違う、明らかな昂揚感。これは何?
「パメラ、俺と来い。まずはそのヒートを抑えてやろう」
「デルザリオ様?」
そのままパメラは横抱きにかかえられ、森の奥深くにある小さな集落で、巧妙な仕掛けを使って木の上にある小屋に連れて行かれる。
「お前を救ってやる」
ランプの灯りが照らすデルザリオはやはり息を呑むほど美しく、パメラは抗うことをやめてその身を彼に委ねることにして夜に溶けた。
そののち、街道を荒らす賊の頭領には、絶世の美女である伴侶が出来たと風の噂は囁く。それがデルザリオとパメラであるかは定かではない。
「はっ、はぁっ、はあっ」
星の瞬きと月明かりだけが、今は心の支えだ。小石を踏みつけて足の裏が切れようとも、この足を止めるわけにはいかない。
(さすがに森の中は暗いわね……)
馬車道の整備された森に辿り着き、肌に纏わりつくのは生い茂る草木のむせ返る匂い。浅くなる呼吸に周りの空気が湿り気を帯びてくると、騒ぎ立ててはいけないのに、嘔吐くように咳が出る。
「ゴホッ、ゴホッ」
慌てて口元を袖口で押さえて音を殺すと、必死に駆ける足だけは止めずに闇の中をひた走る。
どれくらいそうして走ってきただろうか。
この世には男女の性の他に、第二の性と呼ばれるアルファとベータ、そしてオメガと云う三つの性が存在する。ベータは極々一般的な男女の性と変わりなく、大半はこの区分に入る。
問題はそれ以外。容姿端麗にして頭脳明晰。選ばれし者に神からのギフトを与えられたとさえ称される、上位種とも呼ばれる圧倒的な支配者階級に君臨するアルファ。
そして数少ない希少種とも呼ばれ、唯一アルファの子を孕むことが出来るオメガ。
パメラは十八になるまで第二の性が目覚めることがなく、旅回り公演を行う劇団のお針子として普通に生活を送っていた。
けれどそれはある日突然訪れた、ヒートと呼ばれる発情期によって終焉を迎えることとなった。
パメラの第二の性は希少なオメガだったのだ。
「はあっ、はぁっ」
そろそろ息切れして喉が焼けるように熱い。乾いて切れてしまったのか、喉の奥がざらりとして呼吸に血の香りが混ざる。
背後から馬車が迫る音が聞こえて、パメラは咄嗟に茂みに飛び込んで街道を外れて呼吸を整える。
一台の馬車が停まり、男たちが大声で叫んでいる。
「あの女、どこ行きやがった!」
「匂うぞ、プンプン匂う。あの女は近くに居るぞ!探せ。探して連れ戻せ!」
ランプを手に叫ぶのは、パメラの劇団が巡業で訪れた町の商家の息子だ。奴はアルファらしく、オメガがヒート中に放つ匂いを追ってきたのだ。
(……こんなところで終わってしまうの?)
こんな田舎町でなくとも女オメガは珍しく、それに加えてパメラは一際美しい容姿を持っていた。
だから卑しい商家の息子は劇団に金貨を弾んでパメラを買い上げ、屋敷の離れに監禁しようと、家畜のような扱いを受けたところを隙をついて逃げてきたのだ。
息を殺しながら更に森の奥深くに身を隠すように、泥まみれで血塗れの足を引きずって静かに移動する。
パキッ。
(しまった!)
足元の小枝に気付かず、その上を踏み抜いてしまった。
「女は近くに居るぞ!」
松明の火が近付いてくる。もう逃げ場はない。終わってしまった。
「……静かにしてろ」
「……!」
突然背後から逞しい腕に抱き止められて口を塞がれる。パメラにはなにが起こったのか分からないが、背後の男はもう一度、静かにしてろと小さく呟く。
次の瞬間、森から一斉に賊たちが飛び出すと、パメラを追ってきた一団は全員のされて縛り上げられた。それは一瞬の事だった。
「お頭ぁ、コイツらどうしますか」
「そのまま馬に引かせて送り返せ。あとは頼んだぞ」
「分かりやした。行くぞテメェら」
男たちが馬に跨り、パメラの追手はその馬に引きずられて元来た道を引き返して行く。その光景に安堵の涙をこぼすと、抱きしめられていた腕が不意に外される。
「クソっ、お前オメガだな。しかもヒートを起こしてるとは、厄介な女だ」
「あのっ……助けてください!私、私っ」
「そりゃどう云う意味だ」
月明かりが照らす男の顔は、今までに見たことがないほど美しく、漆黒の髪が吹き荒れた風にたなびく。
「あの、私……あの追手の男に捕まれば、監禁されてしまうのです!せめて、せめてお薬が手に入るところへ連れて行っていただけませんか」
大きな街に行けばヒートをコントロール出来る抑制剤があると聞く。パメラは男の腕を掴むと、必死に縋り付くように懇願した。
「それは出来ねえな」
すげなく返されてパメラは絶望する。やはりオメガなんかに生まれてしまった自分がいけないのだ。
望まぬ相手に番われて犯され、子を孕まさせられる。家畜以下の生き方しかないのだと突き付けられた気持ちだった。
「では、では殺してください!」
「それも出来ねえ」
「何故ですか!どうして……」
「さっきから気付かないか?このむせ返る薔薇の甘い香りはなんだ」
「薔薇?」
「運命の番には、一目会えばそうと気付く。そんな話を聞いたことがないか?」
「運命の番……」
「俺はお前を娶る。俺はデルザリオ。お前、名はなんだ」
「あ……の、パメラです」
「お前は感じないか?あの卑しいアルファとは違う、狂おしいこの匂いを」
パメラはデルザリオに再び抱き止められて、ひどく心臓が高鳴るのを感じた。安心感とは違う、明らかな昂揚感。これは何?
「パメラ、俺と来い。まずはそのヒートを抑えてやろう」
「デルザリオ様?」
そのままパメラは横抱きにかかえられ、森の奥深くにある小さな集落で、巧妙な仕掛けを使って木の上にある小屋に連れて行かれる。
「お前を救ってやる」
ランプの灯りが照らすデルザリオはやはり息を呑むほど美しく、パメラは抗うことをやめてその身を彼に委ねることにして夜に溶けた。
そののち、街道を荒らす賊の頭領には、絶世の美女である伴侶が出来たと風の噂は囁く。それがデルザリオとパメラであるかは定かではない。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
夫が運命の番と出会いました
重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。
だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。
しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
侯爵様の懺悔
宇野 肇
恋愛
女好きの侯爵様は一年ごとにうら若き貴族の女性を妻に迎えている。
そのどれもが困窮した家へ援助する条件で迫るという手法で、実際に縁づいてから領地経営も上手く回っていくため誰も苦言を呈せない。
侯爵様は一年ごとにとっかえひっかえするだけで、侯爵様は決して貴族法に違反する行為はしていないからだ。
その上、離縁をする際にも夫人となった女性の希望を可能な限り聞いたうえで、新たな縁を取り持ったり、寄付金とともに修道院へ出家させたりするそうなのだ。
おかげで不気味がっているのは娘を差し出さねばならない困窮した貴族の家々ばかりで、平民たちは呑気にも次に来る奥さんは何を希望して次の場所へ行くのか賭けるほどだった。
――では、侯爵様の次の奥様は一体誰になるのだろうか。
王太子殿下との思い出は、泡雪のように消えていく
木風
恋愛
王太子殿下の生誕を祝う夜会。
侯爵令嬢にとって、それは一生に一度の夢。
震える手で差し出された御手を取り、ほんの数分だけ踊った奇跡。
二度目に誘われたとき、心は淡い期待に揺れる。
けれど、その瞳は一度も自分を映さなかった。
殿下の視線の先にいるのは誰よりも美しい、公爵令嬢。
「ご一緒いただき感謝します。この後も楽しんで」
優しくも残酷なその言葉に、胸の奥で夢が泡雪のように消えていくのを感じた。
※本作は「小説家になろう」「アルファポリス」「エブリスタ」にて同時掲載しております。
表紙イラストは、雪乃さんに描いていただきました。
※イラストは描き下ろし作品です。無断転載・無断使用・AI学習等は一切禁止しております。
©︎泡雪 / 木風 雪乃
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います
こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。
※「小説家になろう」にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる