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56話 苦しくも美しかった日々
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イナンナはやせ細ったダークエルフの子を抱えていた。つい先ほど撃退した奴隷商人が連れていた奴隷の内の一人だが、何日も食事を与えられていなかったらしく、酷く衰弱していた。
今にも死にそうな子を、彼女は力強く励ましている。「もう大丈夫」「心配無用だ」。何度も声を掛ける内に、子供は少しだけ元気を取り戻していた。
「名前はなんだい? 無ければ勝手に呼ぶけど、返事がないからそうするよ。マステマ! 次からそう呼ばれたら返事をするように!」
「マス……テマ……」
「そうだ、それが今日からお前の名前だ。アスタ、かなり弱って危ない状態だ。早いとこマステマ達に飯食わせてやってくれ。勿論他の奴らにもな」
「あのな、まだ作ってすらないだろう」
「今から作ればいいんだ。アバドン! どこだアバドン!」
「はいヨ、ここアルヨ」
ガレオンの後ろに居る人の山から、豚の獣人が出てきた。先月ごろに拾った、行き倒れていた浮浪者だ。なんでも住処を焼かれ、野盗に家族を皆殺しにされたのだとか……。
「皆腹空かせてるみたいだからさ、美味い奴作ってくれ。アバドン料理上手いしさ」
「イナンナの頼みなら断れないアルな」
「流石頼もしい! 皆もほら! ちゃきちゃき手を動かす!」
イナンナは大勢を従えて早速料理の支度に入った。
ガレオンがイナンナと組んで数年が経っていた。彼女の思想に共感する者は予想以上に多く現れていて、ちょっとしたキャラバンが出来上がる程になっていた。
イナンナはアバドンのように生きる希望を失った、行き場のない者達に片っ端から手を差し伸べ、救い上げ、居場所を与え続けた。馬鹿正直なまでにひたむきに、目標へ向けて一直線に突っ走るイナンナに引っ張られ、ガレオンも多くの命を救うようになっていた。
弱き者を虐げ、搾取する者には斧を片手に立ち向かい、徹底的に強い者虐めをしていった。魔界に現れた正義のヒーローの噂は瞬く間に広がり、少しずつだが人々の希望として名が広まりつつあった。
……その中に俺の名が含まれているのは、少々複雑だが……。
「どうしたアスタ、手が止まってるぞ?」
「そのアスタと言うのをやめろ」
「憎くない付き合いになってきたんだし、愛称で呼んだっていいだろ? なぁアスタ」
「……もういい、好きにしろ」
どれだけ抵抗しても、ガレオンはイナンナに押し切られてしまう。俺も甘くなったものだと、ガレオンは小さくため息を吐いた。
不思議な女だ。幼い理想を口にするのに、本当に実現しかねない力を感じる。だからこそ多くの人が彼女に惹かれ、ガレオンもイナンナに賛同しているのだ。
「おいガキ、出来たぞ。飯だ、食え」
マステマに皿を出すも、恐がられて手を伸ばそうとしない。イナンナに助けを求めたものの、「お前がやれ」と目で言われてしまった。
どうすりゃいいんだよ、くそったれ……。
「食べて、それからどうすればいいの? 生きていたって、何もないのに……なんで、殺してくれなかったの?」
マステマはか細い声で聞いてきた。少女の目は暗く、深い絶望に染まっている。
成程、食わなかった理由はそれか。何のために生きているのか分からなくて、生きる事を拒否しているんだ。
「俺が生かす意味がある。お前に、誰も飢えず、不幸にならない、幸せな世界を見せるためだ。だから食え、生きろ。例え今日が最悪だとしても、明日は少しだけマシにしてやる。俺が必ずな」
「……分かった」
やっとマステマは食べ始めた。ぎこちないが、イナンナの真似をしてみたら、マステマの心を動かせたようだ。
俺も、イナンナに当てられているわけか。
「言葉が様になってきたな」
「誰のせいだと思っている」
「あたしだな。嬉しいよ、アスタがあたしに共感してくれて。何しろアスタはあたしの最初の理解者だからさ」
イナンナはまた快活に笑い、ガレオンと肩を組んだ。
「アスタがあたしの理解者になってくれたように、あたしもアスタの理解者だ。アスタが苦しい時は、あたしが肩を支えてやる。もしあたしに何かがあっても、アスタは一人じゃない。いつまでも、アスタの心で生き続けるさ」
「うっとうしい、死んだら黙って眠っていろ」
明日自分がどうなるかも分からぬ日々なのに、イナンナはガレオンを気にかけている。群雄割拠の世界で、他者のために戦う者は、恐らく彼女だけだろう。
……イナンナだけではない。俺だって明日、いや、次の瞬間には死んでいるかもしれない。明るく振る舞っていても、イナンナだって心の中では死に怯えている。その恐怖を少しでも軽くしてやれるよう……。
「俺も死んだら、お前の中で生き続けてやろう。お前がどう死ぬのか見届けるまで、消えるわけにはいかないからな」
「ははっ! じゃあ死ぬまで一緒に居るとしようか!」
明るいイナンナにつれられ、ガレオンもまた笑っていた。
思えばこの頃だったかもしれない。誰も愛した事のなかった男が、イナンナに惹かれ始めたのは。
そう思いつつ、イナンナ目掛け飛んできた矢を受け止める。振り向けば、堕天使の女を先頭にした集団が、武器を構えてガレオン達を見据えていた。
「お前達か、最近名を上げているキャラバンは。その様子だと水は勿論、酒や食料も沢山持っていそうだな」
「なんだ、お前達も腹を空かせているのか?」
イナンナは微笑みながら堕天使に歩み寄った。堕天使はにやりとし、
「ああ、こんな世の中だ。目先の飯にも困っていてね、どうか恵んでくれないか?」
「構わないぞ。武器を収めてくれればいくらでも分けてやる、こっちにおいで」
「そうか、では遠慮なく!」
堕天使はイナンナへ、隠していた短刀を突き出した。
刃が首に刺さる、直前でイナンナは回避。堕天使に裏拳のカウンターを浴びせた。
「先に手を出したのはお前だからな。これは警告だ、まだ矛を収めないのなら、容赦しない。こいつらはあたしの大事な宝物なんだ。そいつに手を出す奴は、誰であろうと許さない。もう一度言うぞ、武器を収めろ」
「わ、私の顔に……鼻血が……! 貴様ぁ! 私はルシファーだぞ! その顔に無礼を働いた事、後悔させてくれる!」
「ま、そうなるよな。いいだろう、あたしの全てを賭けて守り通す! 後ろの奴らに、指一本も触れさせやしないよ!」
イナンナは斧を片手に突撃していった。ガレオンは肩を竦め、メイスを握った。
「一人で飛び出すなと何度言ったら……アバドン! そいつらを下げていろ」
「あい分かったアル。マステマもこっち来るアル」
「……死ぬの? 皆、ここで死ぬ?」
「さぁな、そいつは未来の俺に聞け!」
ガレオンとイナンナは、たった二人でルシファーの軍団に立ち向かった。
互いに背中を守り、圧倒的多数を瞬く間になぎ倒していく。イナンナはガレオンを心から信用し、まるで後ろを気にしていない。その信頼が、心地よかった。
「な、なんだこいつら……化け物か!?」
「違うよ。正義のヒーローさ!」
ルシファーとの一騎打ちでも、イナンナは彼女に一切反撃を許さず完封。剣を粉砕し、ルシファーに斧を突き付けた。
「気は済んだか?」
「……す、すみませんでした……もう、悪い事しません……」
「よろしい。じゃあ飯にしよう!」
さっきまで喧嘩をしていたにも関わらず、イナンナはルシファーの手を握った。
「言っただろ? 武器を収めたらいくらでも分けてやるって。あたしは約束を守る女なんだ」
イナンナは言葉通り、ルシファー達を手当し、食料を分け与えた。彼女の言葉を借りれば、「喧嘩をしたらもう友達!」なんだとか。
「お前達も行く所がないなら、あたし達と来なよ」
でもって、ルシファー達まで自分の傘下に加えてしまう。イナンナには敵味方の境界線がないのだ。
「徹底的に叩きのめされてからの、特大のご褒美……なんだ、この感覚は……」
ルシファーが何かに目覚めたのはさておいて、また人が増えてしまった。物資や食料の管理、誰がすると思っているのやら。
ま、あいつに振り回されるのも悪くないか……。
「ここ居たアルか。マステマが話す事あるアルよ」
「なんだ、言ってみろ」
「皆、生きてた。本当に、守ってくれた……」
「だからどうした」
「……ありがとう」
マステマから礼を言われ、ガレオンは髪を掻いた。こういうのは、言われ慣れていないからどう返せばいいのか分からない。
この感情も、イナンナに出会わなければ知らないままだったんだろう。
「お疲れ! 今日もあたし達、いいコンビだったな!」
イナンナが肩を叩きつつ、ガレオンに魔法をかけた。疲労を取る風属性の力だ。
この女から、どれだけの物を貰っただろうか。そう思うと、愛しさが溢れてくる。
「あたしの顔に何かついているか? それとも惚れたか?」
「ああ、そうだな」
「だよなぁ、そんな冗談……今なんて?」
「二度は言わん」
「いやちょっと、もう一回! 一生のお願いだ、もう一回言ってくれ!」
「何回一生の願いを使う気だ馬鹿が」
その願いは将来、ガレオンから使う事になるのだから。
今にも死にそうな子を、彼女は力強く励ましている。「もう大丈夫」「心配無用だ」。何度も声を掛ける内に、子供は少しだけ元気を取り戻していた。
「名前はなんだい? 無ければ勝手に呼ぶけど、返事がないからそうするよ。マステマ! 次からそう呼ばれたら返事をするように!」
「マス……テマ……」
「そうだ、それが今日からお前の名前だ。アスタ、かなり弱って危ない状態だ。早いとこマステマ達に飯食わせてやってくれ。勿論他の奴らにもな」
「あのな、まだ作ってすらないだろう」
「今から作ればいいんだ。アバドン! どこだアバドン!」
「はいヨ、ここアルヨ」
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「皆腹空かせてるみたいだからさ、美味い奴作ってくれ。アバドン料理上手いしさ」
「イナンナの頼みなら断れないアルな」
「流石頼もしい! 皆もほら! ちゃきちゃき手を動かす!」
イナンナは大勢を従えて早速料理の支度に入った。
ガレオンがイナンナと組んで数年が経っていた。彼女の思想に共感する者は予想以上に多く現れていて、ちょっとしたキャラバンが出来上がる程になっていた。
イナンナはアバドンのように生きる希望を失った、行き場のない者達に片っ端から手を差し伸べ、救い上げ、居場所を与え続けた。馬鹿正直なまでにひたむきに、目標へ向けて一直線に突っ走るイナンナに引っ張られ、ガレオンも多くの命を救うようになっていた。
弱き者を虐げ、搾取する者には斧を片手に立ち向かい、徹底的に強い者虐めをしていった。魔界に現れた正義のヒーローの噂は瞬く間に広がり、少しずつだが人々の希望として名が広まりつつあった。
……その中に俺の名が含まれているのは、少々複雑だが……。
「どうしたアスタ、手が止まってるぞ?」
「そのアスタと言うのをやめろ」
「憎くない付き合いになってきたんだし、愛称で呼んだっていいだろ? なぁアスタ」
「……もういい、好きにしろ」
どれだけ抵抗しても、ガレオンはイナンナに押し切られてしまう。俺も甘くなったものだと、ガレオンは小さくため息を吐いた。
不思議な女だ。幼い理想を口にするのに、本当に実現しかねない力を感じる。だからこそ多くの人が彼女に惹かれ、ガレオンもイナンナに賛同しているのだ。
「おいガキ、出来たぞ。飯だ、食え」
マステマに皿を出すも、恐がられて手を伸ばそうとしない。イナンナに助けを求めたものの、「お前がやれ」と目で言われてしまった。
どうすりゃいいんだよ、くそったれ……。
「食べて、それからどうすればいいの? 生きていたって、何もないのに……なんで、殺してくれなかったの?」
マステマはか細い声で聞いてきた。少女の目は暗く、深い絶望に染まっている。
成程、食わなかった理由はそれか。何のために生きているのか分からなくて、生きる事を拒否しているんだ。
「俺が生かす意味がある。お前に、誰も飢えず、不幸にならない、幸せな世界を見せるためだ。だから食え、生きろ。例え今日が最悪だとしても、明日は少しだけマシにしてやる。俺が必ずな」
「……分かった」
やっとマステマは食べ始めた。ぎこちないが、イナンナの真似をしてみたら、マステマの心を動かせたようだ。
俺も、イナンナに当てられているわけか。
「言葉が様になってきたな」
「誰のせいだと思っている」
「あたしだな。嬉しいよ、アスタがあたしに共感してくれて。何しろアスタはあたしの最初の理解者だからさ」
イナンナはまた快活に笑い、ガレオンと肩を組んだ。
「アスタがあたしの理解者になってくれたように、あたしもアスタの理解者だ。アスタが苦しい時は、あたしが肩を支えてやる。もしあたしに何かがあっても、アスタは一人じゃない。いつまでも、アスタの心で生き続けるさ」
「うっとうしい、死んだら黙って眠っていろ」
明日自分がどうなるかも分からぬ日々なのに、イナンナはガレオンを気にかけている。群雄割拠の世界で、他者のために戦う者は、恐らく彼女だけだろう。
……イナンナだけではない。俺だって明日、いや、次の瞬間には死んでいるかもしれない。明るく振る舞っていても、イナンナだって心の中では死に怯えている。その恐怖を少しでも軽くしてやれるよう……。
「俺も死んだら、お前の中で生き続けてやろう。お前がどう死ぬのか見届けるまで、消えるわけにはいかないからな」
「ははっ! じゃあ死ぬまで一緒に居るとしようか!」
明るいイナンナにつれられ、ガレオンもまた笑っていた。
思えばこの頃だったかもしれない。誰も愛した事のなかった男が、イナンナに惹かれ始めたのは。
そう思いつつ、イナンナ目掛け飛んできた矢を受け止める。振り向けば、堕天使の女を先頭にした集団が、武器を構えてガレオン達を見据えていた。
「お前達か、最近名を上げているキャラバンは。その様子だと水は勿論、酒や食料も沢山持っていそうだな」
「なんだ、お前達も腹を空かせているのか?」
イナンナは微笑みながら堕天使に歩み寄った。堕天使はにやりとし、
「ああ、こんな世の中だ。目先の飯にも困っていてね、どうか恵んでくれないか?」
「構わないぞ。武器を収めてくれればいくらでも分けてやる、こっちにおいで」
「そうか、では遠慮なく!」
堕天使はイナンナへ、隠していた短刀を突き出した。
刃が首に刺さる、直前でイナンナは回避。堕天使に裏拳のカウンターを浴びせた。
「先に手を出したのはお前だからな。これは警告だ、まだ矛を収めないのなら、容赦しない。こいつらはあたしの大事な宝物なんだ。そいつに手を出す奴は、誰であろうと許さない。もう一度言うぞ、武器を収めろ」
「わ、私の顔に……鼻血が……! 貴様ぁ! 私はルシファーだぞ! その顔に無礼を働いた事、後悔させてくれる!」
「ま、そうなるよな。いいだろう、あたしの全てを賭けて守り通す! 後ろの奴らに、指一本も触れさせやしないよ!」
イナンナは斧を片手に突撃していった。ガレオンは肩を竦め、メイスを握った。
「一人で飛び出すなと何度言ったら……アバドン! そいつらを下げていろ」
「あい分かったアル。マステマもこっち来るアル」
「……死ぬの? 皆、ここで死ぬ?」
「さぁな、そいつは未来の俺に聞け!」
ガレオンとイナンナは、たった二人でルシファーの軍団に立ち向かった。
互いに背中を守り、圧倒的多数を瞬く間になぎ倒していく。イナンナはガレオンを心から信用し、まるで後ろを気にしていない。その信頼が、心地よかった。
「な、なんだこいつら……化け物か!?」
「違うよ。正義のヒーローさ!」
ルシファーとの一騎打ちでも、イナンナは彼女に一切反撃を許さず完封。剣を粉砕し、ルシファーに斧を突き付けた。
「気は済んだか?」
「……す、すみませんでした……もう、悪い事しません……」
「よろしい。じゃあ飯にしよう!」
さっきまで喧嘩をしていたにも関わらず、イナンナはルシファーの手を握った。
「言っただろ? 武器を収めたらいくらでも分けてやるって。あたしは約束を守る女なんだ」
イナンナは言葉通り、ルシファー達を手当し、食料を分け与えた。彼女の言葉を借りれば、「喧嘩をしたらもう友達!」なんだとか。
「お前達も行く所がないなら、あたし達と来なよ」
でもって、ルシファー達まで自分の傘下に加えてしまう。イナンナには敵味方の境界線がないのだ。
「徹底的に叩きのめされてからの、特大のご褒美……なんだ、この感覚は……」
ルシファーが何かに目覚めたのはさておいて、また人が増えてしまった。物資や食料の管理、誰がすると思っているのやら。
ま、あいつに振り回されるのも悪くないか……。
「ここ居たアルか。マステマが話す事あるアルよ」
「なんだ、言ってみろ」
「皆、生きてた。本当に、守ってくれた……」
「だからどうした」
「……ありがとう」
マステマから礼を言われ、ガレオンは髪を掻いた。こういうのは、言われ慣れていないからどう返せばいいのか分からない。
この感情も、イナンナに出会わなければ知らないままだったんだろう。
「お疲れ! 今日もあたし達、いいコンビだったな!」
イナンナが肩を叩きつつ、ガレオンに魔法をかけた。疲労を取る風属性の力だ。
この女から、どれだけの物を貰っただろうか。そう思うと、愛しさが溢れてくる。
「あたしの顔に何かついているか? それとも惚れたか?」
「ああ、そうだな」
「だよなぁ、そんな冗談……今なんて?」
「二度は言わん」
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